Google Glassの失敗
Google Glassがなんでダメかって話。見た目がダサイとか、使えるアプリがないとか、プライバシーの懸念があるとか、音声認識が使いづらいとか、フレームにあるタッチパッドも使いづらいとか、画面のUIがまずいとか、バッテリーがもたないとか、重いとか、そもそも高すぎるとか、メガネ人間は度入りレンズを入れるのもコンタクトレンズするのも面倒だとか、色々言われてますけど、もっと根本的にダメだったんだよという話をします。
1)オフラインで使えない
Google Glassを自宅でセットアップして、とりあえずナビ機能でも試そうと、音声認識に四苦八苦しながら近所の駅までの道程を表示させたとします。向いてる方向によって地図が回転する〜などと感動しながら家を出ます。するとGoogle Glassが圏外になって、エラー表示になっちゃうわけです。
Glassは単独だと3G通信ができないし、GPSも内蔵されていないので、ずっとスマートフォンと通信していないと、ほとんどなにも表示できない。テザリングをしろ、常にネット環境下にいろ、とGoogleは言うわけです。でも、外出中ずっと?
スマートフォンに来たメールをちょっとGlassで確認したいじゃないですか。ある俳優の名前が出てこないから出演作でちょっと検索してWikipediaを見たいじゃないですか。ジョギングしながら走行距離を確認したいじゃないですか。綺麗な夕日をGlassで撮影してその場でアップロードしたいじゃないですか。全部テザリングが必要なわけです。あるいはWiFi環境下にいるか。そしてポケットにいるスマートフォンがどんどん熱くなって死ぬ。
もちろん、テザリングをまめにオンオフしたり、モバイルルーターやモバイルバッテリーを持ち歩いてもいいわけですけど。あ、カメラは広角で画質もなかなかなので、ウェアラブルカメラとしては便利です。
2)スマートフォンを手放せない
つまり、Google Glassを使うにはスマートフォンが常に欠かせないわけです。スマートフォンの代替にはならないし、補完になるかさえ怪しい。
たとえば、スマートフォンに届く通知は本来そのままGlassに表示して、これは後回しでいいやとか、これは今アクションしようとか切り分けたいじゃないですか。このメールはフラグ立てて、このメールはゴミ箱に、みたいな。でもGoogle Glassは、テザリングで繋がってたとしても、ごく最近のアップデートまでAndroidの通知との連携ができなかった。iPhoneとの通知連携は今も(公式には)できません。
昨今、多くのスマートウォッチは、この「こっちで通知確認できたらスマートフォンを見る回数が減りますよ」というのをウリにしてるけれど、Glassはそれができない / できなかった。iPhone連携は仕方ないとして、Androidとも連携が悪いのはどうにも不思議です。スマートフォンの基本的な操作を代替できるよう、たとえばGoogle Mapはオフラインでも使えるようキャッシュに対応すべきだったし、Gmail以外のメールにも対応すべきだった。
3)スマートフォンのほうが便利
Glassに対して多くの人が抱く期待・不安は「これで顔認識すれば名前を思い出せない人の名前も表示できるんじゃないの」とか「店の看板をスキャンして食べログの点数を出せないの」とか「カカロットの戦闘力は測れないの」とか、「いまここ」に情報を付与するような、いわゆる強化現実(AR)系のアプリケーションにあると思うのですが、そういうメガネらしいアプリはびっくりするくらい出てきませんでした。
そもそもGlassのディスプレイは視界の隅で見るようなデザインなので、視界に情報をオーバーレイするのは難しいというのはある。でも、テザリングすると近所の人気スポットがカード式に出てきます、みたいな話だったら、じゃあスマートフォンで見たほうが速いんじゃないの、ということになる。なんでセカイカメラはダメだったんだっけ、みたいな話と根っこは同じかもしれない。
ましてや小さなディスプレイを音声で操作するGlassに比べると、大きなディスプレイでタッチ操作でキーボード入力もできるスマートフォンのほうが、なんだかんだ便利ということになってしまう。
こうして考えると、Google Glassを殺したのは実はスマートフォンの急激な進化だったのかも、と思わないでもない。スマートフォンがあまりに便利で良く出来ているので、Google Glassもそれに依存したデザインになり、かといってスマートフォンを代替できる機能もなく、変な形のスマートフォンコンパニオンみたいなものになってしまった。
でも、Google Glassで一番解せないのはこれ:
4)アプリを気軽に追加できない
GlassはGoogle公式アプリのGlass Directoryというところから、専用のGlassアプリをダウンロードする形になってます。つまり、アプリを配布するにはGoogleの審査が必要で、Google認定アプリ以外は原則利用できない。
とはいえGlassも中身はAndroidなので、母艦PCにAndroid SDKを入れてadbであれこれすれば、野良アプリをsideloadできます。でも、わざわざやらないでしょう、普通。
Explorer Editionなどとわざわざ人柱を募っておいて、なんでこんなガチガチのエコシステムにしちゃったのかなあというのは、どうにも不思議です。もちろん「Glassにウィルスが混入、写真・音声を含めたライフログデータが流出」みたいな事件を防ぐ効果はあったのでしょうが、そのへんも折り込んでしまいつつ野良アプリ歓迎なデザインにしていれば、もっと無茶なアプリが飛び出てきて、誰も思いつかないような用途が生まれたのかも、と思わないでもないです。
逆に言えば、こうした制約を排せば、メガネ式ウェアラブル自体はまだ未来があるんではないかと、元ウェアラブル研究者のはしくれとしては、つい楽観的に思ってしまうわけです。
もっといえば、ユーザインタフェースそのものとか、外付けハードウェアのアドオンとか(Glassの操作があまりに煩わしいのでBluetoothリモコンがあればいいと思うことしばしば)、そういうところまで含めたオープンなエコシステムであれば、Glassも使う人は使い倒す、ギークアイテムにはなれたんじゃないかなと。実際、同じウェアラブルでも、Pebbleとかはそうやって成功しているわけで。
まあでも、そうは出来なかった理由も分かる気がします(個人の感想です)。