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鉄道会社から賠償請求 そのとき家族は

(4月23日)

松木遥希子記者

認知症やその疑いがあり行方不明になる人が年間1万人近くに上るなか、こうした人たちが徘徊(はいかい)して、列車にはねられて死亡する事故が相次いでいます。
そして、事故で発生した損害について介護していた家族が鉄道会社から賠償を求められ、中には裁判となっているケースもあります。
認知症の人の鉄道事故の責任は、家族だけが負うべきなのか。実際に鉄道事故で家族を亡くした人や、不安を抱えながら介護を続けている家族に広がる波紋を取材しました。
(社会部・松木遥希子記者)

「鉄道事故の責任は家族にある」

平成19年12月、愛知県大府市で91歳の男性がJRの線路で列車にはねられて死亡しました。男性は認知症で、85歳の妻が目を離した数分の間に自宅を出て徘徊し、駅のホームから線路に立ち入ったとみられています。
事故が起きたのは夕方のラッシュの時間帯で、20本の電車が最大で2時間以上遅れ、2万人の乗客に影響が出ました。JR東海は家族に損害賠償を請求しましたが、家族が支払いに応じなかったため裁判を起こし、振り替え輸送を行った私鉄に支払う費用の534万円や、乗客への対応にかかった人件費の183万円などを含むおよそ720万円を請求しました。
去年8月に名古屋地方裁判所が言い渡した判決は、家族にとって厳しいものでした。「家族は男性が徘徊しないよう適切な措置を取らず、目を離すなど注意を怠った」と、責任は家族にあるとして全額支払うよう言い渡したのです。

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この判決は、認知症の人を介護する家族らに大きな衝撃をもたらしました。NHKが認知症で徘徊する人を介護したことのある家族に行ったアンケートでは、「家族だけでは防げない」「介護者の実態を知らない判断だ」など、責任は家族だけにあるのかという疑問の声が上がっています

8年余で64人が死亡

認知症の人の鉄道事故はどれくらい起きているのか。NHKは人身事故が起きた際に鉄道会社が国に届け出る報告書を入手しました。「認知症」ということばが使われるようになった平成17年度以降の8年余りで、線路に立ち入るなどして事故にあったのは76人、このうち64人が死亡していることが分かりました。

事故で家族を亡くした人は

取材を進め、鉄道会社から賠償請求された人を訪ねました。静岡県内に住む清政明さん(61)は、おととし、認知症の母親の美代子さん(当時84)を鉄道事故で亡くしました。美代子さんは認知症の症状が進行していて、徘徊もありました。政明さんは昼間は仕事で家を留守にしていたため、毎日ヘルパーに来てもらっていました。そして万が一のときに居場所が分かるよう、母親にGPSを持たせ、近所の人にも姿を見かけたら声をかけるよう、お願いしていました。
ところがヘルパーが帰った夜、政明さんが帰宅するまでの短い間に母親がいなくなりました。政明さんがGPSを使って調べると、母親は自宅近くの線路にいることが分かりました。政明さんはすぐに駆けつけましたが、すでに事故が起きたあとでした。
ショックを受けていた政明さんのもとに、4か月後、突然、鉄道会社からの請求書が届きました。列車の運行への影響は少なかったものの、社員の残業代が発生したとして、およそ16万円の支払いを求められたのです。家族としての責任を問われた政明さんは、迷いながらも考えた末に支払いに応じました。しかし事故を家族だけで防げたのか、疑問が残りました。政明さんは「認知症で徘徊する人を家族が24時間管理するというのは不可能ではないかと思う。もう少し介護している人の気持ちを考えてほしい」と話しています。

(動画:4月23日 ニュースウオッチ9 より)

「外出をすべて抑えることは不可能」

現在介護をしている人も、多くが徘徊を家族だけで防ぐのは難しいと感じています。川崎市の伊藤金政さん(71)は、認知症の妻、公子さん(65)をおよそ8年に渡って介護しています。公子さんは自分で食事をとれることなどから、去年の要介護認定の際、それまでの「要介護3」から「要介護1」となりました。そのため、家族以外の助けを借りたいと思っても利用できるサービスが限られ、週3日、デイサービスに行く以外は金政さんが自宅で介護しています。
外出が好きな公子さんはこれまでに10回近く1人で自宅を出るなどして、行方不明になりました。自宅から歩いて5分ほどの所には駅や踏切があります。金政さんは公子さんが徘徊して事故にあうことを防ごうと、自宅のドアや門に鍵をつけて公子さんが1人で外出しないよう気をつけているほか、2人で出かけるときは必ず公子さんの手にひもを持たせて2人の間を結び、公子さんがはぐれないようにしています。
しかし金政さんは、公子さんを家の中に閉じ込めたままにするわけにはいかず、かといって1人で24時間つきっきりで見るのも不可能だと考えています。金政さんは、「認知症の人の鉄道事故は家族に全く責任がないとは言い切れないと思う。しかし本人の外出をすべておさえて生活していくことは不可能だ」と話しています。

注目の2審判決は

JR東海に損害賠償を求められた愛知県の男性の家族は1審判決を不服として控訴し、2審の判決が4月24日に言い渡されました。
名古屋高等裁判所は、1審で認定された男性の長男の責任は認めなかったものの、男性の妻に対しては、「配偶者として夫を見守って介護する監督義務があったのに、徘徊を防ぐため、出入り口のセンサーを作動させるなどの措置を取っておらず、監督が十分でなかった」と判断し、責任を認めました。
その一方でJR側の駅での監視も十分でなかったとして、妻に対し1審で認めた賠償額の半分にあたる、およそ360万円の支払いを命じました。判決のあと、遺族側の弁護士は報道陣の取材に対し、「遺族は、十分に介護につとめていたと考えているので、判決には納得できない。今の社会では、認知症の患者の保護について家族だけに責任を負わせるのではなく、地域で見守る体制を築くことが必要だと思われるが、判決はその流れに逆行するものだ。今後、最高裁判所に上告するかどうかは遺族と相談して決めたい」と話しました。一方、JR東海は「内容を詳細に検討して、今後の対応を決定したい」というコメントを出しました。

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「社会全体でリスク負担する方法を」

認知症の人が増え続けるなかで後を絶たない鉄道事故。家族による介護に限界があるなかで、家族だけが責任を負うべきなのか。東北大学の水野紀子教授は、「こうした事故で家族だけに責任を負わされると、家族はリスクを避けるために認知症の人を外に出さないよう自衛するなど、萎縮の効果が心配される。事故は高齢化が進み、認知症の人が増えるなかで出てきた新しい問題ととらえ、社会全体でリスクを負担する方法を議論する時期に来ているのではないか」と話しています。
厚生労働省の研究班によりますと、おととしの時点で国内の認知症高齢者は462万人、その予備軍とされる「軽度認知障害」の高齢者は400万人と推計され、合わせて860万人余りに上り、実に、高齢者の4人に1人という多さです。この数は、高齢化が進むにつれてさらに増えると予測されています。私たちにとってますます身近に、そして深刻になる認知症を巡る問題について、今後も取材を続けていきたいと思います。

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