注 目 高倉健さん追悼写真特集

健さんと福岡・東筑高同級生の花田さん語る「僕らにとってはいつまでも“ごうちゃん”」

2014年11月19日6時0分  スポーツ報知

 多くのファンだけでなく、古くからの友人にとっても突然の訃報だった。福岡県中間市出身の高倉さんと東筑高(旧制東筑中時代含む)の同級生だった花田郁實(いくみ)さん(82)=同市=は今年6月、写真を送った後に届いた高倉さんからの礼状に、本名の「小田剛一」と記されていたことを明かし「僕らにとっては、いつまでも『ごうちゃん』のままでした」と故人を偲(しの)んだ。

 死去の一報が届き、花田さんの胸中を巡ったのは60年以上前の高倉さんの記憶だった。「最初は驚き、ただ寂しいと思いましたが、何時間かたって、九州男児としての生きざまを、夢を、感動を伝えてくれてありがとうという気持ちに変わりました」

 今年6月。1959年に高倉さんと故・江利チエミさんが式を挙げた時の写真や高倉さんの両親の写真が見つかったため、送ってみたところ、すぐに礼状が届いた。文面には「このたびは写真をいただきまして誠にありがとうございました。小田剛一」とあった。日付は6月17日付。花田さんは「おそらく、もう病状が進んでいた頃なんじゃないかと思うんです。でも、律義に礼状をいただいて…。高倉健ではなく小田剛一としたのは、いつまでも俳優とファンとしてじゃなく、僕らは友達のままなんだよというメッセージだと思います」と感謝した。「そんな彼の悠揚に深い敬意を表したいです」

 出会いは東筑高時代。「1時間に1本しかない」旧国鉄香月線の通学列車で毎日のように語り合うようになった。戦後間もない頃だけに、出てくる言葉は「腹減ったな」ばかりだった。「常に満員電車でしたけど、ごうちゃんは背が高いから頭一つ抜けていてうらやましかった(笑い)」。男女交際など考えられない時代。女学生とは別車両に分かれたが「小田君ってすてきね」の声はいつも耳に届いた。

 学徒動員で共に勤務した工場で空襲を受けたこともある。「一緒にボクシングもやりましたけど、ごうちゃんにノックアウトされて、僕はやめちゃいました」。熱心に英語の勉強に励んだ光景は今も浮かぶ。「世界に羽ばたいていこう、というような思いを感じていました」

 高校卒業後、直接会うことはなくなったが、手紙などを通じて親交は終生続いた。「高倉健としてあれだけの名優になりましたけど、僕らにとってはいつまでも『ごうちゃん』です。だから、さよならごうちゃん、ありがとうと伝えたい」

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