欧州

「昭和の給食」に見る日本の初等教育の良さと課題先割れスプーン、揚げパン、脱脂粉乳・・・、あなたの時代の学校給食は?

2014.11.05(水)  川口マーン 惠美

給食がないドイツと日本の違い

給食当番の様子(ウィキペディアより)

 子供の栄養事情を改善するために始まった戦後の給食だが、実を言うと私は、給食は日本の学校の素晴らしい制度の1つであったと思っている。今もそうだ。

 同じ釜の飯を食べること、さらに、先生が一緒に食べることには、大きな意味がある。もう一つ付け加えるなら、清掃。給食と清掃、この2つは日本の義務教育における最大の長所だと思う。

 これがあるからこそ、日本の学校にはコミュニティーという要素が備わり、そこは人と人とが接触し、生活する場所となる。仲間意識も芽生える。子供たちが共同生活を学ぶには、これほどよい方法はない。

 共に食べ、共に掃除当番をすると、人間の様々な性格が浮き出してくる。優しい子、頼りになる子、先生に逆らう子、強い子、弱い子、ずるい子、異性にもてる子・・・、人間の値打ちは勉強ができるかどうかだけではないということは、勉強以外のことを通して初めてわかるものだ。

 ドイツの小学校には給食がない(保護者会のイニシアティブで、それらしきものが運営されているところは、たまにある)。クラブ活動もないし、清掃は清掃業者が入るし、学校がコミュニティーであるという感覚は希薄だ。

 先生も、プライベートのことには一切関知しない。生活指導など、言葉さえない。そのうえ、義務教育でも落第がある。当然のことながら、勉強のできない子にとって、学校は憂鬱な場所となり、先生と生徒の絆もさほど強くない。

 同じ釜の飯というのは、皆が同じという前提がないと機能しない。その点、日本は元々階級社会ではなかったので、先生も生徒も、社長の子供も、生活保護を受けている家庭の子供も、難なく一緒にご飯を食べることができる。

 子供に清掃をさせても、「学校は勉強をするところだ。自治体にお金がないからといって、子供を使うとは何事だ」と文句を言う親もいない。清掃は、仏教では大切なお勤めの1つであるが、ドイツではそうではない。使用人の仕事だと思っている人もいる。

 いずれにしても、日本はまだまだドイツに比べて不公平…
Premium Information
楽天SocialNewsに投稿!
このエントリーをはてなブックマークに追加

バックナンバー

Comment

アクセスランキング
プライバシーマーク

当社は、2010年1月に日本情報経済社会推進協会(JIPDEC)より、個人情報について適切な取り扱いがおこなわれている企業に与えられる「プライバシーマーク」を取得いたしました。

Back To Top