仕事は母ちゃん

どーってことない脳内と日常の垂れ流しです

子供を育てる自分に酔う人

最近、四男がWiiを使い出したので「Wiiのソフトなんてそんなに買ってないのに何のゲームしてるんだ」と思ったら、昔懐かしGAMECUBE時代に発売されたスターフォックスアドベンチャーで遊んでました。そうか、WiiでGAMECUBEのソフト使えるんだった。それにしてもよくこんなの引っ張り出してきたな。古いゲームでも残しておくもんですなと思ったさっこさんですこんにちは。このゲームが発売された当時、四男はまだ影も形もないよ。遊んでたの、今の四男より小さかった長男だったもんなあ。

さて、ちょっと前にTwitterでこんなやり取りをしました。

私が注目したのは「子供を育てる自分に酔う人」というフレーズです。子供を育てるなんて哺乳類なら大体どの種でもやっていることで、特別素晴らしいことでもなんでもありません。それなのにそんなありきたりな行為に何故「酔う」のか。

これは私の想像ですが、こんなありきたりの行為に酔わなければやってられないぐらい他者からの評価を渇望してるのかなあと。母乳の話なので子供は乳児、大きくてもせいぜい2歳ぐらいまででしょう。育児休業中だったり仕事を辞めていたりすると、他者から評価してもらうことができない。前述の通り、子育てなんてありきたりな行為ですから。どんなに頑張ってもどんなに完璧にこなしても評価をもらえるわけじゃない。子育てを評価してくれるのは育てている子供だし、その評価がもらえるのは子供が大人になってからの話です。これが仕事だったらすぐに評価してもらえるし対価としてお金まで転がり込んでくるわけで、評価が欲しくてたまらない人とって仕事とは甘美なものなのですよ。

で、誰にも評価してもらえないなら自分で自分はすごいと喧伝して評価してもらうしかなくなるわけです。周囲はどん引きするでしょうけど、本人にとっては切実なんでしょう。出産方法へのこだわりや育児方法のこだわりって大体こういうところに集約されるのかなあと。評価なんてどうでもいいのなら、母乳自慢なんていう発想すらわかないですよ。

また、この手の自慢をされてイライラするのも自分の子育てが評価されないことへの鬱屈が溜まってるとも言えます。全然気にしてないんだったら多少鬱陶しいかもしれませんが「へーそうなんだ」ぐらいで流せるはずで、一々気にするというのは自分自身の子育ての評価を気にしてることのあらわれです。

何故ここまで評価を渇望するかというと、評価されることでしか自分の存在を認めてもらえなかった、もしくは自分自身が認められない、ということなんでしょう。そして評価を求める者は評価されない者を見下しているものです。そんな見下される対象になるのが耐えられないのでしょう。自分のやりたいことをやるだけでは満足できない。評価され、優越感に浸りたいという欲が子育てにおいても垣間見えるということなんでしょうね。