八尺様 その1
現代の地球で言うと、モンゴルの大平原と言う形容が一番近いのだろうか。
見渡す限り、背の低い草に覆われた大平原。
そこには、これまた遊牧民御用達のゲル状のテントが無数に散りばめられていた。
そして、それら目と鼻の先には大陸を分かつかのような、どこまでも左右に続く長い長い壁。
高さは5メートル程度で、幅は4メートル程度。
500メートル間隔で、門が作られており、壁の中と外の行き来はある程度自由になっているらしい。
そして、ゲルの存在しない壁の外――そこは、腐臭と死臭に満ちていた。
コボルト・ゴブリン・オーク。
あるいは、名前もつけられていない6本足の魔物。
幾千、幾万の魔物が、ただ延々と壁沿いに骸をさらしていた。
彼等の致命傷は大体が、壁上から浴びせかけられた弓矢だった。
押し寄せる魔物の群れによるものなのか、壁に損傷が見られる部分――もっとも、既に修復済みなのだが――を中心に、矢では無く、槍を中心とした近接戦闘の傷を負った魔物の死骸が見られる。
死骸が由来の小蠅の量と腐臭から察するに、戦闘を終えて、2~3日と言った所。
壁の内部は戦闘後の一旦の休息を貪るように、酒と食物と、兵士たちの慰安に訪れた娼婦達による享楽のるつぼの中にあった。
大体の者は、食堂を兼用している巨大なゲルの中で大酒を喰らい、そして笑っていた。
それは人間の領土に定期的に沸いて出ようとする魔物の群れを、文字通り体を張って、そして任期を終えるまで死と隣り合わせにしている男たちの、刹那の慰安と言えば幾らか理解もできるだろうか。
具体的な状況としては、それは酷い物だった。
一面を包み込んだアルコールの瘴気。
酒に酔った男達がそこらかしこで嘔吐物を蒔き散らかし、人気の無い、ゲルの物陰では幾数もの男と女が局部の布を取り去ってまぐわっている。
そんな壁の内側――魔物と人間の境界線の、その最前線の、兵士たちにより構成されている集落の中に、一際に豪奢なゲルが存在していた。
通常のゲルは一つで10人が生活するようなものだが、巨大なそのゲルは二人で住むことを前提に作られた内装だった。
毛の長いカーペットを敷き詰めたテント内には、大きなベッドが一つ。円周に沿って、家具や生活用品が置かれている。
そんな、巨大なベッドの中で、毛布の中でもつれ合う、一糸まとわぬ男女がいた。
それは――順平の幼馴染である紀子。
そうして、順平と同じ高校に通っていた不良たちのリーダー格である木戸だ。
「しかし……狩っても狩っても幾らでも湧いてくるな」
男女の一戦を終えた後なのか、上半身だけを起こしながら、この世界で流通している中で最もポピュラーな紙煙草をくゆらせながら木戸は言った。
「ここは東方――最果ての地。人類の勢力圏の限界地帯……無限に涌き出る魔物を食い止める任務だもん。厳しいのは仕方ないよ。大体、自分からこの任務に志願したのは木戸君だよね?」
「ああ。何で俺があんな田舎で燻ってなきゃいけないんだ……ここでレベルを上げて、実績を挙げれば俺は……」
吐き出された紫煙ごしに、紀子はコクリと頷いた。
「うん。どんな立ち見出世も……思うがままだね。あるいはAランク級冒険者として、お金にも困る事は無いよ、それで自由気ままに……」
そこで木戸は紀子を鼻で笑いながら首を左右に振った。
「いや、俺はここで、俺自身をSランク級までに叩き上げる。俺の転職は魔剣士――上級職なんだよ。俺には……人類の最高峰、その頂きを目指すだけの才覚があるんだ」
「……うん」
そこで、紀子は木戸が手にしている煙草に手を伸ばした。
一瞬だけ怪訝に眉を潜めた木戸だったが、特に気に留めた様子も無く、紙煙草を紀子に手渡した。
木戸の吸い差しの煙草を口に含み、大きく紀子を息を吸い込む。
そして、吐きだされる紫煙。
木戸は紀子から煙草を半ば奪うように受け取り、そしてニヤリと笑った。
「ちょっと木戸君? まだ一口しか吸ってないんだけど……」
「こうした方が早い」
木戸は煙草を吸い込むと、紀子の頭部を両手でつかんだ。
そして、唇を重ねる。
「……ん」
煙草を介したディープキス。
本来は、唾液に溶けだしたニコチンと有害物質で味もエライ事になり、ただひたすらに不味く苦いのだが……。
情欲に塗れて、頭が良い感じにとろけている時はその限りにあらず、何となく、良い感じにポワーっとなってしまうものだ。
レロレロと、数十秒の抱擁の後、紀子は手近にあった手ぬぐいに苦い唾液を吐き出しながらこう言った。
「……馬鹿」
「それにしても、本当に毎日毎日どんだけ化け物が湧いて出やがるんだよ。あんな化け物共……日本に一匹でも持ち帰れば、それだけでエラい事だぞ」
そこで、紀子の動きが止まった。
そして、口を開いた。
「いたよ?」
「ん?」
「化け物……怪物の事だよね? 日本にも……いた」
「何言ってんだ?」
「おじいちゃんたちはアレを神だと言ってた。お坊さんも神主さんも……あの人たちが破魔の力を本当に持っているかどうかは知らないけれど、とにかく……聖職を含めた大人たちは全員、アレには遠巻きにお願いしか出来なかった」
「……?」
「江戸時代位に、お侍さんが数百人……子供を守ろうとして……全員がミンチになっちゃって、日本全国から、鬼や妖魔を滅したと呼ばれる伝承の日本刀や槍を集めたらしいんだけど……。それから、もう……アレには触れちゃいけないって。どんな権力者の子供でも、魅入られれば諦めるしかないって」
「おい……?」
「それで……小学6年生の時……私と一緒に、私のおじいちゃんの家に遊びに行ってた順平は魅入られちゃって……だから順平はあんな性格になっちゃって……」
「おい……紀子?」
何かを思い出し、瞳の色を失った紀子は、木戸の言葉に聞く耳を持たないように、断言した。
「……いるんだよ?」
そして、続けた。
「化け物は……日本にも……いる」
同日、同時刻。
ゴーン、ゴーン、ゴーン。
重苦しい重低音が響き渡る。
幼き勇者アリシアが住まう聖都アシュヴィヌーク。
その中心部に座する、中央大聖堂の宿舎塔にて、異変が起きていた。
100メートル近い塔の最高部、教皇の寝室に備え付けられた、緊急事態を意味する重厚な鐘の音が響き渡ったのだ。
「聖下? どうなされました!!?」
慌てて、教皇の寝室に飛び込んできた従者に、真っ青の表情となった60代過ぎの、下着だけを身に着けた痩せた男が応じた。
「……2時間以内に召集可能な国中の枢機卿と司教を呼べ。そして、手段を問わない。表も裏も問わず……悪魔祓い師を掻き集めろ」
「……?」
法衣を纏いながら、男は壁に陳列された聖水の類の選別を始める。
「冒険者ギルドにも遣いを。現在、国内に滞在する全てのSランク及びAランク級の冒険者を集めろ。そして、我らが囲っている――幼き勇者も招集しろ。アレは未だレベルが低くとも勇者としての固有スキルは使えるはずだ」
淡々と、真剣な眼差しでそう言う男に、従者は口をポカンとあけて尋ねた。
「聖……下?」
そこで、教皇は自らと従者の認識のギャップに気付き、剣幕の表情と共に声を荒げた。
「良いから早く!」
「……?」
舌打ちと共に、補足の説明を続けた。
「……何かが……異世界からの転移者の辿るゲートを使い……ここに現れる」
「何か……とは?」
「人間では無い……邪悪に満ちた……モノだ。恐らくは、何かを追って……この世界にまで」
「邪悪なモノ?」
コクリと教皇は頷き、続けた。
「危険ランクは恐らく魔王を凌駕する……」
「魔王を……? それは一体……いかなるモノで?」
「あるいは我々の信仰する神以外の……邪神の類」
ぽぽっ……ぽぽぽぽぽ……。
っていう事で、八尺様編です。
まさかの、地球からのご招待です。
八尺様ってなんぞ? って人は、次回の本編中に説明します。
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