在日米軍・防衛

相模補給廠17ヘクタール返還 15年度まで整備計画 在日米軍再編08年合意実現

 在日米陸軍相模総合補給廠(しょう)(相模原市中央区、約214ヘクタール)の一部約17ヘクタールが30日、米国側から日本に返還された。この日、防衛省南関東防衛局の丸井博局長が相模原市役所を訪れ、加山俊夫市長に返還手続きが完了したことを報告。在日米軍再編による2008年の日米合同委員会での合意が実現した。

 返還された約17ヘクタールは、JR横浜線北側に隣接する約15ヘクタールと、補給廠を南北に縦断する「鉄道・道路用地」の約2ヘクタール。市は、同線相模原駅北側の返還地に公共施設や商業施設などを配置する基本計画を6月に策定しており、今後は15年度までに具体的な整備計画を策定させる。鉄道・道路用地には地上に道路、地下に小田急多摩線を延伸させる構想がある。

 同省からの報告を受けた加山市長は記者会見で、「(返還地は)市の表玄関で、人口密集地にある貴重な財産。多くの関係者の長年の取り組み、尽力にあらためて感謝を申し上げたい」と、喜びにあふれた表情を見せた。

 さらに「小田急多摩線延伸の実現へ具体的に入っていける」と手応えを語り、リニア中央新幹線の中間駅が設置される隣接の橋本駅周辺との一体的なまちづくりを見据え、補給廠の残る土地も強く返還を求めていく考えを示した。また黒岩祐治知事は、今回の返還に「心より歓迎する」などとコメントを寄せた。

 米側からの返還を受け、今後は同省が返還地を管理する。丸井局長は報道陣に対し「返還地にある住宅のアスベスト(石綿)や土壌の調査を進めていく」と説明。ただ、調査を終えて財務省に引き継ぐ時期については明らかにせず、「市側の利用要望を聞きながら、できるだけ早く引き継ぎたい」と述べるのにとどまった。

 ◆在日米陸軍相模総合補給廠 JR横浜線矢部駅から相模原駅にかけての線路北側に広がる米軍施設約214ヘクタール。もとは旧日本軍が兵器生産工場として使っていた相模陸軍造兵廠で、戦後に米陸軍が施設などを接収して設置した。今回返還された約17ヘクタールは相模原駅北側に隣接する土地で、2008年の日米合同委員会で合意。12年にはその北側約35ヘクタールの共同使用が合意された。

▼解説:「新都心」形成に弾み

 相模原市は戦前、さまざまな軍関連施設が建設され、「軍都」として発展した歴史がある。それらの施設が米軍によって接収された戦後は、一転して街の発展を阻害されてきた面がある。

 今回の返還地に隣接するJR横浜線相模原駅は、市役所などへの最寄り駅として同市の表玄関だ。しかしこれまで南側は整備できても、北側は補給廠があるためにまちづくりが進められず、駅を挟んで「片肺のまち」とされてきた。

 市内には現在も同補給廠のほか、キャンプ座間(座間市、相模原市南区)や相模原住宅地区(同市南区)の米軍施設が存在する。地元では1971年に「米軍基地返還促進市民協議会」が結成されるなど、長年にわたって早期返還を求めてきている。

 市内での主な返還は、74年のキャンプ淵野辺(全面返還、約66・3ヘクタール)や81年の米陸軍医療センター(同、約19・7ヘクタール)があり、これまで市では米軍施設返還の機会をまちづくりに生かしてきた。

 キャンプ淵野辺の跡地は国内の宇宙開発をリードする宇宙航空研究開発機構(JAXA)相模原キャンパスや市立博物館、小中高校などの文教地区になった。また小田急線相模大野駅に近い同センターの返還では、跡地に公共施設や公園、大型商業施設などが整備され、市南部地域の中心地としての発展につながっている。

 今回はこれらに次ぐ大規模な敷地返還となった上に、返還地が相模原駅前の一等地だけに「米陸軍医療センターの返還時に匹敵する」と関係者の期待は大きい。北側に隣接する共同使用区域の約35ヘクタールを含めれば約52ヘクタールが使用できることになり、市が目指す首都圏南西部をリードする「さがみはら新都心」の形成に向けて弾みがつくのは間違いない。

【神奈川新聞】