ONS056前田健二郎(おまけ)
「前田建築事務所のあゆみ」からもう少しエピソードを拾ってみたい。
○築地本願寺(1934年竣工)
はじめ前田に設計依頼が来ていた。そのデザインは「思いきって新しいもの」だったが、設計が出来上がった頃、間接的に伊東忠太に設計を譲ってほしいという話があり、設計者が変更になった。
現在見るように伊東によるインド式のデザインとなったが、前田にも設計料6,000円が支払われた。
(前田案がどのようなものだったか不明だが、モダンデザインが不評だったことが大きかったのではないだろうか)
○1937年パリ万国博・日本館
これも前田が設計したもの。病気中だったのでパリに行くのを断り、当時ル・コルビュジエのアトリエにいた坂倉準三が実施設計をした。
「坂倉さんは私の基本設計にかなり忠実に実施設計をしてくれた」
○日本生命本社(大阪、1938年竣工)
これも前田に設計依頼があったもの。東京の日本生命館(後記)の縁であろう。
ところが設計がもうすぐ完了というところで、長谷部竹腰事務所から弘世(助太郎)社長のもとに「大阪に建築家なきが如き振舞いをされては困る」と横やりが入ったという。
板挟みになった弘世社長から、設計料は規定通り支払う、支店の設計を任せる、と言われ、これも設計を譲ることにした。喜んだ竹腰健造が前田のところへお礼を言いに来たという。
「日本生命本社の建物は目地の切り方まで私の設計そのままで工事が進められ、私は相談相手のような形で参加させて貰いました。その厚い処遇には感謝しましたが、途中であれこれ考えて辞退してしまいました。」
○東武鉄道会社浅草停車場(東武浅草駅・松屋浅草、1931年竣工)
スカイツリーの開業に合わせて、現在、当初のデザインに復元する工事が行われている(PDF)。
一般には「久野節設計」とされていたと思うが、実際には前田の設計だという。
「元鉄道省建築課長の久野節氏から設計一切を託され、山田健治(前田設計事務所主任)を主体とし、設計係を組織して、前田が指導し設計した。構造設計は久野氏の弟が担当した。」
○日本生命館(高島屋東京店、1933年竣工、重要文化財)
設計者が片岡安、高橋貞太郎、前田の連名になっているのが以前から気になっていたが、本書に「昭和3年 日本橋高島屋(日本生命館)建築設計競技(共同設計) 一等受賞」とあった。
このコンペでは「一、二等の等級なく、入選者十名に一千円宛を与へ、更にその中の優等三人になほ一千円宛合計二千円を与へる」ということで、「特選」は高橋、出張龍三、下山猛の3名だが、その中でも、高橋案が筆頭に置かれており、実質的な最優秀作だった(建築雑誌1930年3月、6月、7月)。この案が高橋と前田の共同設計だったのだろう。
日本生命館コンペは、「建築意匠のヒントを懸賞で募集」と言われた妙なものだったが、岡田信一郎との因縁もあり、後でまたふれたい。
※前田健二郎の数々のコンペ受賞歴を見ていると、当時のコンペがいかに設計者を尊重していなかったかが窺われるのだが、これも後でふれる機会があると思う。
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