八尺様 その4
「車を12台……?」
誘導されるがままに、外に出る。
しばらく歩き、片道2車線の国道まで出た。すると――確かに道に車が並んでいた。
軽トラックが8台、乗用車が4台。
それを眺めた坊主は大きく頷いた。
「早九字が作る格子状の12のマス。それを車の台数で見立てたんだ」
と、そこでポカンとした俺に、彼は補足説明を始める。
「……と言っても分かんねーよな。要は……怪異からの目くらましだよ。九字護身法と呼ばれて古の密法から伝わる方法さね。この陣形は化け物を迷わせる、あるいは惑わせる。だから、安心できる。お前はそれだけを知っていれば良い」
坊主の説明を要約すると――
――臨兵闘者皆陣列在前
その呪文と共に、縦に4本、横に5本、空気中に線を引く。
そうして出来上がるのが、12の格子。
怪異は、本来のターゲットである人物を無視し、その出来上がった格子を目で追ってしまうと言う特性があるという話。
そうして、怪異との遭遇時には……刹那の時間稼ぎにはなると言う事だ。
要は、簡易的な退魔法の一種で、正に気休め程度だと言うが、打てる手は全て用意したいと言うのが、坊主の言葉だった。
後……と坊主は懐に手を入れて、再度俺に札を渡してきた。
「これを握って置け。それで……何があっても絶対に奴を見るな」
コクリと頷き、俺は乗用車の内の一台に乗り込んだ。
元々、ほとんど車の往来が無いのに、公共事業の為に無理矢理作られたと言う立派な国道だ。
向こう側では工事中との言い訳で車をせき止めて、迂回ルートを誘導しているらしい。
紀子のじいちゃんがキーを差し込んで車のエンジンを作動させる。
同時に、モーター音と共に淡い振動。
それはつまりは、片道2車線の、都合4車線。
その全車線を使っての――逃避行だ。
前部座席には紀子の爺ちゃんと婆ちゃん。
後部座席には、俺が真ん中で、挟み込むように紀子と坊主。
俺を抱え込むように片腕抱きながら、数珠の音と共に、坊主は読経を続けている。
少しでも八尺様の眼を反らせたいと言う話で、俺と背丈の近い紀子は髪を切られ、男のような服装をしている。
――もう、ここまで来ると恐怖を通り越して笑いしか出てこない。
アイマスクが作る暗闇の中――車が発進して10分程度だろうか。
――その音は唐突に現れた。
スタッ、スタっ、スタっ、スタッ。
妙に軽快な音が後方から響いてくる。
一時、坊主は読経を止めて、こう叫んだ。
「じいさん、今……スピードは何キロ出てる!?」
「……直線で100っ! カーブでもギリギリの速度は出しとるっ! 音は儂にも聞こえるが、バックミラーには何も見えんっ!」
舌打ちと共に、坊主は読経の声を更に強める。
スタッ、スタッ、スタッ、スタッ、ドン。
「……ヒっ」
紀子の引き攣ったような声が聞こえる。
「……私には八尺様は見えないけど……佐々木のおじいさんの車のボンネットに……凹みが……」
前部座席から、紀子のじいちゃんが苛立ったように吐き捨てた。
「目くらましは……聞いているようじゃの。今、アレはあの車に乗っている連中を確認しとるってことじゃ」
スタっ、ドン。
スタッ、ドン。
スタッ、ドン。
次々に、周囲の車のボンネットに乗り移り続ける八尺様。
スタっ、ドン。
スタッ、ドン。
スタッ、ドン。
既に、八尺様が乗り移った台数は8台。
確かに目くらましは聞いているのだろう。
しかし、それは、もうすぐに自分の所に、アレが来ると言う事も同時に意味する。
俺は覚悟を決めて、札を力一杯に握りしめた。
と、その時――
――ぽっ、ぽっ、ぽっ、ぽっ。
それは、笑い声のような、あるいは鳴き声のような。
あの甲高い声が、脳まで響くような、ゆっくりと、ねっとりと、ねばつくような声が耳に届いた。
そして、車内の空気が完全に凍り付き、続けざま――
――スタっ、ドン。
それは、今まで聞こえていた音とは桁違いの大きな音。
――取り付かれた。
全員がそう思い、坊主の読経も瞬間だけ止んだ。
「見えるか、爺さん!?」
半狂乱になりながら、爺ちゃんが叫んだ。
「儂には見えん……ボンネットが凹んだ事以外には……何もっ!」
そこで、半ばヤケクソに、叫ぶかのように坊主が読経を再開する。
坊主だけでなく、紀子の爺ちゃんも婆ちゃんも、読経を始めた。
紀子の手を片手で握りながら、俺はただ頭を下げて、もう片方の手で札を握りしめる。
その時、ボンネットからけたたましい音が鳴った。
――ぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽ
一同が凍り付いた。
「……完全に見つかっちまった……こりゃあ……ダメかもな」
坊主が読経を辞め、俺を両手で抱きしめた。
「良いか、何が起きても、絶対に……奴を見るな」
握っている札に力がこもる。
そこで、再度のけたたましい、怪音が鳴り響いた。
――ぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽ
「熱っ!」
その瞬間、俺が握っていた札が、まるで燃えているかのように熱を帯び、そして――まるで灰のように崩れ落ちてしまった。
スタッ、スタッ、スタッ、スタッ。
音が近い。
軽快な足取りで、八尺様は後部座席と並走をしているようだ。
コン、コン、コン。
優しいタッチでの、ノック。
ゴン、ゴン、ゴン。
やや、強いタッチでの、ノック。
エンジンが唸りをあげる。
紀子の爺ちゃんは全開でアクセルを踏んでいるのだろうが……八尺様の併走は止まらない。
ゴン、ゴン、パリン。
車内に猛烈な風が吹き込んできた。
冗談のような音と共に――窓ガラスが割れたのだろう。
「良いか、絶対に……奴を見るな! 眼をつむれっ!」
言葉と同時、頭を冷たい手が掴んだ。
アイマスクをゆっくりとはがされて、顔の方向を強制的に転換させられる。
そして――俺は見た。見てしまった。
――この世のものとは思えない、美を体現したかのような顔の造形を。
瞬時に、頭がぐちゃぐちゃにとろけてしまい、意識すらも失いそうになった。
「あっ……八尺……様」
桜色の、あるいはドドメ色に頭が汚染されていく。
「馬鹿っ! 見るな! 眼をつむれっ! 取り殺されるぞっ!」
坊主が何事かを叫んでいたが、最早、俺には何の言葉も届かない。
俺を抱きしめる坊主……その束縛を解き放つべく必死に両手を動かした。
その動き補助するように、八尺様が坊主の手を掴んだ。
「……馬鹿っ!」
ゴキュリ。
肩の関節が抜ける、嫌な音。
「ヒギィっ!」
八尺様は、俺を抱きすくめていた……否、俺を拘束していた坊主を懲らしめてくださったのだ。
体が自由になり、俺は車内を移動する。
もちろん、八尺様に向かって。
――ぽっ、ぽっ、ぽっ、ぽっ。
艶のある微笑で、八尺様は俺を両手でだきすくめる。
そして――俺が車外へと優しく移動させられるその時。
「行っちゃダメっ!」
割れたガラスをかぶって、所々血を流している紀子が――俺のTシャツを、両手で掴んでいた。
「離せよ! 俺は行くからっ!」
俺の剣幕にも、紀子は一歩も引かない。
涙声と共に、再度叫んだ。
「行っちゃダメなんだから!」
「やかまし――」
――ドンっ。
鈍く重たい音と共に、俺を車外へと引きずり出す力のベクトルは消えて――。
気が付けば、俺は紀子の膝の上に倒れ込んだ。
「……え?」
そこで、両肩の関節を抜かれた坊主が、大きく息をしながらこう言った。
「抜けた……。ギリギリ……って所だな……喜べ少年……生還だ」
首で、坊主は後方を見て、ウィンクを行った。
――そこには、恨めしそうにこちらを眺める八尺様と、道の脇に祭られている石の地蔵があった。
「まあ、つまりは……八尺様の封印って奴だな」
車の速度も法定速度から+10キロ程度になり、車内に弛緩した空気が流れた。
そこで、坊主は諭すようにこう言った。
「順平……だったか? お前はもう2度とこの地域に近づいちゃいけない。そして……」
「そして?」
「何かのきっかけで、地蔵様を祭る御社が壊れた場合……八尺様はお前は迎えに行くだろう。例え、そこが地の果てであっても……な」
――それが、これから先……異世界トリップを初めとして、数奇な運命に巻き込まれる俺の人生で、初めての非日常の経験だった。
あるいは、あの時から俺の日常は、普通では無い外側の世界に片足を突っ込んでいたのかもしれない。
まあ、要するにこれは……俺が昔からツイてないって、そういうお話だ。
次回、ちょっとあの人が出ます。
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