ボン兄タイムス

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テレビ界再生のカギは「金曜ロードショーのテロップに発狂するネット民を無視すること」にある

  日本テレビ金曜ロードSHOW!」をめぐり、匿名ネット上で炎上が発生している。

 バラエティ番組のようなセンスのネタバレテロップがベタベタと貼られたり、登場人物の解説がやたら喧しかったりして、映画に集中できないという批判が寄せられて、コラ画像祭りまで発生しているのだが。これはテレビ局側の改革に視聴者が追い付いていないという典型的なダサい事案だろう。

 

 そもそも「金曜ロードショー」と言う老舗の映画番組は2012年に終わっていて、現在放送されているのは後継番組の「金曜ロードSHOW!」だ。放送時間は同じだが、タイトルが変わり、中身の性質は異なっている。

 純粋な映画番組だった時代と異なり、単発スペシャルドラマも放送されるようになっているほか、リニューアル当初から一時期は人気子役だった加藤清史郎が見どころ紹介や感想を語るような試みもあった。2013年度からはバラエティ番組の放送も行われている。試行錯誤を繰り返して、単なる映画番組の次の在り方を模索しようとしているのだ。

 

 今回の炎上劇は、たとえるなら、商店街で長年低迷していた喫茶店が心機一転イタリア料理屋に改装オープンした最中に、中身が入れ替わっていることに気づかいていない老人が上がり込んで、お気に入りのメニューがなくなっていることに腹を立てて店員を詰問しているようなものである。

 別の店を開拓するという選択肢も浮かばない気難しい老人のワガママに答えれば、せっかくのリニューアルも台無しなわけで、そんなバカは無視して、新しい客を惹きつけるためのチャレンジをあれこれやっていた方が建設的なのだ。

 日本テレビは今年4月、アメリカのPPV最大手「Hulu」日本法人の運営会社になっている。Huluは月額制の課金登録を行うことで、国内外の映画がいくらでも見ることができるサービスだ。もしも「金曜ロードショー」が、ノンカットで映画の全編を毎週流し続ければ、Huluを利用する人は損を被ってしまう。運営会社としては稼げた方がいいわけで、金曜ロードショーの改革は不可避だったのだ。


 ちなみにこの金曜ロードショー騒動の影響で、テレビ朝日の「日曜洋画劇場」が映画「バイオハザード」2作をいっぺんに放送していることも匿名ネット界のひんしゅくを買っているようだが、見たければPPVで見ればいいだけの話である。

 日曜洋画劇場も試行錯誤をしている。1966年に土曜洋画劇場として放送開始した時は、「テレビで洋画を見ること」自体が特別なことだった。金曜ロードショー水野晴郎の解説がおなじみだったように、日曜洋画劇場淀川長治がガイド役だった。しかし淀川の死去後、マンネリ化が進み、放送時間が縮小させられたり、放送休止も相次いだ。2013年には放送枠がドラマやバラエティを放映する「日曜エンターテイメント」となり、その中での不定期の映画放映回として「日曜洋画劇場」は継続しているのだ。事情は金曜ロードショーとほとんど同じである。

http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/5/5c/Interior_of_Rental_video_shop_in_Japan.jpg/800px-Interior_of_Rental_video_shop_in_Japan.jpg?uselang=ja

 そもそも「地上波テレビで映画を見ること」にプレミア感のあった時代は昭和とともに終わっている。

 どんな僻地でもTSUTAYAやゲオがあり、セール中は100円で何作も好きな映画を選んで借りることができる。HuluのようなPPVであれば貸出中を気にする必要もない。

 けっして推奨されるべき手段ではないが映画全編を違法アップロードした動画を紹介するまとめブログもあって、そこには映画番組でも紹介されないようなマニアックな作品もいくらでもある。

 もしも「見たいものは特に決まってなくて、テレビ放送で勝手に流れる映画をだらだら見ることが楽しいのだ」というのなら、BS放送やCS放送の映画専門チャンネルだってあるわけで、いまどきJ:COMやスカパーに契約していない家庭なんてほとんどないだろう。

 おそらく水野晴郎金曜ロードショーを降板した1997年、日曜洋画劇場淀川長治が亡くなった1998年の時点で、「地上波テレビの映画番組」そのものが死んでいたのだと思う。昭和天皇崩御でテレビの通常番組が放送中止になった際には日本中のレンタル店が賑わったと言われていることから考えても、「惰性でどうにか続いていたことが力尽きた」感じだろう。都会の情報感度の早い人であれば1980年代の早い時期にレンタル店や衛星放送やケーブルテレビにつないでいて「映画館以外で映画を見る手段」を獲得しているはずだ。

 

 

 だが、不思議なことに匿名ネット上では映画番組の話題はやたらとバズりがちだ。

 2ちゃんねるおよびまとめサイトや、ツイッターのネット原住民のアカウントがムラ社会的感覚で作り上げるトレンドなどを中心とした界隈は、金曜ロードショージブリ作品などが放映されるたびにそれに絡んだネタや実況を書きこんで共有したガリ、ラピュタが放映されるたびに「バルス」と一斉につぶやいてサーバを落とすお家芸がある。

 テレビ業界の人間はカン違いしないでほしい。彼らはネット上で最も目につきやすいコミュニティであっても情報弱者なのである。

 平成生まれの若者であればそもそも「水野晴郎時代を懐かしむような馴れ合い」なんてできないはずであるわけで、感覚値的には30代~40代の男性の中でも偏った人種が多いように見える。今時ケーブルテレビや衛星放送にも契約せず、レンタル店に足を運ぶほどの行動力もない。情報源がテレビと「据え置き型パソコン」でつなぐインターネット(閲覧する先はまとめサイトみたいなものだけ)、といった感じだろうか。そのくせパソコン通信時代からこの手の環境を続けているというわけでなく、はじめて買ったパソコンのOSはウィンドウズmeやXPだったりする。

 日本の一般大衆の多メディア化が進めば進むほど、その視聴者環境の変化に合わせて無料のテレビ地上波放送の質は衰えるわけだが、この手の人種には「自分が子どもの頃にはインターネットがなく、テレビが国民的メディアだったこと」の記憶や未練があるため、たかが地上波の数チャンネルの番組の質低下の問題に躍起になり、「テレビ叩き」を匿名ネット上で共有し、しまいには放送局を取り囲むデモを起こすような勢いもあるのだ。

 

 匿名ネット原住民は閉鎖的、平面的で思考停止と感情ありきのワンパターンな馴れ合いに終始する自分たちを情報の優位層であるかのように考えていて、「世間一般の日本人はネットに疎い」と本気で勘違いしている。

 しかし電車に乗れば、老若男女みんなスマホを用いている。タブレット使いやラップトップパソコン使いもいるだろう。誠実そうなサラリーマンも、マダムも、ギャルも、小学生も、高齢者もみな画面を向いているのである。

 デジタル生活に順応し、テレビ離れをしたのは、ネット原住民ではなく、この一般大衆たちなのだ。早い人ならWindows95やimodeの普及した1990年代当時にはこの粋に到達していたわけだが、SNSや動画サイトが誕生した2000年代半ばには誰もがこの粋に到達した。彼らはニュースアプリを用いたり、自身のSNSのタイムラインやウォール上で匿名ネットが話題にしたまとめ記事をたまに見ることはあっても、この空間に没頭することはなく、ネット原住民ほど地上波テレビを観ていない。テレビを観る暇があるなら友だちとライブなり外食なりに行って遊んでいるだろう。

 

 このように、空気のように当たり前にデジタル環境が存在している現代にあるべきテレビ業界の再生の形としては「金曜ロードショーのテロップ」は正しい選択肢なのである。

 匿名ネットで原住民が狼狽を繰り広げても、テレビ局はガン無視した方がいい。どうせ視聴率にもならないし、内向的で行動力もない人間たちは幾らCMを流したところでスポンサー企業の商品を買ってくれることも期待できないし、そもそも可処分所得があればテレビとネットに固執する情弱なわけがない。

 

 

 新しい常識が世の中に登場すると、常に旧世代は反発するものだ。明治の終わり、電気の普及によってランプが廃れて、ランプ屋の老人が反発した物語である新見南吉の「おぢいさんのランプ」と同じことである。

 まだ2ch以外にネット上でのまとまった世論めいたものが見える空間のなかったホリエモン騒動当時であれば、テレビ界こそランプと同じレガシーメディアであった。 しかし今のテレビ局は、自助努力による改革を模索している。変わっていないのは匿名ネットに屯す原住民たちだけだ。

 彼らがたかがテレビ番組にすぎない金曜ロードショーに不満の声をぶつけて騒いでいる様子は、泣きじゃくりながら石を投げてランプを叩き割っている老人とまるでそっくりに見える。