さっぽろの老舗「中川ライター店」。
札幌市中央区には
狸小路(たぬきこうじ)というアーケードがあります。
1869(明治2)年、明治政府が「北海道開拓使」を札幌に置いた頃、現在の狸小路2丁目・3丁目あたりに商家や飲食店が建ち並び始めました。
明治6年頃に、その一角が「狸小路」と呼ばれるようになりました。 (HPより)
1丁目から7丁目まで
真っ直ぐ続いています。
1丁目から7丁目の東西総延長約900m、南北面に店舗が並ぶ狸小路商店街。建ち並ぶお店をブラブラ眺めながら歩いているだけでも、あっという間に1〜7丁目間を歩けます。アーケードがあるので、足下が滑りやすい冬でも安心して歩けます。午前10時〜午後8時までは、車も通らないので、お子さま連れの方も安心。さまざまな店舗が並んでいますが、アーケード内に面した店ばかり見ていたら、掘り出し物を見落としますよ。目線を上にすると2階にも、下にすると地下にもお店はあります。創業60年の老舗からできたてホヤホヤのおしゃれなショップまで、味わい深く融合しているのが狸小路商店街です。
(HPより) 幼い頃から何度も通ったこのアーケードには
昔からずっと続く老舗も多く残っています。
この「中川ライター店」もそのひとつ。
明治35年創業の老舗です。
なんと言っても、札幌には江戸期から続く老舗は存在しませんので
これはかなりの老舗の方と言えるでしょう。
(函館・松前方面には数百年の歴史があります。
さっぽろあたりは新しいのです。)
函館
1454年ごろ 河野政通が宇須岸(うすけし、元はアイヌ語で湾の端を意味するウショロケシ)と呼ばれていた漁村に館を築く。この館が箱の形に似ているところから「箱館」と呼ばれることになった。 江戸時代に高田屋嘉兵衛が箱館を拠点にした。蝦夷地交易の場として栄え、松前藩の役所が置かれた。蝦夷地が天領となると幕府の奉行所が置かれた。 (wikipediaより)
松前藩
松前氏ははじめ蠣崎氏を名乗り、室町時代に甲斐源氏・若狭武田氏の子孫とされる武田信広が現在の渡島半島の南部に支配を確立したという(『新羅之記録』)。豊臣秀吉に臣従し、慶長4年(1599年)に徳川家康に服して蝦夷地に対する支配権を認められた。江戸初期には蝦夷島主として客臣扱いであったが、五代征夷大将軍徳川綱吉の頃に交代寄合に列して旗本待遇になる。さらに、享保4年(1719年)より1万石格の柳間詰めの大名となる。(wikipediaより)
ここは、さっぽろで育った子供たちにとっては
ちょっと憧れのおもちゃ屋さん。
小学校のころ、一時プラモデルに凝ったわたしも
ここにお買い物に来ていました。
そして、それから数十年経った今も
ここに姿を変えずにそのまま存在しています!!
なんてこと・・。
懐かしいけれど
あの当時のままなんです。
映画「ALWAYS三丁目の夕日」のセットに使えそうじゃないですか!
今となっては、入るのが躊躇われるような?
雑然とし過ぎる店構え。
ちょっと怖い。
でも、懐かしい。
お年頃になると
もう狸小路は歩きたくない・・。
そんなレトロで垢抜けないアーケードが、狸小路。
でも、21世紀の若者には
何故か結構人気みたい。
フルすぎるのが新しい??のでしょうか。
今となっては
この先に用事がないと歩かない。
そんな場所になってしまいました。
平成13年2月14日に「松山中央商店街連合会(愛媛県松山市)」と〝狸”が取り持つ縁で姉妹商店街の覚書を取交しました。
(HPより)←この記事を書くに当たって、初めて知りました。
最後に
札幌
日本最北の政令指定都市で、全国の市で4番目の人口を有する北海道の政治・経済の中心的都市。北海道庁所在地。江戸時代、松前藩によって開かれた石狩十三場所のうち五場所が集中し、幕末ころまでは蝦夷(アイヌ)との交易が行われる土地であったが、明治時代に置かれた北海道開拓使によって、京都あるいは、アメリカ合衆国のタウンシップ制[1]をモデルとした碁盤目状の計画都市として本格的に開発された。1972年の札幌オリンピック開催を機に観光都としても世界的に知られるようになった。
香港とほぼ同じ面積を持ち、周辺に江別市、北広島市、石狩市などのベッドタウンを擁し札幌都市圏を形成する。ただし開拓による市街地という歴史上、実際はほぼ札幌市内自己完結となっており、札幌都市圏の人口も札幌市がほぼ8割を占めている。そのため札幌市(中心部)への流動も札幌市外からより札幌市内郊外からが圧倒的で、地方中枢都市では珍しく昼間人口と夜間人口があまり変動しない。市の中心部には地下街が発達し、札幌駅前・大通周辺のショッピングエリアには近郊の都市からも人が集まる。その経済圏(道央圏[リンク切れ])の人口は340万人におよぶ。(wikipediaより)
さっぽろが香港と同じ面積!
知らなかった!!
たまに自分のふるさとのこと
記事にすると、学ぶ事が多いですね。
おしまい。 |
この記事に
コメント(10) ※投稿されたコメントはブログ開設者の承認後に公開されます。
狸小路。。。懐かしいです
34年前だったかな^^
泊まったホテルが近かったので、ホテルの方にうかがって
居酒屋さん?炉辺焼きだったかなにいきました
面白い地名だったので今でも覚えています
自分の住んでいる町を調べるのって面白いですね
たくさんの発見があります
ポチ
2011/4/22(金) 午前 9:06 <<コメントに返信する
むかーーし男友達に連れられて入った記憶が在ります +..。゚+.(*´∀`)・・+..。゚+.
新しいお店が増えていく中でも、昔ながらのお店が残っているのは良いですね☆
創成川公園が出来るので又色々復活するのかな?と思います。
2011/4/22(金) 午前 10:59 <<コメントに返信する
今じゃレトロ新しい〜〜〜???
こんなお店が残ってるのって嬉Pざますよね☆
ウチの子絶対好きだわ〜〜〜!!!
2011/4/22(金) 午後 2:04 [ ] <<コメントに返信する
今日は北海道の歴史について知識を深めることが出来ました。
おしゃれな街・札幌、私の中ではパリのような雰囲気を感じています。
狸小路、いかにも楽しそうな商店街の名前ですね。
函館もエキゾチックな港町ですよね!元気なうちに一度は訪れたいです!ぽち
2011/4/22(金) 午後 3:20 <<コメントに返信する
あーちゃんさん
3、4年前??じゃなくて34年前ですか!!
では、若い私とすれ違っていたかも^^
「狸小路」だなんて、地元の人には当たり前の名前ですが、観光客の方にはちょっとビックリかも知れませんね。
近くで育っても意外と知らないことが多くって、今回の記事は勉強になりました♪
ぽち、ありがとうございます。
2011/4/25(月) 午前 7:54 <<コメントに返信する
MEGUちゃん
懐かしいでしょ^^
昔と何一つ変わらない、この店構えが風格させ感じますね。
創成川!!あの素晴らしい柳の並木はいずこへ〜〜〜〜。
通るたびに悲しくなります。。
でも、最近の札幌は、地下通路と言い、あちこち変化がありますね♪
2011/4/25(月) 午前 7:57 <<コメントに返信する
MINAさま
怪しげなオモチャ箱という感じです。
店の奥深く進入して行けば、一体どんなレトロな商品が遺されて(売れ残って??)いるのかしら〜。
息子さん、きっと喜びますよね^^
子供にはたまらない店構えです。
2011/4/25(月) 午前 7:59 <<コメントに返信する
花子さん
少し観光案内になったでしょうか?
パリですか^^エッフェル塔を地味にしたテレビ塔がシンボルですが、あとは「??」ですね^^
でも、わたしにとってはどちらも大好きな街です♪
函館ももちろん素晴らしく魅力的です!小樽も帯広も!!富良野もサロベツ原野も、どこも見て欲しいです。
オススメがたくさんありすぎて困ります^^
ぽち、ありがとうございます。
2011/4/25(月) 午前 8:04 <<コメントに返信する
最初、タイトルだけ見て、
たむたむさんが記事にするくらいだから
高級ライター店なのかと想像してしまいました。
「ライター、ラジコン、プラモ」という看板にびっくりしました!
2011/4/28(木) 午前 0:38 <<コメントに返信する
みるくさん
そんなわけありません^^
ここは、きっとライター店だったけれど、おもちゃが主流になってしまった・・みたいなお店だと思います。とにかく雑然としています。
プラモ少女だったので、ここへ行くと嬉しかった思い出がありますよ^^
2011/4/28(木) 午後 0:49 <<コメントに返信する