言いたくないけど、僕が青二才です

言いたいことも言えない世の中で、言いたくないけどつい言っちゃうポイズンなブログ

右翼と左翼は空気です、イデオロギーだと思って喋るから頭が悪く見えるんです!



最近、反響のあったつぶやきで一本書いてみるよ。

結論から言えば、「右翼にも左翼にも期待しすぎ」だと思う。

言うほど何もできず、どちらかの陣営にいたとしても結局意見を表にでて語れる人はスタンスありきではなく、「右翼(左翼)の言い分と自分の考えてる政策論が近い」と言う程度でしかない。

 

ややこしいのは右翼でも左翼でも「スタンスありきでポジションを取り合う」「気に入らないことに対して気持ち悪いと吐き捨てる」のが思想だと勘違いしてる人・プロレスを楽しむ報道が経済論争をしてる人や政治家を色分けしたがるところ。

右翼と左翼のプロレスをもり立てるために、「日本に対して厳しい事を言ってるモノを取り上げよう」とか「日本を褒めてるモノばかりを取り上げよう」と真実や中立性なんかかなぐり捨てて金儲けや煽動に走る連中がいること。

本来、正しいものを両方から取り入れたらいいはずなのに政治に対して声を上げる「スタンスありきの連中」だけではなく、書籍も報道もみんな「右翼・左翼のどっちかに付かないといけない」という空気で揺れ動く。

 

本当はそんなことどうだっていいのに。

正しいこと・有益なことを議論すればいいのに、なぜか「どちらかしか正しくない」「どちらかしか書店やテレビではよいしょしない」という話になっている。

もっと酷いと「思想を持つ・その思想で人を罵る」ことでメンツが保たれてると思ってる野蛮人すらいる。

 

しかも、彼らはその罵り文句や周りへの反動・空気の読めないエゴを「思想」だの「政治」だのと言うから頭が悪く見える!

実際には報道に煽られてるか、大きな声で言われている世の中の流れに対して「反発」または「賛同」する程度のことでしかないことをだ!

そもそも、政権につくとみんな思想捨てるじゃん!

その人の「政治観」  は政治に興味を持ってた時期の事件や流行りの思想がずっとベースになって考えられる。そのため、同世代だと思想信条は違っても問題意識・政治対する期待値、あるいは政治的なキーパーソンについてけっこう似通ったモノを持ってることが多い。

 

僕は89生まれで中学生の時に森政権/小泉政権ぐらいで、高校~大学の時に自民党政権が凋落。その後、民主党政権になって…という時代を過ごしてきた。

特徴的なのは「マスコミの態度の変貌」を叩く論調のものから、プロパガンダのごとく持ち上げて捏造までやってのける…その流れを若くして一通り見てしまったこと。

 

また、政治家も政治家で「十分な景気対策を」と言ってた人が急に消費税の増税に賛成したり、TPPに反対か消極的だった人が「何が何でも年内に締結」と自分が振り上げた国益という概念を自分でしまってしまう…という流れを見てしまった。

 

僕の世代は大変面白いことに自民民主それぞれのハト派タカ派両方が両方とも表に出てきたので右翼左翼両方がどういうものだかわかり、またどの立場から政権を握ると「政権を取る前の威勢の良さ」は消える!

 

「政治に対する不信感」の正体があるとしたら、右翼も左翼も「政権についてもそれ以前に言ってた通りにやらない」ことであり、マニュフェストなんかを掲げてもそれ以外の余計なものは選挙の時には伏せられてることだ。

 

今回の消費税増税だって、選挙の時はたしかお茶を濁したような立場を自民党は取ってたわけで…。

 

選挙に落ちたくない政治家が「率先して決めた」ということはないとは思うが、結局決定を下して国民の間で「前から決まってたような顔」をしてひた隠しにしてきた都合の悪いことを決定するのは政治家だ。

 

右翼だ、左翼だ…政治的スタンスなんて生臭さや汚れを隠す「香水」でしかない。

不動産や金融、保険のCMが本業の汚さや生臭さとは一切関係ないおしゃれ感や綺麗事を並べ立てるのと同じ。意味なんかない。

 

仮に本心でそう思ってたとしても、それは…実践されない以上意味なんかなく、もっと酷いと「今の政治問題にはあんまり関係のないこと」もたくさん含まれてる。

 

でも、右翼だ左翼だ、日本はいい国だ/反省が必要だというと共感する層がいる限り、あんまり現在の政治や政策に実りのない話でも発信され続ける。

政策的に正しいかどうかも政治家が議論したり、専門家の人が番組などで目の前で話しても結局は実践されない以上「求めているものに口先だけでも応じてる」だけでしかない。

 

政治家が全部口先だけとは言わないが、権力を握ったら変わってしまう・官僚に大まかなプランがないところしか政治家の運動や思想性は生きてこない以上、政治に対して大きな期待をする・政治家や報道に自分が望むようなムードを盛り上げてもらうことを期待してる「思想」はもう時代になじまいんじゃないかな?

 

これは右翼にも左翼にも両方に対して僕は思ってることだけどさ。

 

政治にあまり期待しないかわり、無関心にもならない

どうしても、政治的な手段をもって世の中を変えたいなら「手続きに乗っかる」しかないんじゃない?

 

・自分が変えたい現状について語り続けて仲間を増やたり、議論に参加していく。

NPOや起業などの事業を通じて現在の問題点や解決策を示す・悩んでいる人への助けをしていく。

・どの政党でもいいから選挙に出て官僚が大まかな方針を決めてない所については「自分はこうだ」と発信して行く…。

 

ところが、右翼とか左翼って呼ばれる人はどちらでもない。

具体的にはオスプレイ基地問題に反対する人は署名を集めたり、基地の騒音問題をちゃんとデータを取って公表するようなことよりもどこに住んでるかもわからない「市民」の団体ご一行が航空機で沖縄に入ってくる。

右翼も右翼で市長に呼ばれても喧嘩腰での罵り合い。しかも、自分が人よりも大きな声を上げて「どうだ勝ったぞ」とカメラ目線でアピール。

 

手続き踏まない・自分達でモデルを示したり、困っている人の代弁もしない…そんな連中の「声が大きさ」を変に政治家が代弁したり、報道が対等に取り上げたりして拡散するから右翼にも左翼にもうんざりなんだ!そして加担してる奴のほとんどがバカらしく思える。

 

政治に対してだけ過剰な興味をもつと「右翼・左翼」両陣営に「どっちかに加担すべき」「どっちかが正しく、向こうは間違い」と煽られるから、政治への興味がなくなる。

でも、無関心でいたらその程度のことしか言えない「声の大きい団体」や「政治家」、そしてバカしかいない政治家を好き放題できる「官僚」に操られるから無関心にもなっちゃいけない。

 

理想的なスタンスは「自分の変えたいこと・自分が変えられることについては何かしら手続きや代弁をしつつ、誰の代弁もしてない・手続きにも参加しようとしてないで右翼な気分、左翼な気分を撒き散らかす人には加担しない」ことだと思う。

自分の知識・自分に見える悩み、そしてそれに対する政治の対応だけを信じて投票する/手続きを踏むこと。確かに空気によって政治や報道が揺れ動いてるようにも見えるけど、それらはそう見せたい人がいるだけ。関わっちゃいけない。疲れる。

 

反社会学講座 (ちくま文庫)  

 これなんか、データがいっぱい載っててすごく良かったですね。政策論の何処までが「空気」でどこからが議論や論理的な話なのかがちゃんと出てて。

 

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