終身雇用を望む若者と、身軽になりたい企業の綱引きが始まっている?(写真:KAORU / Imasia)
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終身雇用と年功序列は、日本企業の古くからの人事政策。ただし、時代とともに維持することが難しくなり、崩壊しかかっている……という認識が今は通常かもしれません。今回はその終身雇用を題材に日本企業の取り組みを取材してみたところ、興味深い動きが見えてきました。決して、終身雇用が復活しているといった話ではありません。そうではなくて、
《戦略的な終身雇用の廃止》
がじわじわと加速しているのです。
差し迫っての取り組みとまではいかないものの、中長期的に会社および組織の「あるべき姿」を考えて終身雇用をやめていく傾向にあります。どうして、そのような判断をする会社が増えているのか? みなさんと考えてみたいと思います。
■ 安定雇用するだけの業績拡大は、今後、見込みにくい?
そもそも終身雇用とは、企業が社員の入社から定年までの長期間について雇用する制度。長期的な雇用の約束が社員の忠誠心を高める一方、意欲的な社員からすれば
「安定志向の社員ばかりで刺激が少ない」
という不満を抱く傾向があります。
大企業では終身雇用を前提に新卒採用で優秀な人材を確保して、出世競争はあるものの、誰もが定年まで勤務できるポストを準備して、その社員に対して給与を十分に払えるだけの業績拡大を続けてきました。
この採用システムが日本企業を支えてきたのは事実。先日、取材した食品製造業の会社では人材確保は新卒採用のみ。さらに入社した社員の8割以上が定年まで勤務するとのこと。こうした、終身雇用が継続している会社は大企業が中心ではありますが、歴史の長い製造業では中小企業でも維持しているケースはたくさんあります。ただ、これからも終身雇用を続けるのか? と質問をぶつけると「難しいかもしれない」という回答が返ってきます。
ここで、日本企業の終身雇用の歴史を振り返ってみましょう。終身雇用の歴史は意外と浅く、昭和に入ってからであり、本格的普及は戦後のこと。それまでは手に職を持つ職人の時代。職人は若い頃には高い技術を持つ親方につき、自身の技術を高めて最終的には独り立ちする。腕がよければ報酬も高いという、いわゆる能力給のシンプルな社会構造に属していたのです。
商人も同様。まず丁稚奉公から店に入り、商売のイロハを少しずつ学び、人脈を広げ、出世していく流れでした。終身雇用なんて存在していなかったのです。
ところが、産業革命で官営会社、国策会社などの大規模な企業が登場して状況は変わりました。大量生産のために大量の人材が必要になり、売り手市場が常態化。せっかく手間と時間をかけて育成した工員や鉱員が、賃金の高い職場を求め他社へ簡単に移ってしまうということが、当たり前の状況になりました。
これに頭を悩めた経営者は、社会保障と福利厚生に着目。当時は国による支援がなく、ひとたび事故や病気に見舞われれば、労働者は生活の糧を失い、路頭に迷う状況でした。経営者は自社の福利厚生などが他社より充実していることや、長く安心して勤められるということを強調し、技術労働者の安易な離職を防ごうとした……これが、終身雇用制の始まりです。
■ 「万策尽きてのリストラ」から「日常的リストラ」へ
さて、そんな終身雇用を謳歌したのは団塊の世代前後まで。その後、景気低迷が続く中で、それが悪しき慣習であるかのような風潮が強まり、
《2000名の早期退職募集》
といった経営判断(リストラ)をする会社が増え続けました。新卒で終身雇用を前提に入社した社員たちで、早期退職の対象者として肩たたきされた人は「裏切られた」と思ったことでしょう。こうした報道が頻繁に登場したのは、バブル崩壊して数年が経過した1990年代前半あたりであったと記憶しています。
あれから早期退職、リストラという言葉にも誰もが慣れて、終身雇用の崩壊は着実に進んでいるようにも思えます。ただ、あくまでリストラを行い、終身雇用にメスを入れたのは業績がどうしようもなく厳しい企業ばかりでした。
「3年続けて赤字に転落して、もはやリストラしか手がない」
と万策尽きての手段だったのです。可能なかぎり雇用は守りたいとの前提で、「致し方なし」というタイミングまで終身雇用を壊したくないと考える経営陣が多かったからでしょう。
ところが、状況は変わりました。戦略的に終身雇用をやめ、同時に大胆なリストラに取り組む会社が出てきています。
2014/11/17 12:00 更新
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