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ごーみ

「生きる」とは「継続する」こと


退職して365日目で共著が出たのでブログ遍歴を振り返ってみる - ぐるりみち。



仕事を辞める理由なんて実はどうでもいいことだと僕は思っている。

僕も新卒の頃に入った会社を1年足らずで辞めた。でも結局は別の会社に就職して働き続けている。
人は誰しも仕事を辞めるときは、これでもかというくらいに自分の職場のクソなところ、変なところ、悪いところが頭に浮かんできて、それを列挙したくなるものだ。
おそらく思考に過剰なバイアスがかかっているのだろうが、そういうものなのだ。
嫌なものは嫌だし、やりたくないことはやりたくない。仕事を辞めるのにそれ以上の理由はいらないと思う。

重要なのは、問題の根本は、それで「食っていけるのか」ってこと。
いろんなブログを見ていると、「仕事を辞めました(かつ次の仕事は未定)」という人をよく目にするのだけれど、僕がいつも思うのは、「この人たちどうやって食ってるの?」ってこと。

一部の人を除いて、ほとんどの庶民は飯を食うために、生活の糧を得るために働いている。
この世には、毎日罵られながらも、不本意だと感じながらも、あるいは心や体を病みながらも、生活するために働いている人がうんざりするくらいいるのだ。

誤解を招かないために言っておきたいのだが、僕は「こんなに苦労しながらも働いている人が大勢いるのになぜお前らは働かないのか」という説教がしたいんじゃない。
ただ、単純に「無職の人たち」が、いったいどうやって生活しているのか、とても気になるのだ。

人は生きているだけで金がかかる。食費・・住居費・・住民税・・・、健康保険料・・・、国民年金・・・、今こうしてブログを書いているのだって、月々プロバイダーに金を支払っているからできることだ。

この人たちは、そうした金をいったいどこから捻出しているのか。

仮に金融資産を数千万~数億円持っているとかであれば、堅いポートフォリオを組めば配当金だけで質素に食っていけるので、働かずにのんべんだらりと生きるっていう手もあるんだろうけれど、「入社して1年ちょいで辞めました」みたいな人がそんな資産を持ってるはずもない。

では、何か仕事を探しているのかというと、そういうわけでもない。
この人たちはどうやって飯を食ってるんだろう。

蓄えた貯金を切り崩して生活をしているのだろうか?では貯金が無くなったらどうするのか。しぶしぶ仕事を探しはじめるのだろうか。来るべき時が来たら働かなければならないのだとしたら結局、単なる現実逃避、問題の先送りでしかない。

あるいは、ブログの広告収入で暮らしていこうということなのか?数千円~数万円の小遣いに毛が生えたような金でいったい何ができるというのか。
それとも親に養ってもらっているのだろうか。では、親が死んだらどうするのか。親や国に経済的に依存していては選択肢は狭まるばかりで結局自由にはなれない。

ブログを書いて、人から評価される、賞賛される、褒められる、それ自体は素晴らしいことだと思う。
だが、それで生活し続けていけるかどうかはまったく別の話だと思う。
生きることは「継続する」ということだ。「継続する」というのは日々飯を食うことであり、毎日雨風しのげる場所で眠るということであり、毎月税を納めるということであり、そのために必要な金を得続けるということだ。

働かずして、それを実現することは難しい。

辞めた仕事は将来性が無かったとのことだけど、では今のあなたのその状態でどのような将来がもたらされるというのだろうか。
その根無し草のような生活を続けることで、どのような未来を思い描いているのか、ぜひとも聞いてみたい。
そう思った。