1998年元旦の新聞
消費者物価上昇率がマイナスに振れ、以後始まるデフレ時代の幕開けとなった「1998年」から話を始めるために、朝日新聞、読売新聞のこの年の日元旦に発行された年始の号を眺めてみよう。
年頭の新聞には、その年に予定されているビッグイベントなどが記されている。スポーツで言えば、この年の2月には長野オリンピックの開催が控えており、それにまつわる特集記事が組まれている。また、日本は、この前年の1997年にサッカーワールドカップの初出場を決めていた。その特集にも大きなスペースが割かれており、朝日新聞では日本代表監督の岡田武史監督と韓国代表監督の車範根監督の対談が載っている。この組み合わせになったのは、すでに、この4年後に当たる2002年のワールドカップ日韓共同開催が決定していたからだ。
1月1日の朝日新聞の全面広告には、日本を代表する企業がたくさん出稿しているが、浦和レッズに所属するサッカー選手の岡野雅行が、レッズの親会社である三菱自動車の全面広告に宣伝のキャラクターとして登場している(読売新聞は1月3日掲載)。岡野は、この時点での日本で最も賞賛をもって受け止められていた英雄だ。彼が日本のW杯出場を決める延長Vゴールを決めたのは、この1ヵ月半前のことだった。
五輪開催にW杯初出場と、明るい話題が多かったにもかかわらず、新聞全体のトーンは、必ずしもおめでたムードというわけではなかった。
1998年1月1日の新聞をぱらぱらっと全体を通して読み流してみて伝わってくる当時(正確には記事が書かれた97年の年末なのかもしれないが)のムードは、むしろ重苦しい。
読売新聞の1月1日の社説が、「金融不安の暗い影が日本全体をおおう重苦しさの中で、新年を迎えた」という一文から始まっていることからもそのことはよくわかる。朝日新聞も似たようなものだ。「金融不安から年初比13円安」「『金融恐慌』心配なし」「金融改革、矢継ぎ早に」(どれも朝日新聞の見出し)など、金融が話題になっている。
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