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健さん10年前に“遺言曲”残していた

12年、日刊スポーツのインタビューでの高倉健さん
12年、日刊スポーツのインタビューでの高倉健さん

 10日に悪性リンパ腫で亡くなった俳優高倉健さん(享年83)が、“遺言曲”を残していたことが18日、分かった。歌手としては22枚のシングル作品を持っていたが、約10年前に「僕が死んだら出してくれていいよ」と関係者に託していた、秘蔵の楽曲が存在した。故郷の九州北部と自らの死について歌った、文字通りに人生最後のメッセージが含まれた歌だった。

 口数が少なく、自分の思いを語ることも極端に少なかった健さんが、最期のメッセージを込めた未公開曲が存在した。音楽関係者によると、レコーディング時期こそ約10年前だが、70歳をすぎ、人生の終着点を意識していた健さんが、「これが最後」と決めて録音した2曲だった。A面は、徳久広司氏作曲、荒木とよひさ氏作詞のオリジナル曲「対馬酒唄」で、B面はフランク永井らが歌っていたカバー曲「流れの雲に」。ともに、自らの最期を歌った内容だった。

 「対馬酒唄」は、健さんの故郷、九州北部が舞台で「それでよか それでよか」と博多弁で歌われている。スローテンポの演歌を、じっくりとかみしめるように骨太な低音で歌っている。曲の締めでは、こう歌われていた。

 俺が死んだらよ 桜の下によ 骨ば 埋めて 花見してよ

 2曲目「流れの雲に」も、長い人生の末にたどり着いた健さんの哲学と合致したからこそ、歌われた。

 どこで死のうと 生きようと 泣いてくれてが あるじゃなし 天上天下 ただひとり 頼れるやつは 俺ひとり

 孤高の人生を全うした、健さんそのものの作品だった。

 「対馬酒唄」の作詞家荒木氏は「制作前に健さんと2人で(静岡の)修善寺温泉を旅して、いろいろ話をしたことで曲のイメージができたのです」と振り返った。当時、10年も新曲はなく、歌手はリタイア状態だった健さんは、自分の思いが反映された同曲に感動し、レコーディングを決意した。当初は即発売の予定で、遺作と決めて録音したわけではなかったが、「全てを歌いきった」と納得したのだろう。レコーディングに立ち会った関係者たちに「僕が死んだら出してくれていいよ」と冗談交じりに話したことで、そのままお蔵入りにされていた。

 突然の訃報に、今後のCD化も歌声公開も、未定のままだ。ただ、遺言も残さず旅立ってしまっただけに、当然ファンは同曲が聴きたくなる。どのような形で発表されるのか。そこには、健さんからのどんなラストメッセージが込められているのか。サヨナラが言えなかった国民にとっては、本当に貴重な遺産となる。【瀬津真也】

 [2014年11月19日7時12分 紙面から]

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