息子が落ち着くまで、有給を使い、休みをもらった。
今後、息子を保育所にあずけることが出来ない…と…入院していた病院は目の前、私の職場は同じ系列…何故?
『いつ、てんかんを起こすか解らない子供はあずかれないと!』園長先生に言われた…
「なんで?難病だからってみれないの?保育所無理なら仕事できないじゃん…家も車も買い、ローン払わないといけないのに…」
せめて、冬のボーナスまではどうにかしないと!と理由を母に話、1か月近く息子を私の母が見てくれた。息子を朝、実家に、娘は保育所に…色々大変で、私は、病棟のリーダーをやることが多く、後輩の帰るめどが立たないと帰れない。夜、20時位の帰宅は当たり前…「まぁ、娘の通勤は車で一時間半かかり、まともに家事が出来なかった。夕飯の準備を元旦那がしていれていたわけでもなく、吉野家、MAC等の夕飯が多かった頃よりかは帰宅が早いからなぁ…引っ越してきた家から歩いて1分ほどの所に義理の姉が住んでいて、夕飯作ってくれたりしてたすけてくれた」でも、それが私のストレスになり、自分がおかしくなっていくのが解った…
「これから生活どうしよう…」
不安ばかり。あっというまに退職の日になってしまった…
18歳の頃から看護助手をしながら午後通学、准看護婦の資格をとり、一年働き、正看護師の学校に2年通い、国家試験をとり、お礼で5年働いた職場…
色々経験し、わたしが修行をした病院…辞めるのは辛かった。
辞める日に助手時代にお世話になった婦長(総看護婦長)に挨拶に行った…『息子が難病で保育所断られました。今日で退職します、ありがとうございました( ノД`)…』と、話した後に『あの子、Fの子供だったの?愛敬あって可愛いよね…』と、どうやら息子の入院中にみていたらしい…
『今回は私は、仕事辞めますが、子供が厄介な病気持っていて、復帰できない看護師はいっぱいいます。受け入れる体制を作ってください。』と伝えた。
『早急に体制を考えるから、戻ってきてね!』と言われたが、戻る気持ちは無かった…
病院に戻り、お世話になった病棟、外来に挨拶にまわった。最後の日までリーダーやっていたため、18時すぎ位まで病院にいた…夕方に目眩の患者さんがいて、点滴が終わらず最後まで残っていた。
目眩の患者さんを受けたのは4月から勤務をしてきた医者。当直もよく当たり、歳も1個下だった為かスゴく仲良かった。その医者がパソコンを入力していた。『先生?私、今日で退職します。色々ありがとうございました!先生も元気にがんばって!』と挨拶。お世話になったからもう使わないであろう、ペンライトをあげた。
『えっ!辞めるんですか?急すぎますよ!息子さんの件で?』と何かあったら僕を頼って来てくださいね!と携帯番号とアドレスを教えてくれた…
結婚してから始めて教えてもらった男性からのアドレス…正直スゴく嬉しかった…
私は、元旦那に頼ることも出来ず、一人で殻に閉じこもっていた…先生は医者!何かあったら頼りになると…信じて夜に速効メールした。
それから私は、現実逃避をするようになってきた…