ボン兄タイムス

社会、文化、若者論といった論評のブログ

ニコニコ動画は日本の音楽文化の質を高めたか?

 初期のニコニコ動画は、海外の音楽PVがバズることがやたら多かった。

 2006年に開始した当初は「Youtubeに投稿されている動画にコメントを付けるサービス」と言う性質上、外国の動画の割合が高く、主に英語圏の海外ネットユーザが話題にしている動画がそのまま引用にされていた。空耳字幕をつけたり、MAD動画にするなどの楽しみ方があった。

 海外から面白い音楽を引っ張ってくると言う文化は日本にもともと存在していた。

 韓国の3人グループ「ソバンチャ」の代表曲「昨日の夜の物語」は、「オジャパメン」との名前でダウンタウンの番組のネタにされたし、スキャットマン・ジョンがやたらと流行ったのも意味不明の早口言葉というものがユニークだったからだろう。

 

 だいたい平成時代の大衆音楽は固定概念を吹っ飛ばすユニークさが、売れる理由になっていた。

 演歌歌手の氷川きよしは「J-POP全盛期の若者なのに演歌を歌っている」ということで爆発的にヒットをしたし、篠原ともえも独自のキャラクター性が人々を魅了し、「シノラー」を各地で増やした。「はっぱ隊」は公衆の面前で全裸でおおっぴらにダンスをする様子が卑猥すぎて面白かったわけで、バラエティ番組の流行った企画のキャラクターをCD化させるという手法は「猿岩石」「野猿」「ちびアユ」「慎吾ママ」「ポケットビスケッツブラックビスケッツ)」など枚挙にいとまがなかった。

 とはいえ、国内の音楽産業は2000年あたりくらいまでには「やれる手法を全部やりつくしていた」し、世界的な流れである音楽のCDからデジタル配信への移行に伴い、かなり厳しい時代を迎えることになった。モーニング娘。浜崎あゆみ辺りを最後に冬の時代を迎えあることになる。とりわけ情報感度が高く、デジタル化への以降が早く進んだ都市部からは外資の有力大型CD店が撤退するなどした。渋谷のHMV閉店は大きな出来事だった。

 

 平成時代、なぜ都市部の若者がWAVE(現存せず)やタワーレコードHMVに押し寄せたかというと、それは固定概念を吹っ飛ばすユニークさを彼らが求めていたからだ。小室哲哉世代の50代から30代まででであれば、こうした外資CD店で洋楽の最新ヒット曲からどこかのマニアックなヒップホップ音楽やら、古いジャズの貴重な音源やらアフリカのレゲエやらを求めていた。そうした探求心が日本の音楽文化にも反映され、J-POPの全盛期には豊かなさまざまなスタイルの歌手やバンドが華やいだ。FMラジオ局が都心にオープンスタジオを設けているのも、もっといえばライブハウスがCD店の周りに多いのも、音楽文化の成熟の影響だったわけだ。

 今では田舎の人間以外は誰も見ていない国民的音楽番組「ミュージックステーションが最高視聴率を記録したのは、1999年の宇多田ヒカル初登場の放送回だったそうだ。宇多田は「ニューヨーク出身の帰国子女」で「母親は演歌歌手の藤圭子」というダブルのユニークさがブームのきっかけだった。彼女の楽曲は当然ながら都会の象徴だった。レゲエやHIPHOPなど、新しいブームが発生する時は必ずミュージックステーション」が取り上げることで、日本全土の情報弱者に到達させていた。

 なお、店舗は潰れたが、物理的な制約のなにもないネット配信で世界中のCDを取り寄せられるのが今の時代である。物質にこだわりたいのならamazonを利用すればいいわけで、音楽文化の先端性はレガシーメディアや都市からインターネットへ移行したはずだった

 のだが・・・

 2010年代になって大きな問題がある。それは「世界的なネット上での音楽のブーム」と「日本国内のネット上」が全く同期していないことだ。あれほど情報感度の高い人の集まったニコニコ動画が、ただの俄かオタク気取りのスクツになってしまったのだ。

 

 2011年に世界で爆発的に流行った「nyan cat」は「世界で5番目に再生数が多かった動画」としてYoutube公式で表彰された。日本風の絵柄の猫が泳いでいるイラストに、ニコニコ動画の一部ユーザーの間で流行った初音ミクの音楽の別バージョン音源をかぶせたものだが、肝心の日本のニコニコ動画のユーザは置いてけぼり状態だった。

 2012年に流行った韓国の太っちょオヤジPSYの「江南スタイル」も、ニコニコ動画でMADが作られることはなかった。その次に流行った「ハーレムシェイク」もニコニコ動画ではパッとしなかったことは言うまでもない。

 単純でわかりやすい固定概念を吹っ飛ばすユニークさが国境を超えて広まっている中で、なぜか日本のネット動画サイトの最大手のニコニコ動画には到達しなくなっている。

 

 本来なら、ニコニコ動画のような場は、国内外の純粋に面白い音楽がキュレーションされてバズって然るべきで、そうやって取り入れられたユーモアセンスをもとに作り手側が新しい音楽を発信するには素晴らしいプラットフォームだったはずだ。しかし、レガシーディアや都市が音楽を発信できなくなった今、ニコニコ動画も大して機能していないというしょうもない現実がある。

 そんなふうに、2010年代になってガラパゴス化したニコニコ動画が世間に発信できた音楽といえば「千本桜」くらいではないか。

 椎名林檎気取りの陰キャラの中二病腐女子がノートに書き殴ったような歌詞で日本の一般大衆に受け入れられるものではなく、ましてや海外で評価されるものではないが、テレビCMのBGMに起用されるくらいには流行った。

 

 結局、この程度なのである。

 クールジャパン戦略を日本政府や音楽業界などが本気で考えているのなら、レガシーメディアや都市に変わる新たなプラットフォームとしてのニコニコ動画は失敗だったのだという事実を受け入れた上で、新たな「場」づくりに取り組むべきじゃないか。