ボン兄タイムス

社会、文化、若者論といった論評のブログ

地方都市がダメになったのは「地方の中年世代のワガママ」が元凶だ

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 2014年現在、日本の地方都市はほとんどが風情がない。

 この酷い体たらくには我々首都圏の人間は呆れてしまう。海外から美しい日本を求めてやってくる人もガッカリするだろうし、地方の劣化は日本の抱える「世界の恥のタネ」の1つである。県庁所在地はどこも終わっているし、岐阜羽島新白河佐久平燕三条(三条燕)などのように片田舎ながら新幹線と高速道路を誘致し、インター沿いから駅前にかけて無機質無秩序にビジホ・マンション・イオン・ホームセンターなどを乱立させる悲惨な事例もある。こんなものは国辱モノである。

 では、美しい地方を誰が奪ったのかと考えると、その元凶は「地方の中年世代」にあると思う。概して、60代~40代くらいの戦後昭和生まれ育ちの連中だ。

 それを本当に実感したのは2年前のことだ。

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(※コモンズより引用したイメージで実際の住宅ではない)

 2年前に祖父が他界し、葬式や家の整理などを行った。

 祖父母の暮らす古い民家を東日本大震災被災したため取り壊すことになったのだが、その際、現地のおじおばは、戦前の貴重な品々を何も考えずにゴミに出そうとしていたのだ。江戸時代に地元の職人に作らせた箪笥も容赦なく破壊していた。代々大切にしていたようなものもゴミ扱いだった。

 私はこれはまずいと思い、軒先のゴミ袋から貴重そうな文物を持って帰れるだけ持ち帰ったのだが、この時ハッとした。「これが地方の中年の体たらくなのだろう」と。もしも震災がなくても、あっけなく家をぶっ潰したはずだ。

 

 地方の伝統的な住宅は広く作られている。

 敷地面積は「首都圏の国道沿いのファミレスやドラッグストア」くらいか、それより大きいくらいだ。母屋があり、庭があり、蔵があり、畑があり、離れなんかがあり、日本人本来の暮らしの構造がそこにある。そしてそれを代々守り抜いてきていた。

 だが親戚家族は、その敷地内に新宅を作り、同じイエの土地の中に別の家庭を築いていた。これは地方の戦後昭和生まれには当たり前のことで、新宅は5LDKと土地のない東京の住宅よりは広いものの、家のつくりは東京と何も変わっていなかった。フローリングのリビングのコーヒーテーブルにローカル新聞が置かれている光景はシュールなものである。

 

 地方の中年世代は、親世代まで何百年と続いた伝統的な郷土の暮らしや文化を引き継がなかった。

 これはなぜかというと、「地方性というものは不便で悪しきものだ」というコンプレックスが原因である。だから、大人になると長男長女のような伝統を世襲しなければならない存在すら世帯を分離し、イエの中に別の家を作ったのだ。

 こういう現象はもしかすると1970年代くらいから始まっていたかもしれない。でも急速に激化したのは2000年代後半以降ではないか。どんなに僻地のような場所の高速道路や新幹線の車窓でさえも、大自然の中にポツンと「土地の狭い首都圏の理屈で設計された真新しい戸建て住宅」が建っていたりする。そこも多分、土地だけは先祖代々のもので、古民家とともに文化資本を処分した上にワガママな大人が暮らしているんだろう。

 

 三浦展の指摘する「ファスト風土化」を引き起こしたのは、ほぼ間違いなく、「地方の中年世代のワガママ」が元凶なのだ。地方で郷土本来の風景が消えていくのは、それを大切に守り抜いた高齢者が死に、それを否定することに躍起になった中年たちが台頭するからなのだ。「古いもの」はどれほど価値があろうが、否定するべくものなのだという先入観が地方を壊し、無機質な開発を求め、道路や新幹線やハコモノ原発で満たされるような土建屋利権政治を推し進める「自民王国」や「民主王国」の政治を追い求め続けたのである。

 それは地方にとって不幸なことだし、なによりそういう利権の産物は国民の税金で作られている。国民の大半は東京に住んでいる。「地方交付税」は東京は1円も受け取っておらず、首都圏の大半の自治体はほとんど配当されていないが、都会でかき集めた税収が地方の道府県にばら撒かれている構造がある。

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 ヨーロッパに目を向けて欲しい。欧州諸国はどこも、こんなくだらないことはしていない。

 地方都市には「地方都市本来の街並み」があり、農村部にいけば、山や農地などの大自然の中に集落がある。

 本来の文化のありようが風景に残っているのだ。

 たとえばドイツなら、固有の木造家屋の街並みを残している地方都市もあればドレスデンのように空爆で街が全壊状態になっても本来の姿を復元した事例はいくらでもある。地方論をめぐっては、たまに「日本家屋は木造建築だから長持ちしないのだ」とか「戦時中の空襲ですでに日本の地方は風情を失ったのだ」という詭弁を振りかざす人間もいるが、戦災や自然災害に理由を付けるのは言い訳である。ちなみに前述の祖父の家では江戸時代の蔵はあれほど大きな地震でもビクともしなかった。

 タフな日本の伝統的な建物を容赦なくぶち壊すのは、単純に日本の地方には発展途上国型のコンプレックスを持った大人が多いからなのだ。日本は先進国だが、それは突き詰めたら都会とごく一部の文化的な地方地域に限った話なのかもわからない。

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 そして、ヨーロッパの地方都市が必ずしも「中世のままに生きている」わけではない。当たり前だけどインターネットもマクドナルドも存在している。

 高速道路だってある。フランスの新名所「ミヨー橋」のような大型公共事業もある。新幹線が日本にあるように、ドイツにはICEが、フランスにはTGVが最高時速300キロを突破する速さで駆け抜けている。

 日本の田舎にイオンがあるように、フランスにはカルフールが、イギリスにはテスコがある。スウェーデン発祥のIKEAH&Mは、日本ではニトリやしまむらに該当するだろう。

 

 しかし、それらはけっして乱開発ではない。適材適所が行われている。日本のように、どう考えても採算がとれない場所に高速道路やバイパス道路や新幹線をやたらめったら引き延ばすような「衆愚政治」は存在しない。チェーン店舗の進出率も「身の丈に合ったレベル」に抑えられているから、情緒のある古い商店街も両立できるわけだ。

 日本では、人口10万にも満たないレベルの正真正銘の片田舎ですら家電量販店が「コジマ・ノジマ・ケーズ」全て揃っていて、同じレベルの近隣自治体も同じでビックリしてしまうこともある。そりゃあ商店街が潰れない方がおかしいだろう。2つの街の中間地点に1個くらいあれば十分だし、いまどきネット通販があるのだから家電店が未進出でも何も困らないだろう。

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 かくして、地方の中年世代のワガママは「表面的な近代化」を実現したが、地方の「本質的な発展」を阻害したのではないか。

 地方の親戚の中には、会話がやたら粗悪な人が少なくない。恥ずかしげもなくアジアなどの国・民族に対するヘイトスピーチをひけらかしたり、地元の悪い噂話などをにやつきながら話したがる低劣な人間は少なくない。ヤンキー化・マイルドヤンキー化する環境下、そうした地元では主流となったオラオラ系の若者たちを、外見で判断して「なにかいやらしいもの」であるかのように拒絶反応を示したりもする。これは陰湿で閉鎖的な島国根性ムラ社会の極みではないか。大の大人が中学生でもわかるくらい論理的にはメチャクチャなことを振りかざしているものを見ていると、今時2ちゃんねるの書き込みの方がもっとまともじゃないかと思ってしまう。

 もっといえば小渕代議士の不正問題だって古典的な田舎者の悪しき精神風土・社会風土丸出しである。そうやって成り上がった政治家が利益誘導を行い、新しい新幹線駅や道路を作り、その沿線に上辺近代的な無機質な街並みができあがり、その「実績」が票を集めるという連鎖があるのだとしたら、これほど愚かで無様で民主主義をなめきったようなことはないだろう。

 

 「本質的な発展」とはすなわち民度の向上であり、文化的次元や知性の発展であるのだが、普通に生きているだけでそれを培うことのできる環境は、日本では都会にしかないのが現実なのだ。首都圏で地域活動を行いつつ、地方の親戚などと触れて気づいたことは、都会で底辺高卒のバブル世代のブルーカラーのオジサンより、上京して東京の中堅大学を出ながらも都落ちして久しいような同じ世代の中年の方が悲惨だという現実だった。

 無理もないのである。地方には情報源が少ない。みんながみんな同じ名字で、同じ顔つきで、100年以上同じ地域に生まれ育っていて、せいぜい県内の別の地域出身と言うパターンしかいなければ、暗黙の了解が似通ってしまい、島国根性ムラ社会に起因する全体主義が勝手に醸成され、「おらが村の常識が東京や世界では非常識であること」に気づけなくなってしまう。

 そうやって地方は戦後の長きにわたり、地元社会の程度に気づいたマトモな若者を東京に流出させ、高齢化率を高めながら、本質的には何も進歩せずに今まで続いてきて、地方に存在価値を与えていた固有の文化を空洞化させ、ついには枯渇させていったのだから、地方の中年・中高年層たちのエゴと無知による罪は極めて重いのだ。 

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 しかし希望がある。それは地方の平成生まれ世代だ。

 彼らからすれば地域固有文化はもう生まれる前からほとんど身近に存在していない。生まれつきイオン・ネイティブで、シャッター化した商店街に近寄る用事がそもそもなく育ってきた。神奈川県や埼玉県の各駅停車しか止まらないダサい街の郊外をもっと安っぽくしたようなファスト風土が基準となっているため、却ってむしろ現状に対する憂慮意識を持っている。

 都会では地域活性活動は移り住んできた新住民の中年世代層が主体となって行われがちだが、地方都市では2~30代の若い世代が主体だ。彼らが空き店舗にモダンな店を開業したり、農村や離島でアートイベントを開いたり、音楽フェスをやったりするのだ。高校生がクラウドファンディングを始めたりもするし、ローカルアイドルも地域愛を持った少女たちが手弁当でやっているものが大半だ。彼らはインターネットで東京とダイレクトにつながっているため、アッパー系のセンスのいい子ほどいい意味で東京的感覚と地元の感覚を両立させている。

 

 先人の悠久なる歴史も次世代の未来も考えず、我欲とワガママに生きた中年世代が散々に落ちぶれさせられた地域を建て直すのは、夢と希望に満ち溢れた若い世代だ。

 もしも地方創生を本気でやりたいなら、自民党政府は若い彼らにこそ支援すべきだろう。もしも昭和の大昔の自民党と同じように既得権の中年に媚びを売るようだったら、保守を標ぼうする自民党こそ美しい日本の地方をぶち壊す「売国政党」なのである。