坂野潤治『〈階級〉の日本近代史』
本日は、大阪で労働政策フォーラムが開かれ、労使それぞれの弁護士の皆さんと一緒に、わたくしもパネリストとして、改正労働契約法について議論してきました。
帰りの電車の中で読んでいたのが、坂野潤治『〈階級〉の日本近代史』です。
近代日本史が専門の坂野さんは、とりわけ近年、現代政治の姿に大きな危機感を感じて、繰り返しメッセージ性の高い歴史書を送り続けていますが、本書もその一冊です。
本ブログでも結構繰り返し紹介してきていますので、わかっているよ、という方も多いでしょうが、やはり繰り返し語られるべきメッセージだと思います。
http://bookclub.kodansha.co.jp/product?code=258589&_ga=1.50056038.1129985248.1416490298
武士の革命としての明治維新。農村地主の運動としての自由民権運動。男子普通選挙制を生んだ大正の都市中間層……。しかし、社会的格差の是正は、自由主義体制下ではなく、日中戦争後の総力戦体制下で進んだというジレンマをどうとらえればよいのか。
「階級」という観点から、明治維新から日中戦争勃発前夜までの七〇年の歴史を、日本近代史の碩学が描き出す。
折しも安倍首相が明日解散総選挙を宣言するという今、昨日の政労使会議で、またしても経営側に賃金引き上げを求めたというニュースが流れる今だからこそ、次の一節が身にしみる思いがする人が少なくないのではないでしょうか。
・・・一般の労働者が望むのは、雇用の安定と賃金の引き上げである。彼らにとって労働組合は、この二つを実現するための手段に過ぎない。しかし、当時の労働運動の指導者にとっては、一般の労働者の二つの期待を果たすためには、まず政府に労働組合法を制定させることが必要であった。
一見したところでは何の矛盾もない労働者と労働運動者の立場は、ある状況では正反対の立場に転ずる。労働組合法の制定に肯定的な内閣が、その健全財政主義から不況を悪化させ、失業者を増大させる場合がそれである。
同じことを反対側から見れば、労働組合法の制定に否定的な内閣が、積極財政によって不景気を克服して失業者を減少させる場合がそれである。
前者の場合には、組合指導者は内閣に好意的でも、一般の労働者はそれに批判的になり、後者の場合には組合指導者は内閣に批判的でも労働者全体はそれに好意的になる。・・・
この言葉が身に沁みない人は、労働者の権利に関心がないか、労働者の生活に関心がないか、その両方の人でしょう。
・・・筆者が机上で考えれば、労働組合に好意的なリベラルな政党が『積極財政』を採用すれば、普通選挙制という政治改革が、都市中間層と労働者の増大という社会変動を吸収できたと思われる。しかし、当時はもとより、2014年の今日でも、リベラル政党はいつも『小さな政府』を目指す。戦前の憲政会=民政党然り、戦後の日本社会党=民主党また然りである。反対に保守政党は、戦前の政友会から戦後の自民党に至るまで、これまた一貫して『積極財政』の名の下に『大きな政府』を目指してきた。
この100年近く変わらないアイロニー・・・。
総同盟が「政友会は常に社会政策を無視することにおいて特色がある」と敵視していた政友会が、1932年の選挙で掲げたスローガンがこれです。
景気が好きか、不景気が好きか。
働きたいか、失業したいか。
生活の安定を望むか、不安定を望むか。
産業の振興か、産業の破滅か。
減税をとるか、増税をとるか。
自主的外交か、屈従外交か。
嗚呼、80年前のアベノミクス!
・・・「平和と自由」だけを尊重し、「格差」に目を向けない場合の最悪の結果は1937~1945年の『8年戦争』である。・・・45年には見渡すばかりの焼け野原と敗戦が待っていた。
しかし、もちろん、坂野さんはそれが必然だったと言いたいのではありません。1937年に生まれ、戦争末期防空頭巾をかぶって空襲から避難した経験を語る坂野さんは、焼け野原にならないで平等を実現する歴史のイフがあったはずだと語るのです。
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