「FRUiTS」
裏原宿系のデコラティブな若者のストリート・スナップ集。本誌に写るために地方から出てくる女の子が集い、その中でも派閥やら組織ができていた時期もあった。中には素人ながらカリスマ的な人気を誇るモデルも出現。同誌の流れを汲む過剰なファッションはゴスロリなどに変形しながらも未だ健在で、外国人観光客も必ず足を止めて撮影してゆく。
FRUiTSの創刊は96年。創刊の背景にはどのようなことがあったのだろうか、と調べてみると、FRUiTSを創刊した青木正一氏へのインタビューが見つかったので、そこから抜粋さえてもらう。ちなみに彼は85年にスナップ誌の先駆けとなった『STREET』を創刊したことでも知られている。
『FRUiTS』は、当時原宿に事務所があったけど『STREET』でロンドンとかのファッションを日本に伝えようってことに集中してて、東京のファッションにはほとんど興味が無かったんですね。でも、事務所を原宿から恵比寿に移してから逆に原宿のファッションがちょっと面白いなって思い始めた。面白い子出てきたな、おしゃれな子増えてきたなって。 今で言う『FRUiTS』的なファッションがポツポツと出だしてきたので『STREET』で東京の写真ということで載せてみたら凄く売れたんですよ。反応も凄くあって。載せ始めて1年くらいかな、ボンって原宿ファッションが面白くなっちゃって。 それで、発行してみることにしました。
そしてFRUiTSを発売した当時の反応を聞かれたときの答え。
書店に並ぶってだけの状態なんですけど、かなり良かったですね。発行してみたら凄い売れました。原宿の中でもかなり話題になって僕が行くともうみんなが僕の顔を知ってたりとかでしたね。
まだ名前の与えられてない状態だった裏原宿系をこの雑誌が取り上げることにより、裏原宿系というものが一部の狭い地域だけの現象ではなく、最先端のものとして大々的に広まっていったという経路を辿ったことが分かる。しかし、このときの裏原宿系、90年代終わりからゼロ年代頭のファッションやビジュアル、少しずつ目が慣れてきた気がする。あと2年ぐらい置けば、いよいよこのへんの時代も格好良く見えてくるのでは?
「smart」
渋谷系が内包していた文化的エスプリや『オリーヴ』的幻想が、ストリートというリアリティや方法論で塗り固められた90年代末。「A BATHING APE」や「X-girl」といったアイコン。乱立するドメスティック・ブランドとダブルネームの嵐。裏原宿的DIYで拡大したストリート・ファッションと、それをカタログ的に見せる雑誌の連携は、行列を作る消費者と共に大きな磁場を形成した。
スマートは現在もある程度は同じ方向性でやっている雑誌ということで90年代に特に着目したような記事は見つけることが出来なかった。だが紹介文にもある様に昔は浅野忠信とか窪塚洋介とか、ストリート系のファッションが好きな芸能人が表紙であった。対して最近の表紙はAKB48を中心とする女性芸能人である。一度、魔法少女まどか☆マギカのほむらちゃんが表紙になったこともあった。 うーん、僕は読んだことがないで分からないのですが、軟弱化?の傾向はあるのかもしれあい。
「宝島30」
サブカル山師な規格外な魅力を提供してきた『宝島』が90年代に対応するべく、時代の疫病「快楽主義」に対し貪欲な接近戦を展開したのが93年創刊の『宝島30』だ。文化から社会へと取材対象をシフトさせ、知る欲望が肥大した読者欲求を存分に満たす、「裏社会」「黒歴史」というハード且つレアな領域に踏み込んだ。新ルポタージュの創世。
町山智浩氏が編集者を務めていたことでも知られる宝島シリーズ。表紙見てもらえば分かると思うのだが、これ売れるのか?!という内容と表紙。ただかなり攻めた内容だったようで完売したことも何度かあったよう。津田大介氏と町山智浩氏の対談からそのことが伺い知れます。
津田:完売した号はどういう企画だったんですか?
町山:ひとつは美智子皇后について書いた「皇室の危機——『菊のカーテン』の内側からの証言」という記事が載った号で、これは大問題になりました。『宝島30』編集部が右翼に銃撃されましたから。もうひとつは岩上さんの記事で、角川書店の経営者一族が抱える秘密をすべて暴露するという……。これも非常に危険な原稿なのですが、岩上安身さん自身がネットで全文公開しているのであえて挙げてみました。
津田:覚えてますよ。岩上さんの記事だったんですね。
町山:そのあたりの号は攻めた内容の記事が多くて、部数も多めに刷ったのに完売が続きましたね。まあ、かなりの量を買い占められたのかもしれないですけど(笑)。
津田:角川グループからね(笑)。
他にも面白い話がいくつかあるのだが、長いので割愛。詳しくは下記リンク先を見てもらえれば分かると思う。雑誌が物議を醸すことって減った気がするけど、どうなんだろうか。
津田大介公式サイト | 町山智浩、『宝島』ゴールデンエイジを大いに語る(津田大介の「メディアの現場」vol.44より)
「アウフォト」
『egg』の創刊にも関わった編集者の米原康正により創刊。主に10代の女の子が投稿した写真を集めただけなのだが、とにかくどの写真も初々しく、眩しい。「ほんとはこれよりかっこいい写真撮れたんだけど、楽しすぎて写真撮るの忘れちゃった」みたいな写真を集めた、というスタンスそのままの誌面。撮られる側に余計な自意識が一切入り込んでいない奇跡。
1997年に刊行されて、2000年に最後の号が出た模様。こういう読者投稿系の雑誌ってインターネットが発達してからもハガキがメールになり対応できていたけど、ブログとかSNSとかがのしあがっていくにつれてずいぶん減ったように思える。
『egg』や『アウフォト』など、90年代以降の東京の女の子カルチャーシーンを象徴する雑誌を創刊してきた米原康正氏が現在はAKB48の立ち上げ時のビジュアルのディレクションを担当していたり、きゃりーぱみゅぱみゅをはじめとする原宿のカワイイカルチャーに関わっているのは面白いなぁと思っていたら、本人にキャリアを総括するインタビューが行われていた。全四回に渡る長いインタビューなので、アウフォトに関するところを抜粋する。
egg作ってる時からそれは始まってたんだけど、ちょうどそのとき女子の写真ブームで、みんなが富士フイルムの“写ルンです”で写真を撮っていた。コギャルと呼ばれていた女子達がポラロイドで撮った写真に自分で絵を描いたりして、それを壁に貼るみたいな文化が生まれていて、それがある種のポップアートみたいになっていた時代。それを高校生だけじゃなくて全国からいろいろな人の写真が集まったらおもしろいなぁと思って作ったのが『アウフォト』。故林文浩氏の『DUNE』の仕事で仲良くなったTerry Richardson (テリー・リチャードソン)にも、3号目ぐらいから写真出してもらったりした。それは3年半続いて自由にやらせてもらいました。
テリー・リチャードソンにも写真を出してもらっていたという事実に驚き。これを見て誰もが思い起こすのが現在の自撮りブームであると思う。写ルンですと自撮りが女の子の中で流行ったことに対する背景って似ているというか同じなんじゃないかなーと何となく思った。あ、あとプリクラもそうですね。カジュアルに写真を楽しむ若年層の人口は女性の方が多いと思えるがどうなんでしょうか。
「GOMES」
全国のパルコで無料配布されていた本誌は「伝染るんです。」「ダウンタウン」「電気グルーヴのオールナイトニッポン」等と並んで90年代的お笑いセンスの基準となった「バカドリル」(タナカタツキ&天久聖一)の初出であり、辛酸なめ子のデビュー媒体でもある。セゾン系文化戦略の最後っ屁で90年代への橋渡し的存在。漫画賞審査員は岡崎京子。
1989年からスタートしたこの号。80年代の終わりからスタートしたことからも、まさしく「セゾン系文化戦略の最後っ屁」と言えるだろう。しかしセゾン系文化戦略とバカドリルというのはどうもイメージが違う。創刊2号の特集は「メンタルコンシャスの時代 拡大する精神世界へのベクトル」であることからもどうも色合いが違うように思える。そこで調べてみたところ、どうやら少しずつオシャレからサブカルへと舵を切っていったようである。ほぼ日刊イトイ新聞によるバカドリルの二人へのインタビューからもそのことを伺える。
タナカ / パルコの『GOMES』というフリーペーパーに連載してたんですよ。 パルコに来るのはブランド品を買いに来るOLでしたからね。もともとはOL向けでした。
天久 / バブル、まだちょっと残ってましたね。89年ですから。
天久 / 『GOMES』って、サブカルだったんじゃないですか?
タナカ / いや、それはね、僕らがそうしたんですよ、あれ。最初は、違ったもん。『バカドリル』を連載する前に連載してた人たちは、違いますよ!
(一部分かりやすいように原文を変えさせてもらいました)
全文はここから読むことが出来ます。
ちなみにバカドリルに侵食されていってからの誌面はこのような感じだった模様。
表紙の方はこちらになります。
余談ですが、GOMESの元編集長がタクシーの上のアレを集めるだけのfacebookページを管理していました。もう三年以上やり続けてらっしゃる。すごい。
「Coa」
スパングル・コール・リリ・ラリンのメンバーでもある藤枝憲主宰のコア・グラフィックスが発行していたグラフィック/クリエイター紹介系リトルマガジン。写真をカラーでオシャレに見せるミニコミは意外と少ないだけに新鮮で、90年代に繁栄したガーリー文化をうまく体現していたと思う。関係ないけどコアグラのベストワークはJET RAGのジャケかな。
全く手がかりが見つかなかった。もちろん画像ですら。コア・グラフィックスのサイトのワークスにも確認出来ず。うーん、悔しい。
「espresso」
菊地成孔との活動でも有名な大谷能生が関わっていた事で知られる、『スピード&ラフ』→『オーバーロード』流れの横浜国立大学周辺のミニコミの音楽部門?座談会の放言はいかにもミニコミノリだが、音響派/ポストロックの批評誌としては『FADER』よりも早い。「アウトドアインフォメーション」特集の最終号は『nu』創刊号と合わせて読むと吉。
mochion氏がブログにespressoに関して書いてた記事にいい具合の紹介文が引用されていたので、そこから更に引用。(ちなみに元の引用元は死んでいました)
『espresso』は大谷能生、大和田洋平、赤坂宙勇を中心とした音楽批評ミニコミで、『オーバーロード』の別冊として出ていました。『オーバーロード』は横浜国立大学の広告デザイン研究会が作っていた壁新聞『スピード&ラフ』をまとめて編集した別冊の評論ミニコミです。ちなみにこの『オーバーロード』に毎号「はだしのゲン」の漫画コピーを貼っていたのがゲンプロ氏で、ここからガバミニコミ『裏口入学』に繋がっていくとの事です。HAMMER BROSはここから始まった!(嘘)この時代のミニコミ文化の人の流れは面白いですね。
調べるために大谷能生氏のウェブサイトへ飛んでみたところ、なんと「エスプエッソ在庫発掘!No.8,No.9,No.10,No.11 が発売中!」との文字が。No.8とNo.10は既に売り切れになってしまっていたため、No.9とNo.11を購入。
内容はこのようなラインナップ。
特集「ポスト・マン・ロック」インタビュー:岸田繁(くるり)、クリストフ・シャルル、WrK、サンガツ、スモール・サイズ・ペンドルトン、ブレント・グッツァイト、Sachiko M / 論考:「音楽における具象と抽象3」(大谷)、リスニング・プロセスの設計2(赤坂)/ その他、全204頁
エスプレッソ11号(最終号) 2002年発行 主な目次:特集「アウトドア・インフォメーション」(cubic music,uplin factory,minamo,Tim Barnes,offsite,吉祥寺東風)/特集「ギタリスト・ギャザリング」(角田亜人&宇波拓、大島輝之、村岡充、土岐拓未インタビュー、嵐直之寄稿)/大友良英の記譜作品 / 小泉篤宏(サンガツ)×大和田洋平(エスプレッソ)往復書簡 / 「ovalprocess:」座談会 / これは貧しい! 座談会再び /岸野雄一インタビュー その他 全200頁
内容に関しては届いてからじっくり書こうかしら。
ちなみに前述のガバ/ハードコアミニコミの裏口入学はこのサイトでPDF化されたものを見ることが出来る。PDFだけじゃなく解説もついていて面白いです。
「PEPPER SHOP」
DTPの普及でデザインバリバリ&中身スカスカのミニコミが増加した93年、インタビュー中心で読み応えたっぷりだったペッパーショップのオタクセンスは極めて異質だった。翌年にフリーペーパーから雑誌形式になったが、三号は雑誌ではなく、展覧会!という行為の真意は謎。村上隆の連載「マンガ道場」もあり。スーパーフラットの萌芽はここにあった?
1993〜1996年ごろまで作られていた模様。またPEPPER SHOPとは発行人であり、水中ニーソで有名な映像作家として活躍する古賀学のデザイナーとしての名義でもあるため、彼自身とほぼ同義の言葉であり、PEPPER SHOPをまず雑誌として定義するかも曖昧である。調べてみると、彼のウェブサイトで発行されていたぶんはPDF化されて誰にでも観れるようアーカイヴ化されていた。めちゃくちゃ面白そう。僕もあとでじっくりと読もう。
Pepper Shop/ペッパーショップ » archives 1993-1996
また去年、雑誌としてのPAPPER SHOPも再起動された模様で大きく取り上げられていたようだ。(僕は気付いていませんでした・・・読みたい)
「水中ニーソ」の古賀学、フリーペーパー『PEPPER SHOP』を8/30にリリース | 2.5D
「MARY PALM」
マニアックな英国インディーがマニアック以外の理由で消費され初めた90年代初頭、渋谷ノアビル5階(バファアウト編集部もクルーエルもHAMスタジオも同フロアにあった)のレコ屋・ ZESTの店員だった現エスカレーター・レコーズの仲真史が編集していたファンジン。仲☓滝見☓小田山の鼎談「ラヴパレードでぶっとばせ」は渋谷系前夜の最重要文献。
現BIG LOVEの店長である仲さんが若かりし頃に作っていたZINEがこちら。渋谷系との仲さんの関わりを先日発売された若杉実氏の著作「渋谷系」で初めて知った僕にはカヒミ・カリィや小山田圭吾と知り合いだったこともビックリでした。
このファンジンから始まって、仲さんはa trumpet trumpet labelというレーベルを経営していた模様。中身は当時行われていたイベント「love parade」でかけてる曲や、各著名人による原稿、favourite marineやbridgeのインタビューやvenus peterのアンケートやネオアコ特集、パッパラ特集などなどバラエティーに富んだ内容であったようだ。今でも読みたい・・・そういやこないだ仲さんがこのとき以来に作ったzineも買い逃してしまったので全然、僕はダメです。
件のラヴパレードをぶっとばせ!のページ
カヒミ・カリィの連載ページ
「Dictionary」
現在も発刊されている、クラブキング編集のフリーペーパー。日本にDJ/クラブ文化がようやく根付き始めたかもしれない88年に、既に「選曲家」を最重要していた先見性は流石ニューウェーブのドン。スタイルは岡本仁時代の『remix』も踏襲した。判型は何度も変わっているが、置き場所に困る初期のデカいサイズが好き。
日本初のクラブ・カルチャー情報誌としてスタート以後、日本を代表するフリーペーパーとして人気を博したのが、この雑誌。現在でもウェブで活動中の模様。だがしかし全然シェアされていないなど、かなり謎が多い。
クラブキングはこの雑誌の発行元だったのだが現在ではスペースやオンラインストアも経営しており、また雑誌も変わらず発行しているようですが、如何せんまとまった最新情報が載っているページが存在しなく、メディアにニュースとして載っているだけ。そんな全貌が掴めないなんてことがあるのか?
①の冒頭に書いたように、この20冊はスタジオボイスの2006年12月号の90年代カルチャー完全マニュアルを参考、または引用しながら書かせていただいた。あの雑誌がない!みたいな意見を多くいただいたが、それはもともと参考とした資料に記載されていないためである。如何せん90年代をリアルタイムで体験していないため、参考資料なく、90年代の雑誌を振り返るのは難しい。引用元の記事をもともと書いてらっしゃった、土佐有明さんやばるぼらさんにtwitterで言及していただいて、本当に嬉しかったです。ありがとうございます。