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蝉だって転生すれば竜になる 作者:あぶさん

第5章 誰が為に竜は闘う その3




その光線は私の心の臓を正確に貫いた。血がごぼりと喉から湧き上がる。


竜の体といえども、紛れも無い致命傷。
島の中心から私のことを見ているであろう、ユグドラシルの悲鳴が聞こえたような気がした。 


生まれて始めて覚えた痛みは苛烈なものだった。
私は貫かれた勢いそのままに、仰向けに地面に倒れてしまう。


魔術の心得があるのであろう、少女は空に浮いていた。少女の右半身を覆う何かが、鈍い灰色の光沢をまとっている。


『古代兵器だ』竜の知恵が警告する。


先代の白竜がさらにその先々代から受け継いだ記憶の中にそれはあった。

神々と竜が争っていた時代、神が人に与えた忌まわしき竜殺しの武器の総称である。

使用者の命と魂を奪い、竜を葬る諸刃の剣。
使い手は兵器に魂を奪われているが為に、竜の咆哮は通じない。


生命の危機に際し、受け継いだ知識が私の頭の中ですさまじいスピードで展開していく。

時の歩みが一気に遅くなる。まるで、一秒が一分にも一時間にも引き伸ばされているかのように感じられる。


虚ろな目が、私を見下ろしている。


少女の瞳に色はなく、兵器と同じ灰色をしていた。


灰色の右手がゆっくりと持ち上げられる。古代兵器の照準が私の頭に向けられる。


止めをさすつもりなのだろう。

この距離で先ほどの一撃を頭に食らわば、いかに私が竜だとて、滅んでしまうに違いない。



何故、私を滅ぼそうというのだろうか。

何故、私を殺そうというのだろうか。

灰色の少女は、何も喋らない。喋ってくれない。




だから私は…、


空に向かって羽ばたいた。



理由も解らぬのに、殺されてやる道理などない。


胸に開いた傷は既に“塞がっている”。 




体を翻し、少女の頭上を飛び越えると、海の方角に向かって弧を描くように飛び立った。


古代兵器から放たれた光が私の軌道をなぞるように追いかけてくる。

放たれた数発の光線のうち、一発が私の羽を捉え、撃ち抜いた。


その傷も、瞬く間に“塞がっていく”。



少女に向かって竜の咆哮を放つ。

しかし受け継いだ記憶の通り、古代兵器に魂を奪われた少女には通じない。
少女の空虚な瞳は我が咆哮に揺らぐことはない。
兵器に取り憑かれた人間は、与えられた命令を繰り返すだけの機械のようなものなのだから。


少女が再び私に向かって古代兵器を放つ。凄まじき殺傷力を持つ光線を私はあえて手の平で受ける。
手のひらを貫いた光線はそのまま海の彼方へと消えて行く。


そして私の手の傷は、血がぶくぶくと泡を立てると、やはり一瞬のうちに塞がった。


「そういうことか…」


自分の体に起きている現象を理解する。
私は少女の相手をすることなく、逃げるように島から離れる事にした。


狙い通り、少女も飛翔魔法を用いて私を追いかけて来る。

振り切ってしまわぬよう、少女が追ってこられるギリギリ速度で飛翔する。








「…この辺りでよいかな」


大海原の真ん中で、私はようやく振り向いた。島からは、十分に遠ざかることができた。


私が海へと移動した理由は、島とそこに住む生き物を傷付けぬためだ。
古代兵器は強力だ、ユグドラシルですら傷を負いかねない。

海の上ならば周りを気にする必要なく戦う事ができる。


追いかけてきた灰色の瞳の少女と、私は今、堂々と相対す。


「なぜ私を殺そうというのかね? 人の子よ」


念の為に訪ねてみたが、少女の口が開くことはなかった。

やはり、古代兵器に魂を喰われた人間とは、会話すら不可能らしい。

言葉の代わりに、少女は再び私に古代兵器を放つ。


光の矢が私の足を貫くが、やはりすぐに塞がっていく。




私はすでに確信している。


私がこの少女に殺されてしまうことはないことを。


この世界の何物であろうとも、私を殺してしまうことはできないことを。



なぜ、私の傷がこうも簡単に治癒されるのか。
竜とはそもそもが高い再生力を持つ生き物であるが、心臓を貫かれた傷が即座に治るようなことはありえない。本来であれば…。

自分の体に起きている神秘には心当たりがある。


奇跡の理由は毎日飲んできたユグドラシルの樹液だ。


私はここ10日間、ユグドラシルの樹液以外のものを口にしていない。つまり今、私の体の血液や肉には、世界樹の樹液が多量に含まれている事になる。

言わずもがな、世界樹の葉とは強い癒しの効果を持つ。当然その癒しの力が、樹液に宿っていても不思議ではないだろう。

高い癒しの力をもつ世界樹の樹液は、同じく高い魔力を持つといわれる竜の血と交じり合い、不死身にも近い治癒の効果を生んだのではなかろうか。



少女の古代兵器から光が放たれる、が、今回はそれを上回る速度で回避する。
傷ついたところですぐに修復する私の体ではあるが、わざわざ自分から当たりに行ってやる趣味はない。


「竜相手に何度も同じ攻撃が効くわけがなかろう。そなたはもう、私には勝てぬよ」


しかし私の声は少女に届かず。少女は機械のように私に向かって光線を放ち続けるのみである。



心の通わぬ単調な攻撃は、もはや二度と私の羽ばたきを捉えることはできなかった。





それから、どれほどの時が経ったであろうか。



少女は死に瀕していた。



私が何をしたわけでもない。私はただ、放たれる光線を躱し続けていただけだ。


使用者の魔力と生命力を根こそぎ奪うのが古代兵器である。

もともと相当な魔力を持っていたであろう少女ではあるが、あれだけの数を撃てばさすがに枯渇もするだろう。


光線が放たれる間隔は次第に長くなっていき、今では一分に一発も打てぬほどである。
照準もまともにあわず、少女はただ、口からうめくような呼吸を繰り返すのみだった。


闘いながら、私はひとつの事だけを考えていた。


私がこの古代兵器に勝つ方法を。


今やほぼ不死身の体をもつ私にとって、この少女を殺してしまうことはたやすい。
光線など気にせず近づいてかみ殺してしまうか、爪で頭を弾き飛ばしてしまえば、とっくの昔にこの闘いは終わっていただろう。

あるいは私が自ら手を下さなくとも、あと数発も光線をはなってしまえば、少女の命の灯火は古代兵器に飲み込まれ消えてしまうに違いない。


しかし、それではこの兵器に勝ったとはいえぬ。


私は、古き神々が人に残した遺物に、大きな怒りを感じていた。


おそらくはまだ10歳かそこらの少女であろう。
人は竜ほどには長く生きぬが、それでも70年、80年の時を生きることができる。


大きな未来がそこにある。この兵器は少女の命を、未来を奪っているのだ。

 

私は竜の知識に問う。この少女を救う方法を、古代兵器に打ち勝つ方法を。


賢者の知恵とも呼ばれる、竜の知識はこう言った。


『古代兵器は、人間の身体と細胞レベルで融合してしまう。古代兵器を力ずくで引き離すことは不可能であるし、例え兵器を破壊しても、持ち主の魂が蘇ることはない。古代兵器が人の体より離れるときは持ち主の生命を喰らい尽くした時のみだ。持ち主が死ねば、新たなる使い手があらわれるまで再び眠りにつく。命を奪う寄生虫。それが古代兵器というものだ』


私は受け継いだ記憶を探り続ける。
方法は必ずあるはずだ。
竜の知恵はそれを知っているはずだ。


『…ただ一つだけの例外として、エリクシールによってのみ、古代兵器の使い手を救うことはできる。エリクシールは、人の体に混じった悪しき異物を追い払い、兵器に食らわれた心と魂をも蘇らせることが可能であろう』



エリクシール。


それは神の力すらも凌ぐ生命の水。製法は遥か昔に失われ、今や一瓶で国が買えるともいわれている。


なるほど、確かにエリクシールがあれば、少女を救うこともできるだろう。


が、これではだめだ。白竜から受け継いだ宝の中にはエリクシールは存在しない。

あるいはこの世界の遺跡のどこかには今も何本か眠っているのかもしれぬが、事態は一刻を争っている。悠長に宝探しをしている暇など無い。


記憶を探る、先代の先代、さらに先代へと、古き知識の奥へ奥へと潜っていく。
脈々と受け継がれてきた竜の知識の奥深くへと。


何か、何かないのか。この少女を救う方法は………!






深い、深い、深い記憶の片隅に、それはあった。


失われたエリクシールの精製方法。

遥か一万年前、まだ、人と竜がこの島で仲良く暮らしていた頃の話だ。


竜には一人の友がいた。一人の気の優しい青年だった。

流行り病に侵され、倒れていく人々を救う為に、研究に研究を重ねて作り出したのがエリクシールだ。


その手伝いをした竜に、照れ笑いを浮かべながら語ったその製法。


人の努力と、竜の想いと、星の神秘が合わさって、初めて産まれたものがエリクシール。


エリクシールを産んだこの島は、本物のユートピアであった。


そしてその製法とは…。



これだ!



私に天啓が舞い降りた。

もちろん、今から悠長にエリクシールを作っている時間などはない。材料を集める時間も、それを精製する時間も少女には残されていない。


…だが、あるいはこれならば、やってみる価値はあるだろう。わたしは一つの賭けに出る。


翼をはためかせ、天高くへと舞い上がる。少女も私を追いかけて空に昇る。



戦い始めてはや数時間。正午の太陽は真上にあり、太陽と私と少女が一直線に並ぶ。

長い戦いの間、少女の戦いの癖を私は把握していた。

少女は魔力と生命を引き換えに古代兵器を放った後は、せめて失われた酸素だけでも補充しようと肩で大きく息を吸うようになっていた。


それが少女の、最大の隙となるであろう。



さあ、今だ、撃ってこい!


タイミングも狙い通りだった。少女が真上に向かってはなった光線を、私は僅かに身を捩るだけで躱す。
もはや古代兵器には当初の威力もスピードもない。

古代兵器を放った後の少女は今、完全に無防備となっていた。


私は身をぐるりと翻すと、少女に向かって飛ぶ。

竜の羽ばたきには、もはや少女は追いつけない。



呼吸をしようと、大きく口を明けている少女に向かって、私は!






―ジョブワァーッ―





大量の液体を、排泄器官より、少女に向かって放つ。


少女の体積の数倍はある巨大な液体のかたまりは、もはや瀕死の少女には、かわす術など存在はしない。
我が液体は少女を包み込み、吐き出した酸素を吸おうと大きく空けていた口の中にも大量に進入する。

そして…


―ゴクン―



液体が少女の喉を通る音が聞こえた。


確かに少女は、それを飲んだ。




さて、私がこのような真似をした事にはもちろん理由がある。

古き竜の記憶にあったエリクシールの精製方法。その主な材料は、世界樹の葉と竜の生き血であった。


エリクシールの精製方法とは、大量の世界樹の葉をすりつぶし地下3000メートルからくみ上げた星の生命力に満ちた水で煮沸し、その液体に、高い徳を積んだ僧が神秘の力を注ぎ込み、そこで竜の生き血を混ぜ合わせ、七日七晩かけて、太陽の光と、月の魔力を浴びせた後に、澄んだ上澄みだけを抽出する。

それが本来のエリクシールの精製方法である。


さて、そこで私は考えた。

世界樹の葉、星の生命力に満たされた水、注ぎ込まれた神秘の力、これはユグドラシルの樹液そのものなのではなかろうか? 

そして竜の血についてだが。血と尿はほぼ同じ物質で構成されているものだ。
つまり、竜の血は竜の尿でも代用できるはずだ。


私が生まれて早10日。

私はユグドラシルの樹液を毎日飲み、太陽の光も月の光も十二分に浴びてきた。

ならば今の私の血と尿は、エリクシールに限りなく近い物なのではないか?


それを気づかせてくれたのが、私に宿ったあの異常な治癒力だ。

傷ついたところから血液が瞬間的に凝固し、肉と骨を再生する。あれは私の記憶にあるエリクシールの効果そのものであった。


あとは私の血か尿をいかに少女に飲ませるかという問題があるが、それについては簡単である。
私がまだ蝉であったころ、虫網で追いかけてくる人間に向かって何度も尿を浴びせた経験をもつ私にとって、その程度の芸当など造作も無い。




そして今、世界は静寂に包まれている。



ぼたぼたと体中から水を滴らせながら、少女は動きをとめている。


疑惑と不安を胸に、私は少女を見守る。


まるでそこだけ時間が完全に止まったかのように少女は微動だにしない。


眼下に広がる海面だけが、静かに揺らめいている。


果たして効果があるものか、それとも…?



最初に動いたのはまぶたであった。


まぶたが2度、閉じて開いた後に、少女の灰色の目は生命の光を取り戻したかのように私には思えた。


口が、開かれる。
同時に声が、生まれる。


「ふぇ…」


ふぇ…?



「ふぇーんえんえんえん ふぇーんえんえんえん」



私の…、勝ちだ!



奪われた感情と魂を一気に取り戻した反動であろうか。
先ほどまで人形のようであった少女は、まるで生まれたての赤子のように大声で鳴き始めたのだ。


「ふぇーんえんえんえん ふぇーんえんえんえん」


少女を支配していた忌々しき古代兵器は、少女の肩からずるりと抜け落ちると、青い海の底へと消えていった。


「ふぇーんえんえんえん ふぇーんえんえんえん」


力強き鳴き声は、少女の魂の歌であろう。

少女は救われ、私は古代兵器に勝利したのだ!



「ふぇーんえんえんえん ふぇーんえんえんえん」



少女の声が辺りに響き渡る。それにしても、なかなかいい声で鳴くではないか。

少女の鳴き声に触発された私は、負けじと勝利の雄叫びをあげる。



「ミーーンミンミンミン ミーーンミンミンミン」

「ふぇーんえんえんえん ふぇーんえんえんえん」



私に張り合おうというのだろうか、少女の鳴き声もいっそう大きくなる。


「ミーンミンミンミン ミーンミンミンミン」


私はユグドラシルに向かって声を届ける。

案ずることはない、ユグドラシルよ。私は勝ったのだ。

少女を救い、悪意ある兵器を葬ったのだ!


「ふぇーんえんえんえん ふぇーんえんえんえん」


少女の声も辺りに響き渡る。

うむ、元気な声で何よりである。
少女の大きな鳴き声からは、生きていることへの喜びが伝わってくるように私には感じられた。










「ふぇーんえんえんえん、おしっ、おしっこ、ふぇ、ふぇえぇええーん」












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