自分がボカロに飽きた、というより距離を置くようになった原因について、「興味は人それぞれ」で片付けないという縛りでつらつら考えてみる。
ちなみに結論は最後の一文なので、そこまですっ飛ばしても問題ない。
ちなみに結論は最後の一文なので、そこまですっ飛ばしても問題ない。
これまでは一番の理由と思っていたのは「嫌いなカゲロウデイズが流行ってフォロアーのボカロP・ボカロ曲がうじゃうじゃ沸いてるのを見ていられなかったから」と思っていた。
実際、自分の嫌いなものが流行るのは見ていて不愉快だし、ひょっとして良さが分からない自分が間違っているのではとまで考えてしまうのでやはり嫌な気持ちになるのだが、嫌いなものは無視すれば済むからちょっと違う。
むしろそれよりは「カゲプロ嫌いな自分を発信しなければならないという責任感」、転じて「カゲプロ嫌いな自分を発信することがこのアカウントにとって最も自然な形」と判断し、でもそれをする気力がないという事に矛盾を感じてしまった、と言った方が近いだろう。自分、というより自分のTwitterアカウントには「立ち位置」がある。ボカロクラスタという広い意味での立ち位置、その中でもどういうものが好きなのかという細分化された立ち位置。
自分はものを作らない。作曲も作詞もしないし、絵も描かない。小説も書かない。総じて創作をしない。でも発信することが出来る。そんな自分は何者か。そんな漠然とした疑問に答えてくれる概念があった。「聴き専」である。
かつては肩書欲しさに初音ミクWikiやニコニコ大百科を編集して「編集者」と名乗ろうともした。事実、それなりの回数・頻度で編集してきた。その活動が実を結んでか、雑誌のインタビューも受けた。 だが飽きた。情報を集めるモチベーションが自然鎮火してしまった。
編集を重ねるごとに肩の力が徐々に入っていき、それを適度に抜くことができなくなって息が詰まったんだろう。自分から肩書きを欲して、それに縛られてしまったのだから笑える。
そして、自分を一番強く縛る肩書きは「聴き専」だったんだろうと今になって思う。
聴き手とは本来自由な生き物である。音楽を聴くだけの行動に責任など生じるはずもない。
だがTwitterというツールと出会った。最初は「ryoさんとkzさんが会話してるww」と有名Pをウォッチする目的で登録しただけだった。自分から何かを発信する気は皆無だった。
しかしそこで「ボカロクラスタ」の萌芽と出会う。何人かの人と仲良くなる。リアル知人以外と繋がるなんて初めてだから盛り上がる。それはもう盛り上がる。
悲しいスキャンダルや腹の立つ出来事、思い出すのも恥ずかしい言動の数々もあったが、ものすごく楽しかった。
そして、作り手と会話を重ねるたびに「発信」への意欲が生まれる。
創ることは偉大だ。ただそれだけで価値を生む。創られたものだけでなく、創った人物にも価値を与える。
では創らない人間はどうだ。無価値なのか。断じて違う。しかし創る人間に見える「輝き」に匹敵する価値(アイデンティティ?)が自分にあるとは思えなかった。
そこでWikiや大百科の編集を始めた。間違いなくこれが最大のきっかけであり原動力だ。
主にニコニコ動画や作者サイト、ブログ、Twitterに散逸した情報を集め、その人物の紹介記事を作る。自分が主にボカロPや絵描きさん等の「人物」の記事を書いていたのは、Twitterに散らばってネットの海に放流されていく面白い情報を見て「もったいない」と感じていたことにも起因する。
感謝された。これまで負い目を感じていた創り手の人たちに、とても感謝された。嬉しかった。また書いた。また感謝された。なんて幸せなループだろう。ずっとこのまま続けばいい。創作と編集の幸福な循環。究極の自己愛。だがそれでいい。
そして自分は、創り手に匹敵する肩書きであるところの「編集者」を名乗ることにした。
「聴き専」という言葉が生まれたのは2011年頃だったか。もう少し前かもしれない。
情報を発信する、創り手じゃない人たちを概念化して分析しよう、という流れが生まれた。
ちょうど同じ頃、これまで空白地帯だった「批評」の気風を起こそうという人たちも現れた。
自分はこれを「創り手でない人たちが自ら進んで肩書きを与えた」と捉えた。
自分もこれに喜んで乗っかった。最初の批評同人誌に寄稿したりもした。
結局これも自己愛が最大のエネルギーだった。あくまでも自分にとっては。
しかし、この頃からすでにある種の「息苦しさ」を感じていた。
自分が何かを求められている、と感じるようになったのだろう。
実際にそうだったかはわからない。誰にもその問いかけをしなかったから。恥を忍んでするべきだったか?いや、出来なかったし、もししたとしても論点がちぐはぐでろくに議論にならなかっただろう。
肩書きとは名刺である。名刺とはつまり「自己主張」であり、同時に「自分への窓口」である。
自分が他人に期待するだけ、自分もまた他人に期待されるのではないか。
期待されること自体に胸踊らせているうちはいい。ではそれが自分に返せる限度を超えた場合は?
自分はそれに対する身構えができていなかった。そのため、自分のしたいことを見失った。
肩書きに見合った「するべきこと」が、本来自分が「したいこと」を上書きし、そして不幸にもその齟齬にすぐ感づいてしまい、しかし言語化できないため矛盾ばかりが膨れ上がり、筆を動かす手を止めてしまったのだ。
それでもレビューは続けた。しかし次第に出がらしになっていった。書くためのエネルギーが補給されない、されても書く方に回らないのだから当然である。
いつの間にか書かなくなった。Wikiや大百科の編集もやめた。情報を追うのに疲れた。それだけの責任すら負いたくなくなっていた。
情報を集めることにすら責任感が生じているだなんて◯◯◯◯としか言い様がない。空欄には各自好きな言葉を埋めるといい。だいたいそんな感じだ。
そして、ある日責任感の放棄を決意した。情報は集め続けるけど編集はしない。そのPの新しい情報が来ても記事を編集しない。そうすることで、本来の「音楽好きとしての自分」(ああこの書き方大嫌いだけど今はとてもしっくり来る)の趣味を満たしつつ、しかし情報を集めることを辞めないという立ち位置を手に入れた。手に入れようとした。
実際、CDリリース等の情報を集めるためのTweenタブに自分は頼りっきりになっていた。Twitterに流れてくるCDやアルバム関連のPOSTを眺め続けて、「即売会前日に突如新譜の頒布を宣言したPOST」等を逃さないためにも、Twitterに登録してからの数年間の積み重ねを捨てるのはあまりに惜しかった。一応購入欲だけは一端にあるのである。
こうして責任感を放棄し、肩書きの苦しみから解放された自分はめでたく音楽ライフを満喫するのでした。
めでたしめでたし。
とはならなかった。責任感は薄れたものの、消えることはなかった。
今では苦痛を伴うレベルではなくなったものの、後ろめたさは残り、そのたびに暗くなる。
まだ縛られている。このままボカロの情報網にしがみついているうちは、決して逃れられないのではないかとも思えてくる。
自分にまだ心理的な転機は訪れていない。きっと何か、パチーン!と弾ける衝撃が必要なのだろう。
あるいはこうして自分のわだかまりを可視化することが。
その転機を座して待ちながらしたためた、一切の推敲がなされていないこの駄文には一応の結論が用意されている。
自分の救えない性分についてはすでに散々書いたので、結論にはただ外的なものだけを書く。
ただひたすら「肩書き」、言い換えるなら「役割」を求め、自作自演の果てにあらゆる正のモチベーションを吐き尽くし負の靄を延々と飲み込み続けている現在の状況に至った、多くの人にとっては福音だったが、自分にとっては枷となったあの時。
自分以外にとっては果てしなくどうでもいい情報だが、自分にとってはここ数年のすべてであるこの暗い感情を詰め込んだ自己愛の塊であるこの長文の結論は。
自分がボカロを距離を置くようになった理由は、「聴き専」という層が可視化され、役割を演じることに囚われてキャパシティを超えてしまったことだったのだろう。
実際、自分の嫌いなものが流行るのは見ていて不愉快だし、ひょっとして良さが分からない自分が間違っているのではとまで考えてしまうのでやはり嫌な気持ちになるのだが、嫌いなものは無視すれば済むからちょっと違う。
むしろそれよりは「カゲプロ嫌いな自分を発信しなければならないという責任感」、転じて「カゲプロ嫌いな自分を発信することがこのアカウントにとって最も自然な形」と判断し、でもそれをする気力がないという事に矛盾を感じてしまった、と言った方が近いだろう。自分、というより自分のTwitterアカウントには「立ち位置」がある。ボカロクラスタという広い意味での立ち位置、その中でもどういうものが好きなのかという細分化された立ち位置。
自分はものを作らない。作曲も作詞もしないし、絵も描かない。小説も書かない。総じて創作をしない。でも発信することが出来る。そんな自分は何者か。そんな漠然とした疑問に答えてくれる概念があった。「聴き専」である。
かつては肩書欲しさに初音ミクWikiやニコニコ大百科を編集して「編集者」と名乗ろうともした。事実、それなりの回数・頻度で編集してきた。その活動が実を結んでか、雑誌のインタビューも受けた。 だが飽きた。情報を集めるモチベーションが自然鎮火してしまった。
編集を重ねるごとに肩の力が徐々に入っていき、それを適度に抜くことができなくなって息が詰まったんだろう。自分から肩書きを欲して、それに縛られてしまったのだから笑える。
そして、自分を一番強く縛る肩書きは「聴き専」だったんだろうと今になって思う。
聴き手とは本来自由な生き物である。音楽を聴くだけの行動に責任など生じるはずもない。
だがTwitterというツールと出会った。最初は「ryoさんとkzさんが会話してるww」と有名Pをウォッチする目的で登録しただけだった。自分から何かを発信する気は皆無だった。
しかしそこで「ボカロクラスタ」の萌芽と出会う。何人かの人と仲良くなる。リアル知人以外と繋がるなんて初めてだから盛り上がる。それはもう盛り上がる。
悲しいスキャンダルや腹の立つ出来事、思い出すのも恥ずかしい言動の数々もあったが、ものすごく楽しかった。
そして、作り手と会話を重ねるたびに「発信」への意欲が生まれる。
創ることは偉大だ。ただそれだけで価値を生む。創られたものだけでなく、創った人物にも価値を与える。
では創らない人間はどうだ。無価値なのか。断じて違う。しかし創る人間に見える「輝き」に匹敵する価値(アイデンティティ?)が自分にあるとは思えなかった。
そこでWikiや大百科の編集を始めた。間違いなくこれが最大のきっかけであり原動力だ。
主にニコニコ動画や作者サイト、ブログ、Twitterに散逸した情報を集め、その人物の紹介記事を作る。自分が主にボカロPや絵描きさん等の「人物」の記事を書いていたのは、Twitterに散らばってネットの海に放流されていく面白い情報を見て「もったいない」と感じていたことにも起因する。
感謝された。これまで負い目を感じていた創り手の人たちに、とても感謝された。嬉しかった。また書いた。また感謝された。なんて幸せなループだろう。ずっとこのまま続けばいい。創作と編集の幸福な循環。究極の自己愛。だがそれでいい。
そして自分は、創り手に匹敵する肩書きであるところの「編集者」を名乗ることにした。
「聴き専」という言葉が生まれたのは2011年頃だったか。もう少し前かもしれない。
情報を発信する、創り手じゃない人たちを概念化して分析しよう、という流れが生まれた。
ちょうど同じ頃、これまで空白地帯だった「批評」の気風を起こそうという人たちも現れた。
自分はこれを「創り手でない人たちが自ら進んで肩書きを与えた」と捉えた。
自分もこれに喜んで乗っかった。最初の批評同人誌に寄稿したりもした。
結局これも自己愛が最大のエネルギーだった。あくまでも自分にとっては。
しかし、この頃からすでにある種の「息苦しさ」を感じていた。
自分が何かを求められている、と感じるようになったのだろう。
実際にそうだったかはわからない。誰にもその問いかけをしなかったから。恥を忍んでするべきだったか?いや、出来なかったし、もししたとしても論点がちぐはぐでろくに議論にならなかっただろう。
肩書きとは名刺である。名刺とはつまり「自己主張」であり、同時に「自分への窓口」である。
自分が他人に期待するだけ、自分もまた他人に期待されるのではないか。
期待されること自体に胸踊らせているうちはいい。ではそれが自分に返せる限度を超えた場合は?
自分はそれに対する身構えができていなかった。そのため、自分のしたいことを見失った。
肩書きに見合った「するべきこと」が、本来自分が「したいこと」を上書きし、そして不幸にもその齟齬にすぐ感づいてしまい、しかし言語化できないため矛盾ばかりが膨れ上がり、筆を動かす手を止めてしまったのだ。
それでもレビューは続けた。しかし次第に出がらしになっていった。書くためのエネルギーが補給されない、されても書く方に回らないのだから当然である。
いつの間にか書かなくなった。Wikiや大百科の編集もやめた。情報を追うのに疲れた。それだけの責任すら負いたくなくなっていた。
情報を集めることにすら責任感が生じているだなんて◯◯◯◯としか言い様がない。空欄には各自好きな言葉を埋めるといい。だいたいそんな感じだ。
そして、ある日責任感の放棄を決意した。情報は集め続けるけど編集はしない。そのPの新しい情報が来ても記事を編集しない。そうすることで、本来の「音楽好きとしての自分」(ああこの書き方大嫌いだけど今はとてもしっくり来る)の趣味を満たしつつ、しかし情報を集めることを辞めないという立ち位置を手に入れた。手に入れようとした。
実際、CDリリース等の情報を集めるためのTweenタブに自分は頼りっきりになっていた。Twitterに流れてくるCDやアルバム関連のPOSTを眺め続けて、「即売会前日に突如新譜の頒布を宣言したPOST」等を逃さないためにも、Twitterに登録してからの数年間の積み重ねを捨てるのはあまりに惜しかった。一応購入欲だけは一端にあるのである。
こうして責任感を放棄し、肩書きの苦しみから解放された自分はめでたく音楽ライフを満喫するのでした。
めでたしめでたし。
とはならなかった。責任感は薄れたものの、消えることはなかった。
今では苦痛を伴うレベルではなくなったものの、後ろめたさは残り、そのたびに暗くなる。
まだ縛られている。このままボカロの情報網にしがみついているうちは、決して逃れられないのではないかとも思えてくる。
自分にまだ心理的な転機は訪れていない。きっと何か、パチーン!と弾ける衝撃が必要なのだろう。
あるいはこうして自分のわだかまりを可視化することが。
その転機を座して待ちながらしたためた、一切の推敲がなされていないこの駄文には一応の結論が用意されている。
自分の救えない性分についてはすでに散々書いたので、結論にはただ外的なものだけを書く。
ただひたすら「肩書き」、言い換えるなら「役割」を求め、自作自演の果てにあらゆる正のモチベーションを吐き尽くし負の靄を延々と飲み込み続けている現在の状況に至った、多くの人にとっては福音だったが、自分にとっては枷となったあの時。
自分以外にとっては果てしなくどうでもいい情報だが、自分にとってはここ数年のすべてであるこの暗い感情を詰め込んだ自己愛の塊であるこの長文の結論は。
自分がボカロを距離を置くようになった理由は、「聴き専」という層が可視化され、役割を演じることに囚われてキャパシティを超えてしまったことだったのだろう。
コメント