- >>40753
>>マグマグ殿との討論中に申し訳ないですが
>>ロム男さんは「文証」として私が日達上人の話をだしたところ。。
まだ言っているの 確かに日達上人は
『戒壇の大御本尊は大聖人“ご・在・世・当・時”
また日興上人がいらした当時、身延山で 本堂に安置されていたものであります。』
・・と述べておりましたが
しかし 日達猊下は 御在世当時・・と言う「但し書き」を添えて述べていますよ
また 富士門徒の事も端折って戒壇の御本尊は身延にあったとか
それを日蓮正宗が認めているなどと
都合よく歪曲し珍説を唱えていたんじゃないでしょうか?
http://6001.teacup.com/qwertyui/bbs/18418
まったく戸田先生の話まで都合よく歪曲する人だからな この人は
>>
>>それよりも、樋田さんの所の「教学部レポート(仮称)」確認されましたか?
>>実名部分は樋田さんが気をきかせたのかイニシャルで伏せていますが、
>>ロム男さんが入手されたものと相違ないでしょうか。
>>
何、話題を変えようとしているの?
- >>40752
>>大聖人だと思って唱えていたら 実は魔だったり
伝行のお弟子さんだった 慈覚さんですよ
大日如来が正しいのか?
法華経が正しいのか?
・・・と 二つの教典を仏壇に飾って祈ったら
太陽がヤに刺さる夢を見て
大日如来と法華経は理同事象だと慈覚さんに告げられ
そこから天台が朽ちてしまった
- マグマグ殿との討論中に申し訳ないですが
ロム男さんは「文証」として私が日達上人の話をだしたところ。。
※あなたは、宗門の坊さんの言う事は、根拠のないことまで信じるのですか?
【投稿者:ロム男 投稿日:2014年11月 6日(木)15時17分2秒 】
http://6001.teacup.com/qwertyui/bbs/18411
と下していましたよね。
都合が良いですね(笑い)
それよりも、樋田さんの所の「教学部レポート(仮称)」確認されましたか?
実名部分は樋田さんが気をきかせたのかイニシャルで伏せていますが、
ロム男さんが入手されたものと相違ないでしょうか。
作者が執筆された日は
【2013/09/28】
【2013/10/13】 だそうですが。
- >>40750
>>あぁTakedaさんは「与えられた」ものでした戦うつもりがない。
>>智慧を湧かせるには唱題が大切ですね。
敢えて伺いますが あなたは どこに向かって題目を唱えているんですか
それが 御本尊に届いているんですか?
大聖人だと思って唱えていたら 実は魔だったり
- >>40749
「メートル法」と「尺貫法」を取り違えて解釈していますね
原田会長は今回の教義改定で なんて言ったか存じていますか?
弘安2年の御本尊とは決別した・・・ と
つまり 基礎から決別した・・とも解釈ができますよ
しかも 今後は創価の権限で御本尊が決められるなどと おかしな会則にもなっていて
下手したら 身延と同じ轍を踏むかもしれません。
地球一周の長さを 均等で割って決めた 世界共通でもある メートル法を捨て
尺貫法やポンドやインチやマイルなど地域で決めた
古いパターンに戻そうとしているだけで たとえとしては説得力もないですね
弘安の御本尊はそのシンボルじゃなかったのではないでしょうか?
つか今まで 信用のできなかった 御本尊によく祈れたよな
- >>40729
※今回の変更でそれを裏付けてしまったようなもんだろうが。
前回の変更でも日顕宗側からみれば「矛盾」の裏付けになっていますよ(笑い)
※論理的に勝てない状態にされてどうやって勝てる?
あぁTakedaさんは「与えられた」ものでした戦うつもりがない。
智慧を湧かせるには唱題が大切ですね。
論理的に勝っても戦略的に負けているのは日顕宗だとおもいますよ。
今回の件でいきりたっていますが、創価学会は大石寺の板曼荼羅を
拝さなくなって二十数年経ちますが、日顕宗門徒はようやく
1995年(平成7年)の信徒数の8%まで回復しただけの存在です。(2012年度比)
寺院数すら減っています。
※日寛上人の御本尊を拝んでいるのに日寛教学を放り出して。
日寛上人は江戸期の中興の祖ですね。
「大石寺」の正統性を主張するのは当然だとおもいますよ。
※つーか、日顕宗を倒すことを放棄したんだなーと思ったが。
あはは。 日顕宗を倒すのはこれからではないですか。
※2014年11月07日?まではできたが、もうできねぇわ。
じゃぁ2014年まででいいですよ。
かつて「本門の戒壇」としていた場所が謗法の地となった。
そこにある「曼荼羅」の功徳をだすには、どうすればいいのですか?
- >>40745
>>
>>双方を比較してどちらが正しいかでなく、どのように疎通性を持たせるか
>>場合によっては取捨選択することで、現実に即し、実際に益をもたらすようにせねば
>>更に不具合が出よう。まあ畳の有無は、所詮どっちでもいいことだが。
>>
へぇ~ それだったら牛久大仏に祈ってしまうことも
天皇陛下を御本尊にしてしまうことも疎通性を持たせる形にもなるんですけれどね
もう一度 立正観抄の部分を読み返してみてください。
こんどは 禅宗を創価に 法華経を御本仏と置き換えて
本質は同じです
- >>40744
>>日寛上人は、
>>
>>「寿量品御説法の年より弘安元年に至るまで、正しく二千二百三十一年にあたるなり」と、
正確には2230年と8ヶ月でしょう。
>>であるなら、
>>「弘安2年10月12日」は「二千二百三十二年十か月」となり、
>>
>>神力品説法からは、
>>「二千二百三十余年」となる、と認識しました。
弘安2年10月は入滅から正しくは、2227年と8ヶ月
神力品は第24だから、2年引きます。
よって、弘安2年10月は神力品から2229年と8ヶ月ですので、
「二千二百ニ十余年」になりますね。
- 初めまして。
>>先日どなたかがおっしゃった。スッキリしたと。少し違い、私は清々した。それと学会の決定は謗法与同への警鐘で、またどなたかが仰せの「日蓮仏法の本義」への軌道修正に他ならない。いわゆる御戒壇様そのものは否定していない。
↑『いわゆる御戒壇様そのものは否定していない。』
その通りです。
>>冒頭に書いた通り、こう言った心情的なものに教学的な根拠など存在しない。で、もののついでに、こちらから反対に伺いたいのが、書写本尊にしたためられている「奉書写之」の「之」が御戒壇様であることの・教・学・的・根・拠・だ。
教学的な根拠と云うより、宗門も学会も伝統的に「之」を戒壇の本尊と読んで来た事実です。
他所にも書きましたが、『観心本尊抄』の読み下しも、一番重要な部分で身延と興門派は違います。
過去のフェイクの記事になりますが、出典が『日達上人全集』と明記されていますので、参考の為に貼り付けます。
『日顕は生意気にも「書写」と称し、日如は「書字」というらしい。
いずれにしろ、書き写すのは「戒壇の御本尊」である筈だ。日蓮正宗の最後の法主・細井日達師も「戒壇の御本尊様を書写し奉る」と言い、この種の表現は「日達上人全集」を開くと枚挙に暇がない、山ほどある。
更に「この御本尊は本山正本堂に安置し奉るところの戒壇の大御本尊を書写し奉り、ここに安置奉ったのでございます」(昭和四十九年の慈法寺落慶入仏式)、「末法の人々に総与の本尊がすなわち戒壇の御本尊であります。
この御本尊を本山正本堂に安置し奉って、その御本尊のお写を、ここに今、安置し奉ったのでございます」(昭和五十二年の得法寺落慶入仏式)と明言。繰り返すが、書写するのは戒壇の大御本尊である。』
以上、フェイク1064号より、抜粋
- >>40738
>>誰も動揺していない。
呆れて物が言えないだけだ馬鹿たれ。
時が来た?
何の時が来たんだ?
昼飯の時間か???
いつも私的な意見ばかりで申し訳ない。根拠を求められても謝るしかないのだが、一方的な「ないものねだり」も如何だろう。元々、私は入会前から、学会の教学と日顕宗に代表される伝統教学は・実・は・別・も・の・だと考えていた。
それはあたかも尺貫法とメール法の違いで、律令制があった頃からの寸法や質量の測り方が習慣的に、地域限定で使われていた時代は、もう終わった。そしてその根拠で、科学的知見や事実をもとにしているかどうかの差は大きい。
加えて、例えば、日本人の生活で普通にある畳は、同じ日本でも地域によって寸法が違う。海外在住の邦人が畳を敷きたいと思っても、メートル法で建てられた住宅では寸足らずか、字余りになる。ましてや産地によって寸法が違う。
双方を比較してどちらが正しいかでなく、どのように疎通性を持たせるか、場合によっては取捨選択することで、現実に即し、実際に益をもたらすようにせねば、更に不具合が出よう。まあ畳の有無は、所詮どっちでもいいことだが。
さて、今回のことで私が感激したのは、予想よりもはるかに早い段階での決定だったこと。しかし、去年、大誓堂が落成した時に予期出来たことでもあり、それは原田会長の今回のお話しに明確にあらわれていると、個人的に得心した。
――心の中の謗法払い。私ひとりで感じているだけかどうかは知らない。また、相当以前から石山を「謗法の地」と断じていたが、心の中に残影を強く残す伝統的で、対物的な「戒壇本尊信仰」を払拭出来ていなかったのも、正直なところ。
先日どなたかがおっしゃった。スッキリしたと。少し違い、私は清々した。それと学会の決定は謗法与同への警鐘で、またどなたかが仰せの「日蓮仏法の本義」への軌道修正に他ならない。いわゆる御戒壇様そのものは否定していない。
冒頭に書いた通り、こう言った心情的なものに教学的な根拠など存在しない。で、もののついでに、こちらから反対に伺いたいのが、書写本尊にしたためられている「奉書写之」の「之」が御戒壇様であることの・教・学・的・根・拠・だ。
また、寛師は江戸期の人。当時すでにそうなっていることの責を400年後の我々に問われても、負えたものじゃない。且つ、師は、いわば尺貫法時代の人。その点、つまり時代性も踏まえた上で、教学的根拠とやらをご教示願いたものだ。
最後に付け足しに過ぎないが、1+1=2となるのを非ユークリッド幾何から間違いだとするのは正しい。が、1+1=3を同様に間違いだとするのは如何か。もとよりアク禁の人がここで議論することじゃないと思うんだが。マグマグo(*^▽^*)o~♪
- 日寛上人は、
「寿量品御説法の年より弘安元年に至るまで、正しく二千二百三十一年にあたるなり」と、
であるなら、
「弘安2年10月12日」は「二千二百三十二年十か月」となり、
神力品説法からは、
「二千二百三十余年」となる、と認識しました。
故に、日寛上人が言われる「戒壇の本尊」は、「二千二百三十余年」であり、
現在、大石寺で言われる「二千二百二十余年」の「弘安2年の御本尊」ではない、と認識しました。
「会則変更について」の「弘安2年の御本尊は受持しない」の御本尊は、
大石寺の「二千二百二十余年」の御本尊のことで、
日寛上人が言われる「二千二百三十余年の本門壇の御本尊」の事ではない、と認識しました。
とすれば、魂の独立後間もない先生の御指導と矛盾しないと、納得しました。
歴代会長の真に言われる「弘安2年の御本尊」のこともまた、
任用の教材の「弘安2年10月12日に一閻浮提総与の御本尊」云々のことも、また、
御入滅の日の法要を「弘安2年10月12日大御本尊御図顕の日」の意義を留めることも、
日寛上人が言われる「二千二百三十余年の本門戒壇の御本尊」のことである、と認識しました。
つーか、この訳分からん人、狐とか狸とか名乗ってなかったけ?
- 訂正。
1年で2.5品だから、神力品まで31年から2年引く。
- >>40736
>>観心本尊抄文段
>>「如来の御年八十歳、御入滅の年より弘安元年に至るまで二千二百二十七年なり。
>>これに七十六、七、八、九の四年を加うる則(とき)は二千二百三十一年と成るなり。
>>故に寿量説法の年よりこれを数えて弘安元年に至るまで、二千二百三十余年というか。」とあります。
>>
>>
>>日寛上人は、日蓮大聖人は、
>>釈迦が亡くなってから弘安元年までは二千二百二十七。
>>それに、釈迦は亡くなる四年前から「御本尊を説き顕し」た寿量品を説いたので、その四年を加えて、
>>弘安元年以降を二千二百三十余年とされたのでは、と言われています。
>>
>>
>>
>>死亡年からカウントするのでもなく、
>>寿量品の説法が終わった時点からのカウントでもないです。
白麦さん おはようございます。日相聞書のこの件は記載されています。大聖人は寿量品の仏ですね。
万民に授けられた戒壇の御本尊だけは、神力品からカウントするので、弘安元年4月に
あと2年半引いてみたらどうでしょう。
>>「既に本門戒壇の御本尊」とは、大石寺の「二千二百二十余年」の御本尊でなく、
>>日寛上人の言われる「二千二百三十余年」の御本尊の事です。
二十八品を説き終るのにあと2年半を加えてみて下さい。
御入滅の弘安5年になりませんか?
そこから先はずーっと二千二百三十余年で書写するので良いのではないでしょうか?
>>以上、
>>日寛上人の時代に大石寺に安置されていた御本尊と、
>>現在、大石寺に安置されている御本尊は違う事になります。
「更に検えよ」ですが、必要なくなってしまいましたね。
残念ですね。
- 『「二千二百二十七年」に四年をたせば「二千二百三十一年」となりますので、弘安元年以降に「三十余年」と認められた御本尊が存するのであるというのが、日寛上人のお示しあそばされるところであります。
しかも、その『寿量品』を拝されたということは、取りも直さず、日蓮大聖人御自身の御境界が〝寿量品の本仏である〟という、人法一箇の御境界であらせられるのでございます。』
『そこでよく、日蓮宗の長谷川義一という人、あるいはその他色々な人がこの問題を取り上げ、日寛上人が「二千二百三十余年」の讃文が本懐の本尊だと言っておるように勘違いして〝しかるに戒壇の本尊は「二千二百二十余年」だから、日寛は嘘を言っておる〟というような悪口を言っておるのですが、そのようなことはないのであります。』
(以上、日顕の遠霑寺増改築落慶入仏法要時の言葉)
>日寛上人は「観心本尊抄文段」で、『「此の御本尊は世尊説きおかせ給いて後二千二百三十余年」』の後、『故に弘安元年以後、究竟の極説なり。就中弘安二年の本門戒壇の御本尊は、究竟中の究竟、』と言われていています。日寛上人は「二千二百三十余年」の讃文が本懐の本尊だ」と言われているのです。故に、
〝しかるに戒壇の本尊は「二千二百二十余年」だから、日寛は嘘を言っておる〟ではなく、日寛上人の言われる「弘安二年の御本尊」と大石寺の「弘安二年の御本尊」は、違う「御本尊」なのです。
『日寛上人は、「二千二百三十余年」と認められてある御本尊のみが真実・本懐の御本尊であるとは、どこにも書いておられないし、言っておられません。また、そういう意味ではないのです。』
(以上、日顕の遠霑寺増改築落慶入仏法要時の言葉)
>日寛上人は、「二千二百三十余年」と認められてある御本尊のうち「就中弘安二年の本門戒壇の御本尊」が、「究竟中の究竟」と言われているのです。
『色々な御書に、あるいは御本尊に「二千二百三十余年」とお示しあそばされたのは、いわゆる弘安元年以降において、その『寿量品』の御境界のうえから御本尊をお示しあそばされるという意味であって、一々の本尊の讃文の「二十余年」と「三十余年」の相違に軽重があるのではありません。いわゆる時期に約すべきことであり、弘安元年以降の本尊がすべて、一往において究竟せられた意義をもたせ給うのであります。』
(以上、日顕の遠霑寺増改築落慶入仏法要時の言葉)
>「二千二百三十余年」とお示しあそばされたのは、いわゆる弘安元年以降において、
その『寿量品』の御境界のうえから御本尊をお示しあそばされるという意味であって、
故に「二十余年」と「三十余年」には違があることを言われています。
そして、現在の大石寺の「二千二百二十余年の御本尊」のことではなく
「二千二百三十余年」の「弘安二年の本門戒壇の御本尊」が究竟中の究竟と言われているのです。
道理、因果の法、因縁に反した現状に反論不可能な馬鹿が
執拗に屁理屈をコネる、
馬鹿としか呼びようがないじゃないか。爆
本部も会員も、現実に弘安2年10月12日建立の本門戒壇の大御本尊を書写した本尊を
信仰してるんだぞ。どーすんだよ。
この現実は、いかなる訳ワカラン感想文でも太刀打ち出来ん。
阿部日チャンよ、
>>>http://www.myokoji.jp/page/menu_3/tsuushin/s/s_20141116.htm
>>>>近々、こういった文書、慧妙を通じて学会員さん宅に来ることが予想されます。
>>>>特に、最下段の重要ポイントは僧俗差別丸出しで笑えます。
>>
人事みたいに言ってなくて破折してみーー(≧∇≦)よ。
特に、
>>>>特に、最下段の重要ポイントは僧俗差別丸出しで笑えます。
と笑ってる
③自分たちが御本尊を認定するというが、それは救われる者(所化)が、
救う立場(能化)である仏(御本尊)を認定するということである。
池田大作及び創価学会幹部が仏であるということか、そんなはずはあるまい。
のとこ。どうぞ頼むよ。
つーか、象の多重ハンドルはええのかよ。
- >>40718
>>しかし今回のは教学的に説明不能。
>>だから教学部は今回の会則変更に大反対したし、その後、誰も論理的に説明しない。
教学部は論理的に説明不可能だから反対したんだって?
あなたはそう思ってるのか。
時期の問題ではなく、永遠に弘安二年の御本尊でいくしかないわけと。
ふうん。
弘安二年の大御本尊は絶対に正しいんですって、やっていくのか。
そっちが無理。
いつかは本義に戻らないといけないと駄目。
そんなの当たり前。
そして、その時が来た。
あなたの頭の中だけが論理的に破綻してる。
それは、教学上の問題ではない。稚拙すぎるからだ。
自分で考えて、こんな稚拙な内容を、主張する人がいるとは思えない。
背景に人がいるからこそ、そんな脆い主張にすがろうと思うのだろうね。
会則発表後に大騒ぎになる思惑だったんだろうけど。
まるで当てが外れてるんだよね。だいたい教学見解を楯に大騒ぎしようなんてね。
的外れもいいところ。
今も私たちに教学が無いせいだとか、くやし紛れか。現実を見てみて。
誰も動揺していない。
あなたを焚きつけた情報や人物の見識が、いかに的を射てなかったのか。
現実にそぐわない「大反対」だったのか。
その現実を見ることだわ。
反省もなく押し付けられても、「はあ?」だよね。
- >>40736
皮肉にも阿部日顯のお父さんでもある日開と同じ理屈になりませんか?
http://toyoda.tv/keitai/mannen.htm
http://www.houonsha.co.jp/jiyu/10/353.html
- 観心本尊抄文段
「如来の御年八十歳、御入滅の年より弘安元年に至るまで二千二百二十七年なり。
これに七十六、七、八、九の四年を加うる則(とき)は二千二百三十一年と成るなり。
故に寿量説法の年よりこれを数えて弘安元年に至るまで、二千二百三十余年というか。」とあります。
日寛上人は、日蓮大聖人は、
釈迦が亡くなってから弘安元年までは二千二百二十七。
それに、釈迦は亡くなる四年前から「御本尊を説き顕し」た寿量品を説いたので、その四年を加えて、
弘安元年以降を二千二百三十余年とされたのでは、と言われています。
死亡年からカウントするのでもなく、
寿量品の説法が終わった時点からのカウントでもないです。
「既に本門戒壇の御本尊」とは、大石寺の「二千二百二十余年」の御本尊でなく、
日寛上人の言われる「二千二百三十余年」の御本尊の事です。
以上、
日寛上人の時代に大石寺に安置されていた御本尊と、
現在、大石寺に安置されている御本尊は違う事になります。
- >又、会則変更の「弘安2年の御本尊」とは、
>日寛上人が言われる「仏滅後二千二百三十余年」の「弘安2年の御本尊」ではなく、
>大石寺の「仏滅後二千二百二十年」の「弘安2年の御本尊」のことであり、
日寛上人が言及している弘安2年の御本尊と、現在安置されている弘安2年の本尊は別だという主張か?
その論法、とっくの昔に破折されているが。
要するに、生身の釈尊の死亡年からカウントするか、寿量品の説法が終わった時点からカウントするかの違いだ。
そもそも、日寛上人の言葉に
「未だ時至らざる故に、直ちに事の戒壇これ無しと雖も、既に本門戒壇の御本尊存する上は其の住処は即ち戒壇なり」
(「寿量品談義」より抜粋)
とあり、日寛上人の時代に大石寺に安置されていた弘安2年の御本尊を指して「本門戒壇の御本尊」と言っているのだから、現在も安置されている御本尊を指して「本門戒壇の御本尊」としていることは明らか。
- 電源を弘安から池田先生に変わっただけで
やっていることは電源信仰でしょ・・・
・・・にも関わらず解放されたとかよく抜かせるよな
創価も日蓮正宗に負けず劣らずの「悪魔の証明」まるだしの体験談も含めて
フェイク等々に書いていたくせにな
こういうところも ダブルスタンダードで反論もできないんだけれど
それでも悔しいから市ヶ谷にお住まいの中身がないライターさんと同じように
“オウム返し”や“虚勢”や虚栄を張る事しか芸がないんだよ
- ①「就中弘安2年の本門戒壇の御本尊は、究竟中の究竟、本懐中の本懐なり。
既にこれ三大秘法の随一なり。況や一閻浮提総体の本尊なる故なり。」
「既に」は、「就中弘安2年の本門戒壇の御本尊」のうちの「御本尊」に係り、
「御本尊」は、三大秘法の本門の本尊、本門の題目、本門の戒壇のなかでは本門の本尊であり、
随一である、と読み
そして、
「況や」は、「ましてや」「更に一重深く」等という意味であり、
この「弘安2年の本門戒壇の御本尊」は、「御本尊」のうちでも「一閻浮提総体の本尊」であるから、
「本懐中の本懐なり」と、読みます。
②日寛上人は、「弘安2年10月12日に戒壇の本尊を顕して」と、また、
「弘安元年以後を以て仏滅後二千二百三十余年」と言われています。
大石寺の「弘安2年10月12日に戒壇の本尊」は、「仏滅後二千二百二十年」であって、
日寛上人が、「弘安2年10月12日に戒壇の本尊を顕して」と言われる御本尊とは違います。
①と②より、「三大秘法の随一」の御本尊に差別はなく、
又、会則変更の「弘安2年の御本尊」とは、
日寛上人が言われる「仏滅後二千二百三十余年」の「弘安2年の御本尊」ではなく、
大石寺の「仏滅後二千二百二十年」の「弘安2年の御本尊」のことであり、
歴代会長が言われる「弘安2年の御本尊」とは、日寛上人が言われる、「仏滅後二千二百三十余年」の
「弘安2年10月12日に戒壇の本尊を顕して」と言われる御本尊の事である。
- 俺が創価学会にいる理由は池田先生じゃないからな。
池田先生はすごい人物だと思っているが、それが信心している理由じゃない。
俺はあくまで法に帰依しているのであって、その法を最も正しく実践している団体が創価学会だから在籍しているというだけの話で。
だから、おまえらみたいな池田教の信者にはドン引きなんだよ。
原田といい、おまえら会則変更肯定派といい、師匠の名を地に落として、たいした弟子の集団だよ、まったく(失笑)。
- >>40728
>>◎「日顕は、仏意仏勅の創価学会を破門し『広宣流布を断絶させよう』とした。
>> 仏敵日顕が支配している大石寺は、大聖人の魂が住まわれていない身延のごとく、
>> 『謗法の地』と化してしまった。」
>>
・・・ですから、その 『謗法の地』云々の基準判断こそ
その日蓮正宗の教義を教科書にした内容の判断によって
創価なり、あなた自身の正常性バイアスによって 勝手に判断しただけの話ですよね
・・・・にも関わらず それを捨てるわけですから
ほうぼう・・という基準で創価学会自身
ダブルスタンダードになっている事に気づいていないでしょ
それと立正観抄を読めば、創価学会が裁判官的な判断で御本尊を決める行為は
禅が成立した経緯と同じで、慢心の命が出ていて
それは禅宗とシンクロしている部分なのですが そこまで責任もって、述べられるのでしたら
禅宗とシンクロしていない証明をしていだだけませんか?
マグマグさんでも そのへんは説明しても構いませんよ
- おまえらは池田教の信者だから、事の重大性がわからねぇんだよ。
「池田先生についていけばいいだけです!本門戒壇の大御本尊なんか不要です!」
とか平気で言っちゃう。
原田も池田教徒だから、事の重大性がわからなかったんだろう。
もうほんと死ねよ、おまえらみたいな自称池田大作の弟子は。
- >原田会長が教義条項の改正をする前からの池田先生に対する
>邪難もありますよ?
今回の変更でそれを裏付けてしまったようなもんだろうが。
まだわかんねぇのか、このバカ。
>ようするにTakedaさんは、学会員にだけは居丈高で、日顕宗には
>シュン太郎になったということになりますね。
論理的に勝てない状態にされてどうやって勝てる?
日寛上人の御本尊を拝んでいるのに日寛教学を放り出して。
もう日興門流でもねーな。
今の学会は、カルトと言われても何も反論できない状態になってるんだが。
今回の会則変更+原田声明で、もう学会が日顕宗を追い詰めるのは無理になったわ。
つーか、日顕宗を倒すことを放棄したんだなーと思ったが。
>◎「日顕は、仏意仏勅の創価学会を破門し『広宣流布を断絶させよう』とした。
>仏敵日顕が支配している大石寺は、大聖人の魂が住まわれていない身延のごとく、
>『謗法の地』と化してしまった。」
>を教学的に説明できますでしょうか?
2014年11月07日?まではできたが、もうできねぇわ。
仏意仏勅と言えるか怪しい状態になっちゃったからな。
仏意仏勅の団体が本門戒壇の大御本尊を否定するかよ。
- 原田会長が教義条項の改正をする前からの池田先生に対する
邪難もありますよ?
ようするにTakedaさんは、学会員にだけは居丈高で、日顕宗には
シュン太郎になったということになりますね。
では、
◎「日顕は、仏意仏勅の創価学会を破門し『広宣流布を断絶させよう』とした。
仏敵日顕が支配している大石寺は、大聖人の魂が住まわれていない身延のごとく、
『謗法の地』と化してしまった。」
を教学的に説明できますでしょうか?
- >ではTakedaさんが池田先生の弟子らしく、日顕宗の破折をしてみてください。
は?
できるわけねぇだろ、バカ。
俺に教学が無いからじゃねぇよ。
原田があんな馬鹿な声明を発表しやがったから、フォローのしようもねぇよ。
会則の文言変更だけだったら、まだフォローできたかもしれんけどな。
本門戒壇の大御本尊を受持しないとか言われちゃな。
マジありえねぇ。
そして、その重大性に気づかないおまえらの教学力って何?
- ※おまえが理解できたのはそこだけなのかよ。
これで池田先生の弟子(笑)
ではTakedaさんが池田先生の弟子らしく、日顕宗の破折をしてみてください。
http://www.myokoji.jp/page/menu_3/tsuushin/s/s_20141116.htm
- >かつて、池田先生やそのほかの会長、副会長クラスの方が
>「大聖人の出世の本懐である一閻浮提総与の大御本尊が信心の根本である」
>と指導していたのに矛盾しているというものですね。
そこだけじゃねぇよ。
おまえが理解できたのはそこだけなのかよ。
これで池田先生の弟子(笑)
- すでに法華講や慧妙でも今回の学会会則教義条項の改正には
大喜びで突っ込みいれまくってますよ。
おおむねTakedaさんの主張とほぼおなじ。
かつて、池田先生やそのほかの会長、副会長クラスの方が
「大聖人の出世の本懐である一閻浮提総与の大御本尊が信心の根本である」
と指導していたのに矛盾しているというものですね。
- 池田先生に盲目的についていくだけのお気楽信心やってるから、今回の会則変更がどんだけ重大な問題なのかも理解できねぇんだよ。
より重大なのは、新会則の文言自体よりも、聖教新聞2014年11月08日付03面の原田会長の声明だけどな。
こんなバカ弟子ばかり数百万人いて、何の役に立つんだろうね?
- >意味がわかりませんので、いつ三大秘法や三宝をひっくり返した(?)のか
>教学堪能なところをご教授ねがいませんか?
俺もさんざん書いているし、原田の発言内容で検索かければいいだろ。
法華講が大喜びで突っ込んでるぞ。
意味がわからねぇのは、おまえが無学だからだ。
とりあえず俺の発言を全部見て、そこに出ている日寛上人や御書の文言を全部比較して、それから考えろ。
- ※三大秘法や三宝の中身をひっくり返して平気な奴を同志と思えってか。
意味がわかりませんので、いつ三大秘法や三宝をひっくり返した(?)のか
教学堪能なところをご教授ねがいませんか?
ただ相手を罵っているだけでは、なにも証明できていませんよ。
※法華講員の名前なんかいちいち覚えちゃいないけど
「蛍」や「isipote」、「破邪顕正」を破折していたTakedaさんとは
別人のようですね。
- >そして改正の理由、それが受け入れられている事実、その事実を見ると数十年
>で機根が出来ていたこと、などを述べてきました。
だから、おまえの主観丸出しの感想なんか知らねっつってんだよ。
受け入れられている?
何%の学会員に?
統計でもとったのか?
何百人の学会員にアンケートを取って、何%の人が今回の会則変更に賛成だった?
「受け入れられている。それが事実だ」
とか抜かすなら、数字を出せ。
三大秘法の価値は、衆生の機根に左右されるのか?
よく考えて答えろよ、教学ゼロ野郎。
- 三大秘法や三宝の中身をひっくり返して平気な奴を同志と思えってか。
>素朴な疑問ですが、法華講員「蛍」を破折していたTakedaさんですか?
法華講員の名前なんかいちいち覚えちゃいないけど、たぶんそのTakedaと同一人物だよ。
それが何か?
- >あなたは平成5年のときに、過去の池田先生の指導、戸田先生の指導と違うと
>批判した法華講員にどう答えてきたのですか。
>同じことですと私は下の投稿で述べていますよね。
>それとも戸田先生は数十年後も見通せないバカだったのだとお考えなのか。
全然同じじゃねぇよ。
なに言ってんだこのバカ。
今回のは信仰の核心部分の変更だ。
以前の変更は教学的に説明が可能だったし、俺もその説明で納得したからこそ、学会にいる。
しかし今回のは教学的に説明不能。
だから教学部は今回の会則変更に大反対したし、その後、誰も論理的に説明しない。
おまえら変更賛成派も、全然、御書等を引用して説明できてねぇじゃねぇかよ。
おまえの情緒的な感想文なんか興味ねぇんだよ。
論理的な頭脳を養う方法を教えてやる。
数字で表せないものを真実だとか思い込まないことだ。
ほれ、こんなありえない教義変更をやらかす原田一派を信じた池田先生がバカだったのか、原田一派がバカなのか、好きな方を選べや。
んで、さっさと腹切って死ね。
恥を知ってるならな。
それくらいの覚悟で言論に挑め、ボケ。
- 40687
大勝利さんは学会員さんです。
白麦さんも、ロム男さんも同じくです。
同志を「バカか」と連呼し罵るのは、掲示版のルールに反しますし
見下した時点で討論内容が台無しです。
掲示版の風紀を守るために、ご協力よろしくお願いいたします。
三度警告させていただいて改めない場合はアク禁動議をださせて
いただきますのでご注意ください。
素朴な疑問ですが、法華講員「蛍」を破折していたTakedaさんですか?
- >>40715
あなたは自分の小さい殻に閉じこもってるだけに見えます。
私はすでに答えは書いています。
あなたは平成5年のときに、過去の池田先生の指導、戸田先生の指導と違うと
批判した法華講員にどう答えてきたのですか。
同じことですと私は下の投稿で述べていますよね。
それとも戸田先生は数十年後も見通せないバカだったのだとお考えなのか。
今後も変わらないと言っても変わるのが世の中ですから。
衆議院にも進出したし、財務を広くやっています。
先生はバカだったのですか?
そして改正の理由、それが受け入れられている事実、その事実を見ると数十年
で機根が出来ていたこと、などを述べてきました。
しかるに、です。あなたには、今、先生の過去の指導のままに弘安二年の御本
尊を私たちの本尊に位置づけるべき妥当な理由を何一つ述べられません。
理由も無いのに人に押し付けようというのは無責任です。
四神相応もそうでしたが、あなたの言論には「信」がありません。
どれもとって付けたような内容ばかり。
- ほらどうした、さっさと答えろ無教学のバカ。
平成5年の時点で21年後の学会の姿を見通せなかった池田先生がバカだったのか、それとも池田先生の腹心で御信任の厚い原田会長がバカなのか。
どっちでも好きな方を選んで、恥を知ってるなら腹でも切って死ね。
おまえみたいなバカには容赦しねぇぞ。
- >私は自分の知っている事実を書きます。
事実をちょっとだけ挙げて、あとはおまえの文学的・情緒的な感想文じゃねぇかよ。
そんなのは「事実」じゃない。
論理を示せ。
池田先生は、宗門離脱後の平成5年に
(A)大聖人の出世の本懐である一閻浮提総与の大御本尊が信心の根本であることは、これからも少しも変わらない。
(B)各家庭の仏壇に御安置した御本尊は、「大聖人の御魂であり、御本仏の当体である」と、拝すべきなのである。そう信じて唱題するとき、そのまま、その場所で、大御本尊を拝していることになる。
と仰せになった。
ところが弟子の原田一派は
(A')弘安2年の御本尊は受持の対象にはいたしません。
(B')ある場所に特定の戒壇があり、そこに安置する御本尊が根本の御本尊で、その他の御本尊はそれにつながらなければ力用が発揮されないという、あたかも“電源と端子”の関係であるかのような本尊観は、世界広宣流布が事実の上で進展している現在と将来において、かえって世界広布を疎外するものとなりかねないのであります。
全く正反対のことを言っているわけだが、おまえはどっちが正しいと思うんだよ?
「今後も少しも変わらない」がたった21年でひっくり返されたんですけど(失笑)。
「今後も少しも変わらないと言った池田先生は、先が見通せないバカだった」
とでも言いたいのかな?
それとも師匠の教えに背く無教学な原田がバカなのか。
好きな方を選べよ。
どっちでも学会にとっては恥にしかならんから。
つーか、原田がいかに教学に弱いかよくわかる発言だわ。
日寛上人の言葉だけじゃなく戸田先生の御本尊観までバカにしてんだから。
「分身散体」って概念も知らなさそう。
- > 「三大秘法とは何か?」
> と聞かれたら、普通に本門戒壇の大御本尊と答えてたんだろ?
まるで分かっておられない御様子なので。
すでに今年の任用試験の内容をよく見てみることですよ。
難しくないでしょ?
三大秘法とは何か、本門の本尊をどう書かれていますか。
日寛上人が文底秘沈抄で説かれた意義を踏まえて説明されていますよ。
結局、意固地に知らないのはあなたの周辺ばかりです。
- 私は自分の知っている事実を書きます。
ロム男さんは先生の指導と異なっている点を問題視されています。
私は先生の指導に判断をおし着せるのではなく、弟子の責任で改正が
あって然るべきだと思います。
先生が任せて、その弟子の姿を師匠が認めておられたならば、それでよいと。
もしも先生が「反対だ」と声をあげられているとすると、さすがに誰もその声を
聞かないはずはないでしょう。
それとも先生にはひたすら我慢される理由が何かあるものなのでしょうか。
今回の改正が、この23年間の先生の指導を無視したもので、突然だとか。
そうでしょうか。
過去の改正は、唐突な衝動ではなく、会員にそれを望む機があってのことでした。
改正が受けいれられたのは、多くの会員が望んでいたことでもありますよね。
これを唐突だと思えるのなら、現実と離れています。
会則改正が先にあったのではなく、会員の中に20年間、調機調養されてきて、
それを会則で整理、追認したというほうがよいかもしれません。
【過去との比較】
近年の大きな改正といえば、平成五年の学会の御本尊の下附がありました。
それまでの多くの学会員の考え方では、それは不可能なことでした。
発表されて幾年もたった後でさえ、教義的に飛躍した判断だったと思う人も。
それは本義に戻ってこそ可能なことだったのですが、たしかに過去の戸田先生の
指導と食い違う点もありました。
戸田先生は、御本尊だけは私たちが書くわけにはいかないと。
宗門を離脱したお寺にあった日寛上人の書写という形式をとっていますが、
その実、学会の責任で御本尊の下附を開始したことを宣言しています。
以上、平成五年の改正の特徴をまとめます。
★過去の先生の指導と食い違った。
★学会の責任で行った。
このときの先生の指導はどうだったでしょうか。
御本尊下附の開始時、先生の指導を、私達一般人は聞いたことがありません。
そう、先生の指導は無かったんですよ。戸田先生の指導と異なっているのに。
今と同じですね。
なにしろ先生の責任ではなく、学会の責任で改正を行ったからです。
先生はそのとき何も言われていない。発表されていない。
もちろん先生は御元気で指導もされていましたから先生がお決めになったことを
誰も疑う人もいませんでしたし、むしろ先生を前面に出して責任を負わせるよう
な形なんてありえないと誰もが思ったことでしょう。
だから今も同じです。
それから少しして、御本尊が無い人への下附だけでなく、御取替えの運動になって、
私の記憶では、先生は初めて同中で言及されました。
それも御自身が改正を決めたのではなく、ちょっと驚いたようにされて、すぐ、
「好きなようにしなさい」と述べられました。
それで先生も認められているのだとみな納得しました。
当然、会合でお知りになったのではないのでしょうけど、真実は分かりません。
本当にそう思って述べられたのかもしれませんし、先生はただ、弟子の側に一任
していたとの姿勢を見せたかったのかもしれません。
御本尊下附の開始のときに、その他に触れた先生の指導がありましたでしょうか。
戸田先生の指導を反故にするとか、本義に照らして新しい化儀に改正するぞとか。
ありませんよね。
それなら、どうして今回は先生の指導で以前と違うとの批判なのでしょうか。
一体、望まれるのは、どのような形でしょうか。
先生が出てこられて、指導で過去の指導は違うと詳細に述べることでしょうか。
それらな前回はなぜ先生は黙されていたのを納得されていたのでしょうか。
それとも私たちが先生の指導は、ここがこうでと時代背景が異なる故に正しいの
だと述べることでしょうか。そうであれば問題はありません。
それは述べてきました。
謗法の地の御本尊をことさら認める必要が私たちからみて本質的には無くなった
からだと言えます。
会員がそれを望まないのであれば、その上で、なぜ弘安二年の御本尊を認めなけ
ればならないのか、そちらのほうの問題だと思います。
- つーか、原田会長が聖教新聞2014年11月08日付03面で本門戒壇の大御本尊をこきおろすまで、おまえら会則変更肯定派のバカも、
「三大秘法とは何か?」
と聞かれたら、普通に本門戒壇の大御本尊と答えてたんだろ?
それがたった1日で180度方向転換かよ。
あまりにいいかげんすぎて信じらんねぇわ(失笑)。
- >>40708
>>>>40707
>>
>>しかるに。
>>大聖人が弘安二年の御本尊を「三大秘法の随一」した根拠は出せ無い。
>>伝説だからですってば。
>>
>>Takedaさんの考え方はだいたい分かりました。
>>短慮なだけなのに、それを押し付けようとしても無意味です。
>>
>>
おやすみなさいさんは、
自分が分からないからと言って、他人も知らないと決め付けない方が良いよ。
まぁもう学ぶ意味もなくなったんでしょうけど。
残念ですね。
- しかるに、じゃねーよバカ。
数字を出せっつってんだよ。
本門戒壇の大御本尊が功力を失ったとか、戒壇としての役割を果たせなくなったというなら、それは具体的に何年何月何日ごろからの話だ?
またその根拠は?
日寛上人をこきおろしておいて、その日寛上人の御本尊を拝んでいるアホ。
おまえら会則変更肯定派は、いちいち数字に曖昧なんだよ。
文学的感性なんか頭を腐らせるだけだから、議論の場でポエム語るのやめてくれねぇかな?
- >>40707
しかるに。
大聖人が弘安二年の御本尊を「三大秘法の随一」した根拠は出せ無い。
伝説だからですってば。
Takedaさんの考え方はだいたい分かりました。
短慮なだけなのに、それを押し付けようとしても無意味です。
- 「本尊とは勝れたるを用うべし」
(本尊問答抄、御書366頁)
三大秘法を信じていると言いながら「三大秘法の随一」を用いないのは、上記の御文にも背きますね。
会則変更肯定派のバカどもは教学なさそうだから、こう言っても理解できんかもしれんけど。
- 「弘安二年の本門戒壇の御本尊は、究竟中の究竟、本懐の中の本懐なり。既に是れ三大秘法の随一なり。況や一閻浮提総体の本尊なる故なり」
(日寛上人の言葉。『富士宗学要集』第4巻221頁を参照)
新会則に、創価学会は「三大秘法を信じ」る団体であることが明記されているのですが、なぜ「三大秘法の随一」を信仰の対象にしないことにしたのでしょうか?
三大秘法の序列第1位は信じないが、第2位以下は信じるという、意味のわからない決定です。
こういう判断に違和感を感じない人って、数字で表される概念(数・量・順序・序列)に対していいかげんな人なんだろうね。
数字で表される概念を適当に扱う完全文系野郎どもに論理的思考を期待する方が無理なのか。
- >>まずは日顕宗破折で名をはせたロム男さん。
>>こちらについての見解をいただけませんか(笑い)
教義変更前ならね。
補足説明があるならね。(苦笑)
アベヒさん、今回の教義変更に絶対的な自信を持ってるのでしょう?
あなたや、ローマ字さんがやるべきだ。
自身のある人がやりなさいよ!(笑)
大月天がお呼びですよ。(嗤う)
アホラシ。
- まずは日顕宗破折で名をはせたロム男さん。
こちらについての見解をいただけませんか(笑い)
その後、日顕宗の批判をお互いで論破してみましょう。
本日は投稿数が多くなりましたので、失礼します。
>>40632
>>
>>※こんなこと、今の論題にはなってませんよ!
>>
>>別件ですが・・ と前置きしていますよね(笑い)
>>
>>たしか「新参者」時代にこんなことをおっしゃっていましたよ。
>>
>>/////////////////////
>>
>>(以下引用)
>>※ 最後に、仮称教学部レポートですが、私は初期に入手し、裏付け
>> もとった上での発言であることを付記しておきます。
>>【 投稿者:新参者 投稿日:2014年10月 5日(日)07時41分47秒 】
>>http://6001.teacup.com/qwertyui/bbs/16918
>>
>>--
>>
>>※日顕宗は、学会攻撃をしてるのですよ!
>> 教学部レポートと同列視するなんて、何を言いたいのか訳が分かりません。
>>【投稿者:新参者 投稿日:2014年10月 4日(土)21時54分9秒】
>>http://6001.teacup.com/qwertyui/bbs/16909
>>
>>(以上)
>>//////////////////////
>>
>>
>>いま日顕宗が教学部レポート(仮称)を入手して、学会攻撃をしています。
>>
>>初期に入手されたという「ロム男」さんに内容の精査を求めるのが
>>困るようなことでしょうか。
>>樋田さんのサイトに足跡をのこしたくないとおっしゃるのでしたら
>>魚拓もとってありますので、個別に表示いたしますよ。
>>
>>
- >>日顕宗の妙光寺(東京・品川)が、創価学会の会則教義条項の改正を
>>批判してますなぁ。
>>http://www.myokoji.jp/page/menu_3/tsuushin/s/s_20141116.htm
>>力のある学会員さんは、これを元に各々が破折してみることをお勧めします。
>>近々、こういった文書、慧妙を通じて学会員さん宅に来ることが予想されます。
>>特に、最下段の重要ポイントは僧俗差別丸出しで笑えます。
自分がやれば。
試しに、大月天のところに呼ばれてるんだから出向いて破折したら?
何度も招待されてるよ。
- 曰く。↓
『かつて、創価学会が「本門の事の戒壇」としていたから、今でも弘安二年の
板曼荼羅が安置されれる大石寺がそうであるというのは、文証・理証から
見て正しいかのように見えますが、現証からみれば間違いであるといえる
でしょう。』
↑(爆笑)先生は一大秘法の御本尊は、離別以降もひていされていないのです。
その上で、本門の戒壇は、会員の各家庭にあり、学会の各会館にあると指導され
てるのでしょう。
で、一大秘法はどこにあるのですか?(爆)
こんな簡単なことが分からないの?(爆笑)
三証の意味を分かって言ってるの?(哀)
で、これはなんですか?↓
『現証からみれば間違いであるといえるでしょう。』
先生が間違ってるの?もう出鱈目の垂れ流しじゃないですか。(苦笑)
先生の指導です。破折してみなさい。↓(笑)
平成4年1月12日学会こそ人類の「幸福のオアシス」(鎌倉、湘南合同総会文化祭)
『大御本尊は「一閻浮提総与」の御本尊であられる。全世界の民衆のために与えられた
御本尊であられる。ゆえに「全世界への道」を開きに開いていくことが.大御本尊を真
に奉じゆく実践となる。現実に「道」が開かれてこそ、大御本尊と世界の民衆が結ばれ
る。日蓮大聖人の「一閻浮提総与」との御心を実現しゆくことになる。
この「世界への道」を開いたのは創価学会である。(拍手)
「道を開く」と、ひと口に言っても。なみたいていの苦労ではない。歴史的に仏教と無
縁の国もあれば、敵視している地域もある。文字通り、命がけで開いてきたのである。
しかし今や、広々と「道」は開かれた。数限りない仏子らが安心して往来できる「大道
」をつくることができた。これからもつくっていく。
大御本尊への「信心の大道」を、世界に開いた功徳は大きい。「信心」さえあれば、世
界のどこにいても、大御本尊に通じていくからである。(拍手)』
- >>40699
>>となると、なぜ一部の学会員さんが「大石寺の弘安二年の曼荼羅受持」に
>>こだわるのかといった疑問が湧いてくるとおもいます。
>>
>>このカギは「第一次宗門問題」にあると考えます。
たぶん、逆方向に勘違いされてると思います。
例えば教学部発行の「六巻抄講義」などの書籍は、大御本尊に関する部分などは、まるごと
阿部教学部長の説明として掲載しています。
だからといって離別後に不採用になるのではなく販売は続けられました。
事の戒壇については、正本堂建立以前の奉安殿の頃においても「事の戒壇」と呼んでいました。
大御本尊の安置される場所が「事の戒壇」です。
本門寺建立の本門の戒壇の時には、ざっくり言うと「事」も「義」に含まれると言う志向性です。
池田先生の大御本尊、弘安2年10月12日 一閻浮提総与・三大秘法なる戒壇本門の過去の御指導は沢山ありますよ。