Fuzzy Logic

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【はじめの一歩】幕の内一歩という名の「生ける屍」


【はじめの一歩】幕の内一歩はその「一線」を踏み越えるべきか - Fuzzy Logic

昨日は勢い余ってこんな記事を上げてしまった。一晩経って、冷静に振り返ってみたら、なんだか恥ずかしい。

改めてマガジンの47号を読み直したら、久美ちゃんは「幕の内さんは本気で世界王者になりたいと思ってるの?」って言ってたみたいですね。

幕の内さんは……


周囲の期待に応えるために戦うんですか?
なんのためにリングに上がるんですか?


本当にそんなにまでして世界王者になりたいと思っているんですか?

まぁニュアンスとしては間違ってないよな、と思ってしまうのは、ぼくも久美ちゃん同様、「一歩は本気で世界に行きたいとは思ってないだろう」と思っているからです。これは大方の読者から賛同を得られると思うし、作者もそういう方向で話を進めてきたはず。

「幕の内一歩は何のためにボクシングをやっているんだろう」

これはかなーり前から作者が温めてきた「はじめの一歩」の爆弾です。


幕の内一歩がリングに上がる理由

そもそも一歩がボクシングを始めたのは、「強いとは何かを知りたい」と考えたためです。純粋にその動機だけで物語をドライブしていければ良かったのかもしれませんが、それだけでは物語のテンションを保つのは中々難しい。

そこで、作者は一歩がボクシングをする理由に「ライバルとの因縁」を付け加えることにしました。それが「宮田一郎との因縁」です。

一歩の初めてのスパーリング、たまたま相手になったのが同い年でジムの先輩である宮田でした。そこで素人の一歩が思った以上のパフォーマンスを見せたため、時間を置いて再スパーリングをしたらほとんどまぐれで一歩が勝ってしまった。

新人王戦で一歩と戦うため、「新人王戦の決勝で戦う」ことを約束して宮田は鴨川ジムを去りました。しかし、肝心の新人王戦で、宮田は一歩と戦う前に敗れ、結局一歩と宮田は対戦できなくなってしまった。

以来「宮田との再戦」は、一歩にとって「強いとは何かを知る」ことに次ぐ至上命題になってしまったんですね。

ボクは戦いたい
宮田くんとプロのリングで戦うのが約束なんです!!



どのくらい力をつければいいんですか?
あと何回防衛すればいいんですか?


どうすれば宮田くんと戦らせてくれるんですか?


日本王座なんて獲れると思ってなかった
まして鷹村さんみたいに世界なんて考えられない
この先ずっと戦い続けるなんてとてもじゃないけど自信がありません


(47巻「最強かつ最悪の武器」)

奇しくもこの時の一歩が口にしている通り、一歩は日本王者になることすら考えられなかった人間です。まして世界王者なんて。いつだって一歩を突き動かしてきたのは「強いって何かを知ること」「宮田と再戦すること」、この2つの命題でした。

これらは時間を経て、一歩の中で不可分のものとなっていきます。

今までの自分を全て出して、どのくらい強くなったのか試したい
ずっと憧れていた宮田くんと戦って追い続けた答えを見つけたい


そして答えはきっと出る
勝ち負けは関係ない


(76巻「最後の試合」)

この二つは「はじめの一歩」という物語の中で、マストで解決すべき命題です。この二つに何らかの形で決着をつけない限り、この話は終わらない。例え一歩が世界王者になろうとも、この二つの命題を消化しない限り、「幕の内一歩」の物語は幕を下ろすことができないのです。


他人の亡霊に突き動かされる「生ける屍」

そんな宮田との因縁を切ったのは、宮田が一歩以上に戦わなくてはならなかった因縁の相手・ランディボーイJrとの出会いでした。宮田は一歩との試合よりも父親のボクサー生命を終わらせた相手の息子であるランディとの試合を選び、一歩に決別を宣言しました。

一歩は戦うべき目標を見失い、現役を引退しようと考えました。周囲の人間からは理解されませんが、一歩にとってみたら「宮田=強いとは何かを教えてくれる唯一の相手」と戦うことは金輪際ないと宣言されたわけです。

昨日の記事でも触れた通り、一歩には「母が守ってきた釣り船屋を継ぐ」という、ボクシングよりも重い命題を背負っています(宮田が、一歩との試合よりランディとの試合を優先させたのと同じです)。

戦う理由が無いのなら戦わない。一歩にとっては至極合理的な判断だったはずです。

それを覆したのがスポーツライター・飯村の言葉でした。

強いボクサーの拳にはね、お金・名誉、応援する人の想い
戦った人の想い
それらが幾重にも染みついて絡みついているのよ


強いボクサーの拳は
例外なく重いのよ


少なくともキミの拳には19人分の想いが絡みついているハズだわ
簡単に引っ込められるほど
もうその拳は軽くないハズだわ


(77巻「拳の重み」)

この言葉を受けた一歩は、あたかも「宮田と戦うこと」という命題から「強いとは何かを知ること」という命題を分離させたかのように覇気のある様子を見せました。

ああ……なんて広いんだ
世界は果てしなく続いている……


ゴールなんて見えるワケがない
走り続けなきゃ届くハズがない


――だけどこの広い世界のどこかに必ずあるハズ!


ボクの追い求めている答えが!!


(77巻「拳の重み」)

しかし、ぼくはここで思うわけです。なんかこの一歩の独白、やけに漠然としていすぎやしないか?

本当に一歩は、ここまで抱え続けた二つの命題の内の一つを切り捨てることが出来たのだろうか、と。

この二つは既に一歩の中で一体不可分のものになっていたんじゃないのか。既に「宮田と戦うこと」=「強いとは何かを知ること」だったんじゃないのか。世界王者はおろか、日本王者になることすら想像できない「小僧」が、いまさら宮田以外にその答えがあるなんて本気の本気で信じることができたのか?

答えはNOだ。

ここで一歩を立ち上がらせたものは一体なんだったのか。飯村の言葉の中にヒントがある。

そう、「応援している人たちの想い、戦ってきた人たちの想い」だ。

要するに、この時一歩は他人の期待に応えるためにしょうがなく立ち上がったのだ。

そう考えると、そこから始まる一歩の「迷走」にも説明がつく。当たり前だ。一歩は自分の目標なんて何もないのに、ただただ他人の期待に応えるためだけに戦い続けているのだから。

世界と聞いても浮かない顔をしていた。当然だ。「世界」は一歩の目標でもなんでもない。練習は無事に家に帰るため。そりゃそうだ。一歩にとって目標は勝つことではなく、周囲の期待に応えることなのだから。

今日から挑戦者だ


(104巻「あの言葉は」)

日本王座も返上し、伊達や千堂から受け継いだチャンピオンベルトもなくなった。守るべきものがなくなってしまった、と考えると上の台詞の頼りなさが理解できる。

母さん、もし……
もしかしてだけど


今日の試合に勝っちゃったら次は……
世界戦なんてコトになるかもしれないんだ


(104巻「あの言葉は」)

一歩は心のどこかでゴンザレスに負けることを望んでいたのだろう。負ければ世界戦なんてやらずに済む。

今の一歩は拳にこびりついた「想い」に突き動かされるままに戦う人形に過ぎない。2ちゃんねるでは一歩のことを揶揄して「ゾンビ」と言うが、自分の意思を持たずに何度打たれても立ち上がる様はまさに「生ける屍」そのものだ*1

そこで、問題提起は冒頭に取り上げた久美の言葉に戻ってくるわけだ。

幕の内さんは……


周囲の期待に応えるために戦うんですか?
なんのためにリングに上がるんですか?


本当にそんなにまでして世界王者になりたいと思っているんですか?

幕の内一歩という「生ける屍」を蘇らせるには

本来の目標を見失い、自分の意思すらなくして、生死をかけた試合に臨まなければならない一歩は不幸なのかもしれない。だからこそ、鷹村は「もうやめろ」と言わざるを得なくなってしまった。

これ以上戦い続ければ一歩は必ず不幸になる。それは戦いの場を提供した鴨川会長も同じく不幸になるだろう。ミゲルが予言した通りに。

一歩はどうすればいいのだろう。

ぼくはもう辞めるべきだと思う。もうこれ以上自分の意思を置き去りにしたまま進むのは無理だ。

これ以上進もうと思うなら、「線」の向こう側で戦うのなら、自分の意思で。

戦う理由はなんでもいい。恩返しでも、怒りでも、世間への復讐でも自己顕示欲でも、父のボクシングが世界を獲れることを証明するでも、なんでもいい。

何を原動力にしようと、自分の意思でその一歩を踏み出すべきだ。

それがないのなら、もはや戦うべきではない。

きっと作者にとっても、誰にとっても、それは同じなのだろうと思う。

はじめの一歩(109) (週刊少年マガジンKC)

はじめの一歩(109) (週刊少年マガジンKC)

*1:そういう意味では、自分の意思で喧嘩をしにいった小島戦は、それはそれで意味があるものだったのかもしれない。