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高倉健さん旅立つ 「鉄道員」のように…本人意向で密葬後に発表

10日に亡くなった高倉健さん
10日に亡くなった高倉健さん
Photo By スポニチ

 「昭和残侠伝」「網走番外地」シリーズや「幸福の黄色いハンカチ」「鉄道員(ぽっぽや)」など日本映画史上に残る数多くの名作に主演した俳優で、文化勲章受章者の高倉健(たかくら・けん、本名小田剛一=おだ・ごういち)さんが10日午前3時49分、悪性リンパ腫のため東京都内の病院で死去した。83歳。福岡県出身。葬儀は近親者で行った。「健さん」の愛称で親しまれた銀幕スターの死は列島に衝撃を走らせた。

 健さんが、静かに逝った。プライベートを切り売りせず、いつどこで何をしているか、常にベールで覆い隠していた銀幕の大スター。最後まで、そんな男の美学を貫いた。

 亡くなって9日目の発表は「密葬を済ませてから」という健さんの意向。「“鉄道員”の主人公のようにひっそりと死にたい」と親しい人に漏らし、遺書もしたためていたという。99年に主演し、モントリオール世界映画祭で最優秀映画賞を受賞した代表作。ラストで、赤い旗を手にプラットホームで雪に埋もれながら人知れず天に召される男の役だった。

 関係者によると、健さんは初夏に入院。5年ほど前に前立腺がんと診断され、都内の大学病院で手術を受けた。がんは寛解したが、その後の定期検査で悪性リンパ腫が見つかった。「病床の姿は見せたくない」と、入院もごく親しい関係者だけにしか伝えられなかった。容体が急変し、意識不明になったのは亡くなる数日前。最後は病院スタッフの涙に見送られ、安らかな笑顔で旅立った。

 所属事務所は、発表の文書に「往く道は精進にして、忍びて終わり悔いなし」の一文を添えた。昨年9月に亡くなった比叡山の酒井雄哉(ゆうさい)大阿闍梨(だいあじゃり)から贈られ、過酷な撮影が予想された「南極物語」(83年)への出演を決心させた言葉だ。病魔と懸命に闘いながら、健さんの心はどこまでも穏やかで澄んでいた。

 新作も決まっていた。遺作となった「あなたへ」(12年)など数多くの名作をコンビで放ち、健さんが絶大な信頼を寄せる降旗康男監督(80)の「風に吹かれて」という作品だ。阿蘇を舞台に増えすぎた野生鹿の駆除に乗り出すハンターの話。スタッフは既に撮影地の下見も済ませ、来年3月にクランクインの予定だった。

 スカウトされるまま、55年に東映のニューフェイスとして入社してから俳優生活は60年に及んだ。孤高でストイック。苦難に耐え、逆境をものともしない男がこよなく似合った。任侠道に生きる男やアウトローで男性層をしびれさせ、山田洋次監督(83)の「幸福の黄色いハンカチ」(77年)などで女性ファンのハートもつかんだ。

 「ブラック・レイン」(89年)など米映画にも出演し、とりわけ「君よ憤怒の河を渉れ」(76年)が大ヒットした中国での人気は絶大。チャン・イーモウ監督(63)と組んだ「単騎、千里を走る。」(06年)の雲南ロケでは共産党の幹部が使う別荘が宿泊先に用意された。

 私生活では「恐怖の空中殺人」(56年)で共演した歌手の江利チエミさんと59年に結婚したが、71年に離婚。その後、独身を貫いた。昨年秋、森繁久弥、山田五十鈴、森光子各氏に続き、歌舞伎を除く俳優として4人目の文化勲章を受章。森繁さんと森さんの命日も偶然にも11月10日だ。天国で再会し、映画談議に花を咲かせているだろう。

 ◆高倉 健(たかくら・けん)本名小田剛一(おだ・ごういち)。1931年(昭6)2月16日、福岡県中間市生まれ。福岡県立東筑高校から明大に進学。55年、東映ニューフェイス第2期生として東映入社。56年「電光空手打ち」で主役デビュー。出演作は「任侠シリーズ」「網走番外地シリーズ」「八甲田山」「幸福の黄色いハンカチ」など。06年文化功労者。13年文化勲章受章。

 ◇悪性リンパ腫 血液のがんの一種。全身を流れているリンパ組織内の細胞が悪性化する。症状は首や脇の下、足の付け根が腫れたり、体の一部にしこりができたりする。多くの病型があり、治療は病気の種類や進行具合に合わせて、抗がん剤療法、放射線療法などがとられる。

[ 2014年11月19日 05:30 ]

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