2014.11.19 05:05(4/4ページ)

健さん死す…映画に捧げた83年、男の美学貫き笑顔で天国へ

「鉄道員(ぽっぽや)」でブルーリボン賞主演男優賞に選ばれ、喜びを語る高倉健さん。映画とともに歩んだ人生だった=2000年1月26日撮影

「鉄道員(ぽっぽや)」でブルーリボン賞主演男優賞に選ばれ、喜びを語る高倉健さん。映画とともに歩んだ人生だった=2000年1月26日撮影【拡大】

 苦難に堪え忍ぶ寡黙で情に厚い男を演じてきたが、実際の健さんも礼儀正しい“情の男”として慕われた。自身を「不器用」と表現し、晴れがましい舞台は苦手だった一方で、世話になった人のもとへお忍びで訪問したり、プレゼントを贈ったりすることもしばしば。撮影現場では若手俳優や取材記者にも丁寧にお辞儀し、「あなたへ」の撮影では共演のビートたけし(67)を駅まで出迎え、感動させた。

 私生活では「恐怖の空中殺人」で共演した歌手の故・江利チエミさん(享年45)と59年に結婚。71年に離婚も、月命日の13日前後に墓参りを欠かさなかったという。

 所属事務所の書面につづられた「往く道は精進にして、忍びて終わり悔いなし」の言葉は、比叡山延暦寺の大阿闍梨、酒井雄哉氏(故人)から贈られたもので、健さんの座右の銘だった。お別れの会は故人の遺志で行わない。同事務所は「派手なことが嫌いなので、本人は静かに逝きたいと…」と説明。最後まで“忍ぶ”美学は健さんらしかった。

 “不器用な男”は、銀幕の雄姿とともに日本人の心に生き続ける。

高倉 健(たかくら・けん)

 本名・小田剛一(おだ・ごういち)。1931(昭和6)年2月16日生まれ、福岡県出身。東筑高-明大商学部卒。東映第2期ニューフェースに合格し、56年に映画「電光空手打ち」でデビュー。「日本侠客伝」「網走番外地」など任侠映画で脚光を浴びた。76年に東映を退社後は、「幸福の黄色いハンカチ」「八甲田山」「南極物語」など邦画史上に残る大ヒット作に主演し、米映画「ブラック・レイン」にも出演した。98年紫綬褒章受章。99年「鉄道員(ぽっぽや)」でモントリオール世界映画祭主演男優賞を受賞。昨年、文化勲章を受章した。1メートル80。血液型A。

悪性リンパ腫

 ヒトの免疫システムを構成するリンパ系の組織から発生する腫瘍。発生率は1万人に1人程度。症状はリンパ節(首やわきの下、足の付け根のなど)の腫れ、食欲不振や発熱、体重減少など。治療は抗がん剤化学療法と放射線療法が一般的だが、造血幹細胞移植を用いる場合もある。

(紙面から)