2014年11月18日17時27分
俳優の高倉健さんの訃報(ふほう)を受け、各界から惜しむ声が相次いだ。
・降旗康男監督「来春の撮影を楽しみにしていた」
映画「駅 STATION」「居酒屋兆治」などで監督を務めた降旗康男さんは、「残念の一言です。来春の撮影を楽しみにしていましたが、できなくなってしまいました。無念です」とするコメントを発表した。
・佐藤純弥監督「内側は決して見せない人」
「新幹線大爆破」などを撮った佐藤純弥監督は、取材に対し、下記のようにコメントした。
◇
びっくりしています。最初に出会ったのは助監督時代、健さんも20代。撮影所で青春時代の仲間だった気がします。酒は飲まずコーヒーが大好き。若いころ、スタッフたちと徹夜して現場に遅刻してきたことがある。監督から『お前のためにこれだけの人間と機材が待っているんだぞ』と怒られ、それから一切遅刻はしなくなった。自分に厳しく律していく人だったと思います。任俠(にんきょう)映画のヒーローだった時は、役柄もあり肩に力が入っていたが、『新幹線大爆破』の時には『力を抜いてとんがらない演技をしてほしい』と頼んだら、『わかったよ』と応じてくれた。その後幅広い役柄を演じるきっかけになった。自然体に見える演技でも計算している。内側は決して見せない人でした。
・倉本聰さん「神秘性を保った最後のスター」
高倉健さんが主演した映画「駅 STATION」などで脚本を手がけた脚本家の倉本聰さんは朝日新聞の取材に、「すべて健さんが演じることを前提にした『あて書き』でした。喫茶店で話をしていても、5分も10分も沈黙してしまう寡黙な人。言葉を抑えて考えている時間がある役者だったから、彼の役はほかの人にはできません。昭和以前の日本人の魂をしっかり持ち、男の美学があった。私生活は決して明かそうとせず、神秘性を保った最後のスターでした。ロケに出ても時間を見つけてジョギングをするなど、体をチェックしていた人だったので、亡くなったことがショックです」と話した。
・吉永小百合さん「感謝の思いでいっぱいです」
「動乱」(1980年)などで共演した俳優の吉永小百合さんは、「お知らせに信じられない思いでおります。1986年に中国への旅をご一緒して以来、一度もお目にかかっていませんでした。映画の世界に生きることの素晴らしさを教えていただいた方です。本当にありがとうございました。感謝の思いでいっぱいです」とのコメントを発表した。
・長嶋茂雄さん「日本人の男としてのあるべき姿」
巨人軍終身名誉監督の長嶋茂雄さんは、「突然の訃報に驚くと同時に、とても寂しい気持ちにとらわれています。高倉さんとは20代の頃に知り合い、試合前に二人でよくお茶を飲んだり食事をしたりしました。長男の一茂の結婚式に出席してくれたこともありました。どれも素晴らしい思い出です。ファンの多くは映画の中の高倉さんを見て、日本人の男としてのあるべき姿を学んだのではないでしょうか。高倉さんから教わることが数多くありました。本当に残念です。心からご冥福をお祈り申し上げます」とのコメントを出した。
・星野仙一さん「本当に優しく、格好よかった」
プロ野球楽天シニアアドバイザーの星野仙一さんは、「高倉健さんは私の大学の先輩で、(映画の)『ミスター・ベースボール』の撮影の際にあいさつに来られて、ユニホームの着こなしなどのアドバイスを聞きにいらっしゃいました。どちらが先輩かわからないくらい恐縮されていたのを覚えています。私の女房が亡くなった時も色々としてくれて、毎年、命日にはお線香を送ってくれました。本当に優しく、格好よく、先輩とお付き合いさせていただいたことを誇りに思います。ご冥福をお祈りします」とのコメントを出した。
・加山雄三さん「日本を代表する俳優さん」
歌手・俳優の加山雄三さんは、「私は『八甲田山』という映画でご一緒させて頂きました。近年も積極的に新しい映画に出演され、元気なお姿を拝見していた矢先での出来事だったため、大変驚いております。日本を代表する俳優さんでいらっしゃいました。本当にお疲れ様でした。心よりお悔やみ申し上げます」とのコメントを出した。
・梶芽衣子さん「2人といない、スターの象徴みたいな人」
映画「無宿(やどなし)」(1974年)で共演した梶芽衣子さんは、「ニュースを見てびっくりしました。ロケでは1カ月半ぐらいずっと一緒に過ごしましたが、ものすごく寡黙な方でした。でも、斉藤耕一監督と共演の勝新太郎さんとのディスカッションはすごかったですね。着流しで立っているだけでも、近寄りがたいオーラがある方でした。2人といない、スターの象徴みたいな人だったと思います」と話した。
・横尾忠則さん「良心、礼節を肉体を通じて伝えた」
親交の深かった画家の横尾忠則さんは、「やくざ映画のころは、義理と人情という昔の日本を背負っていましたが、後年は、現実の健さんと役の健さんが重なった。良心、礼節といったものを自分の肉体を通じて伝えていた。日常の小さなできごとにも気配りできる繊細な人で、数カ月前にもらった手紙にも、今もたくさん映画の依頼があってありがたいと書いてありました。60年代末に初めてお会いしたときに、直立不動で待っていて下さった姿を思い出します。いま、私は驚き、心が泣いています」と話した。
・橋本忍さん「あんな男らしい俳優はもう出ない」
脚本家の橋本忍さんは、「『八甲田山』で踏破に成功する弘前隊の隊長役はみんな彼しかいないと思ったんだが、他社作品に出たことがないから、東映との関係を心配したんだ。台本を読んだ彼は、二つ返事で引き受け『東映とのことは全部こっちでやりますから』と言ってくれた。胸のすくような男だったね。八甲田の現場では、朝6時、一番に軍装を整えバスのそばに立っていた。あんな男らしい俳優はもう出ないだろう。残念だ」と惜しんだ。
・奈良岡朋子さん「スタッフや共演者への気遣いを忘れない方」
映画「夜叉(やしゃ)」「鉄道員」「ホタル」で共演した俳優の奈良岡朋子さんは、所属する劇団民芸を通じて以下のような文章を出した。
◇
今朝、訃報に接し息がとまる思いでした。しばらくぼうぜんとして何も手につきませんでした。少しずつ時間がたち、「夜叉」「鉄道員」「ホタル」と、ご一緒した作品が思い返されます。撮影現場では、かた時もスタッフや共演者への気遣いを忘れない方でした。みんなが仕事をしているときは、座らず立ったまま様子を見ていらした。その姿が、いまも目に残っています。私にとっては、最後の映画スターのひとり。とても心根の優しい方で、私の父母の命日には、十数年にわたって毎年お線香を届けてくださいました。私が、お仕事などで賞などをいただくと必ずお祝いのお品をおくってくださり、今となってはそれが形見と思うと、寂しさがこみ上げます。お会いできて本当によかったです。
・有馬稲子さん「不器用さがどんどん味になった」
映画「森と湖のまつり」で共演した俳優の有馬稲子さんは、「内田吐夢監督の『森と湖のまつり』(1958年)で共演したころは、デビュー直後ですごいハンサムボーイ。演技の面では不器用だな、と思ったけど、その不器用さがどんどん味になり、信念を守り抜いた。いつまでも本当に若くて、体の線も変わらないのは役に対する意識がとても高い証拠。本当に惜しいわね」と話した。
・千葉真一さん「唯一尊敬し続けた方でした」
東映時代の後輩で、映画「新幹線大爆破」などで共演した俳優の千葉真一さんは、所属事務所のホームページに以下のコメントを発表した。
◇
健さんはわたくしの俳優人生を支えてくれた俳優であり、人生においても俳優としても唯一尊敬し続けた方でした。新人時代のわたくしが若気の至りで撮影所でスタッフの方々と喧嘩(けんか)をして俳優をやめようとした時も、休みにもかかわらず一緒に撮影所内を謝りに歩いていただいたこともありました。今の俳優、千葉真一があるのは健さんのおかげです。人の些細(ささい)なことをしっかりみていて、ふとした時に何気(なにげ)なく気配りをしていただけるあの気配りは真似(まね)できるものではありません。日本の映画業界にとって、そしてわたくし千葉真一にとって大変大事な方の訃報に今でも信じられない気持ちです。
ご冥福をお祈りします。
・渡瀬恒彦さん「ずっと『親方』の様な存在でした」
映画「南極物語」で共演した俳優の渡瀬恒彦さんは、「東映に入社して45年、私にとってずっと『親方』の様な存在でした。今、『南極物語』の撮影で寝食をともにした2か月が忘れられません。突然のことで、只々言葉もありません」とするコメントを発表した。
・武田鉄矢さん「後ろ姿が実によかった」
「幸福(しあわせ)の黄色いハンカチ」で共演した俳優で歌手の武田鉄矢さんは、報道陣との囲み取材に応じ、「僕みたいなやつに演じるということの純真さを教えてくださった。初めてお会いしたときから全く変わらなかった。一生懸命仕事して、また褒めてもらいたかった」「体調の悪さや弱さを見せないまま旅立つなんて、健さんらしい。後ろ姿がまた実によかったのです」と思い出を語った。
・大竹しのぶさん「豊かで素晴らしいことを沢山教えて頂いた」
映画「鉄道員(ぽっぽや)」で共演した俳優の大竹しのぶさんは、「『鉄道員』での、たった一度だけの共演でしたが、十本も二十本も映画を撮ったような、豊かで素晴らしいことを沢山(たくさん)教えて頂きました。映画人『高倉健』の魅力は、そのまま、人間『高倉健さん』の魅力です。美しく、気高く、そして何よりも優しい健さんを一生忘れません。神様みたいな人が、本当の神様になってしまったようです。淋(さび)しいです」とのコメントを出した。
・志村けんさん「生涯1番緊張してお会いした」
映画「鉄道員(ぽっぽや)」で共演したタレントの志村けんさんは、自身の公式ブログにこうつづった。
「どんな言葉でも物足りない
温かい大きな手で握手して
よろしくお願いします。
生涯1番緊張して始めてお会いした時
楽屋に 何なりとお申し付け下さい
乙松より 綺麗な花がありました
なんと優しい心使い
有難うございました
心からご冥福を御祈り申し上げます
高倉健さん
お疲れ様でした でも残念です
寂しいです」
・広末涼子さん「力強く抱きしめてもらった」
映画「鉄道員(ぽっぽや)」で共演した俳優の広末涼子さんは、「今もまだ信じられません。ただただ、悲しくて、淋(さび)しいです。健さんに、撮影現場で聞かせてもらった音楽、入れてもらった珈琲(コーヒー)、かけていただいた優しい言葉たち、背筋の伸びた大きな体で、力強く抱きしめてもらった思い出… 全て全部、忘れません」とするコメントを出した。
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