日本映画には、誰もが親しみを込めて「名前」で呼び、その名を聞くだけで、風姿と人柄が思い浮かぶヒーローが、ふたりいる。

 ひとりは「寅さん」。シリーズ48作を数える「男はつらいよ」で、主演の渥美清さんと山田洋次監督らが作り上げた、スクリーンの中の人物だ。

 もうひとりは「健さん」。

 83歳で旅立った、俳優の高倉健さんである。

 映画以外にはほとんど出演せず、観客に私生活を見せなかった最後の「銀幕スター」。生涯で205本に出演したが、観客はいつも、演じる役の中に「健さん」を見てきた。

 格好良く、自分のためではなく、他人のために命を賭ける「男の中の男」を。

 人気を決定づけた任(にんきょう)映画では、義理と人情のはざまで、我慢に我慢を重ねた末に敵陣に斬り込む、悲壮美と迫力が、熱く支持された。

 その後は様々な作品で、過酷な自然と闘う人間の強さ、不器用に愛を求める男の切なさ、実直に仕事を守り続ける者の誇りなどを体現し続けた。

 スクリーンの中に息づく、信義に厚く、損得勘定とは無縁の寡黙な姿を、人々は生き方の一つの規範と受け止めた。そしてそれを、人間・高倉健と重ねてきた。

 素顔の健さんも、観客の期待を裏切らない生き方を貫いた。

 礼節を重んじ、過酷な撮影現場でも、決して楽をしようとはしなかったという。

 有名無名を問わず、出会った人との交流を大切にし、いつもこまやかな心配りをしていたことが、多くの追悼談話で語られている。

 背筋の伸びた、たくましい健さんの後ろ姿。その背骨には、母の言葉があった。

 「辛抱ばい」

 「家族に恥ずかしいことをしなさんな」

 映画の中で「入れ墨を入れたり、寒いところへ行ったり」する息子の身を案じ続けていたというおかあさんの、素朴だが、重い人生訓である。

 この教えを一途に守った健さんの姿勢は、役を通してスクリーンからにじみ出た。それは国内だけでなく、海外でも、尊敬できる人間像、生き方の美学として受け止められてきた。いま、中国からも、アメリカからも哀惜の言葉が届く。

 逆境に耐え、自らを律する。そう望んだ母の教えに照らして、恥ずかしくないか。健さんを磨き上げ、輝かせたのは、その自省の深さだったのだろう。