11月10日に開かれた日中首脳会談について、識者の評価は割れている。富坂聰氏は「やるべきだったのか」と疑問を呈し、小谷哲男氏は、会談によって日中がスタート地点に立ったと一定の評価をしながらも、今後対話を進めていくうえでの不安要素を指摘する。また、佐々木智弘氏は会談実現に至った中国側の事情を、『人民日報』をもとに解説する。本稿では、合意文書を読み解きながら、会談を実現せざるを得なかった中国の事情を明らかにし、今後の日中関係を展望する。
2014年11月10日、北京で開催していたアジア太平洋経済協力会議(APEC)にあわせて日中首脳会談が約2年半ぶりに実現された。
会談実現の5日前、筆者は本コラムで「中国政府は日本との首脳会談に応じる方針をほぼ固めたのではないかとの結論に達している」(記事参照)と述べたが、その後の展開はまさに予測した通りであった。一時は不可能だと思われた安倍晋三首相と習近平国家主席の会談は現実に行われたのである。
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日本は「尖閣」でも「靖国」でも譲歩していない
会談実現の3日前、日中両国政府の安全保障・外交の責任者が徹夜の交渉を通じてまとめた一通の合意文書を発表した。その時点で、首脳会談の開催は事実上決まった。つまりこの合意文書こそ、会談実現の決め手となったわけである。
日本の一部のメディアや論客たちは、この合意文書の内容を問題として、「日本が合意文書において従来の立場を後退させて中国に譲歩した」、「日本が譲歩したからこそ中国が会談に応じた」との論調を展開していた。しかし真実は果たしてそうだったのであろうか。
中国は以前から首脳会談開催の前提として、「尖閣に関する領土問題の存在を認める」と、「安倍首相は靖国神社を再度参拝しないと確約する」という2つの条件を日本側に突きつけてきたが、件の合意文書は、果たして中国側の出した条件を受け入れて日本の立場を後退させたものであるかどうか、それが問題なのである。
この問題を論じるには当然、合意文書の文面の解読から始めなければならない。
まず「靖国参拝問題」に関しては、それに関連していると思われる合意文章の文面はこうである。
「双方は,歴史を直視し,未来に向かうという精神に従い,両国関係に影響する政治的困難を克服することで若干の認識の一致をみた。」
「政治的困難」に、いわゆる「靖国問題」が含まれるかどうかについて色々と解釈の余地があると思われるが、「靖国」の文字が出ていないのは事実だ。つまり、この文章を読む限り「日本側が首相の靖国不参拝を約束した」ということにはならない。この合意文書において、日本側は決して「靖国不参拝の確約」という中国側の条件を飲むようなことはなかった。
「近年緊張状態が生じている」尖閣諸島
次は、尖閣問題に関する文面を見てみよう。原文は、「双方は,尖閣諸島等東シナ海の海域において近年緊張状態が生じていることについて異なる見解を有していると認識」とある。
この文面を素直に読めば、日本は確かに、「異なる見解を有する」こと、中国が日本と違う見解を持っていることを認めたが、しかしここで「異なる見解」の対象となっているのは「近年、緊張状態が生じていること」であって、「領土問題」の存在ではない。文中には「尖閣諸島」の固有名詞も出ているが、それは単に「緊張状態」の生じる場所として取り上げられているのであって、文面の主語になっていないことは明らかだ。
さらに注目すべきなのは「近年」という言葉がつけられていることだ。それによって「異なる見解」の指す対象はますます「領土問題」とは無関係なものとなる。というのも、尖閣を巡っての領有権問題は「近年」から始まったわけではなく、数十年前からのものだからだ。
つまり、文書を素直に読めば、それは決して「日本が領有権に対する中国の見解を認めた」、あるいは「日本が領有権問題の存在を認めた」ことにはならない、とよく分かる。「領土問題は存在しない」という、尖閣問題に関する日本政府の立場はまったく後退していないのである。
岸田文雄外相も11月11日の記者会見で、尖閣諸島をめぐって日中両国が見解の相違を認めた合意文書を発表したことに関して「尖閣に領土問題は存在しない」とする日本政府の立場は全く変わっていないという認識を強調した。
それに対して、在日中国大使館は12日、「厳重な関心と強い不満を表す」とする報道官談話を発表した。しかしここで注目すべきなのは、彼らはさすがに、「日本が合意に違反した、合意を反古にした」とするような批判はしていないことだ。それもまた、合意文書には「領土問題」が含まれていないことの証拠なのである。
このように、日中間の合意文書において、日本政府が中国に譲歩して領有権問題の存在を認めていないことは火を見るより明らかである。
何としてもAPECを成功させたかった習近平
しかし、日本が中国に一切譲歩していないにもかかわらず、中国はなぜ日本との首脳会談に応じたのか、あるいは応じざるを得なかったのだろうか。
その理由の一つは、10月23日に本コラム掲載の拙稿「中華思想に基づく習近平の上から目線外交」で論じているように、APECという国際会議の大舞台を利用して、「懐の深い中華皇帝」を演じたい習主席はやはり、アジアの主要国家である日本の総理大臣が「拝謁」してくるような場面を必要としていることにある。
実はこのような思想面の理由以外に、あるいはそれ以上に、現実の国際政治においても、この2年間アジア外交において相当追い詰められている習主席と中国には、安倍首相との首脳会談に応じざるを得ない切実な理由があった。
2012年11月に政権発足以来2年間、習主席はある意味ではずっと、安倍政権との対抗路線をとってきたことは周知の通りである。中国が日本との首脳会談を頑なに拒否する一方、国内外においては「安倍叩き」を進め、「極右分子・危険な軍国主義者」などと激しい表現で批判してきた。そして尖閣周辺の海域と空域では日本に対する挑発行為をエスカレートさせている。
一方の安倍首相はその間、中国包囲網の構築を目指すアジア外交を精力的に展開した。日米同盟を強化した上、東南アジア諸国との連携を進め、あらゆる国際会議の場を借りて「力の支配」を企む中国に対する批判と牽制を行った。
その結果、アジアで孤立を深めたのは中国の方であった。一時はベトナムとフィリピンは反中国の急先鋒となってしまい、ASEAN諸国の大半も安倍首相の中国批判に同調する方へ傾いた。気がつけば、習主席のアジア外交はすでに袋小路に入っていた。
そこで習主席は何とか劣勢を挽回すべく外交を立て直そうとしていたところ、中国が議長国を務める今回のAPECは最大のチャンスとなった。中国は着々と動き出した。まずはベトナムとの対立を緩和させ、フィリピンとの領土紛争も一時的に休戦させた。経済援助を手段に一部のアジア国を手なづけた。こうして準備万端の状態で、習主席はAPECの大舞台に立った。
ちなみに、中国がAPEC準備のために国内でとった一連の措置からも、その成功にかけた習主席の意気込みが窺える。たとえば会議開始の10日前から、北京市内で車のナンバーによる交通規制が始まったが、それは当然、会議中の北京の大気汚染を軽減するための措置だ。実は同じ目的で、北京周辺の河北省では、大気の汚染源となる鉄鋼産業などの「汚染産業」の工場が一斉に操業停止を命じられた。それらの措置のもたらす市民生活の不便や経済的損失の大きさが察して余るところであるが、どんな代価を払っても、習主席は中国外交の起死回生のためには、このAPECを成功させなければならなかったのである。
「すべての隣国と仲良く」
そして11月9日、APEC首脳会議開催の前日、習主席は関連会議の一つであるCEOサミットの参加者の前で渾身の大演説を行った。その中で彼は、「中国はすべての隣国と仲良くやっていきたい」と高らかに宣言したのである。
もちろん国際政治の現実においては、どこの国でも「すべての隣国と仲良くする」ようなことはそもそも不可能であり、習主席の宣言はほとんど現実味のない大言壮語というしかない。しかしそれでも彼がそう宣言せざるを得ないのはやはり、今まで多くの隣国と「仲良く」してこなかったことを強く意識しているからであろう。アジア外交を立て直すためには、こうした大げさなアピールも辞さないのである。
この宣言はおそらく、会議開催の前から習主席がずっと温めてきたものであろうが、会議の参加者と世界に向かって「すべての隣国と仲良くする」と宣言するならば、習主席は結局、安倍首相との首脳会談に応じる以外に道がないのである。それこそ近隣国の日本の首相との会談すら拒否しているなら、この発言は直ちに説得力を失ってしまうからである。
このように、習主席は日本との首脳会談に応じざるを得ない立場に徐々に追い込まれていったが、実は今回のAPEC開催に当たり、彼にはもう一つ大きな心配事があった。中国にとっての「問題児」、安倍首相の出方である。
APECは国際会議であるから、中国が招かなくても、安倍首相は北京にやってくることになる。そしてアジア主要国の指導者としては会議の席上それなりの発言権をもっている。今までに開催されたアジア関連の国際会議を振り返ってみると、安倍首相は常にそれらの国際会議を利用して中国の覇権主義に対する痛烈な批判を展開していたことがよく分かる。たとえば2014年5月末、シンガポールで開かれたアジア安全保障会議で安倍首相は、日本の総理として初めての基調演説を行い、海洋進出を強引に行っている中国を厳しく批判したことは有名である。
そしてもし、北京のAPECの席上、安倍首相が習主席とアジア太平洋地域の各国首脳の前でそれと同じような中国批判を展開してしまえば、習主席にとってはまさに悪夢の到来であろう。自らの存在感をアピールするこの華やかな大舞台が台無しになってしまうだけでなく、会議を利用してアジア外交を立て直そうとする計画がご破算になりかねないからである。
だから中国は結局、安倍首相を「野放し」にするようことは出来なかった。そのためにも、習主席は最低限、安倍首相との首脳会談に応じる以外にない。おそらく会議開催の前から、習主席はすでにその腹を決めたのであろう。
もちろんそれでも簡単に折れたくはない。会議開催直前のギリギリまで、中国は「領土問題の存在を認める」、「靖国は参拝しない」という2つの条件を日本側に突き出したままであった。
しかし「頑迷な」安倍首相は最後までそれを拒否した。窮地に立たされたのは習主席の方である。そしてAPEC会議開催の3日前、日中間でようやく4項目からなる前述の「合意文書」が交わされた。もちろん先ほど詳しく吟味したように、そこには「靖国」の文字も入っていないし、日本が認めたとされる「異なる見解」は「領土問題」を指していないことは一目瞭然であった。結局中国は、日本側に突き出した2つの「条件」を自ら引き下げて首脳会談に応じたと言える。
おそらくこのような経緯を強く意識しているからこそ、安倍首相との会談の冒頭、習主席は強ばった表情で尊大な態度を取ったのであろう。自らの悔しさを覆い隠すためにも、条件を引き下げたことを国民の目からごまかすためにも、彼はわざとこのような態度をとって虚勢を張るしかなかった。その瞬間、習主席は文字通り敗者となった。
主導権を握るのは日本
習主席にとって問題はむしろこれからである。「靖国不参拝」を約束しなかった安倍首相はいつでも参拝できるが、首脳会談に踏み切った習主席は、参拝されたら大変なことになるのだ。そうすると今後、安倍首相に気を遣わなければならないのは習主席の方だ。安倍首相を怒らせるようなことはそう簡単に出来なくなる。つまり、首脳会談後の日中関係の主導権を握るのは結局日本と安倍首相の方である。
余談であるが、実は首脳会談が終わってから3日後の11月13日、APEC会議の以前から日本の小笠原諸島周辺の海域で赤サンゴを密漁していた中国の漁船団に対して、中国当局が突如呼び戻し始めたことが、日本メディアで報道された。どうやら、習主席に対する「安倍効果」はその威力をすでに発揮し始めているようである。
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