かつて顕正会の浅井会長は、「最後に申すべき事」に、六十六世の悪僧日達と、六十七世の日顕の二人の貫首が御本仏大聖人様の御遺命に背いて邪義・邪説を垂れ流したことに対して、下記のように指摘されていました。 云く、「六十六世・細井日達管長がいかに己義を構えたかをみてみよう。それは、天を地と云うごとき自語相違を見れば明らかである。同管長は登座直後には、御遺命のままに正義を述べていたが、池田大作に諂うや忽ちに誑言を吐いている。例せば『国立戒壇』においても『富士山に国立戒壇を建設せんとするのが日蓮正宗の使命である』(大白蓮華 昭和35年1月号)と。これは正論である。ところが忽ちに『国立戒壇は本宗の教義ではない』(大日蓮 昭和50年9月号)となる。 また『事の戒壇』についても『事の戒壇は富士山に戒壇の本尊を安置する本門寺の戒壇を建立することでございます。勿論この戒壇は、広宣流布の時の国立の戒壇であります』(大日蓮 昭和36年5月号)と正論を述べていたのが後には『この(戒壇の)御本尊在すところは事の戒壇でございます。だからその御本尊が、たとえ御宝蔵にあっても、あるいは唯今奉安殿に安置し奉ってあっても、あるいは今正に出来んとする正本堂に安置し奉っても、その御本尊の在すところは何処・何方でも、そのところは即ち事の戒壇であります』(唱和45年4月27日 教師補任式)と変わる。これでは、いったいどちらを信じたらいいのだ。このように「法主」であっても魔が入れば仏法相違の己義を構えるのである」と、悪僧日達の展開する邪義を喝破されておられます。 その悪僧日達に続く悪僧日顕は、似非信徒の池田大作に諂う余り、かつてのニセ戒壇正本堂を指して次のような諛言を述べていました。云く、「正本堂は宗祖大聖人の御遺命である正法広布・事の戒壇建立は、御本懐成就より六百八十数年を経て、現法主日達上人と仏法守護の頭領・総講頭池田先生により、始めてその実現の大光明を顕さんとしている」(大日蓮 昭和42年11月号)等と。 今から考えると良くもまあ、このような邪義・諛言を臆面もなく筆にすることができたものよと、感心をとおり越して滑稽にさえ思えてきます。それから半世紀も経過した今頃になって、邪義破折班の坊主らの筆に掛かると邪僧日顕に対して、次のような諛言となって現われてくるのであります。 云く、「おそれ多くも宗開両祖以来の血脈を承継遊ばされる御法主日顕上人猊下を悪し様に罵り、日蓮正宗の尊厳なる血脈法水を誹毀讒謗している。これ天人ともに許しがたい大逆行為である。よってかかる謗法の徒である貴殿浅井昭衛を、以後、汝と呼称する」「最後に申すべき事を砕破す」(P.1)などと。邪義破折班の坊主らが寄って集って、屁理屈にもならない言い訳をして、反撃に転じているのであります。 更に、破折班の云く、「教学部長を務められていた日顕上人の正本堂に関するご発言は、当時御仏意の上に広宣流布の時を御感遊ばされた日達上人の広布への前進を慰撫教導なされた御化導に基づくものであることはいうまでもない。すなわち、日顕上人のこの発言は、昭和49年9月の院達にもとづいたものなのである」同書(P.29)等と。 その院達によりますと、「正本堂は、本門戒壇の大御本尊を奉安申し上げる清浄無比の大殿堂であり、このことは、大聖人の御遺命にして、また我々門下最大の願業である戒壇建立、広宣流布の弥々事実の上に於いて成就されることになるのであります」(院第944号・大日蓮 昭和40年10月号)と。 開いた口が塞がらないとはこの事です。そもそも院達自体が間違っているのであります。また、「広宣流布の時を御感遊ばされた日達上人の広布への前進を慰撫教導なされた御化導」とは、滑稽をとおり越して悲しくなって参ります。邪義班の坊主らは、悪僧日顕の戯言を引き合いに出して、能天気な認識を羅列しているのであります。 ニセ戒壇正本堂を指して、「大聖人の御遺命にして、また我々門下最大の願業である戒壇建立、広宣流布の弥々事実の上に於いて成就される」などと言っていますが、このような邪義を展開しておきながら、これが慰撫教導とはね〜、慰撫教導とは、慰め教導することを言うのでありますが、考えただけでも身体中に悪寒が走り、反吐が出るほど気色が悪くなるのであります。そればかりか、依然として邪義坊主らは、邪義を垂れ流して純真の信徒を迷わせた上に、不幸のどん底に突き落とした揚句、自らの無謬性ばかりを強調し、諂いを発した口を拭おうともしない図々しさには呆れるばかりであります。このような道念のない邪義坊主には、大聖人様の御眼が目に入らないため、いつまでも平然として邪義を垂れ流すのであります。 今、唯一の正系門家と云われる日蓮正宗の坊主らが、一山を上げて、上は六十六代の貫首職を継いだ日達管長から悪知識の日顕を先頭に、ニセ戒壇正本堂を大聖人の御遺命の、「事の戒壇」の達成だとして大騒ぎをし、内には800万の純真の信徒を騙し、外には政府と、日本国家をも欺いたのであります。 それでいながらニセ戒壇正本堂を指して、「御本仏大聖人様の御遺命の戒壇の実現」などとバカ騒ぎをしたのもつかの間、ニセ戒壇正本堂は、建設から僅か26年で崩壊に至ったとは云え、今日に至るも宗門は何等の反省も検証もなく、坊主らは何処まで行っても、当時の指導は慰撫教導だったとして、信徒の上に胡坐をかいているのだから始末が悪いのであります。これでも盲信徒は猊下様は有難い、御住職さまは有難い等と諂って、供養に励み邪僧に対する信伏随従を、言外に強要されるのですから哀れという以外に言葉もありません。 ところが何を思い付いたのか、今頃になって、「国立戒壇」という戒壇義は、明治以前には存在しなかった。「そもそも国立戒壇は、国柱会の田中智学が創唱したもので、国立戒壇なる戒壇義は本来日蓮正宗の教義ではない」等と言い出したのでありますが、このような邪義には驚くほかありません。悪僧日達は、妙信講を欺き世間に諂うために、「国立戒壇は本宗の教義ではない」等と前言を翻して豹変したのですが、続く悪僧日顕は、「国立戒壇は田中智学が言い出した」等と、これまた顕正会を攻撃するために、突如として言い出したのが始まりであります。これらの邪義こそ、御本仏大聖人様に対し奉る最大の冒涜であります。 このような邪義は、かつて中國の天台大師が創唱した一念三千の義を、華厳宗の澄観や真言宗の善無畏三蔵が盗んで、「一念三千の義は元々華厳教に説かれ、あるいは真言宗に説かれているもので、後に説かれ法華経には一念三千という義は存在しなかった」と言って、邪説を構えたことに進んで同調したのです。後の天台の末学たちはその邪義に、悉く騙された構図と瓜二つであります。 いま、宗門の中で、「国立戒壇」を否定して之を笑う者は、華厳の澄観や真言の善無畏に騙された天台の末学の流れを汲む、極楽トンボと何等変わらない。笑うべきは彼等の無知蒙昧を笑うべきなのであります。 その事を大聖人様は、「墓ないかな天台の末学等、華厳・真言の元祖の盗人に一念三千の重宝を盗み取られて、還って彼らが弟子と成りぬ」(観心本尊抄)と仰せられています。 また本宗第六十五世を継がれた日淳上人は、「田中智学氏の『日蓮上人の教義』なる著書は、日蓮正宗の教義を盗んで書いたものであることは明白である。ただ本尊段において佐渡始顕の本尊を立てをるのは、日蓮正宗に何かと対抗せんとの窮余の考えからである」と喝破せられているのであります。 彼の創価学会ですら、かつては次のような正論を展開していたのであります。 云く、「じつに、国立戒壇の建立こそは、第二祖日興上人のみに御遺命になったのである。そして、その場所も、富士山と明白に御指示になっている。また、あらゆる正史料から、日蓮正宗のみが、大聖人の御遺命を受けて、富士山に事の戒壇(国立)を建立しようと、必死の努力を続けてきた事は明白になった。近ごろは田中智学の門流でさえも、(国立戒壇を)囀っているではないか」(大白蓮華 昭和32年9月号)と。 また、「田中智学は、三大秘法抄の『霊山浄土に似たらん最勝の地』とは、正しく富士山であることを決定している。もし各宗派が三大秘法抄と富士戒壇を容認するならば、それは日蓮門下にとって、一つの進歩といえるであろう。しかし、所詮は田中智学のごとく、富士大石寺の本門戒壇の大御本尊を知らないために、邪義に陥っている(同号)と。 今宗門に在って、国立戒壇は国柱会の田中智学の創唱であって、顕正会はその猿マネをしている等と笑う者は、御本仏大聖人様の弟子ではなく、須らく田中智学の弟子になったという事であります。是れを称して信心の血脈の断絶と云うのであります。信心の血脈が断絶するところには一切の功徳は生じないのであります。今日の日蓮正宗の信心がまさしくそれを立証しているのであります。生死一大事血脈抄に云く、「謗法不信の者は、「即断一切世間仏種」とて、仏に成るべき種子を断絶するが故に生死一大事の血脈之無きなり」と。亦云く、「信心の血脈なくんば法華経を持つとも無益なり」と仰せであります。国立戒壇は、田中智学の創唱などという、卑劣極まる虚偽と邪義を垂れ流す、悪僧日顕の所行こそ、徹底して糾弾し追及し弾劾されるべきであります。 大聖人様から二祖日興上人へ下された一期弘法付嘱書には、「国主此の法を立てらるれば、富士山に本門寺の戒壇を建立せらるべきなり」あるいは、三大秘法抄の、「勅宣並びに御教書を申し下して霊山浄土に似たらん最勝の地を尋ねて云々」の御文こそ、「国立戒壇を建立して、日本国を仏国土にすべし」と勧奨遊ばされていることは文に依って明らかであります。是れこそが、御本仏大聖人様の究竟の御願業なのであります。 明治以前の貫主の説法や書き物の中に、国立戒壇の四文字の字句が存在しないからとして、「国立戒壇」を否定する者は、依義判文という仏家の習い、その通軌を弁えなければならないのであります。 例えば、法華経の中には、「一念三千」という語句は存在しないのでありますが、人間の生命の刹那の変転、すなわち、生命が一瞬の刹那の瞬間に外界の縁に触れて様々に、地獄界から仏界までに変転する活動する様を、天台大師は、「一念三千」と名づけました。是れ、天台一人の己証であります。是れを天台の邪義と非難する者は何処にも存在しません。 また日寛上人は大聖人様の三大秘法を説明する上で、人の本尊・法の本尊を表現するなかで、「人法体一」と名づけられました。是れを日寛上人の己義などと云う者は何処にもいないのであります。 即ち、一期弘法付嘱書および三大秘法抄の文の中には、厳然と国立戒壇の義が明確に示されているのであります。したがって、これらの文の中に義のあるところ、自ずから名が付されるのは当然であります。このように広宣流布の暁に建立される本門寺戒壇は、日本国という国家の意志の本に、国家的に建立される戒壇なる故に、「国立戒壇」と称するのであります。その時建立される国立戒壇の大利益は、国家そのものが防非止悪の力用に依って今日の様々な凶悪犯罪は雲散霧消し、年々繰り返される悲惨な三災七難から解放され、夢のような仏国土が初めて成就するのであります。 是れこそが、立正安国論で仰せの実践の果実であります。此の国立戒壇の秘術を、立正安国論で、「然れば則ち、三界は皆仏国なり、仏国其れ衰えんや。十方は悉く宝土なり。宝土何ぞ壊れんや。国に衰微無く、土に破壊無くんば、身は是れ安全にして、心は是れ禅定ならん」と仰せられるのであります。なんと素晴らしい広大無辺の大利益ではありませんか。 故に第二十六世日寛上人は、「事の戒壇とは、すなわち富士山天生原に戒壇堂を建立するなり」と仰せられ、御相承を引いて云く、『日蓮一期の弘法乃至国主此の法を立てらるれば、富士山に本門寺の戒壇を建立せらるべきなり』云々(報恩抄文段)と、御教示であります。 今さら申すまでもなく、「富士山に本門寺の戒壇を建立せらるべきなり」とは、広宣流布の暁の、国立戒壇のことなのであります。 |
<< 前記事(2013/08/12) | ブログのトップへ | 後記事(2013/08/16) >> |
タイトル (本文) | ブログ名/日時 |
---|
内 容 | ニックネーム/日時 |
---|---|
貴方の記事がパクられていますよ。 |
貴方の記事 2014/11/18 17:15 |
<< 前記事(2013/08/12) | ブログのトップへ | 後記事(2013/08/16) >> |