訃報:高倉健さん83歳=俳優「網走番外地」「鉄道員」

毎日新聞 2014年11月18日 11時45分(最終更新 11月18日 11時48分)

文化勲章親授式を終え、記者会見する俳優の高倉健さん=宮内庁で2013年11月3日、竹内幹撮影
文化勲章親授式を終え、記者会見する俳優の高倉健さん=宮内庁で2013年11月3日、竹内幹撮影

 「網走番外地」シリーズ、「幸福の黄色いハンカチ」「鉄道員(ぽっぽや)」など日本映画史上に残る名作に主演し、「健さん」の愛称で親しまれた俳優で文化勲章受章者の高倉健(たかくら・けん<本名=小田剛一<おだ・ごういち>)さんが10日午前3時49分、悪性リンパ腫のため東京都内の病院で死去した。83歳。

 福岡県中間市出身。幼少期は病弱だったが、中学時代からボクシングと英語に興味を持ったという。福岡県立東筑高校から明治大学商学部に進学。在学中は相撲部のマネジャーも務めた。大学卒業後の1955年、東映東京撮影所所長にスカウトされ、東映ニューフェイス第2期生として東映入社。同期に今井健二、丘さとみらがいる。

 56年に映画「電光空手打ち」で主演デビュー。元々俳優志望ではなく、顔にドーランを塗り、化粧をした自分を鏡で見て、情けなくて涙が止まらなかったという。アクション、青春もの、時代劇にも出演したが、63年の「人生劇場 飛車角」以降、任俠映画を中心に活躍。60年代中盤から70年代前半にかけて「日本侠客伝」、「網走番外地」、「昭和残侠伝」シリーズなどが爆発的にヒット。東映の看板スターになり、主題歌も歌った。

 1970年に高倉プロを設立。出演映画の問題で東映と意見が合わず、東映も「仁義亡き戦い」以降、仁俠映画から実録路線に変更。76年に東映を退社する。フリー転向後、「君よ憤怒の河を渉れ」(76年)で仁俠映画のイメージから脱却し、以降幅広い作品に出演。「幸福の黄色いハンカチ」(77年)では、毎日映画コンクール男優演技賞のほか、日本アカデミー賞最優秀主演男優賞も受賞した。

 このほか、パニックサスペンスの傑作「新幹線大爆破」(75年)「冬の華」(76年)「野性の証明」(78年)、動乱(80年)、「駅 STATION」「海峡」(81年)、「南極物語」「居酒屋兆治」(83年)、「あ・うん」(89年)など代表作多数。「鉄道員(ぽっぽや)」ではモントリオール世界映画祭最優秀男優賞を受賞。「ブラック・レイン」(89年)、「単騎、千里を走る」(05年)など海外の作品にも多く出演した。

 2012年、205本目の出演作、7年ぶりの主演作となった「あなたへ」で銀幕復帰。「ずいぶんと空いてしまいました。もう少し、映画に出ないといけないね」などと話していた。

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