1:武士:2010/02/06(土) 15:43:52 ID:0
戦をしてはモンゴル帝国、大明国、帝政ロシアを打ち破り、政治では常に民・百姓の暮らしの成り立ちを考え。
その精神の美しさは明治維新を引き起こし、世界でも「サムライ」と言われ現在でも光を放っている
こんな素晴らしい出身・階級は世界でも稀有だっただろう。
2:世界@名無史さん:2010/02/06(土) 15:45:22 ID:0
世界の支配・貴族階級は、己の欲望のみにふけり浅ましき歴史を残したため
なんら顧みられなくなってしまったのとは大違い
3:世界@名無史さん:2010/02/06(土) 15:49:23 ID:0
鉄砲という圧倒的な武器をもっていながら、相手側を見下したために、補給路を確保できず
朝鮮から敗退しなければならなかった武士。
6:世界@名無史さん:2010/02/06(土) 16:40:21 ID:0
>>3
主催者の秀吉が死んだから撤退しただけですが何か?
>>3
主催者の秀吉が死んだから撤退しただけですが何か?
5:世界@名無史さん:2010/02/06(土) 15:55:39 ID:0
頭にガンを乗せている東洋の珍奇な人種のことだね?
世界史を学ぶと唖然とする、そのおぞましき歴史の数々には
未だに外国人の民度が低く、犯罪率が高いのはうなずけるだろう
8:世界@名無史さん:2010/02/06(土) 16:54:45 ID:0
ゆとりの世界史厨がよく言う古代ローマ(笑)やアレキサンダー(笑)なんて武士と比較すると笑えるよな
桃太郎なんかのおとぎ話の世界を史実と思ってんだからw
10:世界@名無史さん:2010/02/06(土) 21:28:03 ID:0
鎌倉武士>モンゴル軍>>>>>>欧州、中国
たまたま陸上して、たまたまぼこられて、たまたま撤退して、たまたまぜんめつしたのか
14:世界@名無史さん:2010/02/06(土) 22:53:58 ID:0
秀吉が生きてたらもっと、ごり押しで連戦し明をねじ伏せることは可能だったね
豊臣の富はうなるほどあったから
その後すぐに大戦の関が原、さらには大阪冬の陣・夏の陣までやってんだから
24:世界@名無史さん:2010/02/06(土) 23:58:08 ID:0
国内対抗勢力の口減らしの戦いに、勝ったの負けたのと何いってんだ。
士族リストラの戦いで明はあっさり滅んじゃったけどな
どんだけ強すぎるんだよ武士はwww
27:世界@名無史さん:2010/02/07(日) 00:08:28 ID:0
一番強いのは百姓だったって七人の侍で言ってた。
34:世界@名無史さん:2010/02/07(日) 03:56:34 ID:0
まぁでも実際明との戦争は与える土地なくなった失業対策の側面もあるけどな
35:世界@名無史さん:2010/02/07(日) 11:34:30 ID:0
大航海時代以降の白人のほうがすごいと思うが。
あいつら、仲間が海に出て沈没したり難破したりしてるのに、
どんどん送り出してくるんだぜ。
あげくに、新大陸で大虐殺、アフリカで奴隷狩り、もう半端ねーよ。
36:世界@名無史さん:2010/02/07(日) 13:02:09 ID:0
大航海時代の西欧人は生還率が2割を切っていても続々と海外進出するからな。
サムライなんか頭からボリボリ食べてしまうくらい連中はハングリーだ。
37:世界@名無史さん:2010/02/07(日) 17:13:43 ID:0
しかし武士はなぜ強くなったのか
『葉隠』『武士道』ってあくまでも太平の江戸期の教養物だぜ
40:世界@名無史さん:2010/02/07(日) 19:36:11 ID:0
太平の世に、昔を懐古して書かれるものの例、あるいは後世がでっちあげる例として
書いたまでだ。
書物とはそういう役割が大きいって事。
41:世界@名無史さん:2010/02/07(日) 19:50:00 ID:0
平家物語のセンチメンタリズムが変な方向性を固定化してしまったのさ。
42:世界@名無史さん:2010/02/07(日) 21:44:43 ID:0
弘安の役の元艦隊 兵員約14万人
レパントの海戦のオスマン艦隊 兵員約8万8000人
アルマダの海戦のスペイン無敵艦隊 兵員約3万人
弘安の役の勝利は世界の海戦史に燦然と輝く偉業
46:世界@名無史さん:2010/02/07(日) 23:48:35 ID:0
武士なんてそのDQNぶりは騎士と大差ない気がするが
武士の格言に『武士たるもの七度主君を変えねば武士とは言えぬ』とあれば
騎士には『臣下の臣下は臣下でない』なる言葉がある。
戦争で落とした街を略奪して殺戮するのも全く一緒。
封建制が似たような発達を遂げた所為かもしれんが。
十字軍や大航海はDQNを物理的に厄介払いしようとした側面もあったんだよ。
生きて富を掴んで戻ってきてもよし、死んでくれてもよしだった。
日本も其れをやろうとしたら徳川の世になって鎖国になっちゃった。
何しろ、鎖国前の東インド会社の傭兵としての最大のお得意様は日本だったんだから。
47:世界@名無史さん:2010/02/08(月) 17:04:36 ID:0
『武士たるもの七度主君を変えねば武士とは言えぬ』これは戦国の武士の誇り高さを表しむしろ好意的に取れるぜよ
48:世界@名無史さん:2010/02/10(水) 01:46:22 ID:O
ニンジャに比べたら武士(笑)とか雑魚じゃん
サムライが徒手空拳全裸で敵の首を刎ねたりできねーだろ
49:世界@名無史さん:2010/02/11(木) 16:02:03 ID:0
忍者で武士もいるだろ
50:世界@名無史さん:2010/02/11(木) 16:27:59 ID:0
武士も時代によって異なる。
>>1
モンゴルはインドネシアも撃退してたろ。要は、渡海戦ではモンゴルは勝てなかった。
帝政ロシアを破ったのは武士ではない。
あれは、国民国家・近代国家が旧式の帝国を破ったお話。
刀とレイピアってどっちが強いの?
もちろん、刀だよね。このスレ的に。
56:世界@名無史さん:2010/02/19(金) 00:57:54 ID:0
このスレじゃなくても刀は世界最強の切れ味を誇る剣
倭寇の刀に明は散々悩まされ正式装備にしたくらい
レイピアなんてのは相手をしとめられないし
57:世界@名無史さん:2010/02/20(土) 13:12:33 ID:0
突く槍と切る薙刀では、先制攻撃の出来る槍が優れてるってのが宮本武蔵の見解だな
58:世界@名無史さん:2010/02/21(日) 18:27:42 ID:0
重さ勢いで威力をつける槍と違い、レイピアじゃ即死や致命傷に追い込めないだろう
60:世界@名無史さん:2010/02/21(日) 19:05:38 ID:0
ならレイピアはなんで主要な装備にならなかったんだろうな?w
日本刀は1000年以上形は変わっていないのにw
明治でも西洋剣はサーベルが主要でレイピアではない
西洋の合戦のほとんど戦闘中に相手を気絶させるのが主で
剣といえば重い大剣でレイピアじゃないw
レピアって先に血を流した方が負けという決闘向けに最適化された武器だと思ってたが
実戦にも使われたのか
65:世界@名無史さん:2010/02/22(月) 22:53:57 ID:0
明征服といいながら半島半分しか戦線維持できなかった侍たち
槍の優位性は長さにある
同じ長さなら突けて斬れる剣が有利であろう
68:世界@名無史さん:2010/02/28(日) 16:45:48 ID:0
通常レイピアは戦場では使わない
銃が普及し始めた当初、重装甲冑が廃れても
依然として胸甲は装着してる場合が多いし、レイピアでは胸甲は貫けない
胸甲が廃れた18世紀では、短槍術とも言うべき銃剣術が普及し
細身で軟なレイピアでは銃剣の刺突は防げず不利
戦場では防御にも使える幅広のサーベルが使用された
70:世界@名無史さん:2010/03/03(水) 01:53:11 ID:P
騎士からノブリオブリジを差っぴいたら、大体、武士だな。
結局強かったのは武士階級じゃなくて徴募された百姓町人だったんだけどね。
島原の乱では1万4千の武装百姓を12万6千掛かりで4ヶ月落とせなかった。
下関戦争で戦死31人のほとんどが百姓町人。武士は戦死2人、処刑1人、自殺1人。
78:世界@名無史さん:2010/05/29(土) 22:18:13 ID:0
原城がなかなか落とせなかったのは
徹底した火力防御と、土塁や石垣を使った陣地構築の巧みさゆえだろ。
91:世界@名無史さん:2010/08/15(日) 14:56:49 ID:0
>>1
ただの人殺手段だろw
あるいは社会の寄生虫w
作り出すことはせず、他者から奪うことしか考えてなかった。
黒船以降は、薩長以外は英米などとまともに戦わずに降伏w
情けないw
私の先祖は侍でした、なんて誇らしげに言う奴が時々いるが、
そいつってば「私の先祖の仕事は、お金で雇われて人を殺すことでした」
って言ってるってことに気づいてないw
92:世界@名無史さん:2010/08/15(日) 19:16:13 ID:0
黒船たった4隻に降伏したのに何言ってやがる
93:世界@名無史さん:2010/08/15(日) 19:23:21 ID:O
その黒船のヤツが残した文書に
いままでの国とは全く違っていた。
いままで見た国は大砲打ち込めば両手をあげて降伏した。
しかしこの国の人間は賢く紳士的で絶対に屈服しない
他に例を見ない民族だつた。とあるよ
頭にガンを乗せている東洋の珍奇な人種のことだね?
32:世界@名無史さん:2010/02/07(日) 01:07:23 ID:0
>>5
アレは海苔巻きです。フランスパンを乗せたダリの先を行ってました。
7:世界@名無史さん:2010/02/06(土) 16:43:53 ID:0>>5
アレは海苔巻きです。フランスパンを乗せたダリの先を行ってました。
世界史を学ぶと唖然とする、そのおぞましき歴史の数々には
未だに外国人の民度が低く、犯罪率が高いのはうなずけるだろう
8:世界@名無史さん:2010/02/06(土) 16:54:45 ID:0
ゆとりの世界史厨がよく言う古代ローマ(笑)やアレキサンダー(笑)なんて武士と比較すると笑えるよな
桃太郎なんかのおとぎ話の世界を史実と思ってんだからw
10:世界@名無史さん:2010/02/06(土) 21:28:03 ID:0
鎌倉武士>モンゴル軍>>>>>>欧州、中国
12:世界@名無史さん:2010/02/06(土) 21:32:29 ID:0
>>10
元寇はたまたま法則発動しただけだろ?
13:世界@名無史さん:2010/02/06(土) 21:37:36 ID:0>>10
元寇はたまたま法則発動しただけだろ?
たまたま陸上して、たまたまぼこられて、たまたま撤退して、たまたまぜんめつしたのか
14:世界@名無史さん:2010/02/06(土) 22:53:58 ID:0
秀吉が生きてたらもっと、ごり押しで連戦し明をねじ伏せることは可能だったね
豊臣の富はうなるほどあったから
その後すぐに大戦の関が原、さらには大阪冬の陣・夏の陣までやってんだから
24:世界@名無史さん:2010/02/06(土) 23:58:08 ID:0
国内対抗勢力の口減らしの戦いに、勝ったの負けたのと何いってんだ。
26:世界@名無史さん:2010/02/07(日) 00:05:32 ID:0
>>24
徳川を最前線に出せば今頃大阪が日本の首都だった、ということですね。
25:世界@名無史さん:2010/02/07(日) 00:02:44 ID:0>>24
徳川を最前線に出せば今頃大阪が日本の首都だった、ということですね。
士族リストラの戦いで明はあっさり滅んじゃったけどな
どんだけ強すぎるんだよ武士はwww
27:世界@名無史さん:2010/02/07(日) 00:08:28 ID:0
一番強いのは百姓だったって七人の侍で言ってた。
34:世界@名無史さん:2010/02/07(日) 03:56:34 ID:0
まぁでも実際明との戦争は与える土地なくなった失業対策の側面もあるけどな
35:世界@名無史さん:2010/02/07(日) 11:34:30 ID:0
大航海時代以降の白人のほうがすごいと思うが。
あいつら、仲間が海に出て沈没したり難破したりしてるのに、
どんどん送り出してくるんだぜ。
あげくに、新大陸で大虐殺、アフリカで奴隷狩り、もう半端ねーよ。
36:世界@名無史さん:2010/02/07(日) 13:02:09 ID:0
大航海時代の西欧人は生還率が2割を切っていても続々と海外進出するからな。
サムライなんか頭からボリボリ食べてしまうくらい連中はハングリーだ。
37:世界@名無史さん:2010/02/07(日) 17:13:43 ID:0
しかし武士はなぜ強くなったのか
38:世界@名無史さん:2010/02/07(日) 19:18:43 ID:0
>>37
『葉隠』『武士道』を嫁。
こういうのが出て大成されると、それまで単なる職業で別にそうでも無いものが、立派で(強く)あるように
感じるようになるのでは無いかと。
こういうのは得てして人々にウケる。“プロフェッショナル仕事の流儀”みたいに。
ちなみに、折れは読んだ事ない(笑
39:世界@名無史さん:2010/02/07(日) 19:21:35 ID:0>>37
『葉隠』『武士道』を嫁。
こういうのが出て大成されると、それまで単なる職業で別にそうでも無いものが、立派で(強く)あるように
感じるようになるのでは無いかと。
こういうのは得てして人々にウケる。“プロフェッショナル仕事の流儀”みたいに。
ちなみに、折れは読んだ事ない(笑
『葉隠』『武士道』ってあくまでも太平の江戸期の教養物だぜ
40:世界@名無史さん:2010/02/07(日) 19:36:11 ID:0
太平の世に、昔を懐古して書かれるものの例、あるいは後世がでっちあげる例として
書いたまでだ。
書物とはそういう役割が大きいって事。
41:世界@名無史さん:2010/02/07(日) 19:50:00 ID:0
平家物語のセンチメンタリズムが変な方向性を固定化してしまったのさ。
42:世界@名無史さん:2010/02/07(日) 21:44:43 ID:0
弘安の役の元艦隊 兵員約14万人
レパントの海戦のオスマン艦隊 兵員約8万8000人
アルマダの海戦のスペイン無敵艦隊 兵員約3万人
弘安の役の勝利は世界の海戦史に燦然と輝く偉業
46:世界@名無史さん:2010/02/07(日) 23:48:35 ID:0
武士なんてそのDQNぶりは騎士と大差ない気がするが
武士の格言に『武士たるもの七度主君を変えねば武士とは言えぬ』とあれば
騎士には『臣下の臣下は臣下でない』なる言葉がある。
戦争で落とした街を略奪して殺戮するのも全く一緒。
封建制が似たような発達を遂げた所為かもしれんが。
十字軍や大航海はDQNを物理的に厄介払いしようとした側面もあったんだよ。
生きて富を掴んで戻ってきてもよし、死んでくれてもよしだった。
日本も其れをやろうとしたら徳川の世になって鎖国になっちゃった。
何しろ、鎖国前の東インド会社の傭兵としての最大のお得意様は日本だったんだから。
47:世界@名無史さん:2010/02/08(月) 17:04:36 ID:0
『武士たるもの七度主君を変えねば武士とは言えぬ』これは戦国の武士の誇り高さを表しむしろ好意的に取れるぜよ
48:世界@名無史さん:2010/02/10(水) 01:46:22 ID:O
ニンジャに比べたら武士(笑)とか雑魚じゃん
サムライが徒手空拳全裸で敵の首を刎ねたりできねーだろ
49:世界@名無史さん:2010/02/11(木) 16:02:03 ID:0
忍者で武士もいるだろ
50:世界@名無史さん:2010/02/11(木) 16:27:59 ID:0
武士も時代によって異なる。
>>1
モンゴルはインドネシアも撃退してたろ。要は、渡海戦ではモンゴルは勝てなかった。
帝政ロシアを破ったのは武士ではない。
あれは、国民国家・近代国家が旧式の帝国を破ったお話。
51:世界@名無史さん:2010/02/11(木) 17:01:58 ID:0
>>50
モンゴルは渡海戦で三別抄に勝ってるし、厓山の戦いでは南宋の大艦隊も全滅させてる。
弘安の役で武士が3500隻、10万人の江南艦隊全滅させたんだから、それ以後モンゴルの海軍力が
弱体化するのは当たり前。
もともと渡海戦で勝てなかったのではなく、元寇で日本に負けたせいで勝てなくなったんだよ。
55:世界@名無史さん:2010/02/18(木) 19:21:42 ID:0>>50
モンゴルは渡海戦で三別抄に勝ってるし、厓山の戦いでは南宋の大艦隊も全滅させてる。
弘安の役で武士が3500隻、10万人の江南艦隊全滅させたんだから、それ以後モンゴルの海軍力が
弱体化するのは当たり前。
もともと渡海戦で勝てなかったのではなく、元寇で日本に負けたせいで勝てなくなったんだよ。
刀とレイピアってどっちが強いの?
もちろん、刀だよね。このスレ的に。
56:世界@名無史さん:2010/02/19(金) 00:57:54 ID:0
このスレじゃなくても刀は世界最強の切れ味を誇る剣
倭寇の刀に明は散々悩まされ正式装備にしたくらい
レイピアなんてのは相手をしとめられないし
57:世界@名無史さん:2010/02/20(土) 13:12:33 ID:0
突く槍と切る薙刀では、先制攻撃の出来る槍が優れてるってのが宮本武蔵の見解だな
58:世界@名無史さん:2010/02/21(日) 18:27:42 ID:0
重さ勢いで威力をつける槍と違い、レイピアじゃ即死や致命傷に追い込めないだろう
60:世界@名無史さん:2010/02/21(日) 19:05:38 ID:0
ならレイピアはなんで主要な装備にならなかったんだろうな?w
日本刀は1000年以上形は変わっていないのにw
明治でも西洋剣はサーベルが主要でレイピアではない
西洋の合戦のほとんど戦闘中に相手を気絶させるのが主で
剣といえば重い大剣でレイピアじゃないw
61:世界@名無史さん:2010/02/21(日) 19:37:18 ID:O
>>60
日本でも戦場で主流だったのは日本刀じゃなくて槍だな
>>60
日本でも戦場で主流だったのは日本刀じゃなくて槍だな
63:世界@名無史さん:2010/02/22(月) 06:53:44 ID:O
>>61
日本刀もセイバーも馬上刀であって、歩兵装備としては槍に劣るのは当然
64:世界@名無史さん:2010/02/22(月) 08:28:50 ID:0>>61
日本刀もセイバーも馬上刀であって、歩兵装備としては槍に劣るのは当然
レピアって先に血を流した方が負けという決闘向けに最適化された武器だと思ってたが
実戦にも使われたのか
65:世界@名無史さん:2010/02/22(月) 22:53:57 ID:0
明征服といいながら半島半分しか戦線維持できなかった侍たち
67:世界@名無史さん:2010/02/25(木) 00:33:02 ID:0
>>65
本来の秀吉はまず倒す相手の反勢力を見方につけて内紛や派閥闘争を起こさせ
あるいは巧みに利用して、最小の兵力で勝利を得るのが戦の常套手段だったのだが
朝鮮の役ではそれらを利用した形跡が見られないのがミステリー。
もし朝鮮の朝廷内に秀吉に懐柔された者が居たら、こんな苦戦はしなくて済んだだろう。
文字通り、明への案内役として半島素通りして北京に攻め込めた筈。
勿論、明の朝廷内にも事前に秀吉に内通する者を作っておき、加藤清正は紫禁城を無血開城の下で
落とせた筈。
>>65
本来の秀吉はまず倒す相手の反勢力を見方につけて内紛や派閥闘争を起こさせ
あるいは巧みに利用して、最小の兵力で勝利を得るのが戦の常套手段だったのだが
朝鮮の役ではそれらを利用した形跡が見られないのがミステリー。
もし朝鮮の朝廷内に秀吉に懐柔された者が居たら、こんな苦戦はしなくて済んだだろう。
文字通り、明への案内役として半島素通りして北京に攻め込めた筈。
勿論、明の朝廷内にも事前に秀吉に内通する者を作っておき、加藤清正は紫禁城を無血開城の下で
落とせた筈。
83:世界@名無史さん:2010/06/08(火) 05:17:15 ID:0
>>67
外国だからなかなか渡りを付けにくかったのかね。
それとも、天下取りになった事で正常な判断力を失ったか。
66:世界@名無史さん:2010/02/23(火) 01:19:52 ID:0>>67
外国だからなかなか渡りを付けにくかったのかね。
それとも、天下取りになった事で正常な判断力を失ったか。
槍の優位性は長さにある
同じ長さなら突けて斬れる剣が有利であろう
68:世界@名無史さん:2010/02/28(日) 16:45:48 ID:0
通常レイピアは戦場では使わない
銃が普及し始めた当初、重装甲冑が廃れても
依然として胸甲は装着してる場合が多いし、レイピアでは胸甲は貫けない
胸甲が廃れた18世紀では、短槍術とも言うべき銃剣術が普及し
細身で軟なレイピアでは銃剣の刺突は防げず不利
戦場では防御にも使える幅広のサーベルが使用された
70:世界@名無史さん:2010/03/03(水) 01:53:11 ID:P
騎士からノブリオブリジを差っぴいたら、大体、武士だな。
76:世界@名無史さん:2010/05/26(水) 23:16:17 ID:0
>>70
忠臣蔵みたいに主君のために死ぬのが武士の高貴な義務だろ(俺は忠臣蔵嫌いだけど)。
私費で武具を揃えて鍛錬に励み、有事の際は鎌倉へ
77:世界@名無史さん:2010/05/29(土) 01:48:19 ID:0>>70
忠臣蔵みたいに主君のために死ぬのが武士の高貴な義務だろ(俺は忠臣蔵嫌いだけど)。
私費で武具を揃えて鍛錬に励み、有事の際は鎌倉へ
結局強かったのは武士階級じゃなくて徴募された百姓町人だったんだけどね。
島原の乱では1万4千の武装百姓を12万6千掛かりで4ヶ月落とせなかった。
下関戦争で戦死31人のほとんどが百姓町人。武士は戦死2人、処刑1人、自殺1人。
78:世界@名無史さん:2010/05/29(土) 22:18:13 ID:0
原城がなかなか落とせなかったのは
徹底した火力防御と、土塁や石垣を使った陣地構築の巧みさゆえだろ。
91:世界@名無史さん:2010/08/15(日) 14:56:49 ID:0
>>1
ただの人殺手段だろw
あるいは社会の寄生虫w
作り出すことはせず、他者から奪うことしか考えてなかった。
黒船以降は、薩長以外は英米などとまともに戦わずに降伏w
情けないw
私の先祖は侍でした、なんて誇らしげに言う奴が時々いるが、
そいつってば「私の先祖の仕事は、お金で雇われて人を殺すことでした」
って言ってるってことに気づいてないw
92:世界@名無史さん:2010/08/15(日) 19:16:13 ID:0
黒船たった4隻に降伏したのに何言ってやがる
93:世界@名無史さん:2010/08/15(日) 19:23:21 ID:O
その黒船のヤツが残した文書に
いままでの国とは全く違っていた。
いままで見た国は大砲打ち込めば両手をあげて降伏した。
しかしこの国の人間は賢く紳士的で絶対に屈服しない
他に例を見ない民族だつた。とあるよ
95:世界@名無史さん:2010/08/17(火) 21:37:05 ID:0
>>93
外交辞令
薩英戦争でも、下関戦争でも、武士は真っ先に逃げ出した
健闘したのは農民兵とアームストロング砲の自爆ぐらいだぜ
>>93
外交辞令
薩英戦争でも、下関戦争でも、武士は真っ先に逃げ出した
健闘したのは農民兵とアームストロング砲の自爆ぐらいだぜ
96:世界@名無史さん:2010/08/18(水) 10:21:55 ID:0
>>93
絶対屈服しないだけなら、朝鮮人だってできる。
西洋文明を取り入れるだけなら、トルコ人にだってできる。
>>93
絶対屈服しないだけなら、朝鮮人だってできる。
西洋文明を取り入れるだけなら、トルコ人にだってできる。