2014-11-15

私の周囲のフェミニズム的な人々に思うこと

最初に断っておくが、これは私の観測範囲の話である

よって、フェミニズム標榜する人達全般に対して、という話ではない。

フェミニズムにも派閥がいろいろあるようだし)

はいわゆる弱者男性である

いや、一部のフェミニズム風味な方達に言わせれば弱者男性(笑)であろうか。

男性として生まれ自分自身に自信が無く、自分男性であることを突きつけられた経験に数多いトラウマを持っている。

常に汚いものとして扱われたこと、普段、「あなたを男なんて思っていない」と言いながら、

ある場面では突然「男なのに何で出来ないのか」と執拗に責められたこと、たくさんあった。

たくさんあったが故に、私はフェミニズムシンパシーを感じた。

まれ持った性別で私の中身の性質がどうして決められてしまうのか、そんな思いに応えてくれる部分があるように思えた。

しかし、それは最初だけだった。

知るほどに、フェミニズム女性による女性のためのもので、自分適用できるものでは無いことを思い知らされた。

だが、そういうものであるのは仕方なかった。

彼女達の言葉は同じように苦しむ女性を、すぐに助けなくてはいけないものだった。

私のようにうっかり受け取ってしまった男性ことなど、考慮に入れたものでないのは当然だった。

彼女達は今苦しむ人たちのために「悪いのは男性社会です」と言う必要があった。

おそらく正しい。彼女達は正しい事を言っているし、やっている。

世の中がマシになるためには、意見を届けられない立場に追いやられている人々の声を拡張して、知らしめる必要がある。

それが誤った常識を変えていくことだ。

でも、私は男性なので彼女達の言葉をもう直視できない、と思ってしまった。

私の観測範囲フェミニズム的な人々は過激な言葉で言えば、「男性性は傷つける性である」という原則を持って主張する。

男性は傷つける立場にいる優位な多数派であることを弁えろ、と。

現状を変えていくための政治的に正しい言葉であることを理解しつつも、それは私にとって「あなた男性です」という事実を突きつけ続ける言葉だ。

男性であれ、という社会的要請拒否したい自分に、男性である事実を受け止めろ、と私の中身を私の性別で決定してくるような。

おそらく、言っている人たちに、そこまでの意図は無いかもしれない。

それでも、今までの経験から私にはそのように変換される。

フェミニズムに対してやたら攻撃的な連中も、その辺りを刺激されているからではないかと、

Twitterやら見てるとたまに思うのだが、、まあ、これは自分経験則から邪推である

このような話にしても、取るに足らない多数派内の少数派の戯言であり、安全から苦しいとか甘える被害者妄想

男性男性優位社会恩恵を受けてきたくせに何が弱者であるのか、と言われるであろう。

それに対して私は、そうでしょうね、と言うしかない。

彼女達は男性優位社会批判する必要があるので、私の性別重要なのだ

私は私がどう考え、どう思い、どう自由になりたいかに関わらず男性性を保持してしまっている。

そうやって性別を突きつけられたら、そうでしょうね、以外に言える言葉は無い。

そして、彼女達の言葉を見るたびに私が想起するのは、性別存在することへの怨嗟であり、

現実恋愛にも性欲にも罪悪感を抱く自分自身である


あなたたちの言葉は正しい。

から、正しくない私があなたたちの言葉直視をするのは無理なのです。

申し訳ない。

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