安倍首相が、来年10月に予定されていた消費税率再引き上げの先送りと、21日の衆院解散を表明した。

 おととい発表された直近の国内総生産(GDP)の実質成長率は、年率換算で1・6%の減。事前の民間予測を大きく下回った。

 首相はこれを受け「15年間苦しんできたデフレから脱却するチャンスを手放すわけにはいかない」と判断。ただ、18カ月間の先送り後の再延期はないと断言し、その政策変更の是非を総選挙で問うという。

 確かに2期連続のマイナス成長はショッキングだ。ただ、もとより景気悪化による増税の先送りは消費増税法を改正すれば認められるし、民主党もその判断は受け入れている。

 国会審議をへて法改正し、アベノミクスの足らざる部分を補う。安倍政権がまず全力で取り組むべきことである。

 その努力をする前のいきなりの衆院解散は、短絡に過ぎる。別の政治的打算が隠されていると考えざるを得ない。

■解散に理はあるか

 首相はきのうの記者会見で、「なぜ2年前、民主党が大敗したのか。マニフェストに書いてない消費税引き上げを、国民の信を問うことなく行ったからだ」と解散の意義を強調した。

 民主党は09年の衆院選で消費増税はしないと訴え、政権を奪った。ところが新たな財源を生み出せずに政策転換に追い込まれ、党の分裂と前回衆院選での大敗を招いた。

 民主党の失敗についての首相の見方はその通りだろう。だが、今回の首相の姿勢とは同列には論じられない。

 首相の解散権行使が理にかなうのはどういう場合か。前の選挙では意識されなかった争点が浮上した時、または首相と国会との対立が抜き差しならなくなった時というのが、一般的な考え方だ。

 今回はどうか。12年夏の「社会保障と税の一体改革」の民主、自民、公明の3党合意に基づく消費増税法は、2段階の消費税率引き上げを定めつつ、景気が悪化した時の先送り条項も設けている。

 3党がそろって国民に負担増を求める代わりに、定数削減などの「身を切る改革」を断行する――。安倍氏と当時の野田首相とのこの約束が問われた2年前の衆院選で、自公両党は政権に復帰した。

 昨夏の参院選でねじれも解消し、首相の政権基盤は安定している。9月に内閣改造もしたばかりだ。それでも任期4年の折り返しにもいたらぬ衆院議員の身を切る前に「首を切る」。あべこべではないか。

■国民の思い逆手に

 増税は、政治家にも国民にもつらい選択である。

 消費増税で得られる財源は、子育てや年金などほぼすべての国民に関係する社会保障関係費にあてられる。それがわかっていても、「増税はいや」というのは自然な感情だ。

 実際、今月の朝日新聞の世論調査では、来年10月の税率引き上げには67%が反対と答えた。同時に、それで社会保障に悪影響が出ることを不安に感じると答えた人が66%もいる。国民の複雑な思いを表した数字だ。

 仮に消費税だけが問われる選挙なら、有権者が首相の判断を覆す一票を投じる動機は弱くなる。「景気対策」という名の付録がつけばなおさらだ。

 それを知りつつ、あえて先送りの是非を問うなら、ポピュリズムとの批判はまぬがれない。

 財政再建を重視する勢力の反対で、増税先送りの法改正はできそうにないという状況になって、初めて衆院解散の理屈が立つというものだ。

■「信を問う」の本音は

 首相は昨年の特定秘密保護法案の審議や今夏の集団的自衛権の容認をめぐる議論の過程では、国民の審判を仰ぐそぶりすら見せなかった。

 表現の自由や平和主義という憲法価値の根幹にかかわり、多くの国民が反対した問題であるにもかかわらずだ。

 国論を二分する争点は素通りし、有権者の耳にやさしい「負担増の先送り」で信を問う。政治には権力闘争の側面があるにせよ、あまりに都合のよい使い分けではないか。

 首相は先の通常国会で、憲法解釈の変更について「最高の責任者は私だ。そのうえで私たちは選挙で国民の審判を受ける」と答弁した。「選挙で勝てば何でもできる」と言わんばかりの乱暴な民主主義観である。

 来年にかけて安倍政権は、原発の再稼働や集団的自衛権の行使容認に伴う法整備など、賛否がより分かれる課題に取り組もうとしている。

 世論の抵抗がより強いこれらの議論に入る前に選挙をすませ、新たな4年の任期で「何でもできる」フリーハンドを確保しておきたい――。

 そんな身勝手さに、有権者も気づいているにちがいない。