『風の歌を聴け』再々読〜「風の歌」とは何か? - 太陽がまぶしかったから
- 作者: 村上春樹
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2004/09/15
- メディア: 文庫
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村上春樹はエルサレム賞受賞スピーチにて、自身が小説を書く理由を以下のように述べている。
「高くて、固い壁があり、それにぶつかって壊れる卵があるとしたら、私は常に卵側に立ちます。
そう、どれほど壁が正しく、卵が間違っていたとしても、それでもなお私は卵の側に立ちます。
もし、小説家がいかなる理由があれ、壁の側に立って作品を書いたとしたら、いったいその作家にどれほどの値打ちがあるでしょう?
私が小説を書く理由は、ただひとつです。
個人の魂の尊厳を浮かび上がらせ、そこに光を当てるためです。
我々の魂がシステムに絡め取られ、貶められることのないように、常にそこに光を当て、警鐘を鳴らす、それこそが物語の役割です。私はそう信じています。
「卵」とは個人であり「壁」とは組織やシステムのことを指している。「風の歌を聴け」はそうした村上春樹の思想が特に色濃く表れている作品だと思う。
「でもね、よく考えてみろよ。条件はみんな同じなんだ。
故障した飛行機に乗り合わせたみたいにさ。もちろん運の強いのもいりゃ運の悪いものもいる。
タフなのもいりゃ弱いのもいる、金持ちもいりゃ貧乏人もいる。
だけどね、人並み外れた強さを持ったやつなんて誰もいないんだ。
みんな同じさ。何かを持ってるやつはいつか失くすんじゃないかとビクついてるし、何も持ってないやつは永遠に何も持てないんじゃないんじゃないかと心配してる。
みんな同じさ。
だから早くそれに気づいた人間がほんの少しでも強くなろうって努力するべきなんだ。振りをするだけでもいい。そうだろ? 強い人間なんてどこにも居やしない。強い振りのできる人間が居るだけさ。」
「ひとつ質問していいか?」
僕は肯いた。
「あんたは本当にそう信じてる?」
「ああ。」
鼠はしばらく黙りこんで、ビール・グラスをじっと眺めていた。
「嘘だと言ってくれないか?」
鼠は真剣にそう言った。
一般論として「あらゆる人間は弱い」のだと「僕」は「鼠」に対して言う。
だが、一般論では片づけられない「絶対的な弱さ」を拠り所にしていた「鼠」はその言葉に深く傷つく。
「一般的な弱さ」とは異質な、壊疽のように人間を腐らせていくどうしようもない「弱さ」を自身の中に感じていたからだ。
(⇒昼の光に夜の闇の深さがわかるものか)
誰しも思春期から青年期にかけて、自分の「弱さ」が気になることがある。
過酷な競争原理が支配している現代社会において、多くの人は、「弱さ」を持ってしまっている自分をなんとかして否定し、あるいは克服しようとあがく。
だが、実はその「弱さ」が各人の人間的な本質と深い関わりを持っているのではないだろうか。
ふと我に帰ると、「自分の弱さ」も自分のかけがえのない部分であることに気づくことがある。
人は生きていくために強力な存在なり、思想なり(すなわち壁)と同一化をはかって、自分の弱さの消去をはかる。
しかし、ある時、同一化をはかって背伸びしている自分を愛することができなくなっていることに気づく。たとえ弱くとも、ありのままの自分でいたい、というささやかな願いが芽生える。
それは弱さを持っている自分へのいわゆる「自己嫌悪」とは異質なものだ。
俺は俺の弱さが好きなんだよ。苦しさやつらさも好きだ。夏の光や風の匂い や蝉の声や、そんなものが好きなんだ。どうしようもなく好きなんだ。君と飲むビールや ...
(「羊をめぐる冒険」より引用)
「風の歌を聴け」はまさに、人間の持つ本質的な弱さ(卵)に光を当てることで、個人の魂がシステムに絡めとられないように警鐘を鳴らした物語なのである。