初代沖縄県知事:特別秘書官「県民に寄り添って」翁長氏に

毎日新聞 2014年11月17日 14時50分(最終更新 11月17日 14時52分)

屋良氏からの色紙を手に語る生前の大城さん=那覇市で2012年4月21日午後5時6分、佐藤敬一撮影
屋良氏からの色紙を手に語る生前の大城さん=那覇市で2012年4月21日午後5時6分、佐藤敬一撮影

 ◇11月10日に84歳で亡くなった大城盛三さん

 沖縄本土復帰後の初代県知事、屋良朝苗(やら・ちょうびょう)(1902〜97年)の特別秘書官を務めた大城盛三(せいぞう)さんが今月10日、84歳で亡くなった。病気療養中だった。大城さんは入院の前日、9月23日に那覇市の自宅で毎日新聞の取材に応じ、翁長雄志さん(64)にメッセージを託した。「政府でなく、県民に寄り添ってほしい」

 屋良さんは戦後の沖縄でいち早く本土復帰を唱えた復帰運動のリーダー。1968年、米軍による任命制だった「行政主席」を初めて選挙で決める主席公選で当選し、復帰1カ月後の第1回知事選で革新統一候補として出馬し当選。初代知事を務めた。

 大城さんは復帰前から、屋良さんをサポートし、二人三脚で基地返還の対米交渉に取り組んだ。大城さんにとって屋良さんは理想のリーダーだった。「屋良さんは政府やアメリカに逆らうことにまったく不安がなかったよ」

 主席公選では、屋良さんは基地全面撤去と即時本土復帰を主張。日米両政府の後押しを受けた対立候補は全面撤去と早期復帰に反対し、「(屋良さんが勝つと)昔のようにイモを食い、裸足で歩く生活に戻る」と主張した。

 今回の知事選も似た構図だった。米軍普天間飛行場(宜野湾市)の名護市辺野古への県内移設を進める政府と協調し、3選を目指した現職の仲井真弘多さん(75)の陣営は「政府と信頼関係を失うと不況が訪れる」と訴えた。「オール沖縄」を掲げた翁長さんは「沖縄だけに基地を押しつけるのは許せない」と辺野古移設に反対した。

 大城さんは翁長さんを屋良に重ね、声を振り絞った。「政府と協調しないと振興予算を取れず経済が冷え込むと考える人は多いが、そんなのはおかしい。沖縄のリーダーは県民に寄り添いなさい」

 大城さんは翁長さんに期日前投票で1票を託した後、息を引き取った。12日に営まれた告別式には、保守、革新を超えて県政界関係者が列をなした。当選した翁長さんは誓う。「大城先生に感謝し、本土から上から目線でいろいろ言われようと、めげずに『私たちが正しいんだ』と主張していきたい」【比嘉洋】

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