ニュース閲読体験の変革/試論:タイムラインの次にくるもの

モバイル OS の変化、モバイルをさらに拡張するウェアラブル分野の勃興。
ニュースの閲読体験の未来とはどのようなものか?
新たな視点を踏まえた試論を提示する

ニュースコンテンツを閲読するスタイルの変化が進行しています。
もちろん、その大きな駆動要素はモバイルです。
モバイルは、消費者の細切れな“時間”を活性化します。これは、コンテンツの提供者にとっては、中期的な市場の拡大を意味するはずです。
つまり、モバイルは消費者の時間消費の潮目を変えようとしているのです。

同時に、モバイルがもたらす別の影響も見逃せません。
モバイル化の影響は、ニュースを時間だけでなく、物理的にも細切れにする作用をもたらします。
すなわち、小さなスクリーンでひとまとまりのコンテンツを消費するための、最適なニュース形式を次に生み出す可能性があるのです。

ニュースの閲読体験に大きな影響をもたらしているのは、モバイルだけではありません。
もうひとつの大きな駆動要素に、ソーシャルメディアがあります。
ソーシャルメディアが、ニュースの閲読体験に及ぼす影響は明瞭でしょう。Facebook や Twitter のタイムラインを通じて届けられるニュースコンテンツに触れるだけで満腹感を覚える時代です。
ここで重要なことは、ソーシャルメディアを通じて届けられるニュースは、もはや当該コンテンツを生み出したメディアへの帰属性が希薄化されて、単独の話題となってしまっていることです。つまり、多くの消費者は“ニュースのキュレーション”体験に慣れ親しんでいるというわけです。

さて、本稿の首題に移りましょう。

これまで論じてきたように、モバイル環境に最適化した数々のニュースアプリと、いくつかの主要なソーシャルメディアが駆動するニュース閲読体験に加えて、さらに新たな変動要素が台頭しているのです。
それは、スマートフォンプラットフォームそのものです。
いいかえれば、Apple と Google です。
この第三のプレーヤーであるプラットフォーマーのアプローチがもたらすニュース閲読体験の変革をめぐって、同時多発的に複数の考察が生じています。まず、先にそれらを紹介しましょう。

  1. Dan Shanoff「Wearables could make the “glance” a new subatomic unit of news(ウェアラブルは、ニュースをさらに細分化し“チラ見”化を促進する)」
  2. Paul Adams「The End Of Apps As We Know Them(私たちが知っているようなアプリの終焉)」
  3. Jeffrey Hammond「Consumer Engagement Is Shifting Toward Micro Moments(コンシューマとのきずなづくりは、“マイクロモーメント”へシフトしていく)」
  4. Matt Asay「2015年のモバイルアプリ開発に関する8つの予言

1.の Shanoff 氏の論点は明瞭です。それはスマートフォンの提供者であるApple、Google がいずれもポスト・スマートフォン、つまりウェアラブル製品を提供しようとしていることがポイントです。ニュース閲読体験にとってスマートフォンが最小のニュースフォーマットを提供すると考えられていたモバイル分野に、さらに小型で、かつ、多様性のあるプラットフォームが接ぎ木されていくことになりました。これがコンテンツのフォーマットまで変革するという視点です。

調査会社 Forrester Research のアナリストの Hammond 氏は、3.の論で、このように、コンテンツ体験がさらにマイクロ化されていく動きを“マイクロモーメント”(ミクロの瞬間)と呼びます。
取り上げられるのは Android が先行し、iOS も最近になって追随した“ウィジェット”機能です。このウィジェットや通知センターが、単体のアプリの前面に立って、ニュースを届けるマイクロメッセンジャーとなろうとしている点、そして、ウェアラブルの意義を論じます。
Hammond 氏および Asay 氏の論は、消費者の連続する行動の中で大きな消費時間を確保するのが難しくなる一方で、短時間ながら数多く生じる消費時間の統合に注目すべきであると述べています。

2.の Adams 氏の論はこれらの技術トレンドを前提に、モバイルをめぐるニュース閲読体験をリードするデザインアーキテクチャを整理します。
Adams 氏の論は総合的なもので、図解も多く、また、いくつもの注目すべき論点を含んでおり、ぜひ通読したいものです。

Paul Adams「The End Of Apps As We Know Them(私たちが知っているようなアプリの終焉)」より

Paul Adams「The End Of Apps As We Know Them(私たちが知っているようなアプリの終焉)」より

特に Adams 氏の論で精彩を放っているのが、よりマイクロモーメントに最適化したニュースのフォーマットに「カード」を挙げている点です。
これまでは、デバイスが PC サイズからスマートフォンサイズへと遷移する中で、一貫したニュース閲読体験を提供できるフォーマットは、Twitter らを原点とするタイムライン形式と見なされてきました。

けれど、ニュースの主要な伝達手段が、アプリから通知センターやウィジェット、そしてウェアラブルにまで縮小していくとなると、もはや巻物のようなタイムラインでも、不自由です。コンテンツ全体を見通しにくさが障害となることは目に見えています。

Adams 氏がヒントとして扱うのが、Android 5.0(Lollipop)の通知機能です。同機能はこれまでの情報のタイトル表示から、それぞれのコンテンツをカード(短冊のような形式)化し、そのカードの束としてユーザーに提供します。同氏はこのカード化したフォーマットがスマートフォンからウェアラブルにまで拡張可能な形式として、デザインアーキテクチャを構想しているのです。

Shanoff 氏の論に戻れば、今後、ニュースコンテンツの本体は、カードを最大に広げて見れば全文が読めるにせよ、ユーザーによるニュース閲読体験の第一義は、カードのインデックス部分、すなわちタイトル(見出し)とリード部分へと移り変わっていくというわけです。
それが極小化されたニュース閲読体験である“Glance Journalizm(ちら見ジャーナリズム)”を生み出すかもしれません。

モバイルとソーシャルに突き動かされてきたニュース閲読体験は、新たな段階を予感させるところにまできているのです。(この項未完)

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