1996〜98年の3年間、エボラウィルス病(以下、エボラ)の調査・研究に携わったことがある。最近、エボラ疑いの方が搬送された東京都新宿区にある国立国際医療研究センターに勤務していた時のこと。一年の半分以上は、緊急援助や技術協力などで海外に派遣されていたので、その合間を縫っての活動だった。
当時、エボラが発見されて既に20年が経過していたが、アフリカでは毎年のようにエボラが流行し、治療薬もワクチンもないまま、高い致死率を示していた。
1995年には、エボラをモチーフにしたハリウッド映画『アウトブレイク』(ダスティン・ホフマン主演)が公開。実際にアメリカでも輸入した実験用サルにエボラが流行したため、サスペンス映画が現実のものになるのでは…と世界を震撼させた時期でもあった。
日本でもその対策が求められたが、当時、エボラに関する情報や国際的な協力体制は十分とはいえなかった。そんな中、国際医療協力研究委託事業に加えてもらったのである。
欲張りな私は、当時知られていた4種類(現在は計5種がわかっている)のエボラウィルスの3種(ザイール型、タイフォレスト型、レストン型)を調査対象として、ガボン、コートジボアール、フィリピン、アメリカを訪れることにした。
密林の奥に潜むエボラ
エボラが流行していたアフリカ中央部にある国ガボンは、学生時代から一度は訪れてみたかった国のひとつである。
私が医師となってアフリカで働きたいと思ったきっかけを作ってくれたのが音楽家、神学家、哲学者でもあったアルベルト・シュバイツァー(1875-1965)。彼が医師として50年以上を捧げたのがこの国ガボン(当時は仏領赤道アフリカの一部)だったからである。
シュバイツァーが生きていた頃には報告されていなかったエボラという病気が、この国を襲ったのは1994年12月。カヌーでしか行けない密林の中、金鉱山の近くの村で、原因不明の病気により村人が次々に倒れた。