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齋藤精一郎:「所得不平等」は米経済に悪影響、ウォール街からも指摘

nikkei BPnet 10月29日(水)8時21分配信

 今春、アメリカの経済界、言論界に「ピケティ旋風」が吹き荒れました(本コラム2014年5月20日付「ピケティ『21世紀の資本論』はなぜ論争を呼んでいるのか」参照)。その後、ピケティが提起した所得不平等議論はやや沈静化しましたが、この8、9月に入って、21世紀資本主義の牙城であるウォール街の内部から同じような議論が巻き起こっています。所得・富の不平等の弊害に鋭く迫る論文が相次いで発表され、不平等や格差の問題が経済成長との関連から新たな脚光を浴びつつあります。

■S&Pとモルガン・スタンレーが格差に関するレポート発表

 今年3月に、フランスの経済学者、トマ・ピケティ著『21世紀の資本論』の英訳が発売された当初は、ウォール街は批判的にピケティ旋風を見ていました。ピケティ本は、「フランス社会主義の系譜」とか「アメリカの活力を減じる亡国論」と評され、ピケティが提起した格差問題はタブー視されてきました。

 ところが、8月に入って、世界的な格付け企業であり、いわば“特別監査役”としてウォール街とともに歩んできたS&Pが、所得分配の不平等を主題にレポートを発表したのです。「不平等がいかにアメリカの経済成長を悪化させるか、そしてこの流れを変える方策は何か」と題したこのレポートは、長いウォール街の歴史で、資本主義そのものの核心に問題提起した初めての試みと言えます。さらに1カ月余り後の9月下旬、今度は大手投資銀行のモルガン・スタンレーが「不平等と消費」と題したレポートを発表しました。

 これら2つのウォール街発レポートは、ピケティを始め、ピケティの分析のベースになった先行研究や、IMF、OECDなど各種調査を広範に参照しています。その上で、ここ10数年に広がるアメリカの所得・富の不平等化の流れを跡付けています。今やアメリカ経済は、分配格差の是正を抜きにして、将来展望を行うのは難しいと論じています。

 ここで、この2つのレポートを基に、アメリカの所得・富の格差の状況を整理しておきましょう。

■100億円以上の資産を持つ「スーパーリッチ層」のシェアが拡大

 まず、所得分配上の不平等については次のようになっています。

(1)1968年から2013年にかけて、ジニ係数(0〜1の間の数値で、0は完全平等、1は完全不平等を示す)という指標でアメリカの所得格差の拡大を捉えると、4前後から4.9前後へと23%も上昇している。

(2)FRB調査で2013年の所得分配を見ると、所得階層の上位10%の家計が、所得全体の47.3%と、半分近くを占めている。

(3)1989年から2013年にかけて、家計所得の平均値と中央値を比較すると、両者のギャップは60%から90%に開いている。家計の平均所得が中央所得を超えれば超えるほど、家計所得の不平等化が進んでいることを意味する。

(4)近年、アメリカの所得格差が広がっているのは、「スーパースター効果」(グローバル化の恩恵で一部のスターが巨額の報酬を得る)、「スーパーマネージャーとスーパー起業家の出現」(グローバル企業のマネージャーや起業家が巨額の報酬を得る)、「労働者の分極化」(高度な技術を要する仕事とそうでない仕事で賃金が分極化)、といった要因が考えられる。

 つづいて、富の不平等については次のようになっています。

(1)1910年に上位10%の富裕層は資産全体の80%を握っていた。それが第2次世界大戦後には60%にまで低下したが、2010年には70%に上昇している。

(2)上位1%の富裕層の中で、構造変化が起きている。20億円から100億円の資産を持つ「中間リッチ層」のシェアが大きく落ちる一方で、100億円以上の資産を持つ「スーパーリッチ層」のシェアが拡大している。

■所得不平等化が進むと、長期的な経済成長率は2.5%に低下する

 資本主義の本丸であるウォール街のS&Pとモルガン・スタンレーが所得・富の不平等に強い関心を持ち、真正面からこのタブーに挑んだのは、社会正義やモラルという動機によるものではありません。それが経済成長という経済学的主題と強く関連していることに気づいたからです。

 S&Pは5年前に、アメリカの長期的な経済成長率(実質)は2.8%と見ていました。しかし、所得不平等化が進むと、それが2.5%に低下するという結論に今回至っています。

 では、なぜ所得不平等化が経済成長に悪影響を及ぼすのでしょうか。そのルートは2つあると考えられています。

 1つめのルートが「ケインズ的ルート」です。ケインズ的な見方を取ると、所得不平等化で豊かな者は貯蓄を増やし、消費を抑えます。一方、貧しい者は借金を増やすことでしか、消費を維持できなくなります。その結果、全体の消費水準が低下し、持続的な経済成長が損なわれるというわけです。

 しかも、近年のアメリカは、株価が急上昇をつづけているのに対し、住宅価格は依然として低迷しています。一般家計における最大の保有資産は住宅ですから、多くの家計では株価上昇の恩恵を受けていないことになります。また、住宅価格が低迷するなか、一般家計は住宅資産を担保に新たな借り入れをすることができず、消費を維持することが難しくなっています。

■所得・富の不平等は、子の世代で再生産される

 2つめのルートが「教育格差ルート」です。モルガン・スタンレーのレポートによると、大卒資格以上を持つ労働者の賃金は、高卒資格者に対して約2倍となっています。しかも、そのギャップは上昇トレンドにあります。

 所得・富の不平等化が、高度な教育を受けられる者と受けられない者との教育格差を拡大させています。この教育格差が、高度な教育を受けた労働者と、そうでない労働者との分極化を引き起こしているのです。

 さらに、教育格差に起因する所得・富の不平等は、子の世代で再生産されます。この悪循環を断つことが、長期的な経済成長を実現するにあたり不可欠になります。

 S&Pのレポートでは、長期的な経済成長の原動力として、大学進学率の均斉的上昇の必要性が強調されています。1960年代と80年代を比較すると、貧しい家計では大学進学率が4%しか上昇していないのに対し、豊かな家計では20%も上昇しています。このギャップを埋めなければならないというわけです。

 また、そもそもアメリカは大学進学率の水準自体が非常に低いというのが現状です。OECD調査(25〜34歳が対象)によると、カナダや日本、韓国といった国々が60%前後の大学進学率であるのに対し、アメリカは40%程度にとどまっています。

 このようにアメリカの経済成長は、際立った高度教育化の遅れにより制約が課せられています。高度教育化の遅れは、労働の上方移動を阻害し、国全体の社会的流動性を抑え、経済に閉塞感をもたらすと言っていいでしょう。

■米国の「長期停滞の謎」を解く有力なカギが「不平等化」

 以前の本コラムで「サマーズの謎」にふれたように、近年のアメリカでは長期停滞論がささやかれています。アメリカ経済には需要サイドと供給サイドにネック(阻害要素)が存在し、長期的成長を低下させているというものです。

 この「長期停滞の謎」を解く有力なカギの1つが、今回の2つのレポートが提起した「不平等化」という要因です。「不平等化」を考慮しなければ、長期停滞論を説明することは難しいのです。

 すなわち、不平等化によって、需要サイドでは過少消費という阻害要素が生まれます。同時に供給サイドでは、高度な労働力供給の遅れという阻害要素が生まれています。需要と供給の両面において、不平等化が長期停滞をもたらしていると言えます。アメリカ経済の弱い成長軌道を転換させ、長期停滞の濃霧から脱出するには、不平等化の是正に本格的に取り組む必要があります。

 今回、反資本主義的な市民運動からではなく、資本主義の本丸・ウォール街から不平等是正の提案が実証的になされたことに、アメリカ資本主義の「不死鳥性」を垣間見た思いがします。日本の脱デフレ、さらには経済再生にとっても、教育の質的充実など他山の石とすべき論点が多いのではないでしょうか。

最終更新:10月29日(水)8時21分

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