八尺様 その7
一面の闇。
焚火――揺れる炎を眺めながら、順平はぼんやりと物思いにふけっていた。
――ドライアードの支配する階層を抜け、順平が辿り着いたこの階層には……モンスターが存在しなかった。
そこはケルベロスや、あるいは軍隊と戦った階層と同じ構造で、初っ端に安全地帯が形成されていると言う形。
その階層に辿り着いた時、嫌な予感と共に、安全地帯の中でまるまる一週間過ごしたが、そこから見える景色には一切の変化も現れなかった。
そうなってしまうと、順平としても決死の覚悟で階層内に足を踏み入れるしか無い訳だ。
しかも、陽気なオッサンの手紙には、ドライアードについてしか書いていない。
そうして足を踏み出した結果。
何て事は無い、結論から言うとその階層にはモンスターが存在しなかった。
あるいは、以前の冒険者がこの階層のモンスターを打ち倒し、モンスターが復活する前の時間に、ここに足を踏み入れたのかもしれない。
――ツイてるのか、はたまたツイてないのか……何しろ、経験値は無い。まあ……ここのモンスターを始末したのがオッサンなら……あるいは……。ひょっとすると、だからこそオッサンはこの階層についてロクに情報を残さなかったのかも……。
何とも言えない顔で、彼はカップから漂う苦い香りを吸い込んだ。
木製のカップに満たされたコーヒーをすすりながら、重たい眼をこすりながら、深いため息をつく。
そして、夢と現のまどろみの中、順平は深く、深く溜息をついた。
――思えば、俺のケチにつきはじめは、アレと出会った事だったよな。
小学6年生の頃……あの夏の出来事を思い出す。でも……と彼は、拳をギュっと握った。
――あの時は、俺はあの長身の女に何もできなかった。でも……今なら?
あの時、車の内側から見た……長身の、妙に白い肌の女を思い出す。
現在、自分はレベル1000に迫っている。
トリッキーな戦法に頼ってはいるものの……卑怯な手に頼らずとも、ほとんど、人間を辞めていると言っても差支えの無い次元に到達している。それは前回、Sランク級冒険者と対峙した事から確信した。
――俺は強い。
けど……奴を……俺にトラウマを与えてくれた……奴を……俺は打ち倒すことができるだろうか?
そして、あの長身の怪異の事を思い出すと、それと同時に、紀子の横顔が浮かんで、チクリと胸が痛んだ。
……紀子は、確かにあの時……俺を守ってくれた。必死の、あるいは決死の覚悟で……。奴に魅入られた、魅了された俺を止めてくれた。
『行っちゃダメなんだからっ!』
自慢の長髪をバッサリと、何の躊躇も無く、あの時……あいつは切った。
それは……男装の結果、少しでもアレの眼をそらすことが出来れば……と、そういう意図から来た行動だった。
思わず、溜息が出て、そして胸が痛んだ。
そこで、順平は少しだけ、自分の胸に溢れた感情に、驚きの色を表情に混ぜた。
――木戸……高校時代の不良のリーダー格。ここから生還した時、奴だけは生きたまま――ミリ単位で切り刻む。それは決めている。泣き叫ぼうが、どれほど慈悲を乞われようが……考えられる限りの最も残虐な方法で、奴を殺す。
それだけは決定事項だ。
そして、奴の取り巻き――それもまた、奴に準じた方法で殺す。
でも……と順平は思う。
紀子は……どうする?
――奴等はクズだ。紀子も含めてクズだ。
それは間違いない。
――じゃあ、何で紀子はクズになった?
異世界トリップで、紀子自身の尻に火がついたから。あいつは生きる為に、俺を捨て、木戸に取り入った。それは緊急避難的な意味で。それも……恐らくは間違いない。
――俺は紀子を……殺せるのか?
その疑問が頭に浮かんだ時、順平の脳裏にあの時の光景がフラッシュバックした。
狭間の迷宮に奴らが自分を突き落としたあの時の……木戸と紀子のディ―プキス。
――そしてその次の瞬間、紀子が自分に見せた侮蔑の視線と、解体される寸前の豚を見るかのような、憐憫を込めた嘲りと諦観の笑みを。
頭痛と共に、憎悪が頭を支配し、そして先ほどの自問に自答した。
――殺せる。良心の呵責は……感じない。
まあ……と順平は思う。
結局の所、何がどうなるかは外に出た時……その時の状況での、出た所勝負だ。
そんな事を思いながら、順平はオッサンの手紙を拾い上げ、そして再度目を通した。
今まで読んできた手紙は、全てそれぞれの階層に置いてある。
それは、次の冒険者達の為なのだが……それはともかく。
妙に、オッサンの文字を読んでいると癒される。
日本にいた時は、テンションの高い連中は嫌いだったが……元ニートだと言うこのオッサンは、どうにも他人のようには思えない。
――ここに閉じ込められてどれほどの時間が経つのだろう。
正直、人恋しい。
色んな連中やモンスターと出会ったが、まともな奴なんて一人もいない。
手紙のオッサンのユーモアと優しさがなければ……その人間性に触れなければ、とうの昔に自分は壊れていたかもしれない。
――全く……。男に会ってみたいなんて……どうかしてるぜ。
自嘲気味に笑ったその時、ソレは現れた。
「ぽっ……ぽっ……ぽっ」
ドライアードの階層から続く木製のドアから現れたのは、忘れもしない――あの姿。
白のワンピース、白の帽子、そして腰までの長髪に……異様な長身。
――それは、あまりにも唐突な再会の現場だった。
「オイ……マジかよ……?」
呆気に取られ、順平は動けない。
ニタァリ……と笑みを浮かべる長身の女――
――目と目があった。
「不味っ……」
――先手を取られた。
突然の事態に反応が出来なかった。
順平の背中に冷や汗が流れる。
小学6年生のあの時、車の中で八尺様を見た瞬間に自分は我を失ってしまった。
そして、今なら分かる。
――あれは魅了系の状態異常のスキルで、今、俺を蝕んでいるのも……。
あの時と同じく、頭が桜色に溶けていく。ぐちゃくちゃにとろけていく。
動けない……と言うよりも、女に駆け寄ってその体に抱きつこうとする衝動を抑えるので一杯一杯だ。
順平の表情を見つめ、魅了の効果を確信した長身の女は、順平にゆっくりと近づいてくる。
――スタッ、スタッ、スタッ。
女は両手を伸ばす。
白く、細く、滑らかな肌に覆われ、そしてその手は――異様に長い。
順平の頭を抱えるように抱きすくめる。
次の瞬間、女の整った顔が、順平の眼前にぬっと現れる。
鼻先と鼻先が触れ、女の舌が順平の唇に軽く触れた。
そして続く――ディープキス。
身をかがませた八尺様の舌が、肉食獣かのように、順平の口内に侵入してきた。
舌を舐めまわされ、歯を舐めまわされる。
舌の届くところならどこまでもーーと言う勢いで、唇の裏、歯茎の表と裏、その全てに舌が這う。
ザラリとしたネチっこい舌の感触に、鳥肌が走り、背骨が打ち抜かれるような甘くとろける衝撃が走った。
「あ……ぁ……この……ままじゃ……」
だが、抗えない。
恍惚と怯えが混ざったような順平の反応に、ニコリと、八尺様は天使のような笑みを浮かべる。
そして唇を離す。
ツ……と唇と唇を結ぶ唾液の線が生じる。
そうして、八尺様は順平をその場に立たせ、彼から数歩ほど距離を取った。
「……もう……終わり……?」
お預けを喰らったようなような表情の順平を視認し、女は満足げに笑う。
そうして、彼女は焚き木を崩し、その薪を踏みしだいた。
必然的に、周囲は淡い暗闇に覆われる。
未だに、微かに残る熱源が、少しだけ周囲を照らしているが――それも時期に消えるだろう。
彼女はどこから取り出したのか、細く長い蝋燭に、残った火種で火を灯した。
そして、床に一本一本蝋燭を立て始めた。
数分後。
しばらく経つと――闇を照らすのは数十本の蝋燭の、頼りなく揺らぐ光だけとなった。
ようやく、蝋燭のセットを終えたのか、女は順平に向けて首を向けると、恥ずかしげに笑い……ワンピースを脱ぎ始めた。
ファサリと、衣擦れの音と共に、女は一糸まとわぬ青白い素肌をさらけ出す。
その姿は蝋燭の淡過ぎる光のみに照らされているため……薄暗くて確認しずらい。
けれど、それでいて全く見えないと言う訳でも無い。
……ひょっとして……と順平は思い至った。
――明るい所で……裸を見られたくなかった?
情事の前に……明かりの調節を整えたって事か? まともに肌を見られるのが……恥ずかしいと。意外にこいつ……。
そんな場違いな事を思っていると、彼女は少しだけ小首を傾げる。
「ぽっ……ぽっ……」
両掌で順平の頬を優しく掴み、そして彼の鼻先に、チロリと優しく舌先を這わせる。
チロ、チロ、チロ、チロ。
鼻先から額、額から瞼、瞼から左頬、右頬。
微かな唾液の生臭い臭気が、鼻腔内をくすぐるが――それは不快な気分を与える性質のものではない。
――押し倒されたような形となる。
学生服のボタンが一つ一つ解かれ、いつのまにやら順平の上半身は全裸となっていた。
八尺様は、順平の右胸に舌を這わせる。
電気が走ったかのように、順平はビクンと仰け反った。
そのまま、八尺様の舌は右胸から腹を這い、そしてヘソを通り過ぎる。
ガチャガチャと、ベルトを外す音。邪魔なズボンを脱がせる衣擦れの音。
産まれたままの姿となった順平の上に、やはり同じく全裸の八尺様がまたがった。
彼女は悦を帯びた表情で微笑を浮かべると、その腰を一気に落とした。
――そうして……順平は、喰われた。
明日も更新します(予定)
もうすぐ八尺様編終わります。
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