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クレシェンドブルーについて、一志保Pの至った結論

全体公開 2014-11-14 00:53:05


結論に関してはただの現実逃避と取られて構いませんが、この記事によって少しでも志保や可奈のイメージを見直して、別作品は別作品として区別してくれる人が一人でも増えてほしいということと、この記事が巡り巡って制作スタッフの目に留まり、志保や可奈に限らず今後のキャラ造形への牽制になればという思いで作成しました。

言うまでもなく、この記事は一ユーザーの個人的考えを述べたに過ぎず、志保Pの総意ではありません。
また、他のアイドルをdisる意図もありませんのでその点はご理解ください。

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どう書き始めたらいいのかわからないので、以前サイトに掲載した感想(?)をまず再掲します。
(ひとつの文章としての流れになるよういずれ書き直すかもしれません)

当初公開した日付は9月14日のアイマスオンリーの前日、この時点での最新話は7話のダジャレ謝罪回でした。

↓ここから

現シーズンユニットのクレブルについては、もう話題にしたくないです。
先日までは、長々と管を巻いたペーパーか折り本でも配布できるんじゃないかという勢いで思考が渦巻いていたのですが、最新話を見て、怒りや悲しみを通り越して、もうどうでもいいや、という気持ちになりました。
志保の扱いだけが不満なわけではないです。
ちょっとした言葉尻でキレたりつっかかる志保もだけど、どうしてそういう思考に至るのか意味不すぎるもがみんとか、あの会話の流れを見ていながら志保に嫌われてるという思い込みが既成事実化しちゃう星梨花ちゃんとかもうわけがわからない。
劇場版のときは、ゲームとは別物と割り切っていたのに…
まだ○歳の子だから…とか、きっと○○だったんだよ、とか、擁護するような反論も見かけましたが、「受け手側が何とか書き手に都合よく補完して、自身に必死で言い聞かせなければ飲み込めない」点が「こんなにも多い」時点で、シナリオ上の目的が先にあって、都合よく思考や行動を歪めて駒が動かされてるようにしか見えません。
乙女やレジェンド、エタハモにそんな部分がこれほどあるだろうか。
ある一部分を取り上げて、○○な部分がかわいかったからおk、という意見に至っては、シナリオそのものの評価じゃないですよね。

↑ここまで


話を追うに従って、「わざわざ」悪い方へ悪い方へと展開していく事態。
公式が用意した場所ということで批判的な意見がほとんど書き込まれる事のないようなコンベンションという場にすら、ストーリー更新のたびに志保disが湧く様子や、それよりもひどい、外部の反応。(もちろん同情と取れる反応もあったが)
ゲーム内外から苦しみながらも一生懸命「ここが○○なのは××だからなのだろう…」と何とか脳内注釈をつけながら話を追っていましたが、ふっと、「どうして受け手側が、ここまで書き手の意図を都合よく解釈して補足するという労力を払って、受け入れる『努力』をしないといけないんだろう」と、悟りました。

理解の出来ないものを理解しようとすることを諦め、自分の感情に正直になることを認めたら、それまでの苦悩が嘘のように楽になりました。

一言。
見るに耐えない。

劇場版はゲームとは別物と割り切ったのに、なぜゲーム本編にまでこんなギスギスキャラを逆輸入したんだ。
過去に亜美可奈やLTPのメンバーとユニットを組んだことはなかったことになっているのか。
設定リセットとも言われたが、初期から一度でもこんな態度を見せたことはない。
設定リセットどころじゃない。別人だ。
だが、当然他のPはそんな彼女を「こういうキャラ」として受け取る。
ただただ、悲しかった。


劇場版の公開初日、観ながらずっと、「志保はこんな子じゃない、こんな子じゃないんだ」と、ひたすら胃が痛かったのを思い出します。

心無い言葉で可奈を追い詰め、春香さんを非難し、最終的には大正義春香さんに全面謝罪し、春香さんから寛大に許される、ヒールポジション。
既に団結してほぼアイドルとしての完成形に近い765プロの面々にトラブルが起きるとしたら、外部にその要因を求めるしかない。
一から作るよりは、765の後輩的存在である姉妹作品から持ってくるのも妥当なところだろう。
そして「メンバーを切り捨てる」という方向性で春香さんや765プロのスタンスと対立する憎まれ役が可能なのは、実際シアター組37人の中で唯一、志保しかいないと思う。
可奈と志保は765プロにとっての足手まとい・トラブルメーカーとなった上、一部の本家765メンバー以上の尺を取って話を持っていく。胃の痛みには彼女らがヘイトを集める未来しか見えなかったという理由もある。

だが自分の心情に反して志保自身の人気はさらに上がったように見えた。
春香さんや765プロは、春香さんや765プロだからこそあれでいいし、春香さんの考え方は結果論として今回はうまくいった。
だが、現実的な考え方としては志保の考え方は正論だ、といった、志保に理解的な意見が見られたり、志保も焦ってついああいった言葉が出てしまったのだろうとか、橋の上の会話ではひどいことを言ったことを後悔しているような仕草もあるし根はいい子なんだとか、志保に対する同情も見かけたことすら自分には驚きだった。
HHPでのTOP5に入るボーダーの高さには唖然とするほかなかった。

実のところ、劇場版の、ゲームと別物の志保がいくら擁護されようが、正直どうでもいい。必要上仕方なかった要素なのだから。
それよりも劇場版から入ってゲームをプレイしたと思われる、「劇場版の志保と何が違うのか分からない」といった意見のほうが、自分にはよほど堪えた。
自分の知っている彼女はそもそも「アイドル同士で仲良くする他の子たちをを批判的な目で見たり、激高して他人をなじったりなどしない」のだから。


劇場版のゲストメンバーに関しては「ミリオンライブの稼動以前から、出演するメンバーは決まっていた」、つまり、ミリオンライブにおける可奈志保と劇場版の可奈志保は、同じ設定を基にそれぞれの作品独自のキャラ付けがされていった別物だと公式が発言している。
劇場版の彼女らは、ゲーム内の彼女らと同一の存在ではない。

http://dengekionline.com/elem/000/000/850/850983/
>誤解されやすいキャラだけに、志保が単なる嫌なキャラに見えないようできるだけ気をつかいました。

錦織氏の発言の他、劇場版パンフレットでの高橋氏のインタビューによると、ミリオンライブ稼動後は稿を重ねるごとにゲーム内のキャラクターに寄せていったともある。
これでも、ゲームの方を先に知っている自分には受け入れられるキャラではなかったが、これだけ気を使ってくれたからこそ、彼女への理解を示す人も少なからずいたといえるかもしれない。
…気を使わなかった方のサンプルがクレブルなんですかね。

「誤解されやすいキャラ」「単なる嫌なキャラに見えないよう」という言葉は、「心根はそうではない」こと、それを制作側が理解していることが前提になければ出てこない。
作り手自身が「誤解どおりの」キャラ描写をしていたら世話はない。

クレシェンドブルーの志保は、自分が見てきた志保じゃない。
クレブルの志保の言動は、劇場版よりも理解できない。
「(解決すること前提の)トラブルを起こすために」志保を使いたいのは分かるが、その動かされ方の強引さが劇場版の比じゃない。


ある場所で見かけた書き込みにショックを受けた。

>初期の最上ってどんなんだったん?志保みたいなの?そらキャラ変えされて当然だわ

もう…何て言っていいのか分からない…涙しか出てこない…
志保はむしろ、Pに積極的に友好的な接し方をしてこないという以外には問題のない子で、初期台詞でPによく噛み付いていたのは静香の方なくらいなのに…
他人にとっての志保のイメージってもうこんななのかと…

百合子が最近ただの厨二になってしまったとこぼす意見も見たことがあるが自分にはどこがそこまで言われる変化かよくわからないし、担当していないアイドルへの認識なんてそんなものなのだろう。
未だに天空橋さんを暗黒微笑系女王様キャラ、紗代子を大人しい優等生と思っている人すらいそうだ。


「自分のことはいいから他の子を見てあげてほしい」という台詞に代表されるように、志保をユニットに入れて言動をよく見れば、単純に周囲に自分から関わろうとしないだけで、他のアイドルを批判的な目で見ていたり、ライバル視して敵意を向けているわけでないことはわかってくる。
それどころか、「他の子たちは仲良く話しているのに自分はこれでいいのだろうか」と悩むコミュすらある。

志保がdisられる時、決まって「コミュ障」という言葉が使われるのを見るのだが、過去にも他の子とユニットを組んでライブをしているし、スペースウォーズでは他のアイドルたちと打ち合わせや練習をする様子が描写されたり、メルヘンアイドルでは他のアイドルに絵本を貸したりする描写もある。
仕事の上では問題なく他者と関わっており、人並みのコミュニケーション能力は有していることが分かる。
http://greemas.doorblog.jp/archives/39568545.html
夏祭りでも、桃子先輩が志保について、知らない人たちと楽しそうにしていると話している。むしろ初対面のおじさんからハッピを借りてくるって、相当のコミュ能力がないと言い出せなくないか。
コミュ障どころかイメージ以上に、意外と志保は他人と交流している。
そもそも母子家庭で自身に精神的な自立も科している彼女が他人とまともに話が出来ないというのも不自然な話だろう。


ある場所に書き込まれていた言葉だが、

>クレシェンドは2より酷いだろ
>クレブルは人によっては2再来レベルだったようだが

シナリオに都合よくキャラが改変され、それが大多数の人間に定着してしまったことと、プロデュース自体が出来なくなる事のどちらがマシかなど比べられる話ではないが、クレブルのシナリオを9・18事件と同列に並べることなど思いもよらなかった自分は、この発想に驚くと同時に、それくらいに重く受け止めてくれていた人がいたことに、上とは違う意味で涙が出る思いでした。


自分はアイマスに関しては新参で、聞きかじった話や自分で調べたことなど知識面では多少知ったつもりとはいえ正しく例えられているか分からないが、今回の件は、キャラ設定のずれやゲーム内Pが自分の思うような言動をしてくれないなどといった点で言えば、2の竜宮の扱いよりもSPの美希のケースの方が近いかもしれない。
改めて詳細を調べて、想像を絶する内容に絶句しました。当時の美希Pの悲しみたるや。
4月に行われたシナリオ塾で、ゲーム制作の段取りについて企画を立てる段階の説明中、ディレ2の「たとえばSPでは美希がライバルで登場して…」という言葉に複雑な思いが蘇った人もいただろうと思ったが、そんな生易しいものじゃなかった。
なんなのなのあれは…(困惑)美希Pを苦しめることを目的として企画されたゲームなの?
もしかしたらクレブルも、志保Pを苦しめることをが企画の主旨だったのかもしれませんね(棒)
ゲーム一本丸ごとというボリュームの美希と比べたら、「作中の扱いに関しては」可奈や志保はそこまでひどい目に遭っているわけではないのかもしれない。

ただ、美希や竜宮に関しては、キャラクターが定着するまでの期間や、元作品のプレイヤー自体の絶対数の多さなどもあり、該当アイドルの担当Pのみならず、他のユーザーにもどれほどの事態かが伺えた。
それに対し、可奈や志保の不幸なところは、プレイヤーの限られる外伝的なソーシャルゲーム発祥のアイドルであり、サービス開始から1年も経っていない時期で劇場版が公開されてしまったことだと思う。
また、シンデレラほどでないにしても、本家と比べたら用意されているアイドルの数も多く、その分ユニットに入れるPもばらけたことによりゲーム内でのキャラ造形を把握しているユーザーの絶対数も少ない。本家メインの劇場版で彼女らの存在に触れたユーザーの方が圧倒的多数であると想像される。


ファンの反応、二次創作などが公式に取り入れられ、キャラが変わっていってしまうことがアイマスの恐ろしいところと聞く。

8月の夏祭りイベント。可奈は美希美奈子とともにイベントHNとなって営業メッセージ担当のひとりとなる。
http://www.millionlive.com/index.php?%E3%82%A2%E3%82%A4%E3%83%89%E3%83%AB%E5%A4%8F%E7%A5%AD%E3%82%8Ain%E6%B8%AF%E7%94%BA
お祭りに屋台は付き物とはいえ、可奈の台詞の大半が食べる事の話で占められている。
美希までもが、可奈がクレープと綿飴で迷っていたので両方勧めたという話をしている。
対決時に至っては特にひどい。
このイベントから、各エリアごとに用意されていた対決メッセージが全エリア使いまわしになったため、毎回バトルのたびに早食い勝負をし、勝っても負けても食べることに関するメッセージを発する。

http://greemas.doorblog.jp/archives/39593024.html
フィーチャリングでは、用意されたグッドとベスト合計9個のメッセージのうち7個が出店や食べ物の話で占められている。
http://greemas.doorblog.jp/archives/39607470.html
好きな食べ物が焼肉という設定も元からあり、良く食べる方と思われるのり子のメッセージ量といい勝負。
そんなのり子まで、可奈がクレープと綿飴で迷っていたが両方買えばいいのにという話をしている。
…ん?

http://greemas.doorblog.jp/archives/39716072.html
http://www.millionlive.com/index.php?%E3%82%A2%E3%82%A4%E3%83%89%E3%83%AB%E5%A4%8F%E7%A5%AD%E3%82%8Ain%E6%B8%AF%E7%94%BA
ことあるごとにPやアイドルたちを太らせようとしてくることに定評のある美奈子に、食べ物の話が多いのは理解できる。(そもそも美奈子は人に食べさせるのが好きなのであって自分が食べる話ではないが)
このイベントでの可奈の食べ物に関するメッセージの量は、実にその美奈子に並ぶのだ。

初期、ハラペコキャラと言われた奈緒が食べ物の話をほとんどしていないのは少々意外だった。
お姫ちんに至ってはひとつもなかった。マジか。

http://www50.atwiki.jp/imas_ml/pages/170.html
去年の夏祭りの営業メッセージでは、これほどまでに食べ物の話ばかりしていたアイドルはいない。(イベント形式が違うため他のアイドルの様子は分からない)

http://www.millionlive.com/index.php?%E7%9F%A2%E5%90%B9%E5%8F%AF%E5%A5%88
可奈のプロフィール、用意されている基本台詞には、食べることや甘い物に関するものはひとつもない。
「のど飴ソムリエ」は「歌が好き」から派生するものであって、甘い物が好きという解釈には含まれないだろう。
去年の誕生日も食べることの話題はない。

そんな彼女が夏祭りでは、あれを食べたこれを食べたと食べ物の話ばかりしている。
完全に、可奈をただの食いしん坊キャラと認識して、キャラ付けを行っている。

http://www50.atwiki.jp/imas_ml/pages/191.html
過去にはアイドル学園文化祭でロコが餌付けをされていたがそれっきり食べ物がらみのキャラ付けが定着した様子はないし、可奈に関してもたまたま今回こういう役回りが回ってきたという考え方も出来るのだが、多くの人の反応を見ると、よりによってそのポジションに可奈を、とは思ってしまう。
うどんにそばにおにぎりと、食べ物の話が飛び交う学園祭だったが、このイベントでも可奈は食べ物に関する会話は一切していない。


可奈の誕生日。
可奈に高級プチシューをプレゼントする志保。
過去に可奈がほとんど話題にしたこともないのに、憧れの歌姫と公言していた千早を差し置いて長文枠を貰った春香さん。
「『春香さんに追いつけるように』頑張る」と返す可奈。

http://www50.atwiki.jp/imas_ml/pages/197.html
可奈はアイドルスペースウォーズで春香さんについて、「すごいオーラだった」とは言っているが、千早と艦橋で歌ったと話す様子と比べると「やっぱり先輩はすごかった」くらいのニュアンスで、春香さんが可奈にとっての特別な存在であるとは読み取りにくい。
憧れの対象に対して「でも負けなかった」という言葉は出てこないのではないだろうか。

志保は「やぶ…」と名字を言いかけ、「可奈」と言いなおす。
この台詞「だけ」抜き出せば、「可奈からの希望で名前で呼ぶようになった」という背景まで想像できる、いい台詞だと思う。
…「半年以上も前に行われたアイドルスペースウォーズで、既に志保は可奈のことを名前で呼んでいる」という事実さえなければ。

http://www50.atwiki.jp/imas_ml/pages/197.html
しかも可奈との会話ではなく、第三者のPとの会話の中で、名前を口にしている。
ということはこの時点でもう、本人が望んでいるからなどという理由で本人を前に意識してではなく、志保の中で可奈の名前呼びが定着している。

シーズン2に関して、当初志保の態度から「設定がリセットされている」「時系列的に765に所属したばかりの設定なのではないか」説は存在した(あんなギスギスしてた時期自体存在したことがないのは置いといて)が、シーズン1の、リリラビがネットゲームを通じて仲良くしている様子からすぐに否定されたし、後に志保に父親がいないことを他のメンバーが把握していたことが明らかになることなどからも、稼動開始から同等の時間が流れていると解釈してよさそうだ。
アイドルの年齢に関してはサザエさん時空が適用されているようだが、エピソードは時間経過に伴い積み重ねられている。
http://greemas.doorblog.jp/archives/38577024.html
サッカーフェスでもすっかり信頼しあっている様子が伺える。

名前で呼んでいることが最初に確認されたその半年も後に、「思わず名字で呼びかけて名前に言いなおし」たりするだろうか。
むしろこのたった一つの台詞だけで、矛盾が生じてしまっている。
(「本人に対しては名字で呼ぶけど第三者の前でのみ名前で呼んでいた可能性」も残されているが、さすがに無理があるのではなかろうか。そんな使い分けをする意味がなさすぎるし)

ついでに重箱の隅をつつかせてもらうと、たまたまおやつ休憩を春香さんに見つかったときに食べていたのがプチシューだったというだけで、可奈は別に「プチシューが特別好き」なわけでもないですよね…
該当場面のやたらぬるぬるした動きが多くの人の印象に残ったこともあり、「可奈=プチシュー」ネタが定着してしまったように思います。
っていうか高級なプチシューって…何?


可奈の誕生日当日のコンベンションを改めて覗いてみた。
約20ページに渡るお祝いコメントに混じって、プチシューでお祝いしたり、食べ過ぎを心配するコメントが多数並んでいた。千早に関しての言及以上に「大好きな春香さん」に関するコメントが複数見られたことにモヤモヤしてしまった。
「もう太るなよ!」といった、明らかに過去に太ったことがあるかのようなコメントもあった。

…可奈は過去に一度も、食べすぎで太ったことなどありませんが。
少なくともゲーム中に過去そういった事実があったことを示すテキストがあって、それを自分が見落としているだけなのだとしたら誰か教えてください。
劇場版パンフレットの錦織氏インタビューには「可奈が太るシーンは、物語上必要になったので設定にはないけど入れさせてほしいとお願いした」とはっきり書いてある。

ネットなどで「おにぎりを食べられて移籍するアイドルがいるらしい」だの「バスト86の響」だの「わたしは星井美希だよ!」だのというコメントを見かけるときは、書き込んだ当人も各作品がパラレルや別メディア作品であることを承知した上でネタコメントをしているように見えるのだが、可奈や志保に対する多くの反応は明らかに、劇場版とゲーム内の彼女らを同一視している。
「映画では~」と、区別する内容の書き込みは数えるほど見かけたが、劇場版の要素を持ち込まれたことについて別段気にしている風でもなく、3スレ目の10ページを過ぎて、劇場版準拠なのを気にしたコメントがひとつあっただけだ。
掲示板などで星梨花のことをナチュラルに「もちょ」と呼ぶ人間がたびたび現れるが、そのたびにツッコミが入ったり、時には罵倒されたりしている。
可奈のこの状況は誰も疑問に思わないのか。

参考までに、静香の誕生日、丸1スレと少々に渡るお祝いコメントには好物のうどんの食べすぎによる太りすぎを心配したコメントはひとつも見つけられなかった。
可奈がこれほど多くの人間から太ることを心配されている反応の原因が劇場版の影響でないなら何なんだ。
この人たちのプレイしている「アイドルマスターミリオンライブ!」における可奈と志保は、他の48人と違い、アイドルスクールに通うアイドル候補生なのだろうか。

判官贔屓だけで、志保に対する描写や認識に不満を覚えているわけじゃない。
可奈のコンベンションを見ながら、可奈に対するそんな多くの反応にも違和感と反感を覚えていた。(元々可奈もわりと目をかけていた子だったというのはあるが)

片や仕事を放り投げてストレス太り、片や可奈を追い込みリーダーに噛み付く協調性のなさ。
双方とも「ストーリー展開の都合上」つけられた「ネガティブ方面」の劇場版のみの独自描写だ。
これがせめてポジティブな設定であれば、もしかしたら自分もこれほど気にしなかったかもしれない。

劇場版公開直後は、ゲーム内設定と劇場版の描写の違いのまとめがアンチ系の場にコピペされているのを見かけたこともあるが、違いがあること自体が問題なんじゃない。
そんなもの、こちらはとっくの昔に割り切って通り過ぎた場所だ。
自分にとって我慢がならないのは、劇場版独自の設定そのものよりも、そんなストーリーの都合に合わせてキャラ付けされた人物像の方が定着し、違う枝葉に育ったゲーム内のキャラと混同されることなのだと自覚した。

ミリラジシアターやLTPのドラマ、コミカライズはゲーム設定準拠のものだろうが、どこまでを「知ってて当たり前のもの」とみなすかは個人で線引きの度合いが違う。初出メディアとしてはあくまで区別され、ゲーム内の話に持ち込まれるときは「○○ではこういう描写があった」という扱い方をされているように思う。

SP美希を支持する人もまったくいないわけでないように、劇場版の可奈や志保を好きになる人がいたり、劇場版からゲームの方のアイドルに興味を持ったり、二次創作などで意図的に他メディアネタを持ち込むのは個人の自由だと思う。
しかし、「同一視」するのは違うのではないか。

確かにミリオンライブはアニメを手がけたスタジオがカード画像制作に携わっており、アイドルたちの見た目や性格描写、イメージの親和性は高い。
しかしあくまで違う世界だという最大の証拠として、「律子がアイドルを続けている」という違いを挙げれば、納得してもらえるだろうか。

「劇場版のイメージもあって志保は苦手」というつぶやきを見かけたこともある。
劇場版の印象を引きずる人もいる中、必ずしもユニットに入れたこともないPも目にするシーズンイベントで、クレブルのあのシナリオが見る人にどんなイメージを植えつけることになるか、誰も想像しなかったのか。


劇場版の公開から半年以上経った今、ゲーム内で築いてきたキャラクターよりも、劇場版やクレブルのイメージが多くのユーザーに定着している現実をこうして改めて認識し、劇場版公開当時には考えもしなかったことまで強く思い詰めるようになった。

「こんなことなら、劇場版のゲストになんか選ばれなければよかった」。

劇場版にゲスト出演するメンバーが発表されたとき、シーズン2のユニットのメンバーを知ったとき、少なからずわくわくした気持ちを抱いた時期があったなんて、今となっては遠い昔のようだ。


ちなみに上記wikiでスペースウォーズの台詞を確認していたとき、こんな台詞も見つけた。
>さっきの休憩では、星梨花と一緒に監督ごっこをしちゃいました…ふふっ。

星梨花「わたしが志保さんに嫌われているから…」
…えっ?


「劇場版設定を取り入れた」なんてレベルじゃない。
初期資料に記載されているであろう基本設定と思われる部分以外、それまでのゲーム内の描写を丸無視して、劇場版の描写をベースにしている。

…これを書いたライターは、過去のゲームの知識を持っていない。
はっと気がついた。


8月に入ってから突然、夏祭りイベントと可奈の誕生日で劇場版独自の設定が頻出し、志保の態度によってクレブルのストーリーが荒れ始めた。
なぜ今になって劇場版設定の逆輸入をし始めたのか、と自分は思ったし、そういった声も見かけた。

しかしそうではなく、逆なのだとしたら。

「それらを書いたライターが、シアター組に関して劇場版の知識しか持ち合わせていなかった」のだとしたら。

劇場版に登場したメンバーのキャラクター把握が劇場版準拠のものだとしてもおかしくない。
その人にとって可奈は歌と甘い物が大好きな食いしん坊、志保は常時不機嫌で、意見を違える者には激高して噛み付く人間と映っているだろう。


http://www.creativevillage.ne.jp/PR/seminar127.html
http://gamebiz.jp/?p=129400
今年4月、「シナリオ塾」というライター志望者向けのセミナーのようなものがあり、セミナー後、バンナムはその場でライター募集を行った。
テーマ的に、来場者には既にアイマスのファンである人間の割合も多かっただろうと思う。
アイマスファンで劇場版も観ている、だがシアター組は劇場版を通じてしか知らない。そんな人物が来場し、求人に応募しても何の不思議もない。
4月にセミナー開催、求人。制作チームに採用、シナリオを書いてイベント完成。
クレブル開始は7月末、可奈の誕生日や夏祭りイベントは8月。
このセミナー開催の時点で、これからの大幅アップデートに向けて大詰め作業中とのことだった。ちなみにアップデート実装は5月末。(シーズン1開始なのだからシーズン2開始のちょうど2ヶ月前ですね)
期間的にも不自然ではない。

(このセミナーではそれこそ「伊織はただツンデレなだけじゃない」「雪歩は犬が苦手、お茶が好き。でも雪歩について何本か話を書かせたら全部が全部犬やお茶の話、なんてことにはならないようさまざまな角度からアイドルの魅力を表現するよう心がけている」といった、ひとつの特徴に偏ったキャラ付けはしないという趣旨の話もしていたはずなんですけどね…)


http://www.creativevillage.ne.jp/PR/seminar169.html
http://www.famitsu.com/news/201410/07061364.html
そして、シナリオ塾に続いて9月に行われたデザイン塾での話。

スタッフ2人の技術についての比較に、ゲストのC氏はHRIMC真壁君とSR猿回し環のラフイラストをサンプルとして挙げ、アイドルの魅力を表現することは技術的に手慣れているかどうかといった基準とは別の能力が求められる、という話をした。
(ちょっと話が逸れますが、「この子は表情が豊かな方ではないけど」とC氏自身もちらりと触れていた通り、そう思っているならそんな真壁君と無邪気な環の絵を比べるのはフェアではないなぁ…と思う。せめて同じキャラやレアリティで比べるべきなのでは…)

上記記事のレポートでは触れられていないが、その後、sageられたスタッフの名誉のためと言って、こんなに生き生きと描ける実力は持っている人なんですよ、とHR素潜り響のラフイラストも挙げた。
氏曰く、このデザイナーは元々アイマスファンで、本家のキャラは良く把握しているが、シアター組に対する理解はまだ足りないと思われる、と。

上記の仮説を巡らせ始めていたところにこのタイミングで、こんなケースが実際に存在した。一気に視界が開けた気分だった。


かつてアイマスユーザーの多くを怒りと失意のどん底に突き落とした大きな事件があったとき、「可能性を生み出しただけでアウトなんだよ」という名言(?)が生まれたという。
しかし今回の仮説における「可能性」は、存在するだけで、自分は救われる。
可能性を残しておくために、回答は必要ない。
たとえばシナリオ塾やデザイン塾のような場所で行われた質問コーナーのように、開発者の回答を聞ける機会があったのだとしても、回答を求めるようなことはないし、したくない。
嘘でも否定されることで、可能性が絶たれてしまうから。

つまり、
「『クレシェンドブルーのシナリオ、ならびに可奈の誕生日・夏祭りイベントのテキストは、それまでのゲーム内容の知識を持たないライターが劇場版のキャラ描写をベースに書いた可能性がある』ため、別物と認識して構わない存在である」。

このゲームをやめようとまでは思わなかったが、それでも自分の気持ちと折り合いをつけるために、自分にはこの結論が必要でした。
というか、これで辻褄が合う以上、自分はもうこの仮説なしに現実を受け止めることができなくなってしまっている。
だから今でも続けていけているのかもしれない。

仮に事実だったとしても、上にチェックする人間がいるんじゃないのか、という考えは残る。
急に食いしん坊になった可奈やユニットの和を乱すために便利にキレる志保、静香や星梨花の思考回路を見て、何とも思わなかったのか。
デザイン塾では、ユーザーの声を聞く方法として各アイドルにコンベンションが用意されていること、某掲示板やtwitterの反応も見ていることなどを口にしていた。
それとも炎上商法と呼ばれるように、「ともかく話題になりさえすれば大成功」とでも考えているのだろうか。
初期の千早を思い出すというコメントに「千早をこんなのと一緒にしないで欲しい」と志保が「こんなの」呼ばわりされたり、外部では「コミュ障のヒス女」「せっかく自分から辞めるって言ってるのに」「謝って済むと思うなよ」なんて言われてても、この話は大成功なんですか。
スタッフにとっての北沢志保は、「そういう使い方」をしたいときには欠かせない、便利な装置なんですか。


最終話開放の時点で自分の心は完全に死んでいたし、「仮説」越しにしかこのシナリオを見ることができなくなっていたので、「ギスギスさせたいわけじゃない」という志保の台詞に「散々都合よくイライラギスギスさせたキャラに今度はそんなこと言わせるんですね(棒)」という思考しか湧かなかったし、PSL終了時の静香エピソードでは「しっかりしてても14歳なんだもんね」という、ネット上で散々見てきた擁護のような台詞を「ああ、ちゃんと自己弁護仕込んであったんですね(棒)」という目でしか見られませんでした。
別ユニットの千早まで心配してたって、何なの…

家族の話をすると傷つくに違いないと一方的に気を使われ、
業務連絡レベルの重要な伝達事を一人隠され、
それらの態度が原因で不信感を抱いている人間から上辺だけの友好を求めて漫才をけしかけられ、
他人のことは真面目に感じられないと批判しながら自分はプロとして一番してはいけない選択をする人間だったことにされ、
外野から千早にまで心配され…
PVにあったような、「静香vs志保」じゃない。
誰一人志保側に立つ人間のいない「志保vsそれ以外」のアウェーの状況で、終始、問題児のような扱いを受けていた志保。


たかが一過性のソーシャルゲームの、期間が過ぎれば終わるイベントの描写。
多くのユーザーにとっては何てことのない、すぐ忘れ去られて今後に何の影響も及ぼさない記憶。

可奈はプチシュー大好き食いしん坊として、志保は協調性のないヒスキャラとして。

せめて一人でも多くの人に、そのイメージから上書きして、または別作品と認識して、それから忘れて欲しい。
せめて自分だけでも主張しておきたい。足掻くならもう時間はないと思いました。




今の自分に出来る限りのことをしてから、

クレシェンドブルーの存在は、忘れたいと思います。




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