「韓国がノーベル賞受賞者を出すには、賢い学生が小さな企業に入って思う存分革新的な技術を開発できるようにすべきだ」
世界で初めて青色発光ダイオード(LED)を開発し、今年のノーベル物理学賞を共同受賞した、米国カリフォルニア大学サンタバーバラ校の中村修二教授が最近、韓国メディアとのインタビューで語った言葉だ。中村氏はさらに「ノーベル賞を受賞するには『クレイジーな』研究をすべきだ」と述べた。「クレイジー」とは、人とは違ったやり方で、難しい課題に挑戦していくべきだという意味だ。
中村氏のアドバイスは、本人の経験からにじみ出た言葉だ。中村氏は徳島大学大学院の修士課程を修了後、有名な大企業である京セラの入社試験に合格しながら、子どもを田舎で育てようと、故郷である四国の名もない中小企業の日亜化学工業に入社した。青色LEDを開発したときには、大学や大企業の研究所がどこも「不可能」と言っていたやり方にこだわり「頭がおかしい」と言われた。
だが、中村氏の成功にはもう一つ、決定的な要素があった。日亜化学工業の創業者である小川信雄元社長の識見と根気だ。中村氏は入社から10年の間、会社の売り上げや収益に貢献することはほとんどなかった。いくつかの素材を開発したものの、大企業がすでに市場を独占していたため、商品化することはできなかった。そのため、昇進どころか月給もアップしなかった。上司からは「まだうちの会社に勤めるつもりか」とけなされたこともあった。
それにもかかわらず、小川社長は中村氏が青色LEDの開発を提案したのに対し、快く受け入れた。米国フロリダ大学に1年間留学し、関連技術を学べるようにしたのをはじめ、支援を惜しまなかった。成功するかどうかも分からないプロジェクトだったにもかかわらず、年間の売上げの1%以上もの果敢な投資をし、早く研究成果を出すようせかすこともなかった。小川社長が強く後押ししなければ、中村氏のノーベル賞受賞もなかったことだろう。
だが、青色LEDを開発した後、中村氏は日亜化学工業と決別した。会社の業務としての発明に対し、会社側が報奨金として2万円しか支給せず、しかも課長止まりとなったことに不満を感じたためだ。中村氏は米国の大学教授に転身した後、会社を相手取り「発明の対価」として200億円を請求する訴訟を起こした。一審は勝訴したが、二審では8億5000万円を受け取るという条件で和解した。
この問題で日亜化学工業との関係が悪化した中村氏は、日本社会に対し多くの苦言を呈してきた。「米国では誰もが夢を見ることができるが、日本には真の自由がない」「日本は研究者の意欲や創意力を後押しする国ではない」などと発言した。だが、10年余り前に他界した小川元社長に対してだけは「会社でただ一人、私の研究を認め、投資してくれた。最も感謝している方だ」と述べた。
ノーベル賞を目標にしなくても、韓国経済が飛躍するためには、より多くの革新的な企業が出てきてしかるべきだ。大企業であれ中小企業であれ、若い人材が思う存分創意的な研究に取り組めるようにすべきだ。そのような環境を整えていくことが企業経営者の役割だ。小川社長のように人を見る目を持ち、果敢な支援を通じて革新的な成果を導き出す企業経営者が出てこなければならない。韓国でいまだに自然科学分野のノーベル賞受賞者が出ないのは残念なことだ。「小川社長の韓国版」が出てこなければ、韓国経済に深刻な問題が生じる恐れもある。