岡畑先生に聞く
イニシアムはもともと東京工業大学岡畑恵雄教授のQCMを用いたバイオセンサーのご研究を事業化するために設立された大学発ベンチャーでした。今回、岡畑先生に設立当時の話、最近のご研究などを伺いました。
イニシアムが設立されて10年以上がたちました。もともと岡畑先生がQCMのご研究を始めたきっかけをお聞かせいただけますか?
脂質膜の機能化の研究をしていたときに,脂質膜に匂い分子などの化学物質が吸着したときにその吸着量が気相中で測れたらいいなと考えていました。1990年ころの夏休みに自宅で子供が読んでいた「トランジスタ」という雑誌をめくっていると「口臭を水晶振動子を用いて測ろう」という記事に目がとまりました。
読んでみると水晶振動子の表面に息を吹きかけると振動数が減少するのでその値から口臭の強弱がわかるという記事でした。これはおもしろいと思って,当時研究室にいた学生で電気が強いと自慢していた江波戸君にその話をすると、次の日には秋葉原に行って水晶振動子を買ってきました。それから気相中で水晶発振子をセンサーとして使う研究がスタートしました。
当初は装置を研究室で自作されていたということですね?
自作装置の苦労もあったかと思いますが。
市販の水晶振動子はステンレスのカバーがあり、これを取り去ると水晶板の上に銀電極が蒸着していました。銀電極は気相で使っていてもすぐに酸化して黒くなるので使い物にならないと思い、これを金電極に変えようと思いました。でも某メーカーにお願いすると「何万個必要ですか?」と聞かれびっくりしました。
水晶振動子は多くの電子部品に使われていますから、何万個単位で発注するのが習慣らしいことを初めて知りました。それからメーカーに50個の金電極を蒸着した発振子を特別にお願いして作ってもらうのに1年もかかりました。
気相中での測定もやり尽くしてきたころ、水晶発振子は東京工業大学の三大発明の1つであることを知りました。
1932年に東京工業大学の精密工学研究所の古賀逸策先生が周波数温度特性の高い水晶発振子を発明し、1937年のパリ博覧会に世界初の水晶式時計として発表したそうです。我々は気相系の次は水晶発振子を水中でバイオセンサーとして使いたいと思っていたので、古賀先生のお弟子さんのある先生に指導を仰ぎに行きました。
水中で水晶発振子を使いたいというとそれは無理ですと一笑に付されました。その理由は、水につけると水晶板の両側に蒸着した電極間でショートすること、水中では粘度が高すぎて水晶の発振が極めて不安定になること、水中で発振する発振回路には問題が多いこと、などが挙げられました。
それからは少し意地にもなり何とかして水中で水晶発振子を使いたいと思い多くの工夫を重ねました。水晶発振子の金電極の形状を変えたり、電極の片側をシリコン樹脂で覆ったカバーを作製したり、水中でも安定に発振する回路を見よう見まねで作ったり、装置を自作したりとかなり苦労をしました。この時には水晶発振子の制作や装置の作成には様々なメーカー様に大変お世話になりました。
イニシアムを創業されて事業化に成功された時のお話を聞かせてください。
自作装置をかれこれ40台くらい作ってみましたが、どれも振動数が安定せず、発振回路も良く壊れ、1年くらいで使えくなり、学生からはこれでは実験できませんと泣き言を言われてました。知っている中小メーカーに試作品を作ってくださいとお願いすると、一台の装置をそんな安い値段ではできませんと断られました。その時にメーカーの社長さんから言われたのは、作った装置を販売しませんか?先生のところだけで使う分ではこちらも商売になりませんから、市販してくれれば試作品を作ってあげても良いです。うーんと悩みました。
そうこうしているときに、1998年頃にベンチャー企業を作りませんかと声をかけられました。その頃は大学発のベンチャーが日本でもそろそろ作るべきだと当時の通産省が騒いでいたときでした。ベンチャーには全く興味がなかったのですが、学生が安心して使える装置がほしかったので,この話に乗りました。ある中小メーカーに出向き、装置の原理、作り方、仕様などを事細かく指導して1年くらいしてAFFINIX Qのプロトタイプ機が完成しました。しかしこの装置はデザインは良かったのですが、肝心の振動数がなかなか安定せず,我々の自作機とあまり変わりませんでした。その理由は設計原理が自作機とほとんど同じであったので学生にとってはあまりメリットがなかったためです。AFFINIX Qの改良と併行して、もっと良い装置を作ってくれるところを探しはじめました。
ちょうどその頃、当時の日本真空技術(株)(現(株)アルバック)の技術開発部長であった湯山さん(現(株)イニシアム社長)が別件で訪ねて来られました。その時に我々が水晶発振子バイオセンサーの研究をしていることを話したところ、日本真空技術でも水晶発振子を膜厚計で使っていると言うことから、日本真空技術でバイオセンサーについて講演を依頼されました。その時、負荷がかかっても安定に発振する回路を製造していることを知りました。
これは我々が苦労している水中で負荷がかかっても安定に発振する回路の作製と同じであると思い、日本真空技術に水晶発振子バイオセンサー装置を作ってくれるようにお願いしました。当時の中村久三社長の後押しもあり、技術開発部の伊藤敦さんが中心になって、2002年に4チャネルのAFFINIX Q4は完成しました。
先生の研究室では、現在でもAFFINIX Q4を頻繁にご使用になっているということですが、
この装置の特長などを先生のご視点から伺えますか?
AFFINIX Q4は4つのセルを持つので同時に4つのデータが取れる、振動数が安定しており、ノイズも±1 Hzと小さい、といった特徴があり、使って見るとなかなか良い装置であることがわかりました。多くの研究費を投入しかれこれ20台近くのAFFINIX Q4を購入しました。これは大正解で、この装置を導入してからは論文数が急激に増えました。学生にも喜ばれました。ある学生は,朝来て40個のセルにホスト分子を固定化し、昼から4個ずつ10回の測定を繰り返し、夜になって40データを解析するというサイクルをこなすと1週間もあれば論文1つは書けると豪語していました。
最近のQCMを用いたご研究などを可能な範囲で教えてください。
これまでは発振回路を用いて水晶発振子を発振させ、物質の吸着により振動数が減少する過程を追跡してバイオセンサーとして用いてきました。(株)アルバックの協力を得て、AFFINIX Q4にネットワークアナライザーとπ回路を接続して、周波数スキャンしたときの振動数シフトとピークの広がりから、発振子上の物質の粘弾性(柔らかさ)を求める装置も開発しました。これは改良されて現在、AFFINIX QN Proとして市販されています。
また、通常のQCM装置では振動数のノイズが±1Hz程度あるので,例えば低分子の結合を高感度で測定するには感度が不足していました。水晶発振子の高感度化を計るために,フローセル式にして、装置全体の温度を0.001 ℃のレベルで制御して発振子のノイズを±0.05 Hzに押さえることにより,高感度化が達成され、5年ほどかけて,最近プロトタイプ機も完成しました。この装置を用いれば、今まではノイズの中に隠れて見えなかった、水晶発振子上の蛋白質への低分子の結合、ポリメラーゼによるDNAの一塩基伸長、糖鎖伸長酵素による一糖の伸長などの酵素反応等の微細な解析も可能になっています。
水晶発振子で測定出来る対象もずいぶんと広がりました。最初は,気相中で脂質膜への匂い分子や苦み分子の吸着,さらには多孔性有機結晶中へのゲスト分子の結合、超臨界流体中でのホスト-ゲスト反応などを行ってきました。水中で測定できるようになってからは、DNA二本鎖のハイブリダイゼーション、DNA鎖へのタンパク質(転写因子)の結合、糖鎖単分子膜へのレクチンの結合、膜タンパク質へのゲスト分子の結合などにも成功しました。
これらはいずれも1:1の静的な分子認識反応を重さで測るという研究でしたが、その後、酵素反応(1:1の動的な分子認識と反応)も追跡できるようになりました。酵素反応の解析はこれまでは生成物を追跡してMichaelis-Menten式から酵素への基質の親和性であるKm値と酵素反応速度kcatだけが求められるという古典的な方法が主流でした。水晶発振子法では酵素・基質複合体の生成量を重さで追跡できるので、酵素反応のすべての動力学定数である基質の酵素への結合速度定数(kon)、基質の酵素からの解離速度定数(kon)、酵素反応速度(kcat)が求められるという、画期的な方法になり注目されています。
また、最近はもっと複雑で規則的な生体反応にも取り組んでいます。例えばmRNAからタンパク質ができる過程は翻訳反応として広く知られていますが、この過程では40種以上の分子が秩序正しくmRNA上に結合してコドンに従ってアミノ酸が繋がれていきます。水晶発振子を用いますとこの翻訳反応をリアルタイムで質量変化として追跡できます。
すべての反応は基本的には質量変化を伴いますので、水晶発振子はすべての反応を測れることになります。発振子上に固定化するホスト分子を適切に選び、ゲスト分子を適切に選び、反応条件を選べば,ほとんどすべての分子認識や反応が追跡できると期待しています。