演出批判=嵐のリーダー批判 これをそのままにして本当によいのだろうか?
先の記事の考え方をさらに進めます。
”今まで松本さんに嵐の他のメンバーは逆らえず、だから演出も彼の好き放題でやってきた。
一部の嵐ファンの間ではこんな嘘とそれに基づく捏造誹謗中傷がまかり通ってきた。(特に嵐の大野さんのファンの一部は頑強にその嘘とそれに基づく捏造誹謗中傷を拡散してきた。)
このことを”嵐・15年目の涙と決意〜LIVE&ドキュメント〜”は否定した。
嵐の大野さんは自分のソロの長さは絶対に変えられないと言い、結局松本さんはそれに従わざるを得なかった。(A)
この場面を見れば嵐のリーダーは自分のやりたくないことはやりたくないと自分を貫く人だということがハッキリしたと思う。
つまりその権力は絶対で松本さんも逆らえないということ。
嵐のリーダー大野さんはやりたくなければやらない(B)。そこは梃でも動かない人。
つまり松本さんの演出が嫌なら彼は絶対にやることはない。
そのことを認められず自分たちの妄想美談をこれ以上拡散するのはいかがなものかと思う。
今までさんざん拡散してきた嘘と誹謗中傷をこの番組を機に改めるべきではないかと私は思います。”
つまり嵐の中での仕事上の力関係は上記の考え方でいけば 大野さん > 松本さん
これは(A)で証明できる。
では いわゆる ”マンネリセトリ”で演出を担っている松本さんが批判を受けているとして、つまりはその不満の中心であるらしい”マンネリセトリ問題” はどうしたら解決できるのか?
批判に基づく事情(つまりはメンバーあるいは演出者だけでその選曲が行われている、あるいはコンサートが作られているというあくまでも批判者側から見た考え)だけで考えれば
単純にこういうこと。
大野さんが ”こんなマンネリセトリではやりたくない” と演出を担うメンバーに指示すればよい。
ただそれだけのこと。こちらは (B)の考え を広げたものです。
つまりこれをしていないのは、リーダーの怠慢。つまりはグループのリーダーとして、ファンの声を聞かず、間違った方向に行っているメンバーを諌める愛情もない、それが嵐のリーダーなのだと言っているのと同じことということでもある。 (これは私が思っていることではありません。あくまでもマンネリセトリを演出している松本さんの全責任としている側の見方に基づいた考え方です。選曲については私は私で別な考え方でいます。選曲に関しては私は松本さんに落ち度がある訳でも大野さんが怠慢な訳でもないと思っている。あくまで嵐の今の過密なスケジュールと言ったマネジメントも含めた全体の問題だと選曲について私は思っています。)
したがって演出批判は同時に、嵐のリーダー批判である。
このことを同時に考える必要があると思う。
したがって。。
実はあの演出批判こそが 表向きは松本さん批判でありながらその実体は嵐のリーダー大野さん批判だということ。
このことを心に留めておく必要があると私は思います。
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