「お城これくしょん」あらため「御城プロジェクト」始めてみました
お城これくしょん改め「御城プロジェクト」リリースのお知らせがDMMから届いていたので始めてみました。事前登録ユーザーのみ参加可能になっています。本日一般公開されたそうです。
御城プロジェクト設定ストーリー
ログインすると唐突に設定が語られはじめます。要約するとですね、主人公のたぶん冴えない若者がどこぞの城址公園で一人で詰め将棋を打っていたら巨大兜型生命体が登場して暴れまわり始め、そこにさらに巨大美少女もあらわれ戦闘に、とそこで主人公の背中に捕まるマスコット系ナビキャラ神娘の千狐に、僕と契約して殿さまになってよ、と無理矢理城娘に指示を与える役目を押しつけられ、とりあえず城娘を選択して、あれよあれよという間に戦闘開始、なんかよくわからないうちに勝利を収めたかと思うと、時空の歪みでいつだかわからない関ヶ原に飛ばされて、ゲームスタートという話です。アニメにしやすそうな王道巻き込まれ系アバンです。
艦これでは一部ユーザーの説に留まっていた巨大美少女説が前面に押し出され、画面上でもボタン一つで巨大化させて天主閣の窓から顔を出す女型の巨人な城娘で遊べたりできるので、そっち方面の趣味の方にはおすすめできるんじゃないかと思います。しかし、この飛ばされた先の関ヶ原とは戦国時代なのかどこかのパラレルワールドなのか、たぶん後者っぽい。
初期城娘
最初の城娘として選べるのは以下の六人
- 坂戸城(越後)
- 三木城(播磨)
- 勝瑞城(阿波)
- 浦添城(琉球)
- 根城(陸奥)
- 新府城(甲斐)
この中から一人+ランダムでもう一人が最初の仲間になります。一部では三木城がガチと噂ですが、そこはほっといて新府城ちゃんを選びました。いちおう個人的には北条推しなんですが北条の城は無かったんで、近くの武田の城ですね。縁が無いわけでもなかったし、あと妙に生真面目な感じが一番好みでもあったので。また、最初期の任務に根城を必要とするものがあるので、効率的に進めたい場合には根城が良さそうです。ただ初期城娘はみんな最初の戦闘マップでドロップするようなので誰を選んでも問題なさげ。
この子、あとあとボイス聴いてみてわかったんですが、色々とこじらせているというか思いつめ系女子で・・・元々新府城は武田勝頼が長篠合戦の敗戦後に躑躅が先館に代わる新居城として1581年に真田昌幸に命じて築かせたもので、翌1582年、勝頼は織田徳川連合軍に敗れ、新府城に火をかけて小山田信茂の岩殿城に落ちのびるが、小山田の裏切りにあい敢え無く最期を遂げ、武田家は滅亡する、という、城としては非常に可愛そうな命運を辿っただけに、セリフも「いつも、わたしはみくびられている気がする!」とか「私は軽視されているのだな・・・みんなにもっと信を得られるようにならねば」(放置ボイス)とか「躑躅ヶ崎公にできて私に出来ぬはずがないのだ」とか何から何まで重い重い重い(笑)でも最初の頃に仲間にできる城娘のなかではかなりバランスよく強いほうだし凛々しいし・・・ただし運5で他の城娘と比べてもずば抜けて低いんで城プロ世界の扶桑姉妹かむっちゃんかというレベルだと思う(笑)幸せにしてあげたい。
武田氏関連
・「真田三代 幸綱・昌幸・信繁の史実に迫る」平山 優 著
・長篠の戦いでの「三段撃ち」は後世の創作
・武田武士団を基盤とした会津武士団の誕生
新府城とともにランダムで選ばれた子は浦添城(グスク)で、この子は新府城と正反対に楽天的な褐色ロリっ子なので、いい感じに二人で中和されています。いやでも、浦添城もかなり悲劇的な命運を辿った城で、そもそも琉球王国は十六世紀、代々王位を継ぐ首里王家と傍流の浦添王家との二統だったが実質浦添王家からは王は出されず歴史の陰に隠れたままだった。十六世紀末、首里王家が絶えたことで初めて浦添王家から尚寧が王位に就くことになるが、そのときには既に斜陽を迎え、明国からは距離を置かれ、薩摩、豊臣、さらにはポルトガルと諸列強の圧迫の中で苦しい外交を強いられた後、1609年、琉球征服によって薩摩を通じて徳川政権に従属させられる。その琉球征服戦争の際に浦添城は最前線となって薩摩軍によって破壊され焼失。その後、浦添城址は太平洋戦争時の沖縄戦でも激戦地となるなどかなり血塗られた歴史を辿っていて、争いごとを好まない性格づけがされているのも納得の設定というか。楽天的なセリフの中にどこか諦めが感じられて切ない。あと、何言ってるかわからない琉球語のセリフが癖になります。弓攻撃が頼りになる。
琉球関連
・琉球王国の興隆と衰退を中心に十六世紀東アジア貿易と島津-琉球外交略史
・文禄・慶長の役を巡る明・琉球・島津氏の情報戦
・「琉球の時代: 大いなる歴史像を求めて」高良 倉吉 著
・「アジアのなかの琉球王国」高良 倉吉 著
二人にあわせて事前登録特典として東黒川館もが配布されています。東黒川館は一定レベルで黒川城に、さらに会津若松城にと段階的に改装可能なようで、この段階を追うやり方は良いですね。東黒川館は蘆名氏の居城だけあって、優等生風なルックスに反して、「世は下克上の機運が高まっており、世継ぎ問題等の内紛の隙をみせれば敵に襲われます。お殿様、お世継ぎは大丈夫でしょうか?」とか「また北の方のずんだもち城が風紀を乱しているのかしら?まったく、どうしようもないですね。」とかセリフが不穏(笑)蘆名氏は世継ぎ争いが絶えずそれが原因で弱体化し伊達氏に摺上原の戦い敗れて滅亡、ずんだもち城はたぶん伊達氏の居城米沢城だろう。風紀を正す委員長的振る舞いはこのあたりの歴史からなんでしょう。伊達氏は蘆名氏滅亡後米沢城から黒川城に居城を移すも、秀吉の奥州仕置によって取り上げられ以後蒲生、上杉、加藤ところころと城主が変わりつつこの間に黒川城は増改築され最後は保科正之が入って会津保科家の居城鶴ヶ城(会津若松城)となって幕末を迎える。このあたりの紆余曲折はどうキャラクターに反映されていくか、育てるのが楽しみな城娘の一人ですね。
蘆名氏・会津関連
・日本奥州中世史を振り返りつつ会津蘆名(葦名)氏の興亡まとめ
・「八重の桜」をより深く楽しむための会津藩家老田中玄宰の改革まとめ
・幕末から福島県誕生までの変遷図と福島県諸藩まとめ
この三人を最初の仲間にしてゲーム開始です。
御城プロジェクトメイン画面
色々やってみた後のキャプチャなので最初期の画面ではないです。最初は詳しくチュートリアルが表示されています。
ほぼ艦これに近いユーザビリティなのでわかりやすい。ここは提督執務室ならぬ天守部屋。資源は米・木・石・鉄・金で上部に順番に表示されていて、下段の一番右は標準要石という、艦これでいうところの開発資材です。右のメニューは上から修繕(修理)、編成、合戦(戦争)、築城(城娘製造・装備開発)、普請(増築という名の余剰城娘を使っての能力アップ・一定レベル以上になると近代改築が可能)ですね。左下は右がメイン画面に戻る、左が巨人化(城娘化:通常時は御嬢という状態らしい)ボタンで、押すと窓の外にぬっと城娘が登場します(笑)基本的には艦これ同様指定された「任務」に従って進めていく感じ。
御城プロジェクト探索
探索は艦これでいうところの遠征。山地、水域、平原ごとに獲得できる資源の種類が違い、それぞれの地域ごとに短期(20分)、中期(3時間)、長期(6時間)の探索が可能となっています。城娘はそれぞれ平城、平山城、山城、水城、海城に分かれていて、さらにそれぞれの組み合わせで両方の特性を持った城娘がいますが、探索ではそれぞれの種類に応じて成功確率が上がるようです。山地では山城が、平地では平城が、水域では水城が部隊の1番手にいると成功しやすいみたいです。一応何度か試してみた記録はこんな感じ。
- 平地短期:鶴崎城(平lv1)、水口城(平lv1)、大聖寺城(平山lv1)、東黒川館(平山lv2)
→成功:木57 鉄57 米157 - 平地短期:鶴崎城(平lv4)、水口城(平lv4)、石山城(平山lv4)、飫肥城(平山lv5)
→成功:木57 鉄57 米157 - 平地短期:水口城(平lv4)、鶴崎城(平lv4)、大宝寺城(平lv4)、飯盛山城(山lv4)
→成功:木57 鉄57 米157、破壊の弓1(平原1探索100%到達) - 平地中期:大宝寺城(平lv4)、鶴崎城(平lv4)、水口城(平lv4)、多聞山城(平山lv4)
→成功:木219 鉄219 米604、標準要石1 - 平地長期:鶴崎城(平lv4)、水口城(平lv4)、大宝寺城(平lv2)、大聖寺城(平山lv4)、石山城(平山lv4)
→成功:木228 鉄228 米628、標準要石1&三木城 - 山地短期:浦添城(山lv4)、飫肥城(平山lv4)、防己尾城(平山/水lv3)、三崎城(平山/水lv3)
→成功:木99 石99 米75 - 山地中期:浦添城(山lv4)、東黒川館(平山lv4)、大聖寺城(平山lv4)、石山城(平山lv4)
→成功:木381 石381 米288&多聞山城 - 水域短期:鬼ヶ城(山/水lv3)、石山城(平山lv4)、飫肥城(平山lv4)、水口城(平lv4)
→失敗:木37 石37 鉄37 米24 - 水域短期:鹿児島城(平山/水lv4)、鬼ヶ城(山/水lv4)、三崎城(平山/水lv4)、防己尾城(平山/水lv4)、引田城(平山/水lv4)
→成功:木75 石75 鉄75 米48
マスコットの千狐のアドバイスが表示されるのでそれに従って編成していくと、三人ではいまいち、大体四人編成でOKが出ていますね。
御城プロジェクト築城
これも大体艦これと一緒で、最低値はオール50。色々まとめサイトをみてみたけれどレシピはまだ確立されていないようです。一応試してみた記録。
50/50/50/50 飫肥城 30分
50/50/50/50 鶴崎城 35分
50/50/50/50 三崎城 50分
50/50/50/50 水口城 35分
50/50/50/50 防己尾城 50分
290/50/290/50 大聖寺城 30分
なんとなく艦これでいうところのレア駆逐レシピに近い数値で回してみたけれど、大聖寺城はドロップでも一番良く出る子なので特別感はなかった。
御城プロジェクト戦闘
合戦についてはまだよくわかっていません。とりあえず編成して出撃して、それぞれの特性に応じて戦地の要所要所に配置して攻撃するという流れですが、このあたりよく調べて効果的な戦闘ができるよう色々調べてみようと思います。とりあえず防御力の高い城娘をメイン盾として最前線に置き、攻撃力のある城娘を近くにおいて、その後ろに遠距離攻撃型の城娘を配置して大将を守るというかたちにしようとしていますが、まだいまひとつ上手くいかないという感じです。このあたりは公式でも詳しく解説されているので、あらためて良く読んでみる。
合戦場はまず「関ヶ原」があり、敵を撃破して行けば段階的に作戦が進む、艦これと同じ方式です。それぞれのマップで勝利すると資源と城娘がドロップします。
今のところのドロップの記録です。
1-1(関ヶ原「本命は大きな兜!」)石山城、小田喜城、鬼ヶ城、大聖寺城、水口城、一本松城、飯盛山城、鶴崎城
1-2(関ヶ原「関ヶ原兜祭り開催」)大聖寺城、鹿児島城
1-3(関ヶ原「救世主英俊の登場?」)引田城、大宝寺城
戦闘によってスキルゲージが溜まると技が発動できるようになります。画像は小田喜城の技とんぼ切り発動画面。ずばばっと高い攻撃力で敵を撃破してくれます。城娘それぞれの特性に応じた技が使える模様。
配置、個別撤退、技の発動など艦これと違って戦闘中に色々とプレイヤーがコミットしていく必要があるので艦これより多様な戦闘ができるようになっているという印象でしょうか。何かしら個別撤退時期を逃して城娘を全壊状態にしてしまうのですが。全壊になった城娘は敵の捕虜となり、戦闘に勝利すれば戻ってきますが、敗北すると捕虜のまま一日以内に身代金を払って取り戻さない限り、ロストしてしまうことになるようです。今のところ全壊しても勝利しているので捕虜の交換はしたことがなく、このあたりは詳しくはわかりません。まぁ人身売買・捕虜交換は戦国の世の習いなので二次創作が捗る設定というやつです。
仲間にした主な城娘
とりあえず11/15時点で18人を仲間にしました。その中で気になる城娘たちをピックアップ。一応近所の図書館で定番「日本城郭大系シリーズ」の該当箇所をチェック、あわせてwikipedia等も参照しつつ書いてます。
上総小田喜(おだき)城
セリフは普通に気弱系で出陣ともなると慌てた仕草が、おい名取、名取じゃないか。しかし艦これ名取さん同様、初期に仲間になる城娘としては能力が高いレベルでバランスよく配置されていて超頼りになる。というのも元々里見氏の重臣正木氏の居城として対北条戦防衛の要として非常に重視された城で、徳川氏が関東移封されてからは徳川家随一の猛将本多忠勝に与えられて整備され難攻不落の名城大田喜城となり、幕末まで残った。上の画像で紹介したとおり持っている技も本多忠勝由来の「とんぼ切り」と、ぐうかっこいい。
もう少し詳しく書くと、小田喜城は小田喜郷の城という通称で(大田喜)根古屋城として記録に残る。元々は大永元年(1521)、上総真里谷城主武田信興の命で武田信清によって対里見氏防衛の拠点として築かれたが天文十三年(1544)正木氏が武田氏を破って城主となった。天正十八年(1590)、家康にこの城を与えられた本多忠勝は根古屋城が近代戦にそぐわないとして、西南1.5キロの地に新たに縄張りして当時の築城技術の粋を集めた大規模城郭大田喜城を築いた。夷隅山系、房総丘陵、夷隅川など五段階の天然の防衛線によって守られ三の丸から天守まで内堀空堀上に築かれた土塁は本丸で最大30メートルにも及ぶ『ほかにあまり例がない日本城郭史上、特筆すべきものである』(日本城郭大系6 P166)。慶長十四年(1609)、この城を訪れたフィリピン群島臨時長官ロドリゴは城の備えの厳重さに感嘆し、『地方一城の江当主の所有するとは考えられないほどの武器を収蔵してあったのに驚いた』と語っている。江戸時代に規模は縮小され、幕末には新政府軍の攻撃にあって城主松平正質は降伏、大田喜城を政庁とした大田喜藩が置かれ、後に廃藩置県に際して廃城となった。
一定レベルで大田喜城に改築可なようなので楽しみに育てたい。
相模三崎城
ツインテロリ。熱い北条氏推しの僕としては外せない、北条氏による対里見水軍防衛拠点の中心となった城。三浦半島南端城ケ島の対岸にあたる一帯にあり、元々は北条早雲に滅ぼされた後三浦氏によって築かれた水軍の城で、後三浦氏滅亡後、三浦義同に仕えていた水軍・海賊たちが北条氏によって取り立てられ、北条水軍として組織された。現在の叶神社にあたる浦賀の浦賀城とセットで北条水軍の要となった城なので浦賀城ちゃんの登場にも期待したい。マグロが美味しいは三崎の名産がマグロであることから。防御には自信があるけど攻撃は・・・とか微妙に自信なさげなところもあるけど、三崎城は重要な城だったから自信持っていい。
三崎城関連で浦賀城についての関連記事
・西叶神社・東叶神社と浦賀の渡し
大和多聞山城
バラとか黄金とか美とか茶器とかに五月蠅い自信満々なお姉さんキャラ。しかし、防御力は今のところ群を抜いて高く一人三ケタなので、合戦ともなれば最前線に置いてメイン盾として超頼りにしている。多聞山城はお馴染み戦国の梟雄松永久秀の居城として1560年頃から築かれた平山城で天守を備えたかなり初期の城だとされている。松永氏の初期の居城として畿内を制圧する拠点として活躍し、後に織田軍を凌いだこともあって名高い。歴代城主も松永久秀、明智光秀、柴田勝家と戦国時代を代表する名だたる武将揃いです。大和を与えられた筒井順慶は多聞山城には入らず、天正五年(1577)、村井貞勝の指揮の下廃城となり、続いて信貴山城の戦いで元城主松永久秀も自害した。セリフにある城を褒めた宣教師はルイス・フロイスのこと。
紀伊鬼ヶ城
スク水鬼っ子一人称はオレで豪放磊落キャラと属性山盛りな子。俺をこんなに強化して大丈夫か?というどっかで聴いたことのあるセリフとか攻撃力がちょっと高い他はそれほど突出したところもなく探索で重宝しそうなあたりとかどうみても天龍ちゃんです本当に(以下略)。鬼ヶ城という名の城は結構各地に残っているのだけど紀伊の鬼ヶ城に関する記録はそれほど多くない。三越川と熊野川の合流地点に築かれた城で、平安時代の武士の名族城氏の流れを汲む松本氏によって築かれた。天正十三年(1585)、熊野水軍の将堀内氏善によって攻略され、後に廃城になった、という。
河内飯盛山城
一見おっとりキャラだけど連歌が好きすぎて編成されると連歌会への出席予定だったのにと恨み節を言ってきたりする特徴のある城娘。能力的には取り立てて特徴がなく、むしろ弱い方なのだけど、日本城郭体系でも『南方防備の弱さ、役に立つか立たぬかも分からない小規模な東西尾根の郭など、名城とは呼べない縄張り』(日本城郭体系12 P105)と辛口の評価を下されています。一方で、『三好政権の河内平定とともに歩んだ城』(同P105)、『日本中世史を研究する上で、飯盛山城はさけて通ることのできない』(同P102-103)と歴史的意義が非常に高く評価された城でもあります。
史実では畿内の覇者三好長慶の居城としてその名を知られています。南北朝時代に建てられた様なのですが・・・と曖昧なことを言っているように、いつ築かれたのかは諸説あります。史料上初登場するのは「太平記」、高師直軍の一隊が飯盛山城を攻撃したのが最初で、その後も幾度か登場するが、この頃はまだ戦時に臨時に設けられた陣地のような扱いで、十六世紀に入って畠山家の家臣木沢長政によって城として整備されたとされます。木沢氏は勢力を伸ばして畠山家を超えて将軍直属となり、細川晴元・三好長慶との対立が深まり、天文十一年(1542)、長慶軍に攻められて木沢氏は滅亡、続いて畠山家の臣安見氏が飯盛山城主となるが、畠山氏と安見氏の対立が深まり、畠山氏と結んだ長慶が安見氏を撃破、続いて長慶の伸長を恐れた畠山・安見両氏が手を組むと長慶はこれを倒し、飯盛山城に入城、ここから足利義輝を将軍とし畿内制圧に乗り出す。セリフで「多聞山城に助けられた」と言っているのは、永禄四年(1561)、畠山軍に取り囲まれた飯盛山城を松永久秀が救援したことによるものだと思われます。長慶死後、後を継いだ三好義継、三好三人衆、松永久秀の泥沼の戦いとなり義継は飯盛山城から高屋城に移り、その後織田信長による河内平定を経て三好家の家臣であった畠山昭高が飯盛山城主となるが、天正四年(1576)、遊佐信教の反乱により信長に攻められ廃城となった。
三好長慶は朝廷との外交の一環でたびたび飯盛山城で連歌会を開いており、晩年には戦よりも連歌を重んじるほどになっていたというから、戦を忌避する程度の連歌好きキャラはそこからだと思われます。一時は畿内の覇者として三好政権を打ち立てるほどの栄光、その後の混乱と破滅、などを考えるに、能力的には見るところも無く、将来性もあまりなさそうではあるけど、やはり大事にしてあげたい気がする。
因幡防己尾(つづらお)城
戦いを好み、ゲリラ戦ゲリラ戦と繰り返す夜戦ならぬゲリラ戦バカっぽい雰囲気が妙に愛おしい武人タイプの城娘。いまのところ僕の中で「くっ!殺せ」という台詞(ゲーム中では言わないけど)が一番似合う城娘でもあり、ぜひ捕虜にさせて身代金を払って取り戻して安心させたいタイプの子です。どんなタイプだそれ。能力的にも小田喜城と並び非常に良いバランスなので、重宝しています。
因幡山名氏の家臣吉岡将監定勝によって天正年間(天正六年(1578)頃と推定されている)に現在の鳥取市湖山池のほとりに建てられた城。湖上からの攻撃しかなく小規模な城ながら攻めるに難しい天然の要害に守られていた。天正九年(1581)、羽柴秀吉軍による鳥取城攻略時、吉岡将監親子と弟右近は防己尾城にこもって羽柴軍に対しゲリラ戦を展開、羽柴軍を繰り返し打ち破って非常に苦しめた。天正九年七月、羽柴方の将多賀文蔵が攻め寄せてきたとき、その裏をかいて奇襲、多賀は討ち死にし、その際秀吉の千生瓢箪の馬印を奪ったという。秀吉の命を受けた亀井玆矩軍の猛攻も退け、秀吉は兵糧攻めに転じて兵の離散を誘いなんとか陥落させた。吉岡一族は毛利氏の下に逃れた後、帰農したという。
日向飫肥(おび)城
築城したら最初に来た城娘であり、任務クリアしたらこれまた最初に来て、最初にダブった子であり、さらに最初に改修の餌にした子でもあるんだけど、妙に素朴なルックスと、これまた温和そうなヴォイスで癒し系の地位を獲得、「ばらかもん」とかに出てきそう。弓使いでもあり、浦添城ちゃんとのコンビネーションで遠距離攻撃が光る。あと、運が破格の172で、なんだ雪風か。というわけで運5の新府城ちゃんが泣いています。
実はずば抜けて高い運の値も納得の歴史的背景の持ち主です。いつ築城されたのかははっきりしないものの、すでに康安二年(1362)には記録があり、長禄二年(1458)、島津忠国が日向の伊東氏に対抗して重臣新納忠続を飫肥城においたとされています。以後、伊東氏と島津氏の熾烈な戦いの中で島津氏から伊東氏へ再び島津氏また伊東氏、かと思えば島津氏とたびたび城主を代えながら存続、天正十五年(1587)、秀吉の九州統一後は伊東祐兵に与えられ、江戸時代には飫肥藩五万七千石の本城となりました。『これだけの長期間に渡って伊東・島津氏という2つの勢力が一貫して1つの城を巡って争い続けた例は、日本の戦史において稀有な例』(飫肥城 – Wikipedia)といいます。貞享元年(1684)、大地震で損壊すると八年の歳月をかけて再建、近世城郭として生まれ変わり、あわせて城下町が整備されました。維新後廃城となるが、昭和五十年代から復原され、全国一と言われる武家屋敷の町並み保存が行われている。日本百名城の一つであり、城郭としては宮崎県唯一の国指定文化財でもあるとのこと。
城娘としては現状改築のデータはなさそうですが、戦乱の世を生き残りさらに一気に羽ばたいていった歴史も踏まえると将来性も有望そうな印象です。
薩摩鹿児島城
薩摩島津氏の居城らしからぬ温和でネガティブな言動が多い城娘でちょっとかわいそうになるけど、その一方で貴重な鉄砲の技能を持ち攻撃力も高いのでこれまた頼りになります。まぁ、自信喪失しているのも納得の歴史的背景があって・・・
鹿児島城=鶴丸城の築城は慶長七年(1602)、しかしその背景として島津一族の確執がある。秀吉の九州征服後、島津氏は対外政策を巡りおよそ島津義久派、義弘派、忠恒(のちの家久)派の三つの勢力に分裂し、内部抗争を繰り返した。ざっくりわけると反秀吉の義久に対し、義弘・忠恒親子は親秀吉で、それが朝鮮出兵時の分裂になるが、秀吉死後は反家康派の義弘、親家康派の忠恒、独立維持の義久となり、続く関ヶ原の戦いで西軍についたのは義弘が勝手にやったこととして講和交渉を進める義久に対し、忠恒は家康への従属を表明、そのような意見対立を経て、忠恒は旧来の居城内城では充分な体制を整えられないと考え新城建築を進めようとする。
忠恒は広い城下町を築くことができる城山の地に新たに城を築く計画を立てたが、これに対して義弘は対家康戦を見据えて戦略上の要衝であり、守りに堅く、かつ建設経費もかからない、内城の前に居城としていた清水城への移転を主張する。このような意見を跳ね除けての鹿児島=鶴丸城建設で、近世城郭と違い旧来からの防御に薄い屋形造の居館であり天守閣を設けないなど家康への恭順の意思を示した城郭として築かれた。本城を小規模な城としたことで一国一条令の例外として支城を築くことが許され、武士の分散定住による外城制の存続がなされた点などは島津氏の内部対立からの折衷案であったのかもしれない。しかし、三殿制度と呼ばれる忠恒(家久)・義弘・義久の鼎立状態もあり、城代でもあった鶴丸城後詰の上山城主であった島津常久死後は鹿児島城には誰も住むことなく聖域とされた。城下町が整備されて薩摩藩の再生と繁栄の象徴とはなったものの、結局使われることなく何度となく破損と修復を繰り返し、幕末、薩英戦争で英国艦隊の砲撃を受け、維新後の明治七年焼失した。その跡地に西郷隆盛によって私学校が建設、西南戦争の舞台となった。
というわけで、鹿児島城が自信喪失しているのは大体島津兄弟がわるい。島津兄弟の確執は琉球征服にも主に悪い方向に影響を与え、朝鮮出兵時にもアジア全体を巻き込んでの諜報戦の切っ掛けともなったし、当時、仲直りさせることに定評のある天体のメソッドのノエルちゃんさえいれば歴史が大きく変わっていたはず。あ、防御力は・・・鉄砲属性の城の中では、た、高い方だし・・・震え声。いや、歴史背景を考えれば結構高評価を与えられていると思う。
島津氏関連
・琉球王国の興隆と衰退を中心に十六世紀東アジア貿易と島津-琉球外交略史
・文禄・慶長の役を巡る明・琉球・島津氏の情報戦
そんなこんなで、北条氏の滝山城がすでにいるそうなので欲しい。滝山城については以前滝山城址公園について詳しく書いた通り(桜を愛でつつ北条氏の築城フェチぶりが堪能できる滝山城址公園)、北条氏らしいこだわりの縄張りが今も観ることが出来て面白いです。
まぁ、続きは艦これ秋イベントがひと段落ついたら。
参考書籍
・「中世の城と考古学」(第五章「グスクとその構造」)
・「日本城郭大系〈第6巻〉千葉・神奈川 (1980年)」
・「日本城郭大系〈第10巻〉三重・奈良・和歌山 (1980年)」
・日本城郭大系〈第12巻〉大阪・兵庫 (1981年)」
・「日本城郭大系〈第14巻〉鳥取・島根・山口 (1980年)」
「日本城郭大系〈第16巻〉大分・宮崎・愛媛 (1980年)」
・「日本城郭大系〈第18巻〉福岡・熊本・鹿児島 (1979年)」
関連記事
・「艦隊これくしょん(艦これ)」の次は「お城これくしょん(城これ)」?
・浦賀城「西叶神社・東叶神社と浦賀の渡し」
・滝山城「桜を愛でつつ北条氏の築城フェチぶりが堪能できる滝山城址公園」「4月一杯は見頃が続く多摩森林科学園の桜保存林」
・鐙摺城「葉山の三浦氏の支城「旗立山鐙摺城址」」
・深大寺城「神代植物公園、水生植物園と深大寺城址」
・多聞寺砦「三宿神社」
・世田谷城「世田谷城址公園」「大渓山豪徳寺」