京都の映画関係者ら「猛烈に寂しい」 高倉健さん死去
10日に亡くなっていたことが分かった高倉健さんの突然の悲報に、京都の映画関係者や親交があった俳優や市民からも悼む声が寄せられた。
高倉さんは、マキノ雅弘監督の「日本俠客伝」(1964~71年)をはじめ、東映京都撮影所製作の多くの作品に出演した。同撮影所内にある俳優会館2階には、約10年前まで「高倉健」と名札が付いた専用の部屋もあった。
監督の中島貞夫さん(80)は60年代を中心に、高倉さん主演の数々の映画を撮った。「現場で同じ釜の飯を食った仲。猛烈に寂しい」とし、「健ちゃんは演じる役に入り込み、役と一体になる人だった。特攻隊を描いた『あゝ同期の桜』(67年)では、出撃せずに生き残る役に納得できず、撮影前夜に好物のコーヒーを飲みながら徹夜で話し合ったこともあった。とことん、折り目正しく接してくれた」と惜しんだ。
斬(き)られ役で知られる俳優の福本清三さん(71)は「こんなに早く亡くなられるとは思わなかった。やくざ映画の立ち回りでご一緒したが、『よくがんばってくれた』と言葉をかけてくれたり、ブランド物のシャツをプレゼントしてくれたりしたのが思い出にある。スタッフなど周りの人に最敬礼する温かな人柄は昔から変わらず、俳優のかがみだった」と話した。
「網走番外地」などで共演してきた俳優の西村泰治さん(76)は「自分にも人にも厳しい人で、ほれて信者になった。『あなたへ』の撮影時からしんどそうだったが、電話で話してもそんなことを見せる人じゃなかった」と涙ぐんだ。
「君よ憤怒の河を渉(わた)れ」(76年)「野性の証明」(78年)で共演した女優の中野良子さんは「撮影の際はいい作品にしようとする努力を惜しまなかった」とし、27年前に自身の結婚が決まった際、いち早く深紅のバラをたくさん贈ってくれた思い出に触れ、「今もその時の感動が忘れられない」と語った。
【 2014年11月18日 14時09分 】