1
暗闇のなかでひそひそと囁きあう声がして、耳を澄ませて聴いてみると、どうやら日本語のようでした。
韓国語と、とてもよく似た、でも少しやわらかい響き。
目を凝らしてみると、着物を着た老夫婦(らしいひとたち)が立っていて、
わたしどもの息子が、…という。
そのあたりで、ぼくは、もう「ああ、これは夢のなかだな」と気がついている。
わたしどもの息子が、あなたさまにとんでもない迷惑をおかけして、…
という言葉が聞こえてきて、誰に謝っているのだろう、と訝っていたら、すっと、こちらに正面を変えて、
あなたさまに、と、ぼくに話しかけだしたので、狼狽する。
あなたさまに、わたしどもの息子が、ご迷惑をおかけして、…
息子は、ああいう人間ではなかったのが…夢が、破れて、
(夢が破れて)
鬼が憑いて、
(鬼が憑いて)
もう、わたしどもには、
(もう、わたしどもには)
…というところで目がさめた。
ふだんは夢をみても、どうも夢を視たらしい、ということをおぼえているだけで、内容もおぼえていないが、妙に生々しい夢で、声調までおぼえている。
あの見も知らぬ老夫婦は、誰だろう?と考えてみるが、思い当たるひともなく、なぜ夢にあらわれてまで、詫びがいいたかったのかもわからない。
なんだか狐につままれたようで、不思議で、そういうことは珍しいが、うっすらと汗までかいていて、なんだか日本が心配になるような夢だった。
2
アベノミクスの失敗自体は、このブログ記事を読んできてくれた人は知っているとおり、初めからわかりきったことだった。
社会・経済構造の変革の努力なしに、中央銀行の思いつき、しかも教科書から引用したようなアイデアだけで日本経済がよくなることはありえない。
ツイッタで書いたが、奇妙な比較でも、それはちょうど個人が経験することでいえば外国語の習得と似ていて、ああでもない、こうでもない、小さな単語帳よりもノートブックに一覧をつくったほうが語彙を増やす効率はいいな、いやフラッシュカードはもっといいようだ、本をたてつづけに読んでみたらどうか、DVDをたくさん観たらよいかも、いや、ここは先生につかないとどうしてもわからない、と自分なりの大方針を立てて、工夫をつづけて、バランスをとり、進捗のなさにげんなりしたりしながら、不断に産業が模索をつづけて、初めて他国と異なる特徴があらわれて、イノベーションが起こり、優位が生じて、その上で金融の緩和や、金融機関のクレジット能力を増大させる工夫が加わって、経済が強盛になってゆく。
経済エリートが陥りやすい罠は、実体経済で動く通貨量が、資本移動などの実体から離れた通貨量よりも遙かに小さいことから、実体経済を経済インデクスのなかでも小さい項目とみくびって、「優位な産業がなければ経済は建設されない」という簡単な事実を見失ってしまうことであると思う。
専門のひとにわかりやすそうな例でいえば、連合王国が特殊なだけです。
グーグルもアップルもマイクロソフトも存在しない国で、貨幣経済政策だけをマネすることの虚しさを、日本の経済エリートは、まだ理解できないでいる。
経済が机上で決まる、という古くて干からびたエリート意識が、いまだにとれないでいるからでしょう。
結果は日本語メディア以外のすべてのメディアが報じるとおり、悲惨なもので、個々の日本人が自分のなけなしの資産を「お国のため」にさしだして、投機の資金にして、その最後の賭けに負けてしまった。
国債の常識はずれの規模での国内売買という、銀行が主体のある経営意志をもたされず、実際には政府の一機関として振る舞うしかないという日本の極めて特殊な金融体制を利用した国民からの富を吸い上げる装置をフルに動かして、個人がつみあげた貯蓄をすべて吸い上げて、意気揚々と乗り込んだ国際市場で、もくろみとは反対に、国民から借金してつくった賭け金も全部すってしまった。
クビのうしろに手を組んで、自分達では決してやってみる気が起こらないが、政策家としては魅力的に聞こえる、この日銀と日本政府の前代未聞の大博打がボロ負けに終わったのをみて、ああ、やっぱり、ああいうやりかたはうまくいかないんだな、日本人が良い実験をしてくれたおかげで、よい勉強になった、というのが、世界中の経済人の正直な感想だとおもう。
壁の大スクリーンから目を自分の机上に落として、さて、おれのこの難局は、じゃあ、どう対処すればいいんだ、というところだと思います。
3
問題は、もともとあんまりうまく行くわけはなかったアベノミクスの失敗よりも、アベノミクスがひんまげてしまった社会の姿のほうで、もちろんこれも、アベノミクスが突然枉曲したのではなくて、社会に国際的な競争力を回復させるために行った小泉純一郎の「改革」の頃から続いた一連の傾向が、アベノミクスで固定されただけだが、かつては支配層と「その他大勢」の収入差が先進国最小というのもバカバカしいくらい小さくて、軽自動車で会社に通う三菱グループの惣領がBBCのドキュメンタリになるくらい富の格差が小さいことを誇りにしていた日本社会が、いつのまにか、弱肉強食のキャピタリズムを剥き出しの形で持つアメリカ社会の構造を引き写して、アメリカ社会のような富の成長がないのに、社会の構造だけはごく一部の人間に富が集まるという、「貧乏なアメリカ社会」とでもいいたくなるような変形社会をつくってしまったことで、アベノミクスの負の効果は、個々の人間にとっては、こちらのほうが大きいような気がする。
人間はドビンボになっても隣も、その隣も、そのまた隣も、見渡す限りビンボなら、なんとか凌げるもので、たいして腹もたてずにやっていける。
取り分けて、日本は、英語圏の国々とは正反対で、同じ言語の国同士の競争というようなこともなく、従って、あきらめも付きやすくて、日本語の高い壁のなかで、お互いの貧困を慰めあいながらやり直していくことが出来るはずだったのが、富の再分配のやりかたに失敗して、大量の「経済競争に敗北した人間の群れ」を生み出してしまった。
集団的サディストというか、右から左まで、アカデミアの最底辺の、いわば学問の世界の「大部屋役者」たちが、最も攻撃的な日本のインターネット「言論」の世界に傷ましく端的にあらわれているように、学歴というようなもので順位付けされて、東京大学を頂点に、国民全体がひとりひとりオデコに偏差値を貼り付けて生活するような屈辱を強いられている世界で、今度は経済格差まで上下を押しつけられて、これで幸福感を味わえと言われても、せいぜいペドフィル的な女は人間でないことになっている世界に耽溺して、苦痛を癒やすしかないような、不運にも当の女に生まれれば、ぬかるみにうつぶせに倒れ伏した自分の上を、男達が笑いあいながらガヤガヤと歩いていくのを、窒息しかけながら聴いているしかないような、ものすごい世界で、ぼくの貧弱な頭で考えると国外に出るくらいしか解決がないような気がする。
4
それでも生きていかねばならないのは、なんと難儀なことだろう、こんなのやってられるか、と思うだろうけど、博打で「すってんてん」になって、父親が家のオカネを使い果たしてしまって、その上に高利貸しに大借金までしてしまった家に生まれついた息子や娘たちの立場に若い日本人はおかれてしまった。
そういうときは、一見、知恵がありそうな、親戚や近所の学のあるナマケモノの意見など聞いていてはダメで、そういうひとびとは肘で押しのけて、またゼロから地道に「国力」をつみあげていくしかない。
幸い、毛派が勢力を強めて、国家の根本的な安全保障のためには日本を叩く以外にない、と強く迫っていたのが、習近平は予想に反して有能な指導者で、社会の腐敗を根絶する名目で社会を支配しているオールドパワーを制圧して、人民解放軍と毛沢東派の影響力を小さなものにしつつあるように見えるので、(自分のほうから挑発する愚行を犯せばべつだが)地政学的な脅威は最小で、時間はある。
これだけ乱暴な政策をとって失敗すれば、20年はどうしても再建にかかるだろうが、オカネがなくなってしまったものは仕方がない。
年金を辞退しやすいように、いまのいったん辞退すれば、二度と年金がもらえなくなる制度を改めて、いちど辞退した年金もまた困窮すればもらえるように制度をあらためる、というような制度的な細部の整備から、
いままでの日本のおおきな病巣だった、50代くらいの人に多いように見える信じがたい無責任なもの言いに集って、うなずきあっている、自分に甘い、肝腎なことは他人がやるさの言論に耳をふさいで知的な生産性を回復するというような知的な体質を改善するというようなことから初めて、じーちゃんのいいかたで述べれば「千里の道を一歩から」、またやり直すしかない。
5
目が覚めて、しばらくして、あの老夫婦は、明治人なのだ、と気がつく。
用もない外国人のぼくの夢にまで、はるばる出向いてきて、すべてが自分達の責任であるように頭を深々とたれて詫びるところが、とても日本人で、切ないような可笑しいような不思議な気がする。
ご破算になってしまったけれど、日本のことだから、50年もすれば、また繁栄にたどり着くのではなかろうか、そのときまでぼくが生きているかどうか判らないが、国というものには不可思議な「性格」のようなものがあって、日本は全体主義が性にあっていて、またそこに回帰して、(ぼくの頭ではいいことにおもえないが)滅私の集団にもどって、中国を見習って、西洋の価値観とはことなる、個人に重きをおかない、たとえばシンガポールの「流線形の全体主義」のようなものを獲得していくのだろう。
「シンガポール_流線形の独裁」
http://gamayauber1001.wordpress.com/2010/11/09/1512/
あるいは、今度こそは、個々の人間の内なる自由が膨張して、正常な「個人から全体へ」のベクトルを持った自由への欲求が、ほんとうの自由社会をつくりだしていくだろうか?
しかし、そのためには、どういう形でか混乱を伴う「革命」を通過することが必要で、破壊と混乱をくぐりぬけることなしに、自由の向きが180度転換する社会の変化が起こるわけはない。
「なにもしないためならなんでもする」日本社会が、それほどの変化を現実にできるものだろうか?
なんだか、変わった国だなあ、と思う。
どこまでつきあえるかわからないけれど、ついていけるところまでは、ついていってみたい気がします。
昭和の頃なら、「日本ほど努力している国はない」と言い、
「日本に帰れば、きっと、みんな分かって協力してくれる」と言っていたように思う。
でも、今、日本を振り返ると、そうは思いにくい。
アジアの多くの国々でも人々が努力しているし、
欧米の人たちも自分たちにしかできないことに、しっかりと取り組んでいる。
多くの国々で、自らが抑圧されていることに気付き始めた人々がいて、
その一方で、日本もそういった構図の国と大差がなくなりつつある。
冷戦の頃に、日本を上手に立ち回らせて、アメリカから優遇を引き出した政治家も今やいない。
昭和の頃は「日本は特別な国だ」と思えるような何かがあったかもしれないが、
今は、それらは最早、全世界共通で、日本だけを特別に特徴付けるような要素がない。
過去の蓄積にぶらさがった繁栄が残っているだけで、
個人個人を比較すると、日本人はアジアの人々に到底、及ばない。
同じように悩み、苦しみ、もがいているのに、
なぜ、日本人だけが、おいしい食事を摂れて、暖かい布団で寝れるのか、
なぜ、アジアの人々は同じように報われないのか、
理解するのは難しい。
自分も「何かできるのでは」と思い、あちこちを当たったり回ったこともあったが、
どこから手がかりをつかめばよいのか分からない状態が20年以上続き、
結局、自分には社会の中に居場所などなく、
日本人臭いっぱいの愚痴をこぼす程度以上のことは何もできないとあきらめつつある。
おじいさん、おばあさんは、自分に何を期待したのだろう?
父や母は、何を思って自分を育てたのだろう?
学校の先生たちは、自分にどんな仕事を期待したのだろう?
自分なりにいろいろもがいてみたつもりだったけど、何もできなかった。
自分にせめてできることは、父や母の人生をきちんと締めくくることだけだった。
いいなあ。
私の夢には明治人はまだ来てくれません。
子どもの私が日本文学の端っこに触れたのは、4才のときに買ってもらった
プレーヤーで繰り返し聞いた童謡の歌詞で、そのほとんどが『赤い鳥』に
載った詩がもとだった。考えてみればみんな明治人の書いたものだった。
少し大きくなった後も大正期に書かれた作品が好きで、これにも同じ空気を
感じていた。近くに住んでいた祖父母や曾祖母の持っていた雰囲気は、両親や
その世代のもっているものとは違う、もっと自由で豊かな奥行きがあった。
軍国教育を受けた世代は、過去の日本の中では特異な世代なのかもしれない。
どこか硬直した感触を受けるのだ。戦前の国民学校の教育がどれほどのものを
当時の子どもから奪ったのか、想像するだにぞっとする。この世代の子どもが
今の五十代、六十代にあたる。
私の伯母は最晩年に初めて海外旅行をしたが、UKの客船に乗った感想が
「まあ、昔は敵国だったのにねえ。今は敵じゃないのねえ」というもので、
それを聞いた私は、成功したキャリアウーマンだったこの伯母ですら、
半世紀を経ても幼年期の教育からは自由になれなかったのだと知って驚いた。
明治人だった曾祖母たちが同じ船に乗っていたら、きっとお茶のおいしさや
お茶菓子の違い、サーヴするひとがかしこまりすぎずにいること、豪華客船
とは名ばかりの生活感ある細部の一つ一つに目を輝かせ、少年や少女のように
息を弾ませて喜んだろうと思う。あの世代の人は、未知の世界を知ることに
不安よりも喜びを感じていた。
がめさんが指摘するところの「信じがたい無責任な物言い」は、もしかして
教育によって意図的に奪われたものだったのかもしれない。自分でものを考え、
自分で自分の人生を作り、その延長で自分の国の未来をその手で一つ一つ
作る気の長い作業を自らする人間を作るには、それができる教育者を作る
ところから始めなければならないわけで、文字通り百年の計になる。
頼りない昭和生まれとしては、夢でいいから明治人の叱咤が欲しいところです。