「最後に申すべき事を砕破す」(P.41)には邪義坊主等の次のような一節があります。 『汝が、日顕上人の御指南に対し、「二冊の悪書の幕引きを図っている」などというが、笑止千万である。我等日蓮正宗邪義破折班に、汝の過去の矛盾に満ちた発言を暴かれた上、その邪義を木端微塵にされた。汝昭衛こそ、顕正会員にこれ以上の動揺が走るのを恐れて、「最後に申すべき事」などと大仰なタイトルで見え透いたハッタリをかまし、汝の一連の、「御遺命守護」や「対決申し入れ」などのパフォーマンスの幕引きを図っていることは誰の目にも明らかではないか』等と虚言に満ちたデタラメを書き連ねているのであります。 ここで邪義班の坊主らが、「最後に申すべき事」と題した、浅井会長の最後の諌暁書に対して、大仰なハッタリなどど誹謗中傷していますので、その諌暁書提出の経緯と、内容を簡単に説明する事にしましょう。 顕正会の浅井会長の宗門並びに創価学会に対する諫暁は、昭和45年3月25日に第一次諫暁として、「正本堂に就き宗務御当局に糺し訴う」を提出、第二次諫暁として、昭和46年11月15日付で、「正本堂に就き池田会長に糺し訴う」を提出、第三次諫暁として平成2年4月27日に、阿部管長に対し、「正本堂の誑惑を破し懺悔清算を求む」を送呈、連々と正系門家の仏法違背を諌めつづけてきたのであります。 果たせるかな平成5年4月には、大聖人御遺命の戒壇として建立された正本堂は、戒壇の大御本尊の還御が成り、ニセ戒壇正本堂は崩壊に至るのであります。 それから十数年を経て、平成17年3月25日と、同年4月27日付で、悪僧日顕の三大謗法を糾弾すべく、「対決申し入れ書」を二度に亘り提出しました。 三大謗法とは @「国立戒壇の誤りについて」と、「本門事の戒壇の本義」なる二冊の悪書を著し、御本仏大聖人の一期の御遺命を 徹底して破壊した事。 A本門戒壇の大御本尊は偽物と断定した事。 B総本山に身延の次期貫主に就任する、田中日淳ら数名の高僧を数度に亘って招き入れ、学会誹謗を依頼し、蓮葉苑で酒宴で歓待した事。 これらの三大謗法を糾弾すべく、悪僧日顕に対し、「対決申し入れ書」の提出に至るのであります。 第一回目の平成17年3月25日の、「対決申し入れ書」では、法論の場所として本山客澱を指定、約定として、顕正会が法論に負けた場合は、顕正会は即座に解散する。阿部日顕が負けた場合は、@猊座を退き謹慎する。A商売の為の不敬の御開扉は即刻中止する。等の約定を定めて法論に備えたのであります。ところが阿部日顕は、一切黙殺を決め込んで、卑怯にも逃げてしまったのであります。 続けて第二回目の同年4月27日付の、「対決申し入れ書」では、顕正会は横浜の国際会議場を設定、顕正会は国際会議場と契約を済ませ、会場使用料の支払も済ませて法論の開催に備えていたのであります。 若し、日顕が都合の悪い場合は代人を立てることも可としたのでありますが、二度目の法論も日顕はダンマリを決め込んで逃げに逃げ、終に法論には至らなかったのであります。よって、浅井会長は、悪僧日顕の三大謗法を糾弾すべく、「最後に申すべき事」と題する諫暁書を、平成17年8月27日付で送付したのであります。 その後、例の邪義破折班を名乗る邪義坊主らが寄って集って、日顕や代人を立てて、「対決申し入れ書」に対する法論は、絶対に受けられないなどと、恥知らずにして犬の遠吠えのような理由をつけ、「最後に申すべき事」と題した諫暁書に対しても、デタラメとウソで塗り固めた、悪態の限りを尽くしているのであります。 云く、「驕慢の凡夫」、「謗法の一在家」、「日蓮正宗の仏法の猿マネ集団」等々と。 浅井昭衛氏が提出した、「対決申し入れ書」は、平成17年3月25日と、同4月27日の二回に亘るのですが、何れも、悪僧日顕はだんまりを決め込んで逃げに逃げたのであります。二度目の時には顕正会は、横浜国際会議場を借り上げて多額の会場使用料金まで払い込みを済ませていたのでありますが、日顕は恐れをなして逃げてしまった。その言い訳として、邪義班の坊主らが天道虫のようにしゃしゃり出て来て、以下のような屁理屈を並べているのであります。 云く、「かかる貴殿の非道極まる”申し入れ”などに対し、責任あるお立場の御法主上人がお受け遊ばされることなど、絶対に有り得る筈のない道理であり、また本宗僧俗もそのような馬鹿げた申し出をお受けされることには絶対に反対申し上げる。さらにまた本宗僧俗の誰人にせよ、そのような非道な”申し入れ”を御法主上人に代わって責任をもって受けることなど出来よう筈もない」(最後に申すべき事を砕破す)などと。 また日顕の云く、『国立ということを言っているのは浅井昭衛の妙信講で、今も盛んに言っていますね。「国立戒壇」ってね。過去において学会との在りかたのなかで、いろいろ私も変なことを書かされちゃったが、いっぺん国立戒壇に関することを、私はある時期に、全部、御破算にしちゃおうかと思っているんだけども、まずいかね〜、「あれ(二つの論文)はもう一切廃棄する。破棄する」と宣言したらどうだろうかな、どうだ面白いだろうな』などと。 浅井会長は、悪僧日顕の上記のようなふざけた言動を目の当りにし、二冊の悪書の幕引きを図ろうと考えているにしても、不真面目にして無責任、まるで真剣味が足りないと指摘しているのであります。 悪僧日顕が犯した数々の大謗法のなかで、二冊の悪書を廃棄宣言するだけでは、絶対に事は済まないのであります。 いま、宗門がこれまでの大謗法を一掃して、まことの正系門家として、御本仏大聖人の三大秘法義を正しく宣揚したいと念願するならば、内と外に対する今までの教義歪曲を詫びて、大聖人仰せの三大秘法義の真実の化法・化義を詳らかにし、革命的出直しをしなければ、広宣流布は絶対に不可能なのであります。 それには、先ず第一に外に対して行わなければならない事は、昭和45年5月3日の国立戒壇を永久放棄した事は間違いだったことを明らかにすると共に、昭和45年4月23日、国立戒壇の意義について、創価学会から政府に対し欺瞞回答させた経緯を説明し、国家と世間に対して深く謝罪する。第二に、御本仏日蓮大聖人の究極の御本願は、仏国実現であり、真の国家の安泰は、広宣流布の暁の国立戒壇にある事を、内外に鮮明にすることであります。 内に対しては先ず第一に、御本仏日蓮大聖人に対し奉り、五体投地の思いで深く懺悔滅罪を請い願う。第二に、御開山日興上人を始め、歴代の血脈付法の御正師方に対し奉り、懺悔滅罪を請い願う。第三に、国立戒壇を主張したが故に解散処分に付した、旧妙信講(顕正会)に対し満腔の思い込めて深謝すると同時に、講中解散処分を取消し、浅井昭衛氏の信徒復帰の名誉回復を図り、法華講総口頭として広宣流布の指揮をお願いする。第四に、口先三寸で騙してきた正宗信徒(法華講員)に対し、心から謝罪して許しを請い願う。第五に、御本仏大聖人の著わされた三大秘法とは、如何なる正法であるか、また、何故に、国立戒壇でなければならないかという世間の疑問や反感に対して、折伏戦を勝利するだけの理論武装をする事であります。第六に、国立戒壇に反対する坊主は、一人残らず擯籍処分に付して宗門から永久追放する。第七に、宗制・宗規を全面的に改正し、僧俗が異体同心して、広宣流布へ向けて闘へる組織体制に作り替える等々。 そのような手続きを踏んで、はじめて御本仏日蓮大聖人嫡流の正系門家たる所以を鮮明に示す事ができるのであります。 正系門家の坊さんが、ニセ戒壇正本堂という建物だけを倒壊させて、何等の反省も検証も書く、宗門の無謬性ばかりを強調して、平然としている。このような体たらくを何時までも繰り返しているようでは、第一に御本仏大聖人がお許しにならない。然る後、早晩、国家も宗門も取り返しの付かない事になるのであります。 ところが、現今の宗門の実体に目を向ける時、実態は日蓮正宗の僧侶も信徒も、二冊の悪書に記されている、「国立戒壇」を否定する邪義が定説として、不動のものになりつつあるのであります。 その典型的な例が、「国立戒壇は、田中智学の創唱であり、顕正会はその猿マネをしている」という邪義であります。 更には、こんな出鱈目を並べ立てて顕正会を貶めようとしているのです。云く、「我等日蓮正宗邪義破折班に、汝の過去の矛盾に満ちた発言を暴かれた上、その邪義を木端微塵にされた」などと。 ここで邪義坊主らがいう、「汝の過去の矛盾に満ちた発言」とは、「すでに広宣流布の時は来ております」と(冨士 昭和40年8月号)に記されているわずか一行の文を取り上げて、邪義坊主等は恰も鬼の首でも取ったように、はしゃぎまわっているのであります。 浅井会長はこの邪義班のいう揚げ足取りについて、次のように当時の経緯を説明しておられます。 『昭和40年といえば、顕正会(当時 妙信講)にとっては、「試練と忍従」の真っ最中であった。池田大作は手先の法華講連合会を使って、学会に諂わぬ顕正会を潰そうとしていたのだ。その暗闇のトンネルのような中で死身弘法が、昭和40年にやっと四千に達した。そしてこれを機に、一万目指しての幹部大会を開いた時の小生の決意が、この、「すでに広宣流布の時は来ております」の発言であった』として、次のように当時を振り返っておられます。 『当時、世の中は大不況の真っ只中で災害も続いていた。よって、「大衆は悩みの中に御本尊を待っている。すでに広宣流布すべき時は来ている」一万を目指して死身弘法をしよう。と幹部を励ましたものである。風前の灯のような状況の下での四千達成で、どうして、「広布達成」などという理由があろうか。馬鹿もほどほどにせよと言いたい』と、 邪義坊主らの難くせを一蹴されているのであります。 まことに下らない邪義坊主らの重箱の隅をつつくような難癖であります。その一行を捉えて、「木っ端微塵に粉砕」とは笑わせます。 次に邪義坊主らは、「顕正会も正本堂の建設に賛同し御供養に参加した」という難癖を付け、顕正会も学会や法華講と同じではないかと顕正会を貶めて、このことを、「木っ端微塵に粉砕」したなどと息巻いているのであります。 確かに顕正会はあくまでも正本堂は奉安殿の延長として、国立戒壇建立のその日まで戒壇の大御本尊を秘蔵厳護し奉る堂宇(大御宝蔵)として、御供養に参加したのであります。 それは次の池田大作の講演と日達管長の説法を振り返れば瞭然として明らかであるし、歴史が証明しているのであります。 池田大作の講演、「総本山日達上人猊下に、正本堂建立、ご寄進申し上げたい。-----正本堂の建立は、事実上本山に於ける広宣流布の体制としてはこれが最後なのであります。したがって、あとは本門戒壇堂の建立を待つばかりとなります」(聖教新聞 昭和39年5月3日)と。 日達管長の説法、「大客殿の奥深く戒壇の大御本尊を安置し奉ることは、本宗の相伝であります」(昭和40年8月法華講連合会大会)と。 すなわち、「大客殿の奥深く」とは、広宣流布を待つ御法蔵の意味であります。故に、天台の文句十に云く、「仏其の中に住す即ち是れ塔の義と釈するが如し云々」とあるとおりであります。 要するに、戒壇の大御本尊は広宣流布の暁の本門戒壇=国立戒壇建立までは、あくまでも秘仏として公開しない。 何処までも、「義の戒壇」として秘蔵厳護し奉ることが、「本宗の相伝であります」という意味なのであります。したがって、顕正会が、正本堂の御供養に参加した理由は、大御法蔵の建立という意味で御供養に参加させて頂いたものであります。 |
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初めまして。現役顕正会員のバーズ博士と申します。もしかしたら私をご存知かも知れませんね。 |
バーズ博士(ブリトー石橋) 2012/06/20 20:28 |
ブリトー石橋さん、こんにちは。 |
大東亜の星 2012/06/23 13:22 |
丁寧なご返事ありがとうございます。 |
バーズ(ブリトー石橋) 2012/06/23 22:31 |
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