外伝 1910年

 天照基地の消滅と同時に、織姫も消滅した。だが、織姫の持っていたデータはコピーされて、勝浦工場に保存されている。

 そのデータがあったからこそ、天照基地が消滅しても日本の優位が確保できた。

 だが、そのデータに残っている情報には限りがある。全てを網羅している筈も無く、再現しようとすると欠損しているデータも多い。

 例えば、第一次世界大戦当時の戦車の外観資料は残っていても、その設計図などは無い。

 古過ぎる事もあるが、趣味の資料なので詳細なデータまではコピーしなかったからだ。

 そしてトランジスタやICの製造方法にしても、過去の一般常識として原理が分かる資料はあるが、製造装置の図面は無い。

 これらも企業秘密に属する事もあり、あまりに過去の事であるから、データは入っていない。

 諸外国に対してアドバンテージを持っているのは間違い無いが、直ぐに製造に結びつく技術資料は多くは無かった。

 レスナヤの研究都市に勤務している半導体開発局の職員は、癇癪を起して怒鳴り散らしていた。


「航空機開発局や戦車開発局の奴らは、資料が残っているから順調に進んでいると自慢しやがる!

 こっちは満足な資料が無いから四苦八苦しているんだぞ! こっちの苦労も分かれって言うんだ!」

「まったくだ! 陣内総帥は俺達の苦労を分かってくれるけど、直属の上司はまだかまだかと急かしやがって!

 勝浦工場とロタ島で低レベルの電子部品が作れるから参考にしろって言うけど、あんな先端設備を参考に出来るか!?

 原理は分かっているけど、それを実現するのに苦労しているんだ!」

「おいおい、その辺にしておけよ。将来を考えたら、今のうちから電子部品の製造ノウハウを得ていた方が良いのは分かるだろう。

 我が国以外はその存在さえまだ考えられない電子部品を、我々が先駆けて製造できるようになれば、日本の有利は揺らがない。

 日本の未来、いや子供達の為なら頑張れるだろう。だから、今日は帰って休め。明日から頑張れば良いんだ」

「そうだ。まだ我が国が電子部品の開発に取り組んでいるのは極秘だが、数十年後には解禁される。

 その時は我々の苦労をドキュメンタリー風に仕立てて、日総新聞や日本帝国放送が記事にしてくれる。

 まだまだ先は長いが、報われる時は必ず来るんだ。その時を信じて頑張ろう!」

「他の苦労している開発局にも取材は入っている。『プロジ○クトX風』に仕上げると言っていたからな。

 そうそう、陣内総帥から酒の差し入れが入っている。全員が一本ずつ持ち帰ってくれ」


 残っている資料の詳細度によって、各々の開発局の苦労は異なっていた。

 中には現在の技術では実現不可能な精度を要求される事が分かって、凍結されたプロジェクトもある。

 しかし、天照機関の希望する分野の開発は出来ないでは済まされないものもある。

 それらのしわ寄せは、各開発局の技術者に押し付けられた。

 ストレスを溜め過ぎて爆発されても困るので、この研究都市には様々な慰安施設があった。

 こうして各技術者達は胃を痛めつつも、日々の開発業務を行っていた。


 欧米と比べると開発の指標があるだけで、かなりの効率の差になって現れてくる。

 希望する資材等は優先的に手配されるなど、技術者にとっては恵まれた環境だろう。

 だが、電子部品もそうだが、将来の食料不足の解消手段の開発や、環境問題の事前回避策の開発など困難な研究テーマは多かった。

 精神医や内科の医者も多く配属されて、技術者の開発業務に支障が出ないような体制が採られていた。

 昔の事だが『百姓とごまの油は、絞れるだけ絞れ』と言われた。

 その時より酷い状態だろうが、開発に従事している技術者は日本の未来の為という自負を持って激務に耐えていた。

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 陣内によって睡眠教育を受けた人間は多い。

 機密情報に関わる人間は全員が睡眠教育を受けており、それ以外にも政治家や高級軍人、実業家など多岐に渡る。

 彼らは史実の一部を知って貰って、口外しないような強い暗示を掛けてある。

 だが、性格を変えるような洗脳じみた事はしていない。つまり、睡眠教育を受けた人達の人格はそのままで、色々な人が居た。

 それらの睡眠教育を受けていた人達は、天照基地が健在だった時は安心感で満たされていた。

 だが、天照基地の消滅を知らされた五年前に色々と異なる反応をしていた。

 多くの人達は天照基地の消滅を嘆きながらも、まだ知識が残っているので努力をすればアドバンテージを維持できると前向きに考えた。

 それでも一部の人は、天照基地の消滅を絶望的な事と感じて陣内に詰め寄った。


「天照基地の消滅は陣内君の責任だぞ! これからの日本はどうなる!? 列強を圧倒できなくなった責任を取れ!」

「私は進んだ技術を使えるなら楽して日本が成長できると思って協力したのですよ。こうなった責任は陣内総帥にあります。

 きっちりと責任は取って貰いますからね!」

「今から努力しても欧米に勝てる訳は無い! こうなったら、正直に秘密を話して欧米の慈悲を乞うべきだ!」

「こっちは期待を裏切られたのです。巻き込んだからには責任を取る義務が陣内総帥にあるんです! 逃げないで下さいね!」


 十人いれば十人なりの考え方がある。楽したいと考える意見を全否定するつもりは無いが、日本には余裕が無かった。

 結局、天照機関の会合で天照基地の消滅の責任を陣内に取れと迫った人は、第一線から外す事が決定された。(実業家は提携を解消)

 順調な時には見えなかったものでも、逆境の時には人の本質が現れる。

 進んだ科学技術に依存した人が必ずしも悪いと断言は出来ないが、放置しておくと足を引っ張る可能性もある。

 結局、器の小さい人達なのだろう。罪は無いのだが甘える部分があって、第一線で働いてもらうには能力不足と判断された。

 あれから五年が経過したが、第一線から外された人達は閑職に回されて後悔していた。(暗示があるので、情報漏洩は無かった)

 実業家の場合は提携を解消されたので、経営が困難になって倒産に追い込まれた。

 彼らが努力をすれば復活する機会はあった。しかし彼らは楽する事を考えて、努力をしてこなかった。

 切り捨てと見るか、因果応報と見るかは人其々だ。だが、国家の大方針とも関わっているので、一個人の事情など考慮されない。

 能力が低い人ほど依存心が高くて、『助け合い』という他力本願の主張を繰り返す傾向がある。

 そんな人でも生きてはいける。しかし、組織において部下を指導するような地位に就く事は憚られる風潮が作られていた。

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 今の日本は北方の広大な領土を領有し、飛び地だが南半球まで支配領土を広げた大国と呼べる存在になっていた。

 だが、都市部はともかく農村部はまだまだ遅れている。道路や鉄道、港湾施設の整備に力を入れているが、それでも未開発の地域は多い。

 各地で発電所が次々に建設されて、国内の電化も急速に進んでいる。しかし、まだまだ電化が及んでいない地域も多い。

 電車や自動車などの普及も同じだ。都市部と農村の格差が生じているが、その解消には長い年月を要する。

 こればかりは費用の関係もあって、末端まで普及するには時間が掛かる。

 だが、都市部だけを見れば高層建築物も増えて、電化が進んで欧米の主要都市に匹敵した。

 災害時の避難場所としての地下鉄の普及も進んで、人が多く集まって経済発展を続けている。

 日本全体が発展を続けている事から、国民の政府への信頼は高く、自国に誇りを持つ人は多い。それが活気となって発展に繋がっている。

 衛生状態についても、公共マナーの向上の呼びかけと同時に手洗いやうがいを推奨して、史実のように疫病が流行する事は少ない。

 一部ではマスクの生産も始まって、衛生環境も改善しつつあった。


 これらの様子は世界各地の日本人街でも見られる。

 まだまだ満足なものでは無いが、各地の文化と融合を試みつつ、公共マナーの改善の衛生習慣の普及が進められていた。

 日本の国内においても、世界各地から移住してきた外国人が住む街が多くある。主に同盟国や友好国、保護国の人達で構成されている。

 こうした日本の動きに、大部分の日本人は満足していたが、一部は自分の理想と違うと不満を持つ人も居る。

 十人十色と言われるように、全てが同じ考え方をする事は無いので当然の事だ。

 それらの人達の為に、三年後を目標にしてフィジーに非武装の永世中立国を建国する準備が進められていた。

 日本は孤立する事無く、各国と協調しながら発展を続けていた。

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 【出雲】は砂漠の緑化を少しずつ進め、バスラ方面の荒れ地の開発も行った事から、住居可能地域は倍増していた。

 工場群の増設も続いて農地も拡大した事から、環ロシア大戦の時より国力は増大している。

 日本本土からもそうだが、ベトナムやタイ、カンボジアからの移民も多い。

 それに従来のクエート市に加え、バスラ方面を併合したのでアラブ人の数も多い。トルコやイランからの移民も居る。

 ドイツに支配されるのを嫌って、イラクから逃げ出してきた人は貧民街に住んでいる。

 そんな状況でも、日本人は過半数を占めている。多民族国家は成長期には良いが、経済が停滞すると少数民族が不満を溜め易い。

 統治の効率面からも、住民の過半数を日本人が占めている事が重要視されていた。

 今のところは【出雲】は成長期で、仕事は幾らでもある。その為、国民の所得は年々増えているので治安は安定している。

 隣国のイラクとの関係は良いとは言えないが、サウジアラビアとイランとの関係は良好だ。

 そして『中東横断鉄道』の建設を進めているので、経済的な結びつきも深まっている。

 トルコやエチオピア、マダガスカルとも良好な関係を維持して、開発を進めている。

 イスラム教の勢力の中央部に位置しているが、イスラム教全体と上手く関係を築いていた。


 そんな【出雲】にも影はある。

 住民全員が平和に暮らしている訳では無く、イラクから逃げてきた生活基盤を持たない人は貧困を強いられている。

 中には貧しさの為に、家族の為に身体を売っている女性も居る。だが、そんな彼らにも徐々に支援が届けられ、改善の兆しが見えていた。

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 報道規制法の改正によって、各新聞社はランク分けされ、それを新聞紙面のトップページに掲載する事が義務化された。

 要は読者に新聞紙の信頼度を伝える手段であり、一部には猛反対があったが概は読者に歓迎された。

 読者に媚びを売って利益を優先する新聞社のランクは下がり、事実を淡々と伝える新聞社のランクは上がる。

 事実を伝える事を重視する新聞社と、利益を重視する新聞社を同じ扱いにしては不公平だろう。

 読者の中には事実を知るより、刺激を求める人もいる。そういう人にも対応した法の改正だった。


 そんな各新聞社には、大量の投書が寄せられる。編集者によってチェックされ、特筆すべきものは新聞に掲載される。

 その一部を紹介しよう。


『N県のE市に住んでいますが、交通の便が悪くて橋の建設を嘆願していますが、中々聞いて貰えません。

 御社からも働きかけをして貰えませんか? 宜しく御願いします』

『S県に住んでいますが、県会議員のP先生がO建設から現金を貰って工事を発注している事を知りました。

 証拠もありますが、警察に届けると制裁がありそうで怖くて動けません。新聞で告発して下さい』

『A県に住んでいますが、最近は近くの川が濁っています。市や県に調査を頼んでも動いてくれません。

 子供が川遊びをしますので、何か変なものが混じっていないか不安なんです。新聞社の方から調査を頼んで貰えませんか』

『公共マナーの向上運動は良い事でしょうが、標語を作ってポスターで色々な場所に貼り出したらどうでしょうか?

 小学校の生徒達に書かせて、優秀作品には賞をあげるようにしたら教育効果もあると思います』

『この前、重たい荷物を持てずに困っていたら、外国人街に住んでいる人に助けられました。新聞の紙面でお礼を言って頂けませんか。

 こういう助け合いの精神は大切にしたいと思っています』

『A新聞社の取材を受けて事があるのですが、取材してやるという態度で上から目線で取材されました。

 新聞社ってそんなに偉い存在なんですか?』

『N新聞の記者は夜遅くに取材に自宅まで来ました。小さな子供も居るのに非常識だと思います。注意しておいて下さい』


 このような投書は改善に繋がるもので、一部は採用されて紙面に掲載され、一部は実行に移される。

 そして犯罪に結びつくようなものは、警察に通報されて捜査に入る。こういうタイプの投書は大半が実名入りだ。

 だが、投書はこのようなものばかりでは無い。我儘な主張や誹謗中傷が書かれた匿名の投書も多く寄せられる。


『P市の産業促進住宅街に住んでいるが、待遇改善を要求する! 食事をもっと上等なものにして、支援金の増額を要求する!

 困った時は助け合いの精神が必要だ! 金持ちは弱者を支援する義務がある!』

『日本総合工業は労働者から搾取している! 労働者の賃金をもっと上げて、産業促進住宅街への寄付金を増額すべきだ!

 社長の陣内は贅沢な暮らしをしているだろうから税金を重くして、貧しい人に財産を寄付するように命令しろ!

 あんな不細工な男が日本総合工業の社長だなんて、絶対におかしい!』

『政府や大企業は何をやっているんだ!? 早く庶民の生活を改善して、暮らし易い日本にしてくれ!』

『今の日本はユダヤ人を厚遇し、長年の関係があった清国や大韓帝国を冷遇している。

 これは誤った知識によるものであり、国家指導者が悪しき人物に洗脳されている! 両国に誠意を見せて関係改善する事を要求する!』

『日総新聞は中国と大韓帝国の悪い面しか報道していない! 平等主義から判断すると、良い面も報道しなくては為らない!

 毎日、紙面の一頁を使って中国と大韓帝国の文化紹介をする事を要求する! それが一流新聞社の義務である!』

『ロシアと経済関係を結ぶなど、愚かと言うしか無い! まったく政府の連中は馬鹿しかいないのか!?

 直ぐに清国と大韓帝国に支援を開始して協力関係を築いて、アジアに一大経済圏を構築するのが日本の生き残る道だ!』

『日本に同盟国や友好国など必要ない! 日本は巫女様が居るから負けるはずが無い!

 直ぐにでも同盟を解消して、世界征服を行うべきだ! 大日本帝国万歳!』

『皇室の存在自体に問題がある! 平等な国民社会を目指すなら、皇室制度は廃止すべきだ!

 日本は直ぐに憲法を改正して非武装中立の平和な国家を目指した方が良い! それと日本は清国と大韓帝国に支援する義務がある!

 長年の恩を返す為にも、即刻支援を開始するべきだ! それが日本が平和を愛する国家だと世界に認知される条件だ!』

『日総新聞は国に誇りを持てとか言っているが、そんなものは古い! 個人主義を大切にするべきだ。それが国の発展に繋がる。

 何故、それが分からないのか? そんな事も分からない新聞社が第一級新聞とは笑わせてくれる。即刻改善しろ!』


 人間には色々な人が居る。考え方も様々だ。そして誣告行為や誹謗中傷をする場合、大半が匿名で断定口調で汚い言葉で書かれている。

 誰しも日常生活や仕事でストレスを溜める。それを発散する為に悪口を言う人も居る。

 そういう人の場合には、言葉遣いを改めようと色々と宣伝しても効果は無い。

 見方を変えれば、悪口を言ってストレスを発散した事が犯罪防止になると思えば、取り締まるのも馬鹿らしい。

 中には真剣に自分の主張を目立たたそうと、汚い言葉を使っている人も居るだろうが匿名の為に調べる手段は無い。

 結局、根が善良な人は言葉遣いを気をつけるようになり、何処かに問題のある人は改善されないという事かも知れない。

 だが、法に違反したりするような誹謗中傷は捨て置けない。これらは警察に回されて、投書の指紋採取が行われ、筆跡の記録も行われる。

 それだけで逮捕される事は無いが、要注意人物として記録される。

 そして悪質なケースの場合は秘かに捜査が行われて、問題が表面化するのを未然に防いでいた。


 誣告行為(人を陥れるために、虚偽の告訴・申告をする事)を行って名誉棄損で訴えられた場合、大部分が敗訴になる。

 そう法が改正された為、日本では公式の場において言葉遣いが改まる傾向にあった。

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 報道規制法の改正によって、各新聞社は報道した記事の信憑性や捏造度によってランク分けされる事が決定した。

 そのランク判定を行う『報道判定委員会』は、内務省の職員と民間から選ばれた人で構成される。

 そしてその判定には厳しい査定が求められる。ある意味、報道機関の売上を左右するランキングだ。報道機関としても死活問題になる。

 当然の事ながら、最初の判定結果が発表された時は大いに荒れた。

 日総新聞を含む数社は一級の判定を受けたが、大部分の新聞は二流か三流の判定だった。

 その為、二流と三流に分類された新聞が、判定に不正があるだろうと報道判定委員会を厳しく追求した。


『今回の報道規制法の改正後に行われた報道判定委員会によるランキング発表に異議あり!

 伝統ある我が新聞が三流の判定など、到底受け入れる事は出来ない!

 言論統制を目論む政府の介入があって、報道判定委員会は恣意的な判定をしたのでは無いか! 我々は公正な判定を望む!

 再度の審議を行うべきだ! 第三級に分類された我が社はそう主張する!』


 このような批判の嵐が吹き荒れた。そしてこういう批判に沈黙しては、批判勢力を勢いづける。必ず反論する必要があった。

 報道判定委員会に天照機関の息は掛かっていないが、相談を受けて対策案を協議した。

 その結果が、報道機関の社主、編集長、編集記者を集めてチームとし、一般人の前で知識や資質などの公開試験を行うというものだった。

 報道判定委員会の判定に不服なら、一般人の見守る中の公開試験に参加しろと逆襲した。

 参加を断るという事は、根拠なく報道判定委員会を批判した事になるので、渋々だが一定以上の規模の全新聞社が参加した。

 これは『報道機関の格付けプロジェクト』と呼ばれ、ラジオ放送を含めて一般大衆から選ばれた判定員の立ち合いの元で進められた。


「M新聞さんは某政治家の発言の途中の、『ユダヤ人と縁を切るべきだ』という発言内容を問題視した記事を掲載しましたが、

 その前の『ユダヤ教の狂信者とは』という発言に一切触れていませんね。

 そして、発言をした政治家の資質を疑問視する記事を書き、責任をとって辞任すべきだと記事を書いている。

 前の言葉が欠落すると意味が違ってくると言うのは、小学生でも分かる事です。何故、前の言葉を記事に掲載しなかったのですか?」

「そ、それは……」

「新聞記者なら日本語をきちんと勉強して下さい。それが出来ないで報道業務に携わるとは常識を疑います。

 それも国内問題ならまだしも、外交関係に恣意的な報道をして隣国との関係を悪化させたいのですか? それは売国行為に相当します。

 そもそも自国語も満足に出来ないで、政治に口出ししようなど、貴社の見識を疑います。

 貴社は国民に努力する重要性や我慢する事を啓発せず、直ぐに政府や大企業が悪いと批判しますね。

 政府や大企業にも悪いところはあるでしょうが、他力本願な国民を増やす事が良いと考えているんですか?

 読者に媚びて売上を伸ばそうとしているのでしょうが、国民の民度や自覚を向上させないで良いと考えているんですか?

 狭量な人や未熟な人でも言論の自由はありますが、それを新聞という媒体を使って報道する事が良い事なんですか?

 これが貴社が三流判定された根拠です。それでも不服なら、他の三流判定した証拠を此処で発表しても良いですよ。

 それと社主や編集長を含めた、貴社チームの漢字テストは平均48点です。もっと日本語を勉強し直す事ですね」


 三流に分類されたM新聞社はある政治家の発言の一部だけを取り上げ、前の言葉を何故掲載しなかったかの質問に答えられなかった。

 読者の興味を惹く為に、問題となる発言だけを取り上げたのだが、それを正直に回答できるはずも無い。

 それ以外にも批判し易い政府や大企業を槍玉に上げて、国民の努力や自制を求めない報道体制の質問にも答えられなかった。

 ラジオで生放送され、一般大衆の見守る中で恥をかいただけだった。


「A新聞さんは先の環ロシア大戦の東方ユダヤ共和国で、強制慰安婦が存在すると書きましたね。

 こちらの調べでは、今の大韓帝国の民兵組織、清国陸軍、ロシア陸軍が近隣の若い女性を強制慰安婦として使っていた証拠はありますが、

 東方ユダヤ共和国軍と日本から派遣された部隊が強制慰安婦を使った実態は無い。寧ろ、彼女達を保護して祖国に送り届けています。

 にも関わらず、東方ユダヤ共和国軍と日本から派遣された部隊が強制慰安婦を利用したように書きましたね。

 これは事実の捏造です。これはどういう意図で記事にしたのですか? 事実であれば、証拠を出して下さい」

「そ、それは……某女性の証言です」

「では、その女性の名前と住所を教えて下さい。こちらで裏付けを取ります。女性の証言以外の証拠はありますか?」

「……取材対象の人権を守る為に、名前と住所は教えられません。それに証言以外の証拠は…………ありません」

「確たる証拠も無しに、女性の証言だけで記事にしたのですか? これは日本軍の信用に関わる重大な問題です。

 それを裏付けも取らずに、一女性の証言だけで記事にしたのですか? これは言論の自由などでは無く、誣告行為です。

 貴社の取材陣が高圧的な態度で取材を行って、一般の人から苦情が多く来ています。

 こんな報道体制をとっている貴社が、三流に判定されたのは当然ですね。番外に判定したいくらいです。

 貴社は軍から訴えられるでしょう。賠償金を早めに用意しておく事をお勧めします。

 判決が重ければチュコート半島の刑務所に行く可能性もありますからね。早めに知人や家族との別れを済ませた方が良いでしょう。

 社主や編集長を含めた、貴社チームの漢字テストは平均39点です。それで新聞社を運営するなんて、恥ずかしく無いんですか?」


 事実を捏造して売上増を企む新聞社に容赦する気は無い。売国行為も行うなら尚更だ。裁判に訴えても、早期に解決する。

 そもそも、そんな行為を行う輩は、批判するに相応しい能力や人格を持っている訳では無い。それを一般大衆の前で曝け出した。

 こういう新聞社は今まで何度も潰してきたが、何度も蘇ってくる。

 まあ、それを望む読者が居るのも事実なので、イタチゴッコになろうとも潰す努力を止める訳にはいかなかった。

 それと報道姿勢も問題にしていた。あくまで新聞社は民間の営利企業だ。

 その営利企業は国民の審判を受けた訳でも無く、法的な権利を持つ訳でも無い。

 それが情報を扱うという業務に関わるだけで、特権意識を持たれては様々な弊害が発生する。

 後々にも影響を与えようと、特権意識を持つ新聞社をやり玉にあげていた。

 こちらも公衆の面前で恥をかいただけで、A新聞にとって得るものは無かった。


「N新聞さんは【出雲】の沖田提督のプライベートを詳細に報道して、実害が出たから訴えられていましたね。

 貴社の取材は自社の売上には貢献したでしょうが、プライベートを報道された沖田提督の御両親は暴漢に襲われ、

 海外の暗殺者と思われる人物が【出雲】に潜入したという情報もありました。排除には成功しましたが、迷惑を掛けたのは事実です。

 さて、どういう意図で沖田提督のプライベートを詳細に報道したのですか? ひょっとして沖田提督に怨みがあるのですか?」

「そ、そんな事はありません! 我々は読者が望むので、それに従ったまでです! 沖田提督に危険が及ぶとは思いませんでした!」

「結果論で言えば、貴社の報道は貴社の利益にはなりましたが、沖田提督にとっては迷惑以外の何物でも無い。

 それに沖田提督に危険が及ぶ事を考えられなかったなど、言い訳に過ぎません。

 不特定多数の読者の好奇心を満たす為なら、国家の重要人物の安全が脅かされても良いのですか?

 取材対象の迷惑を考えずに、夜に取材を行うなどの非常識行為の苦情が来ていますので、反省を求めます。

 それと貴社は産業促進住宅街の規模を拡大して、外国人を含めて福祉を充実させるべきと社説に書かれましたね。

 現在の産業促進住宅街の運営は、日本総合工業からの寄付と国の補助金で賄われています。

 つまり貴社は日本総合工業の善意の行動を義務化して、まだ開発の手が伸びていない過疎地域の人を置き去りにしても、

 外国人の福祉を充実させようと考えているのですね?」

「そ、そんな事はありません! 運営に日本総合工業の寄付金があるとは知りませんでした。

 それに過疎地域の人を置き去りなんて、考えてもいません!」

「その程度の知識で社説を書かれるのですか? 言論の自由は確かにありますが、新聞紙たるもの確たる情報を元に報道して頂きたい。

 外国人の福祉を充実させる事も良いですが、負担がどうなるかを考えていない。

 それを考慮しないなら、単なる思い付きを記事にしただけと思われますよ。そんな無責任な報道体質の貴社は二流と判定されました。

 まあ、社主や編集長を含めた、貴社チームの漢字テストは平均58点ですから、三流新聞と比べれば良い方です。

 ゴシップ紙と呼ばれたくないのなら、貴社の報道姿勢の改善を検討した方が良いでしょう」


 読者の好奇心を満たす為には常識破りも平然と行って、裏付けも無く理想論を唱えるのはゴシップ紙の常套手段だ。

 まあ、取材対象に迷惑が掛からなければ良いが、取材対象の権利の保護より自社の売上を重視した報いは受けて貰う。

 それと読者が事実でなく、ゴシップ記事と認識してくれれば良い。国民が事実を区別できるようにするのも、国の務めと思っていた。

 こちらも取材対象の迷惑を考えない取材方針を問題にあげていた。


「日総新聞は、今回は特級から一級へのランクダウンです。理由は新製品発表の日時を三月と発表しましたが、実際には四月でした。

 それと『吉澤』と書くべき内容を『吉沢』と間違えて書いた為です。これら以外に簡単なミスが数点ありました。

 これについての異議はありますか?」

「いえ。それは弊社の取材精度が不足した為と、校正人員のミスがあったからです。社内体制の見直しを進めます」

「異議が無いなら結構です。次は特級への復活に頑張って下さい。取材姿勢についての苦情もありません。

 報道で被害を受けたと裁判沙汰になったのは十五回ですが、いずれも原告側の言い掛かりと判決が出て勝訴している。

 貴社の営業妨害を行ったのでしょうが、それに屈せずに今と同じ姿勢で報道に取り組んで下さい。

 社主や編集長を含めた、貴社チームの漢字テストは平均93点です。さすがですね。これからも努力するようにして下さい」


 日総新聞は陣内の意向、つまり天照機関の意向を色濃く反映しているが、報道判定委員会にエコ贔屓するように圧力を掛ける事は無い。

 それをすれば、日総新聞の自浄能力は失われる。陣内は公平な判定が行われば良いと考えていた。

 そんな日総新聞の足を引っ張ろうと、報道で被害を受けたと訴えた人や組織があったが、尽く敗訴していた。

 逆に名誉棄損で訴えられて賠償金を支払う羽目になった為、最近はそうした妨害行為は無くなっていた。

 他にも一級に認定された新聞社は複数あったが、そちらは一級と二級と行ったり来たりしていた。


「さて、これで一般の立ち合い下で行われた新聞記事の分析判定と、学力テストは終わりです。

 次は各新聞社の審美眼や音感、その他にはマナーを身に付けているかの判定テストです。

 一般の方は五人まで参加可能です。こちらで用意した食事も食べられますので、希望者は申し出て下さい」

「ちょっと待ってくれ! 前回もそうだが、絵画や芸術品の真贋判断や、楽器の音程を聞き分けるなんて、新聞記事に関係無いだろう!

 高級食材と一般食材の味なんて分かるか!? こんな無駄な事をする必要は無い! 止めるべきだ!」

「これは各新聞社の文化レベルの確認ですよ。前回、最下位だからと言って、文句は言わないで下さい。

 美術品の真贋判定や名器の音を聞き分けられなくても新聞記事は書けるでしょうが、それは表面的なものでは無いですか?

 A新聞さんのように上から目線で批判記事を書くのなら、記事に相応しい人格と素養がある事を証明して下さい。

 料理の判定もありますから、一般参加の人も楽しみにしているんです。前回同様、一般の人に負けないようにして下さい」


 実際の新聞記事の分析や学力テスト以外にも、文化面のレベルも新聞社に求められていた。

 遊びに近い内容だが一般人に負けたとあっては、評判は地に堕ちる。偉そうな事を言っても、書いた人間の素養を疑われる。

 報道の自由はあるだろうが、批判するなら、批判するに相応しい力量を持っている事を見せろと暗に迫っていた。

 ラジオで生放送され、一般大衆も見守る中で行われたので、言い逃れは出来ない。

 娯楽も兼ねて年一回は『報道機関の格付けプロジェクト』が行われ、一部の新聞関係者のトラウマになっていた。

 この副作用として、各新聞社は職員の文化教育に力を入れ、報道の質が少しは改善された。


 余談だが、金を使って恣意的な報道をする事は、ロビー活動として欧米では認められている。

 だが、それを国家が行う場合は小国のみで、大国がやると逆に品位を落とす行為として見做されている。

 弱者の主張を聞くという面から見ると妥当な事かも知れないが、内容の真偽についての考察は一切無い。

 そのような別の面から見ると不公平な制度は、日本では報道規制法で制限されていた。

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 淡月光の日本国内の生産工場は、最初は三ヵ所だったが徐々に増えて、現在では八ヵ所になっていた。

 その生産品目の関係から従業員の大部分は女性であり、まだまだ女性の社会進出が進んでいない日本において貴重な就職先だった。

 そして最大の就職先でもある。全ての工場に食堂があって、大部分の従業員はそこで食事している。

 セルフサービスで、好きな料理の乗った皿を取って最後に会計する仕組みだった。


「はい、小母さん。会計よろしく!」

「御飯と味噌汁にサラダ皿が一つと料理皿が一つ。食券一枚だね。やっぱりパンより御飯の方が売れて、嬉しいね」

「たまにはパンを食べるけど、やっぱり日本なら御飯を食べなくちゃね。それが力の源よ」

「はいはい、後ろが詰まっているから早くしてね。はい、小母さん。あたしは一ヶ月の無料パスを持っているから良いわよね」

「期限は大丈夫だね。はい、良いよ。また新しい料理を考案して申請すれば、一ヶ月の食堂のメニューは無料だからね。

 来週からは新しいメニューを期間限定で出すから、楽しみにしてな」


 織姫の持っていたデータは、陣内が暇潰し用に用意させたので技術系の資料が多く、料理に関する情報は少ない。

 それでも写真や料理の概略はデータの中に残っており、それを元に史実で流行した料理の再現を行っていた。

 これも文化生活を豊かにする一環であり、上手くすると海外進出の支援にもなる。

 他国に文化の押し付けをするつもりは無いが、長い年月を掛けて無数の人達の試行錯誤の上で完成した料理は、全部とは言わないが

 大半は国内外の人達に受け入れられるだろう。その料理の実験場の役を、淡月光の食堂は担っていた。

 それ以外にも、女性従業員発案の新料理も積極的に採用している。採用された人には一ヶ月間の食堂の無料パスが支給される。

 そして女性従業員の反応が良ければ、協力会社を通じて新メニューを伝えて、国内外に広める活動を行っていた。


「ここの食堂はメニューが定期的に変わるから、飽きなくて良いよね。明日はラーメンにしてみようかな」

「ラーメンか。でも明日は醤油よ。あたしは味噌が好きだから明後日にしておくわ」

「ハンバーグも良いわね。ニンニク味のハンバーグはあたしの好物よ」

「えっ!? たしか今日の夜は日本総合工業の若手社員と合同食事会でしょう! ニンニク臭が残っていると不味いわよ!」

「きゃっ! そうだった! 購買に行って、臭い消しを買わないと!」


 淡月光は若い女性を大量に雇用している。一方、日本総合工業は大量の独身男を抱えている。

 それ以外にも日総新聞や理化学研究所を含めて、グループ内で若い独身男女の出会う機会を作る合同食事会が定期的に催されていた。

 所帯が大きくなると、経営面以外にもこういう社員の生活の面倒を見る必要が出てくる。

 成果を出している事が知られると、協力会社の社員で参加を希望する人も増えていった。

 それと不定期だが、淡月光の海外工場から短期出向で日本に来る若い女性も多い。そういう面からも国際交流は進んでいた。

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 李承晩は前王朝を滅ぼして、新しい皇帝になっていた。

 その李承晩はアメリカに留学した事があるので、自国を改革する必要性は分かっていた。

 識字率が低い問題もあるし、インフラを整備する必要もある。そして工業力を成長させなくては為らない。

 だが膨大な借金が残っており、資金不足もあって何処から始めれば良いのか、頭を悩ませていた。

 そしてまずは改革の費用を捻出する為に、国内の若い女性を需要がある地域に送り込み、収入を得る事にしていた。

 今までも行っていた事だが、その規模を拡大した。そして国内の識字率向上の為に、ハングル文字の普及を進めた。

 そのハングル文字の普及に一役買ったのは、アメリカ留学中に書いたあるファンタジー小説だった。

 配下である金恨玉が加筆し、完成度を上げた小説をハングル文字で書いて、それを大量に国内に配布していた。

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 『世宗大王物語』

 世宗大王は第三代国王太宗の第三王子として生まれた。即位前の名は忠寧大君。

 そして幼い頃から天の啓示を受けて、その才能を轟かせていた。

 農業においては色々な指示を行って収穫量を増やし、軍においては世界初の装甲艦である亀甲船の建造を指揮した。

 それ以外にも軍制や政治の改革、朝鮮朱子学の導入と仏教の弾圧、そしてハングル文字を創製させ、識字率の向上に努めた。

 経済面では朝鮮通宝を鋳造し、貨幣経済の普及に努めた。それらが父親である第三代国王太宗に認められ、若くして王位に就いた。

 そして王位に就いた忠寧大君は名を世宗大王に改め、拡張主義に転じた。

 沿岸部を荒らしている倭寇を取り締まる為に、大量の軍艦を派遣して対馬を占領した。

 占領した対馬に巨大な基地を建設すると、そこから日本の九州地方や中国地方に兵を派遣して、占領地を増やしていた。

 日本は室町幕府が支配していたが、世界初の装甲艦である亀甲船に勝てる船は無く、日本の連敗は続いた。

 北方では建州女真に対する侵略戦争を行った。軍制の改革を行い、大量の火砲を擁する李氏朝鮮軍は無敵だった。

 そして女真族を征服して、明とも戦争を繰り返して領土を拡大していた。

 そんな世宗大王は軍事面だけで無く、様々な面で功績があった。

 仏教を徹底的に弾圧して、朝鮮朱子学を積極的に導入した。それは李氏朝鮮の精神的な根幹を築いたと言える。

 王立天文台である簡儀台を設置し、渾天儀など多くの天体観測器を製作させた。

 世界初のからくり時計である自撃漏を製作させた。世界最初の雨量計である測雨器を導入した。

 世界最初の活版印刷を導入した。これら以外に楽器の製作、郷楽の創作、井間譜の創案などを命じて、朝鮮の雅楽の復興期が到来した。

 医学においても、韓方(漢方では無い)を確立させた。端午の節句、etc、etc

 そんな天才的な才能を持つ世宗大王にも悩みはあった。兄の譲寧大君の事だ。

 第三子であるにも関わらず、兄を差し置いて国王の座に就いたのは大きな悩みだった。

 その為、日本の大半を占領し、満州全域を支配し、明とも有利に戦いを進めている中、兄である譲寧大君の子に王位を譲った。

 そして王位を譲られた譲寧大君の子は、世宗大王以上の才能を発揮して、世界征服に乗り出していくという物語だった。

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 ベースは李承晩がアメリカ留学中に不満を解消させる為に書いて、転生者である金恨玉が加筆した。

 尚、李承晩は譲寧大君の16代末裔であり、自分の正統性を主張している。

 これがハングル語で書かれた本が大量に国内に配布された。

 そして紙芝居形式で各地で概要の説明が行われて、読みたければハングル語を覚えるようにと仕向けていた。

 突っ込みどころは満載だが、娯楽の一つと考えれば良いだろう。実際にそれで国内の識字率は向上している。

 さらに、李氏朝鮮の長い搾取と弾圧の為に文化や様々な文化財が失われた帳尻を、豊臣秀吉が朝鮮出兵に求めようと『李舜臣物語』の

 執筆を進めていたが、皇帝という立場にあって時間の余裕が中々取れず、そちらは後回しにされていた。

 尚、自国の立場を有利にしようと、国内で大ヒットした『世宗大王物語』を各国語に翻訳して世界中に広めようと動いていた。

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 陣内の義理の妹である美香は、日総新聞の社長である青山と結婚していた。社長夫人の立場だが、家に篭る事無く、積極的に動いている。

 その立場から、定期的に子会社にも顔を出す。そして、たまたま日総出版を訪れた時に、職員の怒声に迎えられた。


「何だよ、この本は!? この本を日本語に訳して出版したいだと!? こっちを馬鹿にしているのか!?」

「あらあら、大きな声を出してどうしたの? 少しは落ち着きなさい」

「あっ、美香さんでしたか。この本が日本語訳で出版できないかと持ち込まれたんですが、内容が酷いんです!

 李氏朝鮮の第四代国王の世宗大王が天の啓示を受けて、色々な発明をして日本や中国を占領して、その子孫は世界征服を達成する話です。

 日本を征服した後は皇室を根絶やしにして、日本人を奴隷にするとか書かれているんですよ!

 こんな本を日本語に翻訳するなんて、とんでもない! 持ち込んだアメリカ人に抗議するべきです!」

「……その本を見せてちょうだい」


 美香に渡されたのは英語版の『世宗大王物語』だった。途中で何度も溜息をつきながらも、美香は一気に最後まで読んでいた。

 そして読み終えた後、複雑な表情をしながら本を職員に返していた。


「この本を持ち込んだのはアメリカ人と言っていたけど、書いたのは大韓帝国の人間ね。

 自国の偉人が素晴らしいと宣伝する事で、民族の誇りを取り戻そうとしている。まあ、何処の国も多かれ少なかれやっている事よ。

 日本や清国を貶めているけど、この程度で怒ったりする必要は無いわ。無視すれば良いだけの事よ」

「しかし、あの大韓帝国が日本を占領して、日本人を奴隷にするなんて放置して良いんですか!?

 しかも日本の皇室を根絶やしにするって、不敬罪に相当しますよ!」

「だから落ち着きなさいって。教科書に採用したならともかく、自費出版の本に熱くなってどうするの?

 あの国は朝鮮朱子学が国教だから上下関係が厳格で、格下の存在は上に隷属するべきって思っている。

 彼らにとって日本は格下の存在。だから日本を滅ぼして奴隷にするのは当然。そう考えるのは彼らの自由よ。

 でも、日本は違う。彼らは日本を隷属させたいと考えていても、日本は彼らを隷属させる気は無いわ。

 信じる宗教が違って価値観も違うから、相互不干渉が一番良いの。まともに対応すると、逆に痛い目に遭うだけ。

 こういう本が持ち込まれた事は旦那に話しておくけど、あなた達はその本を持ち込んだ人に返すだけで良いわ。

 あまり熱くならないでね。炎上商法と同じで、こういう物は無視が一番なの」

「……そんなものですかね?」

「そういう事。他者の考え方を縛るような事を声高に主張するのは、器の小さい人がやる事よ。

 普通の人は、こんな物は笑って済ませるわ。煩いハエは叩き潰すけど、この程度なら無視すれば良いだけ。

 どうせ海外で翻訳されても、売れる筈も無いしね。誰が書いたか知らないけど、出版費用を自己負担して大量の在庫を抱え込むだけよ。

 あなたも人生経験をもっと積んだ方が良いわよ。第一、そんなに短気だと、直ぐに禿るわよ」


 人間誰しも自分の考えを持つ自由はある。それが他人から見て歪んだ考えであっても、それは本人の自由だ。

 その考えによって他者が不利益を被るなら話は別だが、誰しも思想の自由はある。それを侵害するのは、人権侵害になる。

 力ある者の横暴が認められている時代だが、美香を含めて日本の上層部は他者の思想を縛る気は無い。

 ただ妥協が出来ないなら、邪魔にならない場所に行って貰う方針で臨んでいた。

 少し落ち着いた職員は、大きな溜息をついて、美香の言う事に従った。


「分かりました。この件については美香さんの指示通りにします。

 話は変わりますが、アメリカの図書館で『東アジア紀行』や『朝鮮紀行』が切り裂かれる事件が多発したって聞いていますか?」

「図書館の本が切り裂かれたの? それは聞いてないわ。被害件数はどうなの?」

「カリフォルニア州を中心に、大学図書館に置いてあった『東アジア紀行』や『朝鮮紀行』が切り裂かれる事件が数十件発生して、

 拡大の様相を見せているらしいです。大部分がテキサス新聞の寄贈品だったんですが、アメリカで騒ぎになっています。

 一応、テキサス新聞は新刊を寄贈すると声明を出しています」

「そう、アメリカのカリフォルニア州を中心にね……憶測で言うのも何だけど、しばらくは収まらないでしょうね。

 そっちの情報を集めて、後で報告して。旦那に話して、上の方に話を上げておくわ」


 『東アジア紀行』と『朝鮮紀行』には、主に中国と大韓帝国の風習や文化、生活状態などが書かれている。

 日本は直接関与せずに、海外の新聞社であるスコットランド新聞とテキサス新聞が出版して、世界各地の図書館に寄贈した。

 中国と大韓帝国の情報を積極的に海外で広めようとし、それは一定の効果を出していた。

 その本が切り裂かれたのは、『東アジア紀行』と『朝鮮紀行』で不利益を被った人達の手によるものだろう。

 だが、証拠が無くては何も言えない。この件は何かを暗示しているような気がして、美香は早めに自宅に戻って青山に相談した。

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 産業促進住宅街は天照機関が資金を出して、日本各地に建設された。新しく得た領土にも建設され、運用が行われている。

 最初は貧しい人達の仮住まいとして機能した。食事と住宅は無料で、ある程度の資金を溜めた人は産業促進住宅街を出て自立していく。

 その他には孤児院と老人ホームを兼ねており、連れ合いを亡くしたが幼い子供を抱えている家族や、身体に障害がある人達が住み、

 地域の福祉施設の役割を担っていた。(緊急時には、災害の避難所としても機能する)

 その運営資金は日本総合工業からの寄付金と、国の補助金で賄われている。

 そして住民は食と住居の負担が無い代わりに、国から指定された仕事を行う義務を持っている。


 設立経緯から産業促進住宅街の行政管理は曖昧で、住人の自治会によって運営が行われていた。

 弱者の福祉施設という意味合いが強い事から、割り当てられた仕事を行う義務はあったが、強制力は無い。

 その制度の弱点をついて、割り当てられた仕事もせずに、遊んで暮らす人が増えて問題になっていた。

 普通の人なら他人の世話になって生活するのを恥じる傾向はあるだろうが、厚顔な人は安楽な生活に慣れたら抜け出せない人も居る。

 寧ろ、助け合いなどと言って、他者の支援を強要して自分の権利を守ろうとする。

 政府としては自立までの繋ぎなら、短期間という事で大目に見る気で居た。しかし各地の自治会の方で問題視されていた。


 各地の産業促進住宅街の自治会から相談を受けて、問題を解決する為に『産業促進住宅街管理法』が制定された。

 緊急処理的に設立され、問題が顕在化しなかったら放置されていたが、此処に至っては法で律する方針に変更した。

 主だった内容は、産業促進住宅街の自治会の権限を強化して、会計面では一定期間毎に国の監査を受けるというものだ。

 運営資金は従来通りの手法で支給され、それを自治会が責任をもって管理して会計報告を行う。

 自治会は住人の投票によって決められる事になり、住民の資格審査の権限も自治会に付与された。

 産業促進住宅街の住民に相応しくないと自治会が判断した場合は、該当する人物を追放する権限を持った。

 自治会の横暴を抑える為に、住民は自治会の監査を政府に求める権利はあるが、それには三人以上の署名が必要だ。

 そして今、初めての住民の資格審査が行われていた。


「知っていると思うが『産業促進住宅街管理法』が制定されて、我々自治会が運営に大きな責任を持った。

 そして住民の資格審査の権限があるので、今回は桃田君の審査を行う。

 さて、桃田君は健康なのに清掃業務や農地の手入れなどの国から頼まれた仕事に参加していない。これは義務違反だ。

 そして食堂で食事を作ってくれている女性に、『飯が不味い』だとか、『酒を出せ』とか暴言を吐いている。弁解があれば聞こう」

「ああん! 仕事なんかする気がねえから、仕方ないだろう! それに飯が不味いのは正直に言っただけだぜ!

 何が悪いって言うんだよ! ふざけた事を言うと、ぶっ飛ばすぞ!」

「……他と協力せずに、自分勝手な主張を繰り返すだけか。仕事をするように勧めた老人を殴った事もある。

 そして君が近隣の街に行って、人を脅して金を巻き上げて博打をしている目撃者と証人も居る。

 放置しておいては、他の住人の迷惑になる。分かった。君はこの産業促進住宅街の住人に相応しく無いと判断する。

 そして自治会長として追放を提案する。他の人の意見はどうだ?」

「「「「異議なし」」」」

「ふん! こんなしけた街なんて、直ぐに出て行ってやるさ! 近くの産業促進住宅街に行けば良いんだ。

 後でお礼参りに来てやるから覚悟しておけ!」

「……言っておくが、桃田君の顔写真と指紋を登録したカードはブラックリストに登録され、日本全国の産業促進住宅街に配布される。

 つまり、君は二度と産業促進住宅街に入居する事は無い。他の地区の産業促進住宅街に行っても拒否される」

「何だと!? そんな事が認められるのかよ! 知り合いに頼んで、人権侵害で訴えてやるぞ!」

「好きにするんだな。我々は法で定められた権限において、判定を下している。

 君の権利を守る代わりに他の多くの住民の安全が脅かされるのなら、追放は当然だ。それと他の産業住宅街に迷惑は掛けられん。

 人権派の弁護士は居るだろうが、君のような人間の弁護を行うと弁護士に関する法の改正を行う良い契機になる。

 悪徳弁護士を排除する良い機会だからな。それとお礼参りに来るのは良いが、交番を作って警察官が常駐する事になった。

 それこそ、チュコート半島の刑務所に行って酷寒の地で服役するのが良いのなら、試してみるんだな」

「そ、そんな馬鹿な!? 分かった! 心を入れ替えるから、追放だけは勘弁してくれ!」

「そんな口先だけで誤魔化せると思っているのかね? 今までの行動だけでも追放処分は当然だ。そして改心するとも思えない。

 君は日本全国の産業促進住宅街には入れない。そしてブラックリストに載ったからには、まともな職業には就けない。

 ヤクザな組織なら潜り込めるだろうが、警察は違法組織の摘発を進めている。残るはフィジーの自治領ぐらいだな」

「フィジーの自治領だと? どんな場所なんだ?」

「南半球にある温暖な気候の島だ。桃田君のような我儘な怠け者の収容地として準備されている。

 住宅は準備されていて、食糧も何とか食べていける環境にあるそうだ。働かなくては飢え死ぬだけだがね。

 そして、一度行ったら日本への再入国は無理だと思いたまえ。

 我々は桃田君にフィジーに行けと命令する権限は無い。だが、ブラックリストに載った君が日本で生きていくのは辛いだろう。

 海外に移民する手段もあるが、【出雲】や同盟国、友好国はブラックリストに載った君を受け入れない。

 何より、外務省がブラックリストに載った人物にパスポートは発行しない。残るは密航だが、ある程度の金は必要だ。

 さて、追放が決まったからには、本日中にこの街から出て貰う。もしフィジーに行く決心があるなら、私が外務省に連絡を取ろう。

 我々も忙しいから、君に長時間構っている余裕は無い。この場で決めてくれ」

「……分かった。フィジーに行く」


 腐った蜜柑は取り除かないと、他の蜜柑が腐ってしまう。子供なら更生の機会があるだろうが、大人相手に余裕は無い。

 それに更生するかは本人の自覚次第だ。今の時点で大人の落ち零れまでも、手厚い保護の手を伸ばす気は無かった。

 こうして、日本各地の産業促進住宅街で問題人物の摘発が進んで、フィジーのバヌアレブ島に収容され始めた。


 軽犯罪用の刑務所は日本各地にあるが、重犯罪用の刑務所はチュコート半島の奥地にある。

 冬はブリザードに閉ざされて、脱獄は容易では無い。仮に脱獄しても凍死する運命だ。そこで重労働を課せられる。

 以前の重犯罪者の適応は殺人などに限定されていたが、法が改正されて誣告罪や詐欺罪で罪を犯した場合は更生の可能性は低いと

 厳しい処分が下される。その実態は詳細に報道され、犯罪の発生抑制に役に立っていた。

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 今の日本の議会では政党政治が行われていた。

 だが、天照機関は必要時以外は議会に介入する事は無かった。特務権限を持っているが、乱用は人心の荒廃を招く。

 その為に緊急時や重大事以外は、選挙で選ばれた政治家に国家運営を任せていた。(主に内政)

 政党は多く、色々な特色がある。天照機関の方針に従って、穏やかな国家連合を組織して発展していこうと考える議員が一番多い。

 そうお膳立てされた事もあるが、それが発展への最善の道だと知っている。

 他には日本を神聖視して頂点に立つべきだとか、逆に今の領土があれば拡張は不要だとして非武装中立を訴える議員も居る。

 彼らは自分の主張を通そうと言葉汚く罵って、国を良くする為だと言って妥協をしない。

 民主主義の原則は多数決だが、少数側の意見も聞くべきだと主張して、国会運営の足を引っ張る。

 少数側の意見でも良い事ならば耳を傾ける価値はあるだろうが、価値観が異なっていると妥協する余地が無い事も多い。

 十人十色と言うから、その発言は自由だ。だが、国家の方針に関わるような意見には天照機関が目を光らせていた。


「やれやれ。開国してから日本は無敗で、戦争は勝利し続けている。良い事なんだが、それに胡坐をかいて気を緩めているとしか思えんな。

 民間もそうだが、国会議員でも荒唐無稽な事を言い出すようになるとは。これは荒療治が必要かな?」

「内政で失敗して、それで問題が起こっても責任は選挙で選ばれた政治家と選んだ国民にある。

 失敗は成功の母と言うから、目くじらを立てる事も無いだろう。失敗が許されない外交は、我々が確認をしているからな。

 教育と同じで、軽度の失敗は次の成功の元になる。だが、あまり甘やかすと、先の産業促進住宅街の怠け者のような問題が出てくる。

 指の爪と一緒で放置すれば、ああいった輩は勝手に増えてくる。だから見つける度に、対処すれば良い」

「ずっとああいう輩の対処をしなくてはならないとは気が重いな。まあ、それは目付機関に任せよう。

 人権保護は重要だが、過度に保護すれば堕落する。追放された輩の実態を報道させたから、少しはマシになるだろう。

 それにしても、専制主義と民主主義はどちらも利点と欠点を抱えている。

 専制主義が横行すると、独裁者の横暴に歯止めが掛からない。独裁者が善良で有能なら良いが、愚鈍なら国家は滅亡する。

 民主主義が横行すると、衆愚政治が行われる。結局、長期的な視野の行動を取れずに堕落する。下手をすると国民の暴走で国が亡びる。

 一長一短だ。効率を考えると専制政治だが、責任分担と公平さを考えるなら民主主義だ」

「直ぐに結論を出せるものでは無い。この天照機関は専制主義の最たるものだ。

 公僕の意識を持って私利に走る者がいなければ効果的だが、後継者を考えると天照機関を永続させるのも問題だからな。

 史実の第二次世界大戦が終わった後に、本格的な体制の変更をする。それまでに確立させれば良い。まだ時間的な余裕はある」

「民度の問題もある。少しずつ改善されているが、満足なレベルでは無い。それに目先の事しか見えない人も多い。

 良い例が東北地方のC市だ。あそこは1896年の明治三陸大津波で大きな被害を受けたが、大部分の住民が官主導の再開発を拒否した。

 あれから十四年経過した。他の地域は強引だが官主導で復興事業を進めたから、大部分が元に戻って栄え始めている。

 だが、C市は住民が自分達で復興計画を策定して進めると強引に主張したから、復興予算を渡して任せた。

 結局、住民の意見が纏まらず、大半の住民は他の地域に移住した。残った住民は今でも産業促進住宅街に住んでいるんだ。

 そして今になっても意見対立は収まらず、復興予算は詐欺師に奪われたり、横領で最初の四割以下に目減りした。

 今になって泣きついてきたが、復興予算が失われたのは彼らの責任だからな。他への示しの意味を含めて、厳しく対応している。

 大々的に報道されたから、住民の自主路線に疑問を持つ国民が多くなった。悪しき民主主義の実例だな」

「他の地域でもそうだが、民度が低いと強引に物事を進めなくてはいけないから、全員の意見を聞ける筈も無い。

 民度が上がっても、足を引っ張る輩が多いと民主主義は成功しない。

 史実でも長い年月と数知れぬ人達が悩んで結論が出せなかった問題だ。凡人たる我々が直ぐに解決できる筈も無い。

 じっくりと試行錯誤を重ねながらも、改善を進めていくしかあるまい」


 最善の政治制度など、簡単に結論づけ出来るものでも無い。とは言っても、検討を始めなければ成果は何時になっても出ない。

 それに国民の素養によって左右される要素もあるので、その条件は複雑になる。

 国家指導者にとって、国民全員の生活を守って発展させるのが望ましい。

 しかし、守る価値があると思われる国民も居れば、内心では絶対に守りたくは無く、逆に放り出したいと思う国民も居る。

 そして利己主義者は自分の利益を優先させるから、他者の迷惑になる事でも平気で主張する。

 それでも国家指導者は国民を纏めて、方向を一致づけて権利を守らなくては為らない運命にある。

 だから指導者は国民を団結させようと工夫をする。それが分からない利己主義者は平気で批判するが、責任を取る事は無い。

 そのストレスは上に立った者しか理解できない。そして天照機関のメンバー全員は、胃腸薬を愛用していた。

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 5S活動と呼ばれるスローガンがある。整理・整頓・清掃・清潔・躾を職場環境の維持改善に繋げようとする運動だ。

 史実において製造業やサービス業で盛んに用いられ、作法などを追加した各社独特の運動も行われた。

 個人主義者からしてみれば、会社から躾を強要されるなど認めらないが、会社としては方針に従わない従業員は不要だ。

 国家なら方針に従わないと言っても簡単には追放できないが、営利企業なら配置転換や懲罰、給与などを含めた指導ができる。

 その5S活動を日本総合工業は積極的に展開していた。

 日常業務にも組み込まれ、休日でも公園の清掃などのボランティア行為も推進している。

 だが、通常業務は業務命令という形で命令できるが、休日のボランティア活動は強制できない。

 個人の都合もあるだろうし、無理強いする内容でも無い。しかしモラル向上の意味も込めて、全部署で取り組んでいた。


「山田君は次の日曜日の清掃活動には参加できないのか?」

「はい。都合がありますので、参加は見送らせて貰います」

「……ふむ。まあ強制するものでは無いから仕方ないが、偶には参加するように考えてくれ。職場の仲間の付き合いもあるからな」

「職場の仲間と休日にまで顔を合わせるなんて、遠慮しときますよ。

 それはそうと、何で淡月光との合同食事会に参加させてくれないんですか!? 何度申請しても却下される。

 一度、係長から事務局に文句を言って下さい!」

「そんなプライベートの事は、直接君が事務局に文句を言えば良いだろう。私を巻き込むんじゃ無い!

 それより参加申請を却下される理由を知らなかったのか? そちらの方が問題だな」

「係長は理由を知ってるんですか? 教えて下さいよ! こっちは嫁さん探しで忙しいんですからね!」

「君は一度淡月光との合同食事会に参加して、自分は出世するから俺と付き合えと数人の女性に強引に迫った事があるだろう。

 それで事務局に苦情が来た。日本総合工業としても、そんな君を合同食事会に参加させると品位の面で色々と問題だからな。

 だから君が合同食事会に参加を許可される事は無い。君が日曜日の清掃活動に参加していない事を事務局長も知っているから余計だよ」

「そ、そんな! 当然の事を言っただけじゃ無いですか! 何が悪いって言うんですか!?」

「会社として5S活動を推進しているが、君の机は汚いままだね。ゴミも散らかっている。この前に一ヶ月前の見積もりの事を聞いたら、

 引出を引っ張りだして探すのに三十分掛かったな。私が何度言っても整理をしないからだ。

 そんな君が出世するとは思えない。まあ君が思い込むのは自由だから、今度の日曜日にゆっくり考えて見るんだな。

 そうそう、君が陣内総帥や上層部を批判した事が課長に知られた。

 プライベートの時なら問題は無かったが、社内研修の時に言ったから問題が大きくなってね。

 仕事を満足に出来ない君に上層部を批判する資格があるのかと、課長から私も責められたよ。

 その為に四月からエネルギー事業部の点検部に移動して貰う。そこで現場の厳しさを勉強してくるんだな」


 簡単に考えると5S活動(整理・整頓・清掃・清潔・躾)は、会社の利益に結びつかない雑用に見える。

 だが、5S活動の徹底は作業の効率化や品質向上に結び付く。誰しも汚れた職場で仕事をしたくは無いだろう。

 綺麗な整然とした職場で働くと活気に繋がる。躾も重要だ。公共マナー向上も含めて、会社の維持改善に躾は重要視されていた。


 そして日本総合工業から始まった5S活動はグループ会社や協力会社にも広まっていた。そして下請け業者にも普及させようとしていた。

 会社が下請け業者に仕事を出す場合、納入製品の単価や品質も重要だが、下請け業者が5Sに取り組んでいるかも監査対象になった。

 ある日、日本総合工業の協力会社が、下請け業者を監査に訪れていた。


「山岸工業さんはコスト削減に協力して貰っていますが、最近は不良品が増えて問題になっています。

 やはり5S活動を進めていないのが原因では無いですか? この前の監査で指摘した内容の改善が行われていませんよ」

「いやあ、忙しくて中々5Sも進んでいないんです。価格の方は相談させていただきますから、宜しく御願いしますよ」

「困りましたね。山岸工業さんの工場はかなり汚くて、このままでは仕事を出すのは不安になります。

 最近は起業する人も増えて、積極的に我が社に売り込みに来ています。その売り込みに来た会社の監査を先月しました。

 完成したばかりの工場で綺麗なのは当然ですが、5S活動がきっちり行われて将来性はあると判定しました。

 来月から山岸工業さんに出していた仕事の一部を、新しい会社に出す事にします。

 次の監査で直っていない場合は、山岸工業さんとの取引を最初から見直します。安かろう悪かろうでは、将来に問題が起きます」

「そ、そんな! 分かりました! 次の監査までは必ず5S活動を徹底させます!」


 納入コストと品質は重要だが、発注する側は信頼できる会社に仕事を出したいと考える。

 価格と品質が同じレベルなら、誰しも汚い工場の会社より、綺麗な工場の会社に仕事を出す。

 ある面から見ると、大会社が発注権限を使って、下請けに圧力を掛けているように見えるだろう。

 しかし、発注側がより良い製品を安定購入したいと考えるのは当然の事だ。それは資本主義の原則でもある。

 以前なら、頑張って安くて良い製品を作っているだけで良かった。だが、最近はそれに加えて職場環境も評価の対象に加えられた。

 頑張って働いてさえ居れば良いと考える人もいるだろうが、社会においては第三者に認められる事が必要になる。

 それが嫌なら、芸術家など個人の能力を最大限に発揮して、世間の柵に縛られない職業を選ぶべきだろう。


 5S活動以外にも、日本総合工業は改善活動の手法としてPDCAサイクルを取り入れていた。

 P:Plan(目標設定)、D:Do(行動)、C:Check(測定・評価)、A:Action(修正・再行動)

 これらは日本国内での普及活動が行われ、成果を出した後に同盟国や友好国、保護国にも広められていった。

 それは生産効率の改善に繋がって、生産量の向上になる。マナー改善にも結び付き、各国全体の改善に繋がっていった。

 更に、技術提携を結んで技術供与している協力会社に対して、技術漏洩のリスク(セキュリティ確認)確認や、

 技術者の転職などに関しての監査も行っていた。

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(2014. 7. 6 初版)